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カトリーヌと裏路地の魔法使い

3.

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 私達は思い思いの食べ物を手にして、窓際のテーブル席で食事を取ることに。

「乾杯」

 軽くグラスを合わせ、口にしたワインは酸味が強いけれど飲みやすい。エリオット様はもう殆ど飲み干したようで給仕係がおかわりを持ってきてくれた。

「もうすぐ学園の卒業式だな」
「ええ、騎士団に入団が決まった学生もいますよ」
「ほう、それは楽しみだな。例えばどの令息が」
「コンスタイン公爵家のフルオリーニはご存じで?」

 げほっ、と私の言葉にエリオット様がワインを喉に詰まらせる。

「ごほっ、総団長の息子か。そうか、それは楽しみだ。彼の剣の腕前は?」
「学年で一、二位を争うわ」
「一位ではないのか」
「伯爵家のクロード・ザクレーといつも首位争いをしているわ。彼も入団が決まっています」
「それは楽しみだな。コンスタイン令息であれば出世コースだろうし、将来は父上の跡を継がれるかもな」
「出世コースですか?」

 初めて聞く言葉に首を傾げれば、騎士団の構成について詳しく教えてくれた。
 騎士団は大きく四つに別れて、一つは王都全てを守る第一騎士団。第三騎士団は治安の悪い港を積荷の検査も含め担当し、第四騎士団が遠征部隊。そしてエリオット様が今所属し、フルオリーニが配属される可能性が高いのが第二騎士団。王族の警備をするのが仕事らしい。

「それならエリオット様も出世コースではありませんか」
「いやいや、俺の場合は国境警備から始まっている。土台が違うよ」

 そう言って、照れ笑いを隠すように豪快にお酒を飲まれる。

「もう国境警備に行かれるのことはないのですよね」
「ああ、それはないのだが……」

 珍しくエリオット様の歯切れが悪い。目線をテーブルの上に落とし何かを考えているような。

「エリオット様、どうかされましたか?」
「いや。カトリーヌさんは今の仕事をどう思っている?」
「仕事ですか?」

 急に振られた話題に私は言葉を詰まらせる。
 教室という仕事は好き。特に将来に不安を感じる女生徒が、先生を見て女性でも働いて良いんだと思えた、と言って貰えるのが一番嬉しい。
 迷える生徒の背中を後押しできればな、と思う。

「そうですね、天職だと思っています」

 今の学園にこだわるつもりはないし、学園でなくても家庭教師でも良い。でも、どんな形であっても仕事を続けていければ良いなと思う。

「そうか……」

 突然エリオット様の声が暗いものに変わる。

「どうしたのですか?」
「ああ、その」

 口をぎゅっと紡ぎ、暫く宙を見つめるたあと向けられた視線は今までと違って真剣なもの。

「俺が昨年まで国境警備に当たっていたことは話したと思うが」
「はい。北の国境を守って下さっていたと。数年前にあった突然の侵略の際には大変活躍されて勲章を頂いたとか」
「あぁ、本来なら国境警備は三年。あれがなければもっと早く王都に帰れたんだが、変に手柄を立てたせいで引き止められ五年辺鄙な場所で暮らすはめになった」

 エリオット様を紹介してくれた友人の話では、そのせいで未だに独身らしい。嫡男ではないけれど騎士として将来有望で見た目も性格も良い彼が未だに独身なのはそのせいでしょう。

「ところで、第三皇女がユーリン国の公爵家に嫁ぐ話はご存じか?」
「そのような話がでていると聞いたことが。もしかして決定されたのですか」

 情勢が不安定な北の国境と違い、西のユーリン国とは友好関係で皇族、貴族間の結婚が頻繁に行われているので珍しい話ではない。

「ああ、内密だが決まった。それでその護衛……」 
「お客様、お話の途中失礼いたします。間も無く花火が始まりますので甲板におあがりください」

 エリオット様の言葉を遮るように給仕係が花火の打ち上げを教えてくれる。周りを見ればもう殆ど人が残っていなかった。

「あら、エリオット様、花火が始まるそうですよ」
「……そうだな。俺達も行こう」
「あっ、でもお話の途中でしたよね」
「いや、それは後でいい」

 飲みかけのワインをぐっと喉に流し込むと、私達は甲板へと向かう列の最後尾に並んだ。あっ、もう一人ケーキを食べている男性がいるから最後ではないか。

 甲板は既に人が溢れていて、テーブル席もベンチも埋まっていたのて、立ったまま眺めることに。

 暫く待つと、バーン、バーンと繰り返される破裂音に僅かに遅れて夜空に大輪の華が現れる。色は赤、青、黄色、大きさも様々なそれが時には重なり合い濃紺の空を鮮やかに染めあげ、眼下の海が刹那の色をその海面に映しだす。

 海面の少し向こうに目を凝ら見れば、船の前方に幾つかの小舟が見える。どうやら花火はその小舟から打ち上げられているみたい。

「綺麗ですね」
「……あぁ」

 その声のトーンが思っていたものと違って、そっと隣を伺い見るとエリオット様の瞳は花火を映しているのにどこか違う場所を見ているようで。
 さっきまでの浮き足立っていた心がざわざわとしてくる。

 どうしたのでしょう。
 さっきまであんなに笑っていたのに。

 夕陽を見た時のように手を繋いでくれるかもと指先に触れてみたけれど、ピクリと動いただけで絡みとられることはない。

 ただ、静かに花火を見上げる。
 すぐそばにあると思った心が遠く感じるのは気のせいであって欲しい。

 花火のフィナーレはお決まりのように大輪の華の乱れ打ち。浮かんで消える前に次の華が咲き辺りが明るく照らされる。

 煙だけが残った空に皆が手を叩き、綺麗だったね、と声を交わしている。私も努めて明るい声で感想を述べると、エリオット様はにこりと微笑んだあと悲しそうに眉を下げた。

「カトリーヌさん、会うのは今宵で最後にしましょう」

 弾んでいた心が動きを止め冷たく凍り付く。
 言葉の意味を理解するのに一拍かかり、受け止めるのにさらに数秒を要した。

「それは、あの。私、何かエリオット様のお気に触るようなことをしましたでしょうか?」
「いや! そのようなことはない。あなたとの会話はとても楽しいし、あなたは素敵な女性。これは全て俺の都合なのだ」

 エリオット様の都合。
 それはいつ決めたことなの?

 だって迎えに来てくれた時は両親にも挨拶してくれて。
 夕陽を見た時は手だって繋いだじゃない。
 冗談を口にして、美味しそうにワインを飲んで。

 分からない。
 エリオット様が何を考えているのか。
 
 もう私に会わないつもりだったなら、どうしてあんなに楽しそうに笑っていたの?

 言いたいことは沢山ある。
 聞きたいことも沢山ある。
 縋りたい気持ちだってある。

 でも、そんなことしてどうなるの?
 きっとエリオット様の決断は変わらない。
 真剣な目を見ればそれぐらい分かるわ。

 だから私は必死で笑顔を作った。

「何かご事情があるのかも知れませんが、無理に聞くつもりはありません。楽しかったです」
「すまない」
「謝らないでください。あっ、船が動き出しました。もう港に戻るのですね」
「そうだな、夜風が冷たいし船内に入るか?」
「……できれば、このまま星を眺めていたいのですがよろしいですか? 寒いならエリオット様だけでも船内にいかれては」
「いや、俺もここにいる」

 明るい場所より暗い場所がいい。
 強引に貼り付けた笑顔の仮面も、星の僅かな輝きでは剥がれたりしない。

 私達はそのまま無言の時を過ごし、船は港についた。

「……エリオット様、ここでお別れしましょう」
「いえ、それはできません。ここは治安も良くない。家まで送ります」
「大丈夫です。大通りまで出れば辻馬車が拾えるはずですし、船から降りた人達が大勢いるので人の流れに乗れば危険はありません」
「何を言っているんだ、危ないに決まっているだろう」
「ありがとうございます。楽しかったです。お元気で」

 私はそれだけ言うと走り出した。もちろんエリオット様は追いかけて来られるけれど、ちょうど通りかかった荷馬車の影に隠れ、その後は裏路地へと駆け込んだ。
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