君が見た春をもう一度

sika

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第12話 あの日のメッセージ

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翌週の月曜、昼を過ぎた頃。編集局の窓際の席に座り、取材資料をまとめているとスマホが震えた。  
詩織からだった。  
「明日、例の撮影について打ち合わせしたい。夕方、会社の近くのカフェでどう?」  
その一文だけで、心臓の鼓動が早くなる。  
俺はすぐに「了解」と返した。  

ここ数日、彼女からのメッセージを開くたびに体が反応する。もう仕事だけのやり取りに慣れたと思っていたけれど、名前を見ただけで昔の感情が表面に浮かび上がってくる。  
消そうとしても消えない記憶。十年以上前に送れなかったメッセージと同じように、心の隅で未送信のまま眠り続けている。  

午後、会議室で来週の番組構成について意見を出していた。  
「桜庭、再開発エリアの映像、もう少し人の流れが欲しいな。殺風景に見える」  
「わかりました。通勤時間帯を狙って追加撮影してみます」  
会議が終わった瞬間、机の上のノートパソコンを閉じ、頭を軽く叩く。  
明日のことを考えると落ち着かない。  
久我が横から覗き込んで笑った。  
「お前、最近よくスマホ見てニヤけてね?誰かできたか?」  
「違うよ。仕事だ」  
軽く笑って流したが、心の奥が少しだけ痛んだ。嘘をつくことが、こんなにも簡単で苦いものだとは思わなかった。  

翌日。  
午後四時を回る頃、渋谷のオフィス街にあるガラス張りのカフェに着いた。  
店内は打ち合わせ中のビジネスマンが多く、パソコンの音とコーヒーのしずくが一定のリズムを刻んでいる。  
窓際の席に彼女の姿を見つけた瞬間、周囲の音が遠ざかった。  
詩織は淡いベージュのブラウスに黒のカーディガン。髪を後ろで束ねたその姿は、どこから見ても忙しい社会人そのものだった。  
だけど笑顔の柔らかさは昔と変わらない。  

「久しぶりだね」  
「この前会っただろ」  
「そうだけど、あの時は病院だったから」  
笑いながら、彼女はメニューを閉じた。  
「コーヒーでいい?」  
「うん、いつもと同じブラックで」  
注文を済ませて、テーブルの上に資料を広げる。お互いの声を抑えるように話が始まった。  

「今回の企画は“東京再生”がテーマ。廃ビルや再開発エリアの空気をどう表現するかが鍵になるの。あなたの写真、光の捉え方がすごく合ってると思って」  
「なるほど。じゃあ補助照明は抑えめで、自然光中心で撮ろう」  
「そう。それに、あのエリアの空気って少し切なくて、希望も混じってる感じが欲しいの」  
彼女の言葉を聞きながら、内心驚いていた。  
仕事の話をしているのに、不思議と胸が温かい。  
彼女の情熱は昔と変わらず真っ直ぐだった。自分を鼓舞するように、何かを信じ続けている目。その目を十年ぶりに間近で見ている。  

打ち合わせが一段落すると、ふいに沈黙が落ちた。  
コーヒーの香りだけがテーブルの間を満たす。  
詩織がマグカップを見つめたまま、小さく言った。  
「ねえ、湊くん。高校の頃、私にメッセージ送ろうとしてくれてたよね」  
カップを持つ手が止まった。  
「……どうしてそれを?」  
「この前、実家に帰った時、昔の携帯を見つけたの。電源入れてみたら、“未受信メッセージがあります”って出てきてね。開いたら湊くんの名前があった」  
息が詰まりそうになった。  
「……送信してなかったはずだけど」  
「たぶん途中まで届いてた。文字化けしてたけど、最後の行だけ読めた」  
「最後の行?」  
彼女は少し照れたように笑った。  
「“好きだった”って」  

その言葉を聞いた瞬間、心臓が脈打った。時間が一気に十年前へ引き戻される。  
夜中、布団の中で震える手で打ち込んだたった五文字。送れずに終わったあの夜の記憶が、鮮やかに蘇った。  
「……記憶が抜けないもんだね。こっちも残ってたよ、あの時のメッセージ」  
「どんな?」  
「“いつかまたどこかで会えたら、ちゃんと話したい”って書いてあった」  
詩織の目が丸くなる。  
それから二人とも、どちらからともなく笑い出した。  
「変だね。十年も経って、やっと会って、やっとお互いに伝わるなんて」  
「遅いにもほどがある」  
「うん。でも……届いたんだよね」  

笑いながら話しているうちに、目の奥が熱くなった。  
たった五文字。でも、それが今になって届くなんて奇跡みたいなことだ。  
「ありがとう、あの時、想ってくれて」  
「そんな言い方ずるいな。全部思い出すじゃないか」  
「ごめんね。ほら、今は違うから」  
指先に光る銀のリングが、カフェの明かりを反射していた。  
俺は小さく頷いた。  
「わかってる。もう十分伝わったよ」  
「過去も、今も、嘘はなかったんだよ」  
「それでいい」  

席を立ちながら、彼女が笑って言った。  
「明日、撮影よろしくね。あなたにしか撮れない“東京の春”があると思うから」  
その言葉を背中で受け止めながら、頷くことしかできなかった。  

店を出ると、夕暮れの光が通りに溶けていく。  
人の波の中で、さっきの会話が何度も反芻される。  
“好きだった”――ようやく届いた、たった五文字。  
言葉は時間を越えることがある。  
たとえ遅すぎたとしても、それは確かに誰かの記憶の中で息をしている。  

空を見上げると、街の上に淡い光が広がっていた。  
十年前の春よりも少しだけやわらかく、あたたかい光。  
その光の向こうで、過去の自分がようやく笑っている気がした。  

(続く)
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