私はあなたの癒しの道具ではありません

琴乃葉

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誕生日祭.8

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「ルージェック!」

 驚いて小船の淵に手を置き身を乗り出すと、ぐらりと揺れて慌てて船底にしゃがみ込む。
 湾と沖の境目のここは、波が高い。
 カンテラで海を照らせば、黒い波を縫うようにしてルージェックがこちらに向かって真っすぐに泳いできていた。

「こっちよ」

 オールを手にしてそれを海面に突き出し、パンパン海水を叩く。
 こんなことしかできない自分がもどかしい。

 ルージェックの手がオールに掛かり、重みがずしっと腕にかかった。
 握る手にぐっと力を込めオールを手繰り寄せる。

「ルージェック」

 涙声の私にルージェックは海の中から微笑んだ。
 紫色の唇からは白い息が漏れ、オールに捕まる手も震えていた。

「大丈夫だ」
「すぐに引き寄せるわ」

 さらにオールを握る手に力を込めた。
 あと数センチというところまでくると、ルージェックはオールから手を離し小船の縁を掴んで身体を持ち上げる。

 大きくグラグラと揺れ、転覆するのではと不安がよぎるも、すぐにそれを打ち消すかのように逞しい腕に抱きしめられた。

「良かった! 本当に良かった」
「ルージェック、助けにきてくれてありがとう。どうなるか、不安で、不安で……」

 抱きしめられた安堵から、声が涙交じりになる。
 ずぶ濡れの身体に腕を回し、見た目よりずっと逞しい体躯にしがみついた。
 するとルージェックもさっきより強い力で私を抱きしめ返してくれる。

 その身体が小刻みに震えていた。
 私の耳元で何度も「良かった」と繰り返すその声から、どれだけ心配してくれたのかが伝わってきた。

「……ルージェック」

 心配をかけてごめんねと言おうとしたけれど、私の声にハッとしたようにルージェックは手を離した。
 月明かりでも分かるぐらい耳が赤く、しまったと眉を下げている。

「すまない。断りもなく抱きしめてしまった」
「ううん。……平気」

 つられるように私の頬も赤くなってしまう。
 本当は嬉しかったと言いたいのだけれど、それはどうかと言葉を変えた。
 ちょっと気まずく小船の上で視線を逸らしていた私達だけれど、まだ危機は去ったわけではない。

「今から岸に戻るの?」
「いや、この潮の流れに逆らってあそこまで漕ぐのは無理だ。とりあえず小島を目指そうと思う」

 海岸から見た小島は随分遠くにあったように思うけれど、どうやらそのあたりまで流されてしまったようだ。
 岸の灯から方向を確認し、小島がある方へ船先を向けると、ルージェックはオールを漕ぎ始めた。
 幸い月明かりのおかげで、小島のシルエットがすぐに波間に見えてきた。

 私は手渡されていたルージェックのコートを肩に掛けてあげると、自分のマフラーを取りそれも首に巻いてあげようと手を伸ばす。

「俺は大丈夫だから、リリーアンが使っていて」
「冬の海でびしょ濡れになって寒くないはずないわ。私なら大丈夫だから」

 むしろこれぐらいさせて欲しい。

 十五分もすると小島がはっきりと見えてきた。
 ルージェックの肩からも少し力が抜けたように思える。

 でも、「あと少しよ」と私が声をかようとしたとき、船底でガガッと鈍い音がした。
 チッと初めて聞くルージェックの舌打ちに、何があったか察する。

「もしかして、船底が何かにぶつかった?」
「ああ、岩だと思う。潮が引いて水面が下がっているせいだろう。水が入ってきていないかカンテラで確認してくれ」

 月明かりがあるとはいえ、小さな亀裂までは見えない。
 カンテラの灯を頼りに、手でも触りながら浸水していないか探っていると、指先に嫌な冷たさを感じた。

 海水だ。
 流れてくる海水に逆らうようにして入り込んできた場所を探せば、十センチほどの亀裂が入っている。

「船底にヒビが入っているわ」
「何か塞ぐものはあるか?」
「この布、使えるかも」

 目覚めたときに身体にかけられていた黒い布。何でこんなものがここにあるのか分からないけれど、それを細長く引き裂き割れ目に差し込む。

 それだけでは隙間から海水が入ってくるので、髪留めを外しピンで生地を裂け目に詰め込むようにすると、随分と入ってくる水の量が減った。

「これでどうかしら」
「ああ、上出来だ。あの島ぐらいならなんとかなるだろう」

 浸水してくる海水の量は少なくなったとはいえ、まだ布の隙間から漏れ入ってくる。
 それを手で掬い海へ捨てていく。必死で繰り返していると、今度はざざっと砂をする音が聞こえ小船がぐらりと揺れた。

「リリーアンついたよ。一度船を下りよう」

 船底ばかり見ていたから気が付かなかった。
 顔を上げた私の目の前にあるのは水平線ではなく、生い茂った緑の木々。

 森のようなそれを目にした途端に全身から力が抜け、私はへなへなと船底に座り込んだ。 
 陸地がこんなにほっとするなんて、思いもしなかった。

「そうか、足を怪我していたんだったな」
「えっ? あぁ、靴擦れのこと。たいしたこと……きゃっ」

 ルージェックは徐に私を抱き上げると、そのまま船の縁に足をかける。まさか。

「ちゃんと捕まっていろよ」
「ちょっと待って。まさかこのまま……」

 最後まで言うことなく、私の身体は宙に浮いた。
 ヒャッと声をあげながらルージェックの首にしがみつくも、それは僅かな間。
 すぐにルージェックの足が海水に入る音がして、そのまま波に逆らうようにして岸へと進む。
 もう降ろしてと頼んだけれど、海水が傷に染みるからと聞き届けてはくれない。

「でも、私、重たいわ!」
「いいや、羽のように軽いよ」
「そんなはずない!」
「こういうときは噓でもそう言うと決まっているんだよ。波に足をとられて不安定だから、ちゃんと捕まっていて」

 嘘なんだ……。
 ルージェックが私を見てクツクツと笑う。その声につられるよう、私も笑ってしまった。

「酷い。嘘ならつきとおしてよ」
「あっ、ちょっとその言葉、胸にくるな」

 うっとわざとらしく眉根を寄せるルージェックはふざけているようにも思うけれど、目が真剣に見えた。

「どうしたの?」
「帰ったら話したいことがあるんだ。聞いてくれるか」
「もちろんよ」
「できれば怒らないで欲しい」
「私が怒るような内容なの?」
「そうならないことを祈っている」

 一体なんのことだろうと考えているうちに、木の下まできた。
 ルージェックは私を少し生えている草の上に降ろすと、自分は砂の上にどさっと座る。
 そして「陸地がこんなにほっとするなんて」と私がさっき思ったことと同じ言葉を口にした。

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