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カトリーヌと裏路地の魔法使い
4.
しおりを挟む隠れるために裏路地に入ったけれど深入りしてはいけないことは分かっている。私は一つ目の角で足を止め、はぁ、と大きく息を吐く。
それを皮切りに、我慢していた涙が次から次へと溢れてきて、たまらずその場にしゃがみ込む。啜り泣きはたちまち嗚咽に変わり、悲しいのと一人浮かれていた虚しさと、エリオット様の優しさが心の中をぐちゃぐちゃとかき混ぜる。
「……もし、そこのお嬢さん、そんなところで泣かずにこっちにきな。椅子もあるしケーキもあるよ」
暗闇から突如しゃがれた声がして、ビクリと身体を震わせ立ち上がると、潮風に紛れてライラックの香りが漂ってきた。もう一つ向こうの角に紫色の光を放つ洋燈と薄闇と一体化するかのように黒いフードを着た人影が見える。
まずい、逃げなきゃ!
立ち上がり、ずずっと足元の土をするように後退りすると、真っ黒なローブから枯れ枝のようなう手が伸びてきておいでおいで、と私をよぶ。
どう考えても怪しい。
生徒達に注意を促した人攫いの可能性に思い当たり、手に汗が滲む。
「そんな警戒せんでも、私みたいな老婆は何もしやせん。ほらほら、ここに座りな」
老婆の周りに誰もいないことを確認すると、私は恐る恐る紫色の洋燈に誘われるように椅子に腰掛けた。
「あの、おばあさん、私が言うのも何ですがこんな場所に店を開いたいたら危ないですよ」
「ほっほっほっ、若い自分のことより老いた私を心配してくれるのかい。面倒見のよいご令嬢だこと。ここで会ったのも何かの縁だから占ってやるよ。ほら、この水晶に手をかざしてごらん」
えっ、私占いとか信じない方なんだけれど。
でも、しゃがれた声が折れた心に染み込んできて。
気付けば私は言われるがままに水晶に手を向けたいた。
老婆はその紫色の目を細め水晶を眺めると、辛そうに眉を顰める。
「酷いことを言われたんだね」
「いえ、全て私の勘違いだったんです。恥ずかしながらこの歳になって初めて好きになった人でしたから」
「確かに、面構えも性格も良さそうな騎士だったねぇ」
「えっ、そんなことも分かるんですか?」
「も、もちろん! 私は『裏路地の魔法使い』だからね」
えっ、と私は少し身をひき老婆の全身に目を走らせる。
黒いローブに紫色の洋燈、しゃがれた声に枯れ枝のような腕。言われてみれば、昨晩読んだ小説に書かれていた老婆の占い師にそっくり。
そっくりだけど、……それ自分で言う?
しかもちょっと胸張って自慢げに。
「ほ、本物じゃよ」
訝しげな私の視線に気付いたのか、占い師はこほんと咳をして、わざとらしく再び水晶の奥を見つめる。
「私が思うに、彼ともう一度話をした方が良いのではないか?」
「……話すって。全て私の勘違いなのですから、もういいの」
「そうかい? ではどうしてあんなに泣いていたんだ?」
うっ、と言葉を詰まらせる私の手に、皺々の指が触れる。カサッとした感触を想像していたのに、その指は見た目と違い若い娘のようにしっとりと柔らかい。
「あんたの望みを聞かせておくれ」
「そんな、望みなんて何もないわ」
「いいから、流れ星に願うと思って呟いてごらん」
そう言って老婆は人差し指を上に立てる。
見上げれば四角く切り取られた夜空に浮かぶ星。
流れ星か、そうね、占いなんてそういうものかも。
「……エリオット様の本当の気持ちが知りたい」
「その望み叶えてやろう」
紫色の瞳が僅かな灯りでもはっきりと分かるぐらい艶っぽく光る。少し口角をあげただけの微笑みが妙に色っぽいな、と思っていると、占い師はすっと立ち上がった。
「どれ、人通りの多い場所まで送ってやろう。連れの男性もきっとあんたを探しているだろうしな」
「ありがとうございます。でも、大丈夫、大通りはすぐそこですし、人も沢山います」
私も席を立ち、銀貨を数枚置いてお礼を言ってからその場を後にした。エリオット様は私を探しているのかな。占い師にああは言われたけれど、先程別れたばかりで今顔を合わせるのはやはり気まずい。
今日は辻馬車で帰ろう。
大通りに足を踏み入れながらそう思ったのも束の間、
「えっ? 誰もいない」
人で溢れていた大通りは閑散としていて。
そうか、あれは船から降りた人達がいたから賑わっていたんだ。
きっともう皆馬車に乗って帰ってしまったのね。
ピューッと海風が髪を吹き上げて、私はショールを肩にしっかりとかけ首元でぎゅっと縛る。静かな通りは不気味で、私の歩く靴音だけが妙に響き渡るのが落ち着かない。
「辻馬車は捕まるかしら」
「お嬢さん、こんなところで何をしているんだ?」
恐怖を誤魔化すために敢えて口にした言葉に被さるように、酒焼けしたしゃがれた声が背後からした。
「えっ!」
振り返ると同時に数歩下がると目線の先には胡散臭い男が四人。その全員から鼻をつまみたくなるような酒の匂いがする。
「はは、そんなに驚くなんて可愛いじゃないか」
「いやいや、可愛いなんてもんじゃないぞ。ものすごい美人だし胸もでかい。これは上物だ」
「確かに誰が一番に楽しむ?」
「とりあえずここから移動するか」
ニヤニヤと笑うだらしない口元から、汚れた歯がみえる。
楽しんで、の意味が分からないほど子供じゃない私は全身が総毛立ち、足が震え始める。
男の腕が伸びてきたから、それを手で払い除けると厭らしく目を細め大声で笑い始めた。
「はは、気の強い女だな。ますます気に入った」
「そこを退いてください」
「まあ、まあ、そんな怖い顔するなって。大人しくしていりゃ、こっちも殴ったりはしないから」
走って逃げれるだろうか。
もう少し先には港を警備する騎士の詰所があるはず。そこまで行け何とかなる。
私は男達に気づかれないよう、長いドレスの下でこっそり靴を脱ぐ。早鐘のように鳴り響く心臓の音がうるさい中、少しでも冷静にと大きく息を吸う。
一番ひ弱そうなのは右側の男。そいつをターゲットにして、軽く身を屈めると次の瞬間跳ね上がるようにしてその男目がけ体当たりをした。
男達が怯んだすきに、そのまま一目散に騎士の詰所めがけて走り出す。でも、すぐ後ろから男達の笑い声が聞こえ近づいてくる。
「逃げろ逃げろ! 女の足で俺達から逃げ切れるわけがないだろ」
「ここまでじゃじゃ馬だと慣らしがいがあるっていうものだ」
「それならこうしよう。一番に捕まえたものからあの女を頂く」
「そりゃいいな」
男達の声が近づいてくる。
裸足で走る痛みなんて感じない。
ただひたすらに走り続ける。
息が続かなくなって吐き出す呼吸が荒く短くなる。足がもつれて思うように動かないのに気持ちばかりがせいて。
「キャッ」
転ぶと思った時には地面に肩をぶつけていた。
まずい、すぐに立ち上がらなきゃ、そう思って顔を上げるとそこには夜空を背景に私を覗きこむ厭らしい笑みが四つあった。
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