裏切られた令嬢は冷たい公爵様に拾われて、最愛の奥方として満たされる〜婚約破棄された夜、隣国で見つけた真実の幸福〜

sika

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第20話 守られることの痛み

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王都へ向かう道は、冬の冷気に閉ざされていた。  
一晩かけて降り続いた雪で街道はぬかるみ、灰色の空がすべての光を飲み込むように重く垂れ込めている。  
レオンハルトとアリアの馬車はその中を、まるで嵐の中心へ向かうように進んでいた。  

車の中は暖を取るための毛布がかけられていたが、アリアの指先は冷えていた。  
彼女は震える手を膝の上で組み、隣に座るレオンハルトを見つめた。  
彼は無言のまま窓外を見つめ、何を考えているのか分からないほど表情を抑えている。  

「……寒くありませんか?」  
「平気だ。お前こそ疲れていないか。」  
「少しだけ。でも、不思議と眠気はないんです。」  
「緊張しているのだろう。」  

「ええ。」小さく笑ってみせる。  
「王都には、私はもう帰らないものだと思っていました。  
けれど今は――帰らなくてはならない気がして。」  
「お前が向かうのは過去ではない。」  
「……未来、ですね。」  

彼がそう言ったとき、ほんの一瞬だけ口元に柔らかさが滲んだ。  
だがすぐに、その笑みは消えた。  

「アリア。」  
「はい。」  
「もし、今日の王城で何が起きても……俺の決断に従え。」  
「決断……?」  
「どのような形でも、俺は王に牙を剥くことになる。民を守るためでも、罪に問われるだろう。それでも、最後まで俺を信じろ。」  

アリアは一瞬息をのんだ。  
「待ってください。そんな危険なこと――」  
「約束しろ。」  

彼の瞳は鋭く、けれど寂しげだった。  
拒めば、その心を突き放してしまうような気がして、言葉が出てこない。  
アリアは静かに頷いた。  
「……約束します。あなたを信じると。」  
「それでいい。」  

***  

王都の門が見えたのは昼を過ぎたころだった。  
雪の中に黒い城壁が浮かび上がり、冷たい風に王家の紋章旗が翻っている。  
街は異様な静けさに包まれていた。  
兵士たちは道の両側に立ち、通る市民もほとんど声を出さない。  

「……皆、怯えているわ。」アリアが呟く。  
「王太子が兵を動かした。表では“反逆者の追討”と称しているが、これは威圧だ。」  
レオンハルトは低く答えた。  
そして袖をめくり、アリアの肩にそっと外套をかける。  
「俺の言葉を信じろ。今日が、この国の分岐点だ。」  

***  

王城の大広間に足を踏み入れると、外の静けさと正反対のざわめきが迎えた。  
金糸の絨毯が敷かれ、王族・貴族・高官が一堂に会している。  
王座には老王が座し、その傍らにユリウス王太子が控えていた。  
その顔に貼り付いた笑みは、もはや仮面のようだ。  

「グラシア公爵、ならびにその婚約者、アリア・グラシア。」  
侍従の声が響く。  
周囲の視線が一斉に彼らを貫いた。  
中には侮蔑と嘲笑を隠さぬ者もいる。  

アリアの喉がひどく渇いた。  
だがレオンハルトは微動だにせず、堂々と前に進み出る。  
「陛下、召喚に応じまいりました。」  

王は椅子の上でうなずく。  
「良い。して、反逆の嫌疑について、そなたは何を申す。」  
「虚構です。」  
「言い切るか。」  

空気が張り詰める。  
ユリウスが口を開いた。  
「陛下、彼は我が命令に背き、この国の統治を乱しました。そればかりか、自らの婚約者を使って国民の同情を買い、私を貶める策を弄していたのです!」  

その言葉に、会場の視線がアリアへと集まる。  
一斉に注がれる軽蔑と非難。  
胸の奥に、針のような痛みが走った。  

「……殿下、それは事実ではありません!」  
アリアが声を放つと、場がざわめく。  
「私は誰も惑わしてなどいません。国を思い、民を思って行動しただけです!」  
ユリウスは冷たく笑った。  
「民を思う女が、どうしてこの私に牙を剥けた? 王妃の座を失って悔しかっただけではないのか。」  

「黙れ。」  

その瞬間、レオンハルトの声が広間を裂いた。  
怒りを抑え込んだ低音が、天井に震える。  
「お前が侮辱しているのは彼女ではない。この国の良心そのものだ。」  

ユリウスの顔色が変わる。  
「貴様……!」  
「真実を語る勇気もなく、己を王の器と称する。笑わせるな。」  

レオンハルトが一歩前に出る。  
その先に、王が深く座したまま見上げていた。  
「陛下、私がこの場で申し上げたいのは一つだけ。  
この国が滅びるとすれば、それは外からではなく、内から腐るためです。」  

「腐る、とは……?」  
老王が問い、声が震える。  
「力を絶対と信じ、真実を踏みにじる者が王位にある現状こそ腐敗です。」  

広間に鋭い沈黙が落ちる。  
ユリウスが顔を真っ赤にして叫んだ。  
「陛下! お許しを、今ここで――」  
「黙れ!」  

老王の手が上がった。  
その表情には怒りと、悲痛さが混ざっている。  
「……お前たちは、何を争っているのだ。王国とは民を守るもの、己の栄光を競うものではない。」  

しかしその声には力がなかった。  
ユリウスはすぐさま立ち上がり、剣を掴む。  
「貴様らの策を終わらせる! 衛兵、こいつを捕らえろ!」  

兵が一斉に動こうとした瞬間、レオンハルトが背後の外套を翻した。  
鋭い光が閃く。  
腰の剣を抜いたわけではない。  
彼が投げたのは、一片の短い銀板――王家の印璽を模した密書の写しだった。  
それが王の足元に転がる。  

「それがあなたの息子の行いだ。民を裏切り、血を売り、国を崩しかけた文書の複写だ。」  

老王の表情が凍る。  
ユリウスは狼狽し、何かを叫びかけた。  
が、声よりも早く、王が叫んだ。  
「衛兵! ユリウスを拘束せよ!」  

広間が一斉に動いた。  
混乱の中で、アリアはその光景を呆然と見つめていた。  
人々がどれだけの年月、偽りを信じ続けてきたのか。  
そして、その嘘を暴くことがどれほどの痛みを伴うのか。  

そんな彼女の肩に、レオンハルトが静かに手を置いた。  
「見たか、アリア。――真実はいつも血と涙を呼ぶ。」  

「それでも、あなたは暴いたのですね。」  
「守るためだ。」  
「誰を……?」  

灰色の目が、まっすぐに彼女を見る。  
「お前を。」  
その言葉に、アリアの喉が詰まった。  
涙が滲む。  

「こんなやり方でしか守れない。俺が汚れれば、お前は清いままでいられる。」  
「そんなの、違います!」  
アリアは思わず手を伸ばして、彼の胸に触れた。  
「私はもう、あなたに守られるばかりの人間でいたくない。あなたと並んで、同じものを背負いたいんです!」  

レオンハルトの手が震え、アリアの頬を撫でる。  
「……泣くな。お前が泣くと、俺の正しさが崩れる。」  
「正しさなんてどうでもいい。あなたが生きていてくれれば、それだけでいいの。」  

言った瞬間、彼は一歩踏み出し、アリアを抱き寄せた。  
その両腕の力は、震えるほどに切実だった。  

「……お前を、手放さない。」  
「ええ。私もあなたを離しません。」  

抱き合う二人の影の上で、外の光がわずかに揺れた。  
騒然とした大広間の中心で、彼らだけが静かに時を止めていた。  

この抱擁が、どんな未来を迎えるのかはまだ誰にも分からない。  
けれど、彼らの心には一つの確信があった。  
守られるだけではなく、守ることを選んだその痛みこそが、二人の絆を強くするのだと。  

(第20話 終)
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