2 / 50
ライリーと裏路地の魔法使い
2
しおりを挟む頬に風が当たり、草木の揺れる音が聞こえる。
恐る恐る目を開けると、飛び込んできたのは茜色の空。
「ここは……校庭?」
がばっと身体を起こすと、そこは見慣れた校庭の隅にあるベンチの上で。
横を向けば夕陽を受け赤く染まった校舎。帰宅を促す鐘の音が聞こえているので時間は五時だろうか。
「夢?」
私、裏路地にいたはず。
黒いローブを羽織った老婆はどこ?
あれは幻だったの?
事態が飲み込めなくて、ひたすら瞬きを繰り返し周りの景色を見ていると、良く知った声が聞こえてきた。
「ライリーここにいたのか。探したぞ!」
振り向くと、花壇と木立の間の細い道から、クロードの走ってくる姿が。
どうしよう、今は会いたくない。
どんな顔をすればよいのか分からないのに。
でも、私の心の準備なんてお構いなく、クロードは私の目の前にやってきた。
そう、目の前。
……えっ、近くない?
吐息がかかる近さにある整った顔に思わず身体を反らすも、ベンチの背もたれがそれを邪魔する。翡翠色の瞳には、狼狽える私の姿がはっきりと映っていた。
「クロード、その……」
「どこに行っていたんだ。心配したんだぞ」
少し語気は強いけれど、眉を下げ心配そうなその顔は演技に見えない。でもこれはきっと愛情からではなく、婚約者としての責任からなのでしょう。
「ごめんなさい。心配をかけて、ちょっと散歩をしていただけだから」
そう言って立ち上がろうとすると、膝に鈍い痛み。
そうだ、膝、怪我していたんだっけ。
「どうしたんだ? 怪我でもしたのか?」
「大丈夫。少し転んだだけだから」
大したことはないと胸の前で手をふり、怪我をしていない方の足に体重を乗せながら立ち上がろうとすると、目の前が急に陰り次いで身体がふわりと宙に浮いた。
えっ、何?
何が起きたの?
再び視界に入った夕焼け空を背景に、クロードの尖った顎が見え、爽やかな香水の香りが鼻孔をくすぐる。
いきなり横に抱きかかえられ全身が熱くなっていく。
「ク、クロード? どうしたの」
「足、怪我したんだろ? このまま馬車まで行こう」
えっ、このまま?
でも、ここは校庭。
放課後とはいえ、残っていた生徒が下校の鐘を聞いて校舎から出てきたから、人がそこここに。
そこをこの体勢で横切るつもり?
「待って、皆見てるわ」
「構わないさ」
「明日には噂になるわよ」
「婚約者と仲が良いと噂されても、嬉しいだけで害はない」
そんな、と言葉にならない声をあげ、口をはくはくする私に、クロードはとびっきりの笑顔を向けてくる。
「それにライリーに他の男が寄って来なくなる」
「なっっ……!!」
耳まで熱くなった私に、フッと笑みを溢すとクロードはスタスタと校庭を横切り始めた。
……これは想像したより見られている。
すれ違う人には二度見され。
校舎の窓からこちらを除く人影も。
でもクロードは全く気にすることなく、校庭を通り抜け、私を自分の馬車に乗せると、御者に「ライリーの御者に俺の馬車で帰ると伝えてきてくれ」と頼んでしまう。
「クロード、私、自分の馬車で帰れるわ」
「駄目だ。怪我をしたライリーを一人で帰らせることなんてできない」
そんな、転んだだけなのに……
そんな私の気持ちをよそに、伝言を頼まれた御者はあっという間に帰ってきて馬車を走らせてしまう。
「あの、クロード……」
「なんだい?」
「これはいったい?」
訳が分からないと、戸惑う私をクロードが見つめる。まるで、狼狽える私の方がおかしいかのように。
でも、馬車の中でも膝にのせたままって。そこに違和感を感じるのは当然で。
「もう下ろしてくれて平気よ」
「だめだ、馬車の振動で膝が痛むかもしれないだろう?」
「ではもう少し馬車のスピードを上げない? これでは日が暮れてしまうわ」
「駄目だよ。傷に響くといけない」
そう言うと、にこりと微笑み私の身体をさらに抱き寄せる。
密室で身体を寄せ、感じる体温と煮詰められていく空気に私の鼓動をどんどん早くなる。
いったい、急にどうしたっていうの?
普段はこんなことしないのに。
そうだ、怪我が大したことないと伝えればいいのよ。
私は少しスカートをあげ、傷をクロードに見せることに。
「見てクロード、怪我をしたっていってもこの程度のことなのよ」
クロードの視線が私の膝に向けられ数秒。
顔が不自然なほど違う方向に向けられた。
それはもう、首が痛くないかというほど。
「ラ、ライリー。駄目だよ、こんな状況で足を見せたりしては」
「だって本当に大したことないのよ? もう血だって止まっているし、そもそもかすり傷なのだから」
降ろして欲しくて必死で説明するのにクロードは全然こっちを向いてくれない。それどころかスカートの裾をつっと引っ張って傷口が見えないようにしてしまった。
「とにかく、今日は帰るまでこのままでいる。それから俺以外の男に足を見せるなんて絶対にしないでくれ」
キッと睨まれ、私はコクコクと何度も頷く。
クロードは少し顔を赤めながらも、結局最後まで私を離してくれなかった。
▲▽▲▽▲▽
馬車が屋敷に着いた頃には空に綺麗な月が浮かんでいた。
抱き抱えたまま屋敷の扉を開けようとするクロードを全力で阻止し、やっと地面に足をつけた私の口から大きなため息が漏れる。
地に足が着くことがこれほど大事だと思わなかったわ。
「クロード、ありがとう。では、また明日」
クロードの幸せのためには一刻も早く婚約解消をした方がいい。でも、私の気持ちの整理もまだ着かないし、今日はこれ以上何も考えられない。
さよならと振る私の手をクロードがすっと絡めとる。あっと言う間もなく引きよせられると、額に口付けが落ちてきた。
「明日からは一緒に登校しよう。迎えにくるよ」
蜂蜜のような甘い声。
蕩けるような眼差し。
初めて見るクロードの姿に私の思考回路は限界を迎えた。
夕食に何を食べたのか。
いや、そもそも食べたのか。
それすらも分からない。
放心状態で自室のソファに身を沈めていたら、ドアがノックされ勝手に妹が入ってきた。
「お姉様、借りていた本を返しにきたけど……って、ぼーってしてどうしたの?」
「う、うん……」
「今日はいつも以上にぼんやりしていたけれど、いったい何があったの?」
隣に座ってきた妹のアイミーに、まさかクロードに愛がない結婚は嫌と言われたなんて言えなくて。
とりあえず、「気分転換に街をふらついていたら占い師の老婆に会った」と言うと、茶色の瞳を大きく見開き詰め寄ってきた。
「何それ、まるでこの小説みたいじゃない!!」
でん! と私の前に突き出された青い表紙の本。流行りだからと買ったものの、読まずにアイミーに貸したものだ。
それを見てもピンとこない私に妹は呆れたようにため息をつく。
「もう! お姉様は本当に何も知らないのだから。あのね、この本『裏路地の魔法使い』は、とある令嬢が人気のない裏路地に迷い込んでしまうことから始まるの。そこで白銀の髪に紫色の瞳の占い師にあって、まるで暗示にかかったかように、胸の奥にしまっていた誰にも言えない不満を話してしまうの」
「えっ!? そ、それでその後どうなるの?」
アイミーは(自分で読みなよ)と言いたげな目を私に向けながら、生意気に腕を組む。
「もう、仕方ないな。教えてあげるわ。老婆は『最後にあなたの望みを叶えてあげよう』っていうのよ」
……望みを叶える。
そうだ、あの時、確かに老婆はそう言った。
「でもその老婆は占い師なのよね? 望みを叶えるなんてできるの?」
私の問いにアイミーはすっと目を細め声を顰める。
「表向きはね、でも実は魔法使いなの。ライリーも昔この国に魔法使いがいたことは知っているでしょう? その子孫らしく魔術で望みを叶えてくれるらしいの」
確かにこの国には大昔、魔術が存在していたらしい。今も、ごく稀にだけれど魔術を使える人がいるらしいけれど、身近にその存在を聞いたことはない。
「……アイミー、確認だけど。それって物語の話、よね?」
「それが、実際にあった話らしいのよ。だから余計に人気が出て今やベストセラー」
……もしそれが本当なのだとしたら。
突然私が校庭にいたのも、
私に対するクロードの態度が変わったのも。
「……すべては魔術のせいだったの?」
1
あなたにおすすめの小説
美人同僚のおまけとして異世界召喚された私、無能扱いされ王城から追い出される。私の才能を見出してくれた魔王様と一緒に田舎でのんびりスローライフ
さら
恋愛
美人な同僚・麗奈と一緒に異世界へ召喚された私――佐伯由香。
麗奈は「光の聖女」として王に称えられるけれど、私は“おまけ”扱い。
鑑定の結果は《才能なし》、そしてあっという間に王城を追い出されました。
行くあてもなく途方に暮れていたその時、声をかけてくれたのは――
人間に紛れて暮らす、黒髪の青年。
後に“元・魔王”と知ることになる彼、ルゼルでした。
彼に連れられて辿り着いたのは、魔王領の片田舎・フィリア村。
湖と森に囲まれた小さな村で、私は彼の「家政婦」として働き始めます。
掃除、洗濯、料理……ただの庶民スキルばかりなのに、村の人たちは驚くほど喜んでくれて。
「無能」なんて言われたけれど、ここでは“必要とされている”――
その事実が、私の心をゆっくりと満たしていきました。
やがて、村の危機をきっかけに、私の“看板の文字”が人々を守る力を発揮しはじめます。
争わずに、傷つけずに、人をつなぐ“言葉の魔法”。
そんな小さな力を信じてくれるルゼルとともに、私はこの村で生きていくことを決めました。
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
王子の寝た子を起こしたら、夢見る少女では居られなくなりました!
こさか りね
恋愛
私、フェアリエル・クリーヴランドは、ひょんな事から前世を思い出した。
そして、気付いたのだ。婚約者が私の事を良く思っていないという事に・・・。
婚約者の態度は前世を思い出した私には、とても耐え難いものだった。
・・・だったら、婚約解消すれば良くない?
それに、前世の私の夢は『のんびりと田舎暮らしがしたい!』と常々思っていたのだ。
結婚しないで済むのなら、それに越したことはない。
「ウィルフォード様、覚悟する事ね!婚約やめます。って言わせてみせるわ!!」
これは、婚約解消をする為に奮闘する少女と、本当は好きなのに、好きと気付いていない王子との攻防戦だ。
そして、覚醒した王子によって、嫌でも成長しなくてはいけなくなるヒロインのコメディ要素強めな恋愛サクセスストーリーが始まる。
※序盤は恋愛要素が少なめです。王子が覚醒してからになりますので、気長にお読みいただければ嬉しいです。
溺愛王子の甘すぎる花嫁~悪役令嬢を追放したら、毎日が新婚初夜になりました~
紅葉山参
恋愛
侯爵令嬢リーシャは、婚約者である第一王子ビヨンド様との結婚を心から待ち望んでいた。けれど、その幸福な未来を妬む者もいた。それが、リーシャの控えめな立場を馬鹿にし、王子を我が物にしようと画策した悪役令嬢ユーリーだった。
ある夜会で、ユーリーはビヨンド様の気を引こうと、リーシャを罠にかける。しかし、あなたの王子は、そんなつまらない小細工に騙されるほど愚かではなかった。愛するリーシャを信じ、王子はユーリーを即座に糾弾し、国外追放という厳しい処分を下す。
邪魔者が消え去った後、リーシャとビヨンド様の甘美な新婚生活が始まる。彼は、人前では厳格な王子として振る舞うけれど、私と二人きりになると、とろけるような甘さでリーシャを愛し尽くしてくれるの。
「私の可愛い妻よ、きみなしの人生なんて考えられない」
そう囁くビヨンド様に、私リーシャもまた、心も身体も預けてしまう。これは、障害が取り除かれたことで、むしろ加速度的に深まる、世界一甘くて幸せな夫婦の溺愛物語。新婚の王子妃として、私は彼の、そして王国の「最愛」として、毎日を幸福に満たされて生きていきます。
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。
【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】
【完結】伯爵令嬢の25通の手紙 ~この手紙たちが、わたしを支えてくれますように~
朝日みらい
恋愛
煌びやかな晩餐会。クラリッサは上品に振る舞おうと努めるが、周囲の貴族は彼女の地味な外見を笑う。
婚約者ルネがワインを掲げて笑う。「俺は華のある令嬢が好きなんだ。すまないが、君では退屈だ。」
静寂と嘲笑の中、クラリッサは微笑みを崩さずに頭を下げる。
夜、涙をこらえて母宛てに手紙を書く。
「恥をかいたけれど、泣かないことを誇りに思いたいです。」
彼女の最初の手紙が、物語の始まりになるように――。
【12月末日公開終了】これは裏切りですか?
たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。
だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。
そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる