公爵令嬢は婚約破棄に微笑む〜かつて私を見下した人たちよ、後悔する準備はできてる?〜

sika

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第13話 “あなたにもう興味はないの”

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公務の日が落ち着き、報告会を終えた午後。  
宰相府の廊下に立っていた私は、磨かれた石の床に反射する自分の影を見ていた。  
あの日、国王の直々の擁護を得てからというもの、周囲の視線は一変した。  
今までは裏であざ笑っていた貴族たちが、まるで手のひらを返したように私に頭を下げ、媚び、呼び止める。  
思い通りにいけば心地よいはずのその変化が、妙に空虚に思えた。  

“彼らの敬意は、信念ではなく損得でできている。”  

そう理解してしまった瞬間、どれほどの拍手も心を満たさなくなる。  
だが、アルヴェンの言葉だけは違った。  
簡潔で、飾らず、それでいて胸の奥に火を灯すような一言。  

「貴女が歩みを止めない限り、国は動き続ける。だから――誰も信じられなくても、自分は信じろ。」  

その声を思い出すたび、私は前を向けた。  

◆  

だが、その夜、思いもよらない客が宰相府を訪れた。  
到着を知らせる声に耳を疑った。  
「エリアス・ルクレイス王国王太子殿下がお見えです」  

血の気が引いた。  
隣国の要人、公的訪問の報告はなかったはず。  
アルヴェンが部屋から出てきて、瞬時に指示を飛ばした。  
「補佐官室を開け。即座に陛下へ報告を」  
「はっ」  

喧噪の中、私は反射的に身を翻そうとした。だが遅かった。  
扉の先に立っていたのは、かつての婚約者――エリアス殿下その人だった。  
あの王都での婚約破棄から半年。  
私の時間はあの夜を最後に止まり、そして再び動き出した。  

対する彼は、少し痩せたように見えた。  
しかし、青い瞳は相変わらず過去の栄光を映すように澄んでいる。  

「久しいな、リリアナ」  
「殿下――」  
軽く礼をしようと膝を折ったが、彼がそれを止めた。  
「やめてくれ。お前と形式の言葉を交わす気はない。……今はただ、話をしたい」  
「この立場で、私的な会話を持つのは許可されません」  
「構わない。ヴェルディア王も理解している。俺は外交の名目で来たが……本当は、お前に会うためだ」  

重い沈黙。  
部屋の奥の時計の針が、やけに大きく響いた。  
アルヴェンの姿は、あえて外すように退室していった。  
残された二人の間に広がったのは、過去と決別の空気だった。  

「殿下。お心遣いはありがたく思いますが、私はただの顧問です。外交の件なら宰相閣下に――」  
「違う!」  
珍しく取り乱した声。  
「俺はあの日からずっと後悔している。クロエと共に歩む中で、お前の存在がいかに大きかったか分かったんだ。なぜもっと早く気づけなかったのか……。お前なら、この国を――俺を支えてくれただろうに」  
その言葉は痛みに似ていたが、心の奥に何の波紋も起こさなかった。  
あの頃の私は、確かに殿下を愛していた。  
愛して、信じて、そして裏切られた。  

だから、今の私は知っている。  
時間は、後悔すら灰にする。  

「殿下」  
「……なんだ?」  
「お気の毒ですが、私にはもう“嘘の後悔”を聞く気がありません。貴方は、あの夜に私を王の前で切り捨てた。正義と愛を掲げて、私を辱めた。その事実は、どんな穏やかな言葉を並べても変わりません」  
「俺は――」  
「殿下」  
その呼び方に、彼の肩がわずかに震えた。  
「私はもう、貴方に興味はありません。憎んでもいない。ただ、興味がないのです」  

静かに言葉を置いた途端、空気が凍った。  
殿下は息を呑み、口を開こうとしたが、言葉にならないまま沈黙した。  
その背後の扉が開き、アルヴェンが戻ってくる。  

「殿下、陛下がお待ちです。外交会談の時間が迫っています」  
「……ああ」  
絞り出すように言葉を返し、エリアスは私を一度だけ見た。  
その瞳の奥には、消せぬ敗北の影が滲んでいた。  

扉が閉じる。  
足音が遠ざかり、静寂だけが残る。  

肩で息を吐いた瞬間、アルヴェンが一歩近づいた。  
「……見事な切り返しでしたね」  
「褒めてくださるの?」  
「本心から。見ていて痛快でした」  
「でも、少し違っていたかもしれません」  
「何が?」  
「彼を憎んでいない……なんて。自分でも信じられない。本当はまだ、あの夜の恐怖も屈辱も、心の底で燻っている」  

指先が震えた。  
それを包むように、アルヴェンの手がそっと重なる。  
「リリアナ。怒りも悲しみも、理性のうちだ。君がそれを抱え続けている限り、君は壊れない」  
「……壊れた方が楽だったかもしれません」  
「いいや、違う。壊れぬまま立っているからこそ、君は誰よりも強い」  

言葉は優しく、けれどどこまでも真っ直ぐだった。  
心の奥のひび割れた部分が、その温もりに触れて少しだけ癒えていく。  

「……アルヴェン様」  
「なんです」  
「ありがとう」  
「礼は不要です」  
「でも、今夜だけは」  
そう言って彼に微笑んだ。  

彼の視線がわずかに揺れ、低く息を吐いた。  
「リリアナ、君が笑うと……世界が静まる気がする」  
「褒め言葉として受け取ります」  

しばしの沈黙の後、彼は真剣な表情に戻った。  
「だが、殿下が動いたということは、クロエの方でも何か仕掛けが始まっている。  
 彼女の背後の商会、いくつか動きがあった。君が公的場で彼に“興味がない”と告げたことが、伏線になるかもしれない」  
「どういう意味です?」  
「彼女は誇り高い。自分が勝ち取った愛が冷たく突き放されれば、精神が揺らぐ。焦り、油断が生まれる」  
「つまり、彼女は自滅の道に踏み出すと?」  
「そうなる可能性が高い。だが同時に、反撃も仕掛けてくる。……次に来る嵐は、噂ではなく“策略”だ」  

冷たい風が窓の隙間から吹き込み、ろうそくの炎をわずかに揺らした。  
アルヴェンの影が壁に伸び、私の影に重なる。  
彼の声が低く響いた。  

「君に恨みを向ける者が現れる時、俺はその前で剣を抜く」  
「戦場の剣と政の理を同時に振るう人は、珍しいですね」  
「君が“珍しい存在”だから、そうなる」  

その夜、私はようやく理解した。  
人の心の奥にある敬意は、時に愛よりもずっと深く、痛みを伴うものなのだと。  

アルヴェンが扉を出た後、窓辺で風に触れる。  
夜空は冴え、月が冗談のように丸かった。  
あの夜王都で泣き笑いした高慢な自分は、もういない。  
今、私が持つのは誰にも奪われない知恵と覚悟、そして――静かな炎。  

「興味はないわ、殿下。だけど、貴方の破滅には少しだけ興味があるかもしれない」  

誰にも聞こえぬように呟くと、月が微かに光を強めた。  
私の中の冷たい炎が、また静かに燃え始める。  

続く
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