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第30話 微笑みの未来へ
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春の陽が温かく輝いていた。
ルクレイスとヴェルディアの国境を結ぶ新しい橋の上には、人々が集まり、笑顔と歌声が絶えなかった。
その中心に、リリアナとアルヴェンの姿があった。
二人が歩んだ幾多の試練を経て、今ようやく手を取り合うことが許されたのだ。
理が優しく、愛がまっすぐに通る。そんな世界のはじまりを、人々は祝っていた。
「晴れたわね」
リリアナが空を見上げ、瞳を細めた。
「やっと、誰も泣かない空が見られる」
「空はもともとこうして広かったんだ。俺たちが見上げる余裕を失っていたんだろう」
アルヴェンが隣で微笑む。
黒の軍服を脱ぎ、代わりに純白の礼装を身に纏った彼は、もう戦士ではなく一人の男だった。
川面を照らす光が二人の足元にきらめく。
その橋の名は、“アリアの橋”。かつて二国を隔てていた戦場跡に築かれた、平和の象徴である。
リリアナはそっと橋の欄干に手を置いた。
「私たちの歩いた道って、無駄ではなかったのね」
「無駄じゃない。あの痛みがあったから、誰かの希望になれる」
「……希望。そう、あの日の私が仮面のように笑っていた時、希望なんて言葉は遠くに感じた。
でも今は、胸の中にちゃんと温もりがある」
「君が作った国だ。君が生きて、信じたから」
すぐ傍で、市民の子供たちが笑いながら花を投げていた。
風に舞う花弁が二人の肩に落ちる。
ひとひらがリリアナの頬にかかり、彼女はそれを摘み取ってアルヴェンに渡した。
「ほら、結婚式の時みたい」
「そういえば、式らしい式もしていないな」
「そうね。あの日は鎧の代わりに政治服で、指輪の代わりに印章を交わしただけ」
「でも、俺にとっては十分だった。あの瞬間、君の瞳の奥に“これから”が見えた」
「……ずるい言葉」
「本心だ」
彼が軽く笑い、頬の花を風に流す。
花弁は河面に落ち、きらきらと流れていく。
アルヴェンはその流れを見ながら、リリアナの手を取った。
「これからどうしたい?」
「どうしたい、か……私はもう、国を救おうとは思わない。ただ、この土地に生まれた子供たちが笑える国にしたい。それで充分」
「それが君らしい。理を超えて、命を選ぶ」
「でも貴方もいるでしょう? 理の人間が、愛を選ぶようになったくせに」
「君に教わった。理は正すものじゃなく、守るものだと」
「ふふ、私、そんな良い先生だったかしら」
「君以上の教師を知らない。……君は俺の未来そのものだ」
リリアナは微笑を返した。
頬の紅が光を受けて透けるように美しい。
「ねえ、アルヴェン。もし私が、あの夜会で壊れていなかったら……会っていたかしら」
「会っていないだろう。君は王都で華やかに笑い続け、俺は誰かの影に埋もれていた。きっと交わらなかった」
「皮肉ね。破滅がなければ幸福にも出会えなかったなんて」
「でも君は、その破滅を希望に変えた。誰もができることじゃない」
リリアナは小さく息を吐き、遠くを見た。
橋の先には広大な平野と村の緑、そしてヴェルディアへ続く道が見える。
両国の国境を越える者たちが行き交い、笑顔で荷物を運んでいる。
もはや、かつての冷たい国境線は存在しなかった。
「アルヴェン」
リリアナが名前を呼ぶ。その声の中に、言葉にならない感情がこもっている。
「ん?」
「ありがとう。私を“公爵令嬢”から解放してくれて」
「君の自由を奪ったのは、世界じゃなく君自身だったよ」
「ええ、そうね。でも貴方が手を差し伸べてくれたから、手放せたものがあるの」
「手放した分だけ、掴めたんだ」
「何を?」
「君自身と、俺と、未来を」
リリアナは一歩彼に近づき、手を伸ばした。
その手を、アルヴェンは迷わず取る。
指と指が絡まり合い、そのまま抱き寄せるように寄り添った。
風が二人を包み、草花の香りが優しく舞い上がる。
「もう何も怖くないね」
「ええ。少なくとも貴方がいる限りは」
「俺がいなくなったら?」
「きっと、貴方の願った理が私を導く」
「つまり俺は、君の中で永遠に生きるわけだ」
「そう。永遠って、きっとそういうこと」
彼らの唇が触れた。
以前よりも静かで、深くて、穏やかな口づけ。
それは誓いというより、ただの呼吸のように自然で、確かなものだった。
「リリアナ」
「なに?」
「君に会ってから、俺の理の意味が変わった。
“正しいこと”じゃなく、“愛しいもの”を守るための理に」
「……それなら、私の愛も意味が変わったわ」
「どういうこと?」
「“誰かを想う弱さ”が、こんなにも強さになるなんて思わなかった」
二人は笑い、もう一度唇を重ねる。
橋を渡る風が柔らかく翻り、花びらが舞い、一輪が彼女の髪に留まった。
アルヴェンがそれを取って耳に挿す。
「青が似合うけど、白も悪くない」
「貴方って、相変わらず褒め方が不器用ね」
「理屈は通じない。君を見ていると、ただ“美しい”としか言葉が見つからない」
「……ありがとう」
遠くで鐘が鳴った。
それは新しい国の始まりを告げる鐘。
愛と理が等しく共存する国の、最初の音だった。
アルヴェンが手を差し出す。
「行こう、リリアナ。二つの国に、本当の平和を見せよう」
リリアナは頷き、その手をしっかりと握る。
「ええ。――共に歩むために、私たちは出会ったのだから」
歩き出した二人の後ろで、人々が並び、花弁が舞い、拍手が鳴り響く。
どこまでも高く澄んだ空が広がる。
リリアナ・フォン・エルディン。
かつて婚約破棄の夜に嘲られた令嬢は、今や世界を導く女となり、
誰よりも深く愛され、誰よりも強く愛した人として、未来を抱きしめていた。
アルヴェン・クロスフォード。
理に生きた一人の男は、愛に救われ、愛によって理を完成させた。
二人の歩む背に、春風が吹く。
その微笑みが永遠であることを誰も疑わなかった。
穏やかな声が、未来を祝して響く。
「理と愛が交わるところに、真の幸福が生まれるのだ――」
そして風の中、二人のそっと繋いだ手が陽光を掴む。
遠くの空まで響く鐘が、幸福を告げるように鳴り渡っていた。
完
ルクレイスとヴェルディアの国境を結ぶ新しい橋の上には、人々が集まり、笑顔と歌声が絶えなかった。
その中心に、リリアナとアルヴェンの姿があった。
二人が歩んだ幾多の試練を経て、今ようやく手を取り合うことが許されたのだ。
理が優しく、愛がまっすぐに通る。そんな世界のはじまりを、人々は祝っていた。
「晴れたわね」
リリアナが空を見上げ、瞳を細めた。
「やっと、誰も泣かない空が見られる」
「空はもともとこうして広かったんだ。俺たちが見上げる余裕を失っていたんだろう」
アルヴェンが隣で微笑む。
黒の軍服を脱ぎ、代わりに純白の礼装を身に纏った彼は、もう戦士ではなく一人の男だった。
川面を照らす光が二人の足元にきらめく。
その橋の名は、“アリアの橋”。かつて二国を隔てていた戦場跡に築かれた、平和の象徴である。
リリアナはそっと橋の欄干に手を置いた。
「私たちの歩いた道って、無駄ではなかったのね」
「無駄じゃない。あの痛みがあったから、誰かの希望になれる」
「……希望。そう、あの日の私が仮面のように笑っていた時、希望なんて言葉は遠くに感じた。
でも今は、胸の中にちゃんと温もりがある」
「君が作った国だ。君が生きて、信じたから」
すぐ傍で、市民の子供たちが笑いながら花を投げていた。
風に舞う花弁が二人の肩に落ちる。
ひとひらがリリアナの頬にかかり、彼女はそれを摘み取ってアルヴェンに渡した。
「ほら、結婚式の時みたい」
「そういえば、式らしい式もしていないな」
「そうね。あの日は鎧の代わりに政治服で、指輪の代わりに印章を交わしただけ」
「でも、俺にとっては十分だった。あの瞬間、君の瞳の奥に“これから”が見えた」
「……ずるい言葉」
「本心だ」
彼が軽く笑い、頬の花を風に流す。
花弁は河面に落ち、きらきらと流れていく。
アルヴェンはその流れを見ながら、リリアナの手を取った。
「これからどうしたい?」
「どうしたい、か……私はもう、国を救おうとは思わない。ただ、この土地に生まれた子供たちが笑える国にしたい。それで充分」
「それが君らしい。理を超えて、命を選ぶ」
「でも貴方もいるでしょう? 理の人間が、愛を選ぶようになったくせに」
「君に教わった。理は正すものじゃなく、守るものだと」
「ふふ、私、そんな良い先生だったかしら」
「君以上の教師を知らない。……君は俺の未来そのものだ」
リリアナは微笑を返した。
頬の紅が光を受けて透けるように美しい。
「ねえ、アルヴェン。もし私が、あの夜会で壊れていなかったら……会っていたかしら」
「会っていないだろう。君は王都で華やかに笑い続け、俺は誰かの影に埋もれていた。きっと交わらなかった」
「皮肉ね。破滅がなければ幸福にも出会えなかったなんて」
「でも君は、その破滅を希望に変えた。誰もができることじゃない」
リリアナは小さく息を吐き、遠くを見た。
橋の先には広大な平野と村の緑、そしてヴェルディアへ続く道が見える。
両国の国境を越える者たちが行き交い、笑顔で荷物を運んでいる。
もはや、かつての冷たい国境線は存在しなかった。
「アルヴェン」
リリアナが名前を呼ぶ。その声の中に、言葉にならない感情がこもっている。
「ん?」
「ありがとう。私を“公爵令嬢”から解放してくれて」
「君の自由を奪ったのは、世界じゃなく君自身だったよ」
「ええ、そうね。でも貴方が手を差し伸べてくれたから、手放せたものがあるの」
「手放した分だけ、掴めたんだ」
「何を?」
「君自身と、俺と、未来を」
リリアナは一歩彼に近づき、手を伸ばした。
その手を、アルヴェンは迷わず取る。
指と指が絡まり合い、そのまま抱き寄せるように寄り添った。
風が二人を包み、草花の香りが優しく舞い上がる。
「もう何も怖くないね」
「ええ。少なくとも貴方がいる限りは」
「俺がいなくなったら?」
「きっと、貴方の願った理が私を導く」
「つまり俺は、君の中で永遠に生きるわけだ」
「そう。永遠って、きっとそういうこと」
彼らの唇が触れた。
以前よりも静かで、深くて、穏やかな口づけ。
それは誓いというより、ただの呼吸のように自然で、確かなものだった。
「リリアナ」
「なに?」
「君に会ってから、俺の理の意味が変わった。
“正しいこと”じゃなく、“愛しいもの”を守るための理に」
「……それなら、私の愛も意味が変わったわ」
「どういうこと?」
「“誰かを想う弱さ”が、こんなにも強さになるなんて思わなかった」
二人は笑い、もう一度唇を重ねる。
橋を渡る風が柔らかく翻り、花びらが舞い、一輪が彼女の髪に留まった。
アルヴェンがそれを取って耳に挿す。
「青が似合うけど、白も悪くない」
「貴方って、相変わらず褒め方が不器用ね」
「理屈は通じない。君を見ていると、ただ“美しい”としか言葉が見つからない」
「……ありがとう」
遠くで鐘が鳴った。
それは新しい国の始まりを告げる鐘。
愛と理が等しく共存する国の、最初の音だった。
アルヴェンが手を差し出す。
「行こう、リリアナ。二つの国に、本当の平和を見せよう」
リリアナは頷き、その手をしっかりと握る。
「ええ。――共に歩むために、私たちは出会ったのだから」
歩き出した二人の後ろで、人々が並び、花弁が舞い、拍手が鳴り響く。
どこまでも高く澄んだ空が広がる。
リリアナ・フォン・エルディン。
かつて婚約破棄の夜に嘲られた令嬢は、今や世界を導く女となり、
誰よりも深く愛され、誰よりも強く愛した人として、未来を抱きしめていた。
アルヴェン・クロスフォード。
理に生きた一人の男は、愛に救われ、愛によって理を完成させた。
二人の歩む背に、春風が吹く。
その微笑みが永遠であることを誰も疑わなかった。
穏やかな声が、未来を祝して響く。
「理と愛が交わるところに、真の幸福が生まれるのだ――」
そして風の中、二人のそっと繋いだ手が陽光を掴む。
遠くの空まで響く鐘が、幸福を告げるように鳴り渡っていた。
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