公爵令嬢は婚約破棄に微笑む〜かつて私を見下した人たちよ、後悔する準備はできてる?〜

sika

文字の大きさ
15 / 30

第15話 王太子の動揺

しおりを挟む
ルクレイス王宮の謁見の間は、今日に限って緊張の糸が張り詰めていた。  
赤い絨毯の上を、ゆっくりと歩く男の姿。  
それは王太子エリアス・ルクレイス――数日前に行われた王族評議会の糾弾を受けたばかりの男だった。  

薄暗い大理石の壁に、彼の足音がやけに響く。  
床から吹き上がる冷気が、まるで彼の罪を告げるようだ。  
取り囲む十二人の評議員と、中央に座す老王の目がすべて彼を貫いていた。  

「弁明があるか、エリアス」  
老王の声は低く、重い。  
その一言に、彼の膝がわずかに震える。  

「……金の流れについては、私の確認不足でした。王室寄付団体の管理をクロエに一任しておりましたが、彼女の善意を疑うことなど――」  
「その“善意”が、外国商会への資金移転の隠れ蓑になっていた」  
厳しい声が飛ぶ。  
「お前は国家財を私的に利用し、挙げ句の果てに外交上の信用まで損ねたのだ。王太子として、いや、一人の王族として恥を知れ!」  

怒号が鳴り響く。  
けれどエリアスは目を閉じ、誰の声も聞こえないようにしていた。  
頭の中で浮かぶのは、たった一人の女の姿。  

――リリアナ。  

彼女がヴェルディアでどんな顔でこの報を聞いたのか。  
冷たい目で見下ろし、あの美しい唇で静かに呟くだろう。  
「自業自得」と。  

「陛下、私は――」  
声を発しようとした瞬間、王が手を上げた。  
「もうよい。お前は当面の間、王位継承権を凍結する。クロエ・ベルネストとの婚姻も無効とする」  
「なっ……!」  
「お前には、政治的立場よりも先に、人としての自省が必要だ。地方視察の名目で一年、王都を離れよ」  

言葉を飲み込むほかなかった。  
王座の間を警備兵に囲まれ連れ出される時、彼の耳に評議員の冷たいざわめきが刺さる。  

“あの放蕩王子も、終わりだ”  
“女に踊らされたか。愚かだな”  
“皮肉にも、あの公爵令嬢の見立て通りになった”  

リリアナ――。  
その名を思い浮かべた瞬間、胸の奥が焼けるように熱くなった。  
彼女を失った日から、どれほど自分が彼女に依存していたかを、今さら思い知らされる。  

◆  

その夜。  
城の奥、王太子私邸の一室。  
暖炉の火は赤く燃えているが、室内はどこか冷えていた。  
クロエは椅子に腰を下ろしたまま、虚ろな目で窓の外を見ていた。  
かつては誰もが羨む美貌の令嬢。  
だがその顔には化粧の輝きもなく、唇には怯えと憔悴の線が刻まれている。  

「クロエ……どうしてだ。俺はお前を信じていた」  
エリアスの声は震えていた。  
「殿下、わたくしは……そんなつもりじゃ……! ただ王太子妃として陛下に誇れる仕事をしたかったのです!」  
「そんな言葉で済ませられると思うのか? お前が動かした金がどれほどのものか、理解していないのか!」  

クロエの細い肩が震える。  
彼女の髪に光る飾りが床に落ち、硬い音を立てた。  

「でも、でも殿下が、お金の使い道を任せてくださらなければ……! わたくしに“好きにすればいい”と仰ったじゃありませんか!」  
「それは……!」  
エリアスの喉が詰まった。  
確かに、言った。  
彼女を信じようとした。だがそれは、リリアナとの破綻を埋めるため、自分の孤独を誤魔化しただけだった。  

「もう出て行ってくれ」  
吐き捨てるような声。  
「クロエ、お前とは終わりだ」  
「いやです……殿下、わたくしをお見捨てにならないで……!」  
「ここに“殿下”はもういない。俺はただの罰せられた愚か者だ」  
「そんな……」  

泣き崩れるクロエを見ても、胸に何の情も生まれなかった。  
もはや愛もなければ、怒りすら湧かない。  
ただ虚しい。  
そして――思考の終わりで浮かぶのは、あの冷たい瞳。  

「リリアナ……。どうして俺は、あの日お前を手放したんだ」  

炎が揺れ、彼の影が歪む。  
彼女の笑みが、炎の奥に浮かんだ気がした。  

◆  

同じ夜、ヴェルディアでは雨が降り出していた。  
宰相府の執務室。  
アルヴェンは机の上の封書に視線を注いでいた。  
ルクレイスからの速報。  
「殿下、王太子資格停止。クロエ・ベルネスト、裁定待ち。」  
という文字が、雨音の中で不気味に光る。  

「リリアナ、これをどう見る?」  
彼女は窓辺で雨を眺めたまま、静かに答えた。  
「因果ですね。自分の選んだ愛に溺れ、溺れた先で息を失う。それだけのことです」  
「冷たいな」  
「冷たいのは現実よ。……情けをかける余地は、あの方が自分で燃やしてしまった」  

彼女の声は穏やかだった。  
怒りも嘆きも、すでに彼女の中には存在しない。  
代わりにあったのは、確かな静けさ――嵐の中心に立つ者だけが持つ、絶対の冷静さだった。  

「王太子の失脚で、ルクレイスは動揺している。各国への影響が広がる前に、我々も声明を出す必要がある」  
「宰相閣下が、私に発表を任せると仰いました」  
「君に?」  
「ええ。王の承認も得ています」  
アルヴェンが息を呑んだ。  
「本当に、国の“顔”になっていくのですね、リリアナ」  
「私を使うことの意味を、陛下も理解されているでしょう。私は“愛された女”ではなく、“裏切られた女”として、真の改革を語れる」  
その言葉が妙に力強く響いた。  
そしてアルヴェンは、心の奥で気づいてしまった。  

この女は、傷を武器にする。  
痛みを糧に、絶対の理を作り出す。  
だからこそ、誰よりも美しく、危うい。  

「……君は本当に恐ろしい人だ」  
「恐ろしい?」  
「まるで、敗者を救う顔で刃を突きつけるような」  
リリアナは微笑んだ。  
「救いとは、時に裁きの形を取るものです」  

雨が強くなる。  
雫が窓を伝い、外の街灯が滲んで見えた。  
アルヴェンはしばらく黙ってから、低い声で言った。  

「殿下は、もう一度君に会いたがっているようだ」  
「生涯、会うことはないでしょう」  
「そう言いながら、もし彼が本当にここへ来たら?」  
「その時は、彼の瞳の奥に映る“絶望”を確認するだけ」  
「……君は冷たい炎だ」  
「でも、貴方はその炎に目を逸らさない」  

短く交わした視線の中に、言葉以上の確かな理解があった。  
彼女は理で戦い、アルヴェンは理の名で彼女を支える。  
二人の関係は危ういほど均衡を保ちながら、さらに深く絡み合っていく。  

「リリアナ、嵐の後には必ず光が来る。けれどその光は、時に人を焼くこともある。気をつけてほしい」  
「なら、焼けてしまっても構わない。その時、私は本当の私になるでしょう」  

彼女の横顔を見つめながら、アルヴェンは微かに息を洩らした。  
その瞳の奥に、もはやどんな迷いもなかった。  

そして――遠く離れた夜明け前のルクレイス王宮。  
かつての王太子エリアスは、誰もいない玉座の間で膝をついていた。  
冷たい大理石に頭を垂れ、ひとり呟く。  

「リリアナ……許してくれとは言わない。ただ、君のように強くありたかった」  

外では小雨が降り続いていた。  
その雨の音を聞きながら、彼は微笑んだ。  
痛みの中にわずかな救いを見つけたように。  

彼が本当の意味で理解する日は、もう二度と来ないだろう。  
そして、リリアナはその朝、過去という言葉の最後の欠片を静かに手放した。  

続く
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

《完結》初夜をすっぽかされた令嬢は夫を死亡扱いする

さんけい
恋愛
クズ夫の非常識を帳簿で粛々と清算!真実の愛?笑わせるわね! 全14話。

【完結】氷の令嬢は愛を請わない - 捨て子の『義妹』に愛も家族も奪われたマリーローズの逆襲

恋せよ恋
恋愛
銀髪紫眼の美貌の侯爵令嬢、マリーローズ。 完璧な淑女に育った彼女だったが、母は捨て子ジュリエットを寵愛。 婚約者の公爵家嫡男アレックスも、友人も、次々に奪われる――。 家族に裏切られ、すべてを失った彼女が下した決断は、 家族を見かぎり、国を捨て、自らの人生を取り戻すこと。 理不尽な悲恋を力に変え、運命をひっくり返す令嬢の逆転劇! 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!

秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。 民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。 「おまえたちは許さない」 二度目の人生。 エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。 彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。 1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。 「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」 憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。 二人の偽りの婚約の行く末は……

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

婚約者チェンジ? 義理の妹は公爵令嬢の地位もチェンジされました』 ~三日で破談、家ごと褫奪の末路です~

ふわふわ
恋愛
「お姉様の婚約者、私がいただきますわ。だって“公爵令嬢”ですもの」 義理の妹コンキュはそう言って、王太子との婚約を奪いました。 父はそれを容認し、私は静かに受け入れます。 けれど―― 公爵令嬢とは“地位”ではなく、“責任”の継承者。 王宮で礼儀も実務も拒み、「未来の王太子妃」を名乗った義妹は、わずか三日で婚約破棄。 さらに王家への不敬と統治能力の欠如が問題視され、父の監督責任が問われます。 そして下されたのは――家ごとの褫奪。 一方で私は、領地を守り、帳簿を整え、静かに家を支え続ける。 欲しがったのは肩書。 継いだのは責任。 正統は叫びません。 ただ、残るだけ。 これは、婚約を奪われた公爵令嬢が “本当に継がれるべきもの”を証明する物語。

【完結】もう結構ですわ!

綾雅(りょうが)要らない悪役令嬢
恋愛
 どこぞの物語のように、夜会で婚約破棄を告げられる。結構ですわ、お受けしますと返答し、私シャルリーヌ・リン・ル・フォールは微笑み返した。  愚かな王子を擁するヴァロワ王家は、あっという間に追い詰められていく。逆に、ル・フォール公国は独立し、豊かさを享受し始めた。シャルリーヌは、豊かな国と愛する人、両方を手に入れられるのか!  ハッピーエンド確定 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/11/29……完結 2024/09/12……小説家になろう 異世界日間連載 7位 恋愛日間連載 11位 2024/09/12……エブリスタ、恋愛ファンタジー 1位 2024/09/12……カクヨム恋愛日間 4位、週間 65位 2024/09/12……アルファポリス、女性向けHOT 42位 2024/09/11……連載開始

婚約破棄されましたが、私はもう必要ありませんので

ふわふわ
恋愛
「婚約破棄? ……そうですか。では、私の役目は終わりですね」 王太子ロイド・ヴァルシュタインの婚約者として、 国と王宮を“滞りなく回す存在”であり続けてきた令嬢 マルグリット・フォン・ルーヴェン。 感情を表に出さず、 功績を誇らず、 ただ淡々と、最善だけを積み重ねてきた彼女に突きつけられたのは―― 偽りの奇跡を振りかざす“聖女”による、突然の婚約破棄だった。 だが、マルグリットは嘆かない。 怒りもしない。 復讐すら、望まない。 彼女が選んだのは、 すべてを「仕組み」と「基準」に引き渡し、静かに前線から降りること。 彼女がいなくなっても、領地は回る。 判断は滞らず、人々は困らない。 それこそが、彼女が築いた“完成形”だった。 一方で、 彼女を切り捨てた王太子と偽聖女は、 「彼女がいない世界」で初めて、自分たちの無力さと向き合うことになる。 ――必要とされない価値。 ――前に出ない強さ。 ――名前を呼ばれない完成。 これは、 騒がず、縋らず、静かに去った令嬢が、 最後にすべてを置き去りにして手に入れる“自由”の物語。 ざまぁは静かに、 恋は後半に、 そして物語は、凛と終わる。 アルファポリス女子読者向け 「大人の婚約破棄ざまぁ恋愛」、ここに完結。

殿下は婚約破棄した私を“横領犯”として追放しましたが、私が“王国の財布”だとご存じなかったのですか?

なかすあき
恋愛
王太子の婚約者であるレティシアは、愛ではなく“王国の財布”に選ばれた内政官だった。 干ばつ救済基金を管理し、徴税と支出の流れを整え、国が崩れないように回してきたはずなのに。 舞踏会の夜。 聖女セシルの涙と王太子の言葉が、レティシアを一瞬で“横領犯”に仕立て上げる。 反論しても届かない。空気が判決を下す場所で、レティシアは追放された。 落とされた先は、干ばつに喘ぐ辺境。 水のない井戸、荒れた配給所、怒りの列。 レティシアは泣く代わりに、配給と水路と記録を整えた。奇跡ではなく、段取りで。 やがて王都は、レティシアがいなくなった穴から静かに壊れ始める。 支払いは止まり、責任は溶け、聖女の“物語”だけが空回りする。 呼び戻しの使者が来ても、レティシアは従わない。戻る条件はひとつ。 ――公開監査。 記録水晶が映し出すのは、涙では隠せない日付と署名、そして“誰が何を決めたか”という事実。 この逃げ場のない復讐劇の先に残るのは、王都の再起ではなく、辺境の明日だった。 これは、道具として捨てられた内政官が、二度と道具に戻らず、“責任を固定する”ことで国を救い、自分の居場所を選び直す物語。

処理中です...