裏切られた令嬢は冷たい公爵様に拾われて、最愛の奥方として満たされる〜婚約破棄された夜、隣国で見つけた真実の幸福〜

sika

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第16話 かつての婚約者との再会

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王都での謁見から数日が経った。  
アリアが再びグラシア領へ戻ったその日から、屋敷の空気はどこか静まり返っていた。  
外は冬の訪れを告げる雪。冷えた空気が窓をわずかに曇らせ、薪の爆ぜる音だけが響いている。  

レオンハルトは王城で政務を担い、未だ帰還していない。  
アリアの日々は再び“待つこと”で埋められていった。  

けれど、以前と違っていたのは、もう孤独ではなかったこと。  
彼が残した言葉も、彼の体温も、指輪の冷たささえも、確かに傍にあった。  

「アリア様、客人が来ております。」  
突然の報せに、侍女エミナが慌てた声で部屋へ入ってくる。  
「客人? どなたですか?」  
「王都からの使いと名乗っておりますが……おひとりは、殿下のお付きの方のようで。」  

その名を聞いた瞬間、胸がざわめいた。  
「……王太子の?」  

「はい。どうやらアリア様に直接お話があるとか。」  
「私に?」  

アリアは息を呑んだ。  
留守のレオンハルトを狙って来るのは、あまりに分かりやすい。  
けれど、逃れるわけにはいかない。  
静かに頷くと、外套を羽織り、応接室へと足を進めた。  

***  

重厚な扉を開けた瞬間、懐かしくも忌まわしい声が響く。  
「やあ、久しいな、アリア。」  

ユリウス王太子。  
金糸の髪を乱すことなく整え、白の外套に王家の紋章を輝かせていた。  
昔と変わらぬ美貌と気品。  
けれど、その笑みには今まで以上に虚ろなものが漂っていた。  

「……殿下。」  
アリアは深く頭を下げる。  
「恐れ多くも、このような辺境の屋敷にお越しいただけるとは。」  
「辺境、とは随分な言い方だ。この地はあの冷酷公爵が治める領。国の支柱とも謳われているのだぞ。」  

皮肉な口調。それでも彼は一歩近づき、アリアをまっすぐ見据えた。  
「王都では随分と評判らしい。グラシア公爵の“新しき婚約者”として。」  
「僭越ながら、身に余る評価をいただいております。」  
「無論、余っているだろう。」  

アリアの胸がわずかに痛む。  
この人は昔から、何気ない言葉で人を傷つける。  
思えば、それが彼という人間だったのかもしれない。  

「殿下、何用でしょうか。」  
毅然とした声で問い返す。  
しかしユリウスは笑いながら椅子に腰かけた。  
「まぁ座れ。今は客として来ているだけだ。」  

アリアは距離を取り、対面に腰を下ろした。  
沈黙が一瞬、部屋を覆う。  
火が薪を爆ぜる音がやけに大きく聞こえた。  

「率直に言おう。」  
口調が変わった。  
「お前を王都に戻したい。」  

「……え?」  
「本来ならば、あの破棄の件は王太子としての判断にすぎなかった。だが今、お前には価値がある。グラシア公爵の“心”を動かすほどの女だ。  
ならば、彼を通じて王家との結びつきを取り戻すことができる。」  

アリアは息を呑んだ。  
帰還の誘い――それがただの打算であることは、一瞬で理解できた。  

「それは命令ですか?」  
「命令ではない。提案だ。」  
「提案としても、受ける理由はございません。」  

ユリウスは薄く笑う。  
「まだあの男を信じているのか?」  
「当然です。彼は私を裏切ったりしません。」  
「いいや、違う。」  

彼の声が低くなる。  
「お前は知らぬだろう? 彼が何を隠しているのか。」  

その言葉に、胸がざわめいた。  
「……隠し事?」  
「そうだ。グラシア家はもともとこの国の出ではない。隣国リーベルの出身だ。かつて国境を侵攻した侵略者の子孫とも噂されている。」  

アリアの瞳が揺れる。  
レオンハルトが戦いの話を避けていたことを思い出す。  
だが、それが裏切りの証であるとは到底思えなかった。  

「そんなこと、関係ありません。彼がどこから来ようと、今この国を支えているのは彼です。」  
「惚れているのだな。」  
その声には嘲笑が混じる。  

「惚れてなど……」  
否定しようとして、声が途切れた。  
ユリウスが軽く笑う。  
「顔に出ている。お前のように可憐な女が、あのような男に心を奪われるとは想像もしなかった。」  

「殿下。」  
静かに、しかし確固たる声でアリアは告げた。  
「私はあなたが知る“アリア・エルドレーシュ”ではありません。あの夜の私は死にました。  
今ここにいるのは、グラシアの婚約者として生きるアリアです。」  

言葉が凛然と響いた。  
ユリウスの表情が固まる。  

「……強くなったな。」  
「あなたが壊してくれたおかげです。」  
その一言に、王太子の笑みが消えた。  

「そうか。なら壊した責任は取らねばな。」  
「責任?」  

ユリウスは立ち上がり、歩み寄った。  
真っ直ぐにアリアを見下ろす。  
「まもなく王は、グラシア公爵に“叛意あり”の嫌疑をかける。彼が王の権威を脅かす存在だからだ。  
だが、王命に逆らえば罪はお前にも及ぶ。……そのとき庇えるのは私だけだ。」  

アリアは目を見開いた。  
「そんなことを、どうして……」  
「忠告だ。最後の機会だ。王都に戻り、私の元に来い。」  

彼の手が、アリアの頬へ伸びた。  
その指先が触れる寸前――  

「殿下。」  
鋭い声が部屋を裂いた。  

振り向くと、扉の前に黒衣の男が立っていた。  
雪明かりに濡れた外套、剣を吊るした姿。  
灰色の瞳――レオンハルトだった。  

彼の帰還を、アリアはその瞬間まで知らなかった。  

「公爵……?」  
ユリウスがわずかに後ずさる。  

「私の婚約者に無礼だな。」  
低い声。  
冷気を切り裂くようなその声音に、空気が凍りつく。  

「ふん、ちょうど良い。忠告をしに来ていただけだ。」  
「不用だ。」  
レオンハルトは扉を閉め、ユリウスの正面に立つ。  
「王太子殿下がこの屋敷を訪う理由などない。――ただの愚かな未練か。」  

ユリウスの唇が歪む。  
「貴様、身分をわきまえろ。」  
「身分を盾に女を脅す男が、王を名乗る資格はない。」  

空気が弾けるような緊張を孕む。  
ユリウスは怒りのあまり拳を握り、侍従たちが慌てて制止に入る。  

「公爵、さすがに――!」  
「出ていけ。」  
レオンハルトの声が一段低く響いた。  
「それともこの場で、全てを終わらせるか?」  

灰色の瞳が一瞬光を放つ。  
威圧に耐えきれず、ユリウスは肩をすくめた。  
「……ふん、覚えておくがいい。王家を敵に回したお前がどうなるか。」  
吐き捨てるように言い、彼は背を向けた。  

扉が閉まった瞬間、重苦しかった空気が一気に崩れ落ちる。  
アリアはその場に膝をつきそうになった。  

「怪我はないか。」  
レオンハルトが駆け寄り、肩を支える。  
「……平気です。でも、殿下の言葉……本当なのですか?」  
「一部は事実だ。俺の先祖は隣国出身だ。だが侵略者ではない。この国を救うために戦った傭兵団の長だった。」  

「それを、王家は利用しているんですね。」  
「そうだ。都合のいい“疑い”として。」  

レオンハルトは小さく息を吐き、アリアの手を取った。  
「すまない。俺が離れていたせいで、不安な思いをさせた。」  
「いいえ……来てくださって、ありがとうございます。」  

アリアの声は震えていたが、その目は揺らがなかった。  
レオンハルトは彼女の額に軽く唇を寄せ、静かに言った。  

「もう二度と、お前を一人にはしない。」  

彼の言葉が、雪の降る夜の静けさに溶けた。  
外の世界は厳しさを増していくが、二人の間には確かに温もりがあった。  
そして、嵐の前のような静かな夜が訪れた。  

(第16話 終)
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