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第21話 ただ一人の願い
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王都は燃えていた。
昼を過ぎても陽は差さず、灰色の雲の下に渦巻く煙が空を覆っている。
王太子が拘束され、王の失策が世に知れ渡った今、貴族たちはそれぞれの保身に走り、街には混乱が広がっていた。
だが民衆は、剣や槍を取るよりも静かだった。
ただ、広場に集まり、風に揺れる王家の旗を見上げていた。
その光景を、アリアは馬車の窓から見つめていた。
胸の奥に渦巻くのは焦燥と恐れ、そしてどうしようもない祈り。
――彼はまだ王城にいる。
ユリウス拘束のあと、王城は封鎖された。
反乱を恐れた王は、すべての扉を閉ざしたまま、誰の進入も許していないという。
それでもレオンハルトは残った。
国王との最後の交渉に臨むためだ。
「アリア様、危険です。これ以上近づけば……」
前に座るセドリックが制止の声を上げた。
「どうして彼を一人にしておけるのですか」
アリアの声は震えていた。
唇を噛み締めながら、彼女は馬車の扉に手をかける。
「私が行きます。」
「無謀です!」
「無謀でも、彼がそこにいるなら、行かなくてはならないんです!」
セドリックは一瞬ためらったが、やがて深くため息をついた。
「……わかりました。ですが、私も一緒に行きます。あなたを一人で通すなど、あの方に顔向けできません。」
「ありがとう。」
短く礼を告げて、アリアは馬車を降りた。
冷たい風が頬を刺す。
足元では雪解けの泥が跳ね、裾を濡らしていく。
王城の門が見える。閉ざされた門扉の前には兵が列をなし、槍を構えていた。
「止まれ! 命令が下りている。誰も通すな!」
衛兵の一人が叫ぶ。
アリアは恐れを見せず、一歩前に出た。
「私はグラシア公爵の婚約者、アリア・グラシアです!」
その名を聞いた瞬間、兵たちの間にわずかな動揺が走る。
「公爵閣下は城内にいらっしゃるはずです。私は彼に伝えることがある。どうか通して――」
「だめだ、王命が――」
言葉の途中で、奥から別の声が響いた。
「通せ。」
静かで、だが明確な権威を持った声。
誰も逆らえぬ声音に、兵たちはざわめき、槍を下げた。
現れたのは老齢の宰相であった。
「久しいな、アリア・エルドレーシュ……いや、グラシアの令嬢であったか。」
「宰相閣下……」
「陛下が呼んでいる。お前も通れ。」
***
城内は静寂に包まれていた。
燃え残った蝋燭の匂いが漂い、広間にはわずかに灰が舞っている。
誰も言葉を発さず、ただ階段の上に立つ王の姿を見つめていた。
その前に、レオンハルトが立っていた。
彼は剣を捨て、ただまっすぐ王を見上げていた。
鎧の肩に付いた血と煤が、彼の過酷な戦いを物語っている。
「お前がこの混乱を生んだ張本人か。」
王の声は深く掠れている。
「いいえ、陛下。真実を隠し続けた結果が今日を招いた。それが答えです。」
「黙れ! 余への忠義を忘れ、国を乱すとは――」
「忠義のためなら、私は何度でもこの剣を捧げます。」
レオンハルトの声が響く。
「ですが、今の陛下に仕えることは、この国を滅ぼすことと同義です。」
老王の頬が引きつり、杖を鳴らした。
「貴様、余を責めるか!」
「責めています。」
「……何?」
「民を見捨て、己の名誉のために息子を駒として使ったあなたを。」
「黙れ……」
「真実から逃げることはできない!」
王の頬に怒りの血が上った、その刹那。
扉の外から、震える声が響く。
「お願いです、やめて!」
広間の視線が一斉にその方向を向く。
開かれた扉の向こうから、アリアが駆け込んできた。
裾を汚しながら、必死に走るその姿に、レオンハルトが目を見張る。
「……なぜ来た。」
「行くなと言われても、黙っていられませんでした。」
アリアは息を整え、王の前に膝をついた。
「陛下……どうか、彼の言葉を聞いてください。」
「貴様、何を言う。」
「陛下も、殿下も、彼も――皆、この国を想っているはずです。
想い方が違うだけで、誰も悪人ではありません。どうか、これ以上血を流さないでください!」
その声は、広間に響く鐘の音のように澄んでいた。
静寂。
王も、兵も、息を止めてその言葉を聞いていた。
レオンハルトの瞳に、初めて弱い光が揺れる。
「アリア……」
彼女は立ち上がり、振り向いた。
「私はずっと、あなたが戦う理由を考えていました。あなたは民を守るために戦った人。
でも、あなた自身が守られることを許していなかった。
だから今、私があなたを救います。」
レオンハルトの眉が動いた。
その一瞬で、二人の間にある空気が変わった。
アリアは王を見上げる。
「陛下、この国はもう限界です。でも、希望は残っています。
それは“恐れずに己の過ちを認める強さ”です。
陛下、もし国を愛するなら、今ここでその力を――彼に託してください。」
静かな涙が王の頬を伝った。
それは単なる怒りではなく、長年の呪いのようなものが解ける涙だった。
老王は杖を手放し、低く呟いた。
「……我は、何をしてきたのだろう。」
レオンハルトが静かに近づき、王の前で跪いた。
「陛下。まだ遅くはありません。」
「お前……俺を、赦すのか。」
「罪を背負うとは、赦さぬことではなく、伴に苦しむことです。」
その言葉に、王はゆっくりとうなずいた。
「……貴様は、強いな。昔の我にも似ておる。」
「いいえ。私は、アリアに教えられたのです。」
扉の隙間から光が差し込む。
冬にしては暖かな日差し。
雪雲を割って差す光は、まるで国そのものに救いを与えるようだった。
「……アリア。」
レオンハルトが声を落とした。
彼女は頷いて微笑む。
「ようやく、終わりましたね。」
彼はその手を取り、静かに握り締めた。
「いや、終わりではない。ここからだ。
王が己を省みたのなら、この国もまた変わる。俺たちはその始まりを見届けよう。」
「……ええ。」
アリアの瞳に涙が滲む。
「それが、私の――ただ一人の願いです。」
外では鐘の音が鳴り始めた。
長い冬を告げる鐘ではなく、再生の時を知らせる音。
その音に導かれるように、二人は並んで歩き出した。
もう誰も、彼らの背を咎めようとはしなかった。
王都の灰色の空の下で、雪は静かに溶け始めていた。
(第21話 終)
昼を過ぎても陽は差さず、灰色の雲の下に渦巻く煙が空を覆っている。
王太子が拘束され、王の失策が世に知れ渡った今、貴族たちはそれぞれの保身に走り、街には混乱が広がっていた。
だが民衆は、剣や槍を取るよりも静かだった。
ただ、広場に集まり、風に揺れる王家の旗を見上げていた。
その光景を、アリアは馬車の窓から見つめていた。
胸の奥に渦巻くのは焦燥と恐れ、そしてどうしようもない祈り。
――彼はまだ王城にいる。
ユリウス拘束のあと、王城は封鎖された。
反乱を恐れた王は、すべての扉を閉ざしたまま、誰の進入も許していないという。
それでもレオンハルトは残った。
国王との最後の交渉に臨むためだ。
「アリア様、危険です。これ以上近づけば……」
前に座るセドリックが制止の声を上げた。
「どうして彼を一人にしておけるのですか」
アリアの声は震えていた。
唇を噛み締めながら、彼女は馬車の扉に手をかける。
「私が行きます。」
「無謀です!」
「無謀でも、彼がそこにいるなら、行かなくてはならないんです!」
セドリックは一瞬ためらったが、やがて深くため息をついた。
「……わかりました。ですが、私も一緒に行きます。あなたを一人で通すなど、あの方に顔向けできません。」
「ありがとう。」
短く礼を告げて、アリアは馬車を降りた。
冷たい風が頬を刺す。
足元では雪解けの泥が跳ね、裾を濡らしていく。
王城の門が見える。閉ざされた門扉の前には兵が列をなし、槍を構えていた。
「止まれ! 命令が下りている。誰も通すな!」
衛兵の一人が叫ぶ。
アリアは恐れを見せず、一歩前に出た。
「私はグラシア公爵の婚約者、アリア・グラシアです!」
その名を聞いた瞬間、兵たちの間にわずかな動揺が走る。
「公爵閣下は城内にいらっしゃるはずです。私は彼に伝えることがある。どうか通して――」
「だめだ、王命が――」
言葉の途中で、奥から別の声が響いた。
「通せ。」
静かで、だが明確な権威を持った声。
誰も逆らえぬ声音に、兵たちはざわめき、槍を下げた。
現れたのは老齢の宰相であった。
「久しいな、アリア・エルドレーシュ……いや、グラシアの令嬢であったか。」
「宰相閣下……」
「陛下が呼んでいる。お前も通れ。」
***
城内は静寂に包まれていた。
燃え残った蝋燭の匂いが漂い、広間にはわずかに灰が舞っている。
誰も言葉を発さず、ただ階段の上に立つ王の姿を見つめていた。
その前に、レオンハルトが立っていた。
彼は剣を捨て、ただまっすぐ王を見上げていた。
鎧の肩に付いた血と煤が、彼の過酷な戦いを物語っている。
「お前がこの混乱を生んだ張本人か。」
王の声は深く掠れている。
「いいえ、陛下。真実を隠し続けた結果が今日を招いた。それが答えです。」
「黙れ! 余への忠義を忘れ、国を乱すとは――」
「忠義のためなら、私は何度でもこの剣を捧げます。」
レオンハルトの声が響く。
「ですが、今の陛下に仕えることは、この国を滅ぼすことと同義です。」
老王の頬が引きつり、杖を鳴らした。
「貴様、余を責めるか!」
「責めています。」
「……何?」
「民を見捨て、己の名誉のために息子を駒として使ったあなたを。」
「黙れ……」
「真実から逃げることはできない!」
王の頬に怒りの血が上った、その刹那。
扉の外から、震える声が響く。
「お願いです、やめて!」
広間の視線が一斉にその方向を向く。
開かれた扉の向こうから、アリアが駆け込んできた。
裾を汚しながら、必死に走るその姿に、レオンハルトが目を見張る。
「……なぜ来た。」
「行くなと言われても、黙っていられませんでした。」
アリアは息を整え、王の前に膝をついた。
「陛下……どうか、彼の言葉を聞いてください。」
「貴様、何を言う。」
「陛下も、殿下も、彼も――皆、この国を想っているはずです。
想い方が違うだけで、誰も悪人ではありません。どうか、これ以上血を流さないでください!」
その声は、広間に響く鐘の音のように澄んでいた。
静寂。
王も、兵も、息を止めてその言葉を聞いていた。
レオンハルトの瞳に、初めて弱い光が揺れる。
「アリア……」
彼女は立ち上がり、振り向いた。
「私はずっと、あなたが戦う理由を考えていました。あなたは民を守るために戦った人。
でも、あなた自身が守られることを許していなかった。
だから今、私があなたを救います。」
レオンハルトの眉が動いた。
その一瞬で、二人の間にある空気が変わった。
アリアは王を見上げる。
「陛下、この国はもう限界です。でも、希望は残っています。
それは“恐れずに己の過ちを認める強さ”です。
陛下、もし国を愛するなら、今ここでその力を――彼に託してください。」
静かな涙が王の頬を伝った。
それは単なる怒りではなく、長年の呪いのようなものが解ける涙だった。
老王は杖を手放し、低く呟いた。
「……我は、何をしてきたのだろう。」
レオンハルトが静かに近づき、王の前で跪いた。
「陛下。まだ遅くはありません。」
「お前……俺を、赦すのか。」
「罪を背負うとは、赦さぬことではなく、伴に苦しむことです。」
その言葉に、王はゆっくりとうなずいた。
「……貴様は、強いな。昔の我にも似ておる。」
「いいえ。私は、アリアに教えられたのです。」
扉の隙間から光が差し込む。
冬にしては暖かな日差し。
雪雲を割って差す光は、まるで国そのものに救いを与えるようだった。
「……アリア。」
レオンハルトが声を落とした。
彼女は頷いて微笑む。
「ようやく、終わりましたね。」
彼はその手を取り、静かに握り締めた。
「いや、終わりではない。ここからだ。
王が己を省みたのなら、この国もまた変わる。俺たちはその始まりを見届けよう。」
「……ええ。」
アリアの瞳に涙が滲む。
「それが、私の――ただ一人の願いです。」
外では鐘の音が鳴り始めた。
長い冬を告げる鐘ではなく、再生の時を知らせる音。
その音に導かれるように、二人は並んで歩き出した。
もう誰も、彼らの背を咎めようとはしなかった。
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