公爵令嬢は婚約破棄に微笑む〜かつて私を見下した人たちよ、後悔する準備はできてる?〜

sika

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第23話 崩れ落ちる者たち

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夜明け前の王都は、不穏な沈黙に覆われていた。  
誰もが寝静まっているはずの時刻に、宰相府の塔だけが灯をともしている。  
リリアナはその光の下にいた。  
机の上には、宰相レオニードの署名入り書簡。そしてその端に付いた乾ききらぬ血の跡。  
事件の真実を突き止めた証拠。  
アルヴェンが命を懸けて掴んだ“本当の任務”。  

彼女は椅子に座り込み、燃えるろうそくを見つめていた。  
炎が揺れるたびに、あの夜の光景が脳裏に浮かぶ。  
あの血、彼の腕のぬくもり、そして最後の声。  
――「守るためには、理を選ぶ」  
その言葉が胸の奥で何度も反響していた。  

「理と愛は、常に反対の岸にあるのかもしれない」  
誰にともなく呟き、深く息をつく。  
窓の外では、薄明かりが射し始めていた。  
夜明けが来る。だがこの夜は、もう二度と明けない気がした。  

◆  

宰相府の会議室では、重い木の扉が軋んだ音を立てて閉じた。  
リリアナの前に立つのは、王政を支える老貴族たち。  
宰相レオニードは沈黙したまま、彼女の提出した書簡を手に取っていた。  

「レオニード閣下、何か弁明は?」  
リリアナの声は低いが、はっきりと響く。  
「この文は、確かに貴方の筆跡です。ルクレイスとの通謀命令――これが真実なのですか?」  

宰相はしばらく何も言わなかった。  
だがその瞳は、長年国を導いてきた男の目ではなかった。  
疲れ果て、諦めたような闇をたたえていた。  

「……リリアナ嬢、私はこの国を救いたかった」  
「救う? 一体、誰から?」  
「王だよ」  
短い沈黙。リリアナの呼吸が止まった。  
「陛下は賢明だが、同時に恐ろしいほどの理想主義者だ。彼の改革はやがて民の負担を生み、国を壊す。私はそれを知っていた」  
「それで、敵国と手を組んだのですか」  
「裏切りではない、避けられぬ選択だった」  
「理を信じながら、腐敗を招くことを選んだ。それが貴方の正義ですか」  

宰相は目を細めた。  
「若いな、リリアナ。理想を語ることと、現実を守ることは違う」  
「それでも、命を懸けて理を貫いた人を、私は知っています」  
言葉が鋭く突き刺さる。  
彼はその誰を指すのか、分かっているようだった。  

「アルヴェンか」  
「はい。貴方が作った枠に縛られながらも、それを超えた人です」  
「……あの男は私の最高の駒だった。だが駒が盤面を見抜いた時、王はいつか討たれる。  
私も分かっていた。あの男が君に会った時、“変わる”と」  

リリアナは拳を握り、ただ問い返した。  
「それで、彼を犠牲に?」  
「違う。……救ったつもりだった」  
レオニードの声が震えた。  
「書簡の命令は、あくまで偽装だ。本当の任務は“捕えた諜報の流れを封じること”。彼が任務を遂げれば、全てが収まるはずだった。しかし、黒衣の影が介入した」  
「黒衣……?」  
「私の知らぬ勢力が裏で動いていた。彼らの狙いは私ではない、この国の“思想”だ」  

その瞬間、別の扉が勢いよく開く。  
兵士が駆け込んできて、膝をついて報告した。  

「陛下が……倒れられました!」  

空気が止まった。  
レオニードもリリアナも同時に顔を上げる。  

「どういうことです」  
「毒です。御前に出された紅茶に、微量の毒物が混入していました」  
「犯人は?」  
「まだ分かりません。しかし……」  
兵士が視線を落とす。  
「宰相レオニード閣下の使用人、フェルナーが捕えられました。彼の部屋から、ルクレイス商会の金貨が見つかっています」  

宰相の顔から血の気が引いていく。  
リリアナは言葉もなく、ただ彼を見つめていた。  

「俺が……殺したのか……」  
膝が崩れ、老いた男が床に倒れ込む。  
「違う……私は陛下を護りたかった。だが――操られていたのか?」  
その声は子供のように弱々しかった。  

リリアナは冷たい手でその肩に触れた。  
「真実を誤ることほど、恐ろしい罪はありません。  
ですが、まだ終わっていません。敵は、貴方も利用したのです」  
「誰が……」  
「それを暴くのが、私の役目です」  

彼女は立ち上がり、兵たちへ指示を飛ばした。  
「宰相閣下を拘束します。陛下の治療を最優先に。残る私の管轄下で捜査を進めます」  
その声には迷いがなかった。  

会議室を出ると、外はすでに白い朝霧が立ちこめていた。  
セリーヌが駆け寄る。  
「お嬢様、陛下の容体は?」  
「意識はあるそう。でも予断を許さない。……宰相が動いた真の理由が分かったわ」  
「では、終わりが見えたんですね?」  
リリアナは首を振った。  
「いいえ。彼を操った“黒衣の影”を見つけなければ、この国はまた飲み込まれる」  

彼女の足元で風が渦を巻く。  
視線の先、灰色の塔の上に、長いマントを翻す影が見えた。  
陽光の中に消える刹那、確かにその目は彼女を見下ろしていた。  

「やはり、まだ終わっていないのね」  
「お嬢様……」  
「セリーヌ、陛下の容体が安定したら、アルヴェンのもとへ急ぎましょう。彼の剣が必要になる」  
「ええ。お嬢様」  

リリアナは深く息を吸い、青空を見上げた。  
傷ついた国も、傷ついた心も、誰かの理によって覆われてきた。  
だが、もう理だけでは救えない。  

「愛を知る国に、理を正す覚悟を」  
その瞳には、確かな決意が宿っていた。  

◆  

午後、王宮外。  
拘束された宰相レオニードの馬車がゆっくりと門を抜けた。  
民の間から囁き声があがる。  
「裏切り者を捕らえた女だ」  
「公爵令嬢が、この国を救うらしい」  
「だが、まだ影が残っているという……」  

どの声にも、不思議な敬意が混ざっていた。  
王都の中心で、リリアナ・フォン・エルディンの名は、かつての“嘲笑”ではなく“希望”として語られ始めていた。  

しかし、宮廷の高みに潜む“影”は、次の手をすでに打っていた。  
空を渡る黒き鳥が、遠くルクレイスの方向へ飛び立つ。  
封印された書簡を抱えて。  

その送り主の指先は、まだ若い女のものだった。  
かつての蛇のような微笑を、リリアナも忘れはしない。  

クロエ・ベルネスト。  

彼女の声が届く。  
「土の底からでも復讐するわ、リリアナ・フォン・エルディン……“理”なんて、私の足元で踏みつぶしてあげる」  

暗雲が西の空を覆い始め、稲光が遠くを走った。  
その光は、これから訪れる最も激しい運命の嵐を予告する光だった。  

続く
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