異世界で布教活動しませんか?

八ツ花千代

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1話

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 俺は生まれて初めて牢屋に入れられてしまった。
 石造りの小さな部屋で、壁には腕が通るくらいの穴が開いていている。
 夕陽が差し込んでいるが、それでも薄暗い。
 出入口は頑丈そうな分厚い木の扉。
 のぞき穴と食事を出し入れするための穴が開いている。

 投獄されたのが午前中で、いちおう昼飯は出してもらえた。
 まあ、固いパンとコップ一杯の水だったけど。
 捕まっているのだから贅沢は言えないが、もっと食わせろと叫びたいのを我慢した。
 そろそろお腹が鳴りそうだが夕飯は食わせてもらえるのだろうか。



 扉の向こうから足音が聞こえてきた。
 どうやら二人らしい、夕食を運んでくれたのだろうか。
 またパンと水だけなら抗議するぞ、心の中で!

 俺のいる牢屋の前で立ち止まった。
「取り調べをする、出ろ」
 錆びた蝶番ちょうつがいがギーと音を立てながら扉が開かれる。
 槍を持った屈強な男たちが俺を睨んでいた。
 逆らえば刺殺されるだろう、ここは素直に従うしかない。

 男たちは濃い紺色の修道服を着ている。
 俺のつたない知識だと、宗教関係者は剣などの武器を持ってはダメだったはずだ。
 だから棍棒のような鈍器を使う設定だった。
 この世界では違うのかもしれない。
 持っていたのが棍棒だとしても俺が歯向かって勝てるような奴らじゃないけどね。





 男たちに連行され小部屋に連れてこられた。
 たぶん取調室なんだろう。
 部屋に入ると濃い紺色の修道服を着た女性が椅子に座っている。
 見た感じ十代の若い娘で、クラス委員長タイプの知的美人。
 笑えば可愛いのだろうけれど、今は俺を睨んでいる。
 まあ不審者なのだから仕方がないか。

 机を挟んだ正面に座らされた。
 槍を持った男たちは俺の背後に立っている。
 彼女を襲う気はないから、その槍はおろして欲しいね。

 しかし、近くで見ても彼女は美しい。
 宗教とは縁のない生活をしていたので、修道女を間近で見るのは初めてだった。
 極端に肌を見せない修道服は、彼女の神秘性を際立たせている。
 鼻の下を伸ばさないよう、俺は真面目な表情を崩さないよう努力した。

「神殿に来たあなたは『神はいない』と信者に言って回ったと報告を受けました。違いありませんか?」
 透き通るような声。
 神の福音ふくいんだろうか。
 まあ、そんな音、聞いたことないけれど。

「そうです」
 彼女は長い溜息を漏らした。
「教会の歴史上、そのような発言をした人は記録されていません。どう対処すれば良いのか……。理由を伺ってもいいかしら?」
「神に聞いたからです」
 後ろに立っていた男が俺の座っている椅子を蹴った。
 その衝撃で机の上に突っ伏してしまう。
 もう少し強く蹴ってくれたら彼女の豊かな胸にダイブできたのに、残念。

「乱暴はやめてください!」
 男は不満そうな表情だが彼女の命令に従い直立の姿勢に戻った。
 年齢は彼女のほうが若い、それなのに男が言うことを聞くのは立場が上なのだろう。

「あなたもふざけるのはやめてください」
 俺は椅子に座りなおすと軽い溜息をもらす。
「修道服を着ているあなたは信徒なのですよね。神を信じていないのですか?」
「神様はいらっしゃいます。けれど会うことはできません。これは常識です」
「俺は常識の外から来た者だ」
「あなたが非常識な考えの持ち主なのは言われなくてもわかります」
「そうじゃない。俺はこの世界の人間じゃないんだ」
「何を言っているの?」
 八の字まゆげの困惑美女もなかなか見ていて面白い。

「俺はあなたたちが信仰する神によって別の世界から無理やり連れてこられたんだ。そして、この世界から去るから信者にそう伝えてくれと頼まれたんだよ」

 本当は『この世界にあきたから別の世界を創造するわ』だったけどな。
 そんなことを信者に言えば神への冒涜だと言われ、背後から刺されかねない。
 俺を勝手に巻き込みやがったあのクソ神を擁護しているようで気に入らないが死ぬのは嫌だ。

「確かに……。黒い髪、黒い瞳、初めて見ます。その服も珍しい……」
 勤務中だったからな。
 ビジネススーツを着ている人はこの世界にいないのか。
 目立つなら早く着替えたほうが良さそうだ。
「いきなり言われても信じられないだろう。俺だって同じ気持ちだ。別の世界があるなんて今だに信じられない。夢なら早く覚めて欲しいね」
 彼女は俺の顔を見ながら何か考えているようだ。
 少し怒った真剣な眼差しも美人に向けられるのなら心地がいい。

「すみません、席を外してくれますか」と、彼女は俺の背後にいる男たちに声をかけた。
「ですが」
「大丈夫です、この人は暴れたりしないでしょう」
「わかりました。部屋の外にいますから何かあればお呼びください」
「それと、ここで聞いたことは他言無用でお願いしますね」
 二人の男は俺を睨みつけながら部屋から出て行った。
 分厚い扉なので室内の会話は聞こえないだろう。
 美人と小部屋で二人きりは緊張する。

「この世界から神様が去られたのは本当のことなのですか?」
「あなたの信じる神に誓って」
 彼女は憂いを帯びた表情になる。
「私は癒しの術が使えるのですが。いいえ使えたのです、昨日までは。でも使えなくなってしまった。今までこんなことは無かったのです」
「癒しの術?」
「あなたは別の世界の人でしたね、神様の加護を授かった人を殊寵者しゅちょうしゃと呼びます。私は癒しの加護を授かりました。人々を癒し傷を治すことができるのです」
 さすがは異世界、魔法が使えるのか。
 この美貌で治癒魔法とは、まさに聖女じゃないか!

「神がいなくなると加護も消えるのか?」
「わかりません、こんなこと初めてなので……」
「他の殊寵者しゅちょうしゃ? は、どうなんだ。同じように加護が消えたのか?」
「わかりません。それほと多くないのです。それに加護授かっていることを隠す人もいますから」

 今にも泣き出しそうな表情をしている。
 女性に泣かれるのは苦手だ。
 それに、美女に涙は似合わない。
 彼女の力になれば親しくなれるだろうか。
 これは正義感や同情じゃない、純粋な下心だ。

「他の神に加護を授けてもらえばいいじゃないですか」
「他? 神様は唯一の存在です」
 後から知った事だが、この異世界にはあの無責任な神だけらしい。
「俺のいた世界には神は複数いたよ」
「ありえません!」
 そうか、彼女は熱狂的な信者なんだ。
 カルト宗教の洗脳を解く気で話さないと失敗するかもしれない。

 洗脳された者と話すときは絶対に否定をしてはいけない。
 否定すなわち敵だと認識され心に壁を作られるからだ。
 洗脳を解く方法はいくつかある。

「そうか~神は寂しいかもしれないね」
「寂しい?」
「誰とも会話できず、ずっと一人で世界を見てきたんだ、それはそれは寂しい思いをしたんじゃないかな」
「私たち信者がいます」
「苦楽と共にする者がいたら幸せだろうね。想像してごらんよ、神と談笑する妹がいれば楽しそうじゃないかな」
「妹?!」
 もの凄く驚いた表情をしている。
 コロンブスの卵を見た人も同じ表情だったかもしれない。
 人間にとって親族はあたりまえの存在だ。
 しかし神に親族がいるなんて彼女は想像すらしたことがないのだ。

 教義や信仰の枠をあえて外し、想定外の質問をして、自分で考えさせる。
 これが洗脳を解く方法の1つ目。

 俺は芝居を演じる俳優のように感情を乗せて彼女に語りかけた。
「兄思いの妹なんだ。
『お兄様、私も人々に加護を与えたいのです』
『嬉しいことを言ってくれるね。でもこれは私の仕事だよ』
『でもお疲れのご様子。少しはお休みになってください』
『私は無理をしていたのか、心配をかけたね』
『任せてください、お兄様のお仕事は私が勤めてみせます』
『ありがとう、それではしばらくの間任せるとしよう』と、兄は休憩し、今は妹が頑張っているんじゃないかな」
「神様の妹様が代行していらっしゃると?」
 お、少しは心が傾いたかな。
「仕事を代わったのに信者は兄様にばかり祈りを捧げているんだ。可哀そうに。妹様の頑張りが無駄になるかもしれないね」
「私は妹様を無下になど扱っていません」
 『いる/いない』の論点をずらし『認める/認めない』の話に移行させた。

 洗脳された者は必ずこだわりのポイントがある。
 そこを会話だけで崩すのは至難の業だ。
 なので論点をずらしながら崩しやすい心の壁を探る。
 これが洗脳を解く方法の2つ目。

「それは仕方ないよ、交代したことを誰も知らないんだ。きっと妹様も怒ってはいないよ。まあ悲しんでいるかも知れないけどね」
「申し訳ありません妹様。無知な私をお許しください」
 ちょろい。
 この子、騙されやすいにも程がある。
 この先大丈夫だろうか、不安になるな。

「妹様にお祈りを捧げれば、加護は元に戻るのでしょうか」
「それは難しいね。妹様は兄様よりも力は弱いんだ、今まで通りのお祈りでは駄目だろう」
「どうすれは良いですか、教えてください!」
 美女のすがるような表情が俺の心を刺激した。
 この子のために俺が力を貸してやる。





 この世界に落とされる直前、神は『能力を強化しておいた』と言った。
 具体的に何の能力か質問させずにだ。

 神殿で信者と会話できたので強化されたのは言語能力だろうと予測した。
 文字も読めるし会話もできる。
 メッセンジャーを押し付けたんだ、会話ぐらいできなければ意味がない。
 ならば別の能力?
 俺は牢屋の中で壁を叩いたり、ジャンプなどして肉体が強化されていないか試したのだ。
 しかし体に何の変化もなかった。

 俺の仕事はシステムエンジニア。必要な技術スキルは【プログラミング】能力。
 そう、頭の中で【プログラミング】と考えた瞬間、目の前に半透明のテキストエディタが浮かび上がったんだ。
 最初は戸惑ったがここは異世界、何が起きても不思議ではない。
 落ち着いて観察すると、それが使い慣れたシステムの開発環境だと気付いた。
 開発環境があっても何の言語で開発すれば良いかわからないだろう。
 【ヘルプ】くらい用意しろよ。
 そう考えると目の前に【ヘルプ】が表示された。
 俺は暇な牢獄の中でずっと【ヘルプ】を読んでいた。
 開発言語はC言語とほとんど同じ。
 APIも豊富にそろっていた。
 ちなみにAPIとはOSの機能を利用するための関数群のことだ。
 もちろんOSなんてない。
 アクセスするのはこの世界だ。





 彼女の綺麗な指に赤い宝石の指輪が光っている。
「この指輪に祈りを捧げましょう」
「指輪に?」
「そうです。妹様の名前は慈愛の神アナスタシア。強く念じるのです」
 もちろんそんな神に会ったことはない。
 俺の創作だ。
 名前があったほうが彼女を改宗させやすくなると思ったんだ。



 俺は指輪を対象に【プログラミング】を開始する。
 APIの入力パラメータは2つ。
 装備者の信仰心と神名アナスタシア。
 出力は癒しの加護。
 コンパイル成功、エラーなし!



 俺は自分の腕に噛みついた。
 クッキリとした歯型に少しだけ血が滲んでいる。
「いったい何を?」
「傷があったほうが加護の効果が確かめられるだろ」
 彼女は俺の腕に手のひらをかざし。
「神様。いいえ、アナスタシア様、どうかこの者の傷を癒したまえ」

 傷に何の変化も現れない。
「やはり駄目ですね……」
「信仰心が足りない、まだ疑いの心が残っているんだ」
「今までずっと神様は唯一の存在だと信じていたんです、いきなり妹様を信じろと言われても……」
「強く! もっと強く信じるんだ! 神の姿をイメージしてもいい。リアルに想像すればするほど効果が高まる。そうだな……。十歳くらいのあどけない少女。背中には白く大きな翼が生えている。頭には光り輝く輪が浮いている。純白のローブを身にまとい、手にはラッパを持っている。髪はブロンド。瞳はブルー。優しい笑顔で君を見ている。さあ、もう一度祈るんだ」

 彼女は目を閉じ神の姿を想像しているのだろう。
「アナスタシア様、どうかこの者の傷を癒したまえ!」

 彼女の掌が淡く青色の光をおびる。
 すると俺の腕から痛みが薄れ、歯型と血は綺麗に消え去った。
「おぉ~~~これが癒しの術か」
「あぁ、アナスタシア様、ありがとうございます!」
 彼女は両手を広げ胸の前でクロスさせ神に祈りを捧げている。

「良かったね」
「あなたにも感謝します。ありがとうございます……。あ、まだ名前を伺っていませんでした」
「俺は鏡音瑞希かがみねみずき
「カガミネミズキ様、ありがとうございます」
「フルネームはいいよ、名前だけ呼び捨てでいい」
「フル?」
「カガミネが家族の名で、ミズキが俺の名だ」
「なるほど、私たちは全て神様の子供なので家族の名前はありません。私はエリノと申します。改めてありがとうございますミズキ様」
「お礼はいいよ、俺はなにもしていない」
「いいえ、私に妹様のお名前を教えて下さりました。もしかしたらミズキ様は始まりの人かもしれませんね」
「始まりの人?」
「この世界に加護を伝えた人です」
 もしかすると俺みたいに無理やり呼び出された異世界人か?
 あのクソ神、好き勝手しやがって。

「俺はそんな大そうなやつじゃないよ」
「いいえ、神様が遣わされたお人です。疑ってしまい申し訳ありませんでした」
 彼女は椅子から降りると机の横に移動し立膝になり、両手を広げ胸の前でクロスさせた。
 どうやら祈りのポーズらしい。
「よしてください、そんな扱い困ります」
「ですが」
「俺のためだと思って我慢してください」
「わかりました」
 彼女は椅子に座りなおした。

「ミズキ様、これからどうなされますか?」
「とりあえず食事がしたい。昼は小さなパンだけだったからさ」
 エリノがクスクスと笑う。
 初めて彼女の笑顔を見た。
 想像していたよりも数倍チャーミングで彼女こそ天使だと断言してもいい。

「元居た世界には戻られないのですか?」
「それね……。俺は世界を移動したわけじゃないんだ。神が言うには俺はオリジナルのコピーらしい。だから元の世界に俺の居場所はないんだよ」

 そう、俺は俺じゃない。
 むこうの世界の俺が本物なら、この俺は偽物。
 役目を終えたら消える存在だと思っていた。
 だがエリノに神の話をしても俺は消えていない。
 どうやらこちらの世界で生き抜かなければいけないようだ。
 嬉しい反面、不安で憂鬱な気分になる。

「なら、こちらの世界にずっといらっしゃるのですね!」
 ぱっと花が咲いたように明るい表情になる。
 俺と離れるのが残念なのかと勘違いするじゃないか、その顔は反則だ。

「帰る方法もわからないしね。不本意だけど仕方ない」
「宜しければ皆の前で神がご休憩されているとお話しては下さいませんか」
 なるほど先ほどの表情はこれか、俺を伝道師にするつもりなのね、凄く残念だ。

「それはやめたほうがいい。俺のように変人扱いされてエリノも投獄されかねない。できれば俺のことも秘密にしてくれ」
「確かにそうですね。……ですが私のように困っている人がいると思うのです」
「ハイリスク、ノーリターンだ。確かに神の伝言を伝えたが、それを広めろとは言われていない。そもそも俺は信者ではないからね」
「そうですか……」
 エリノは困り顔でうつむいてしまった。
 俺は美人の困り顔に弱い。
「手を貸したいのは山山だ。でも、今晩の飯さえ食べるあてがないんだ。この世界で生きていける補償もない俺が、他人の心配をしている余裕はないよ」
「そうですね。ミズキ様のおかれている状況も考えず勝手を言い申し訳ありません。今晩は教会にお泊りください、夕食もお出しします。ミズキ様を疑った償いをさせてください」
「それはありがたい、お言葉に甘えさせてもらうよ」



 エリノは部屋を出ると廊下にいる男たちに俺を賓客ひんきゃくとしてもてなすように説明した。
 扉が開いているので俺にも会話が聞こえている。
 男たちは不満のようでエリノに抗議したが命令には逆らえないようだ。

「お部屋の準備が整いましたらお迎えに上がります、こちらで少しの間お待ちください」
 部屋に一人残されてしまった。

 やることがないので【ヘルプ】を読み漁る。
 サンプルのソースコードもついているので、とても分かりやすかった。
 考えたままプログラミングされるので指でタイピングするよりも早くて楽だ。
 俺はプログラムを考えながら、エリノの困り顔を思い出していた。
 あの身勝手な神のフォローをするのは嫌だ。
 けれどエリノは助けたい。

 問題点を洗い出そう。
 まずはこの世界の知識。
 住民登録は必要なのか? 税金は? 俺は何も知らないんだ。
 次に金。生きていくには必須だ。
 仕事を探す? この世界の常識も知らないのに働けるだろうか。
 ファンタジーなら冒険者がセオリーだ。
 けれど俺は一般人、モンスターと戦えるわけがない。
 それにモンスターがいるとは限らない。

「ミズキ様、お食事のご用意が整いました」
 エリノの案内で食堂へ向かう。





 石造りの神殿と違い食堂のある建物は木造だ。
 広い部屋には六人座れるテーブルがいくつも並んでいる。
 まるで給食の配膳のように、食事を配る係が前に立ち、そこへトレイを持つ者が並んでいた。
 エリノと俺は、トレイにパン皿とスープ皿を乗せ列の最後尾に並ぶ。
 パン2個とコーンスープを入れてもらい、開いているテーブルへ持って行く。

 エリノは椅子に座ると目を閉じ神への祈りを始めた。
「神よ、あなたのいつくしみに感謝します――」
 手を広げ胸の前でクロスさせるポーズは共通らしい。
 俺はあんな身勝手な神に祈りたくないのでエリノが祈り終わるのを待っていた。

 エリノが目を開いたので、
「いただきます」と言い食事を始める。
「いただき、ます?」
「俺の住んでいた所は信徒が少なくてね、神に祈る人も少ないんだ。いただきますは生産者への感謝の言葉だよ」
「素敵な風習ですね」
 エリノは笑顔だが、周囲の修道士たちは冷たい視線を俺に向けている。
 まあ『神はいない』と騒いだんだ、仕方ない。
 それにエリノが箝口令かんこうれいを敷いたから俺が神のメッセンジャーだとは知れ渡っていない。

「エリノに相談がある」
「なんでしょう?」
「俺はこの世界のことを何も知らない。今のままでは一人で生活するのは無理だと思う。だからエリノに教えて欲しいんだ」
「はい。私で良ければお力になります」
「ありがとう。謝礼だけど俺はお金を持っていない。だから加護を失い困っている人を助けることで対価にしたいんだが、どうだろう?」
 エリノは首を横に振った。
「教会で活動するには修道士になる必要があります。そのためにはミズキ様の素性を明かさなければなりません」
 たしかに、不審者が怪しい活動するのを黙って見てはくれないだろう。
「なるほどね。修道士になるつもりはないから諦めるよ」
「手がないわけじゃ……」
 そう言うとエリノは頬を赤らめて下を向いてしまう。
「私のヒモになればボランティアとして加護を失った人を助けることができますよ」
 ギリギリ聞こえるかどうかの小声で呟いた。
 ヒモだとっ!!
 異世界翻訳機能のバグか?
「いやっそのっ、俺は人助けがしたいわけじゃないんだ、対価が思いつかなかったからで、だから、その、エリノと肉体関係をもつつもりはなかった。嬉しいけどごめん!」
 俺までもらい赤面してしまった。
 美女が頬を赤く染めると破壊力が凄まじいな。
 おもわす了承してしまうところだった。
「ええっ!! そのような意味じゃありません! 金銭面をサポートするだけです。この身は神様に捧げました! 肉体関係なんてありえません」
 エリノは真っ赤になってしまった。
「な~んだそういう意味か~。有難いけどそこまでお世話にはなれないよ」
「そうですか……」
 エリノは両手で火照る頬を押さえながら、少しだけ残念そうな表情をしている。
 困っている人が助からないのを気にしているのか、俺との関係が切れるのを残念がっているのか、表情だけでは判断はできないが後者であってほしいな。

 食事を終えた後もエリノは嫌な顔せずに異世界の常識を教えてくれた。
 対価はいらないと言う。
 ほんとうに聖女のような人だ。

 ・神は唯一の存在だが、宗教は複数ある。
 ・国と宗教はほぼ同義で、こちらでは国とは呼ばない。
 ・そのため国王や貴族はいない。
 ・為政者は各宗教のトップ。
 ・修道士は公務員と同じようなもので税金が分配されている。

 『国とは何でしょう?』と聞かれた時は説明するのに苦労した。
 あまり長くエリノを拘束するのも悪いので、質問は程々に切上げ、寝室に案内してもらい寝ることにした。





 翌朝、エリノと共に食事をした後、教会を後にした。
 美女と別れるのは辛いがしかたない。
 普通の生活がしたいんだ。
 ヒモになるのは最終手段としてキープしておこう。

 エリノはポケットマネーから三日ほど食べていけるだけのお金をくれた。
 昨日会ったばかりの他人にここまで優しくするなんて、感謝する前に、悪い人に騙されないかと心配になる。

 さて、今おかれている状況を整理しよう。
 二つの懸念がある。
 まずは俺が異世界人だと知られてしまった。
 エリノは黙ってくれるだろうが、あの槍男たちは口が軽そうだ。
 それと容姿。
 黒い髪、黒い瞳、スーツ姿。
 この世界にはいないらしい。
 普通に生活したいんだ、なるべくなら目立ちたくない。

 だから俺は昨晩苦労して【プログラミング】した。
 複数のAPIを組み合わせ関数を作成。
 スーツを対象に入力パラメータは5つ。
 1.俺が着ていること。
 2.容姿普通。
 3.体形普通。
 4.普段着。
 5.発動キーワードは変身。
 出力はアバター衣装だ。



「変身」
 一瞬で俺の姿が切り替わる。
 ガラスに反射した姿は、金髪、碧眼、中肉中背、年齢は二十歳前後。
 端的に言えばモブだ。
 これで誰からも怪しまれることはないだろう。

 まずはお金を稼ぐ。
 仕事斡旋所の場所をエリノに教えてもらっている。
 日雇いのバイトから始めるのも悪くない。





 石畳の道路を歩き目的地へ向かう。
 高い建物は殆どない。
 異世界の基準がわからないが、この町は田舎だと思う。
 道路に面した建物は石造りの店だが、裏通りは舗装されておらず民家は木造が殆どだ。
 『国』ならば城が最も立派な建物になるだろう。
 しかしここは『教会』が支配している世界。
 石造りの神殿がこの町では最も立派な建物なのだった。



「おい、やめろ」
「うるせぇ!!」
 喧嘩かな?
 人垣のむこうから怒号が響いている。
「うわっ!」
 人垣が割れ、白い鎧を着た人が倒れると、ガッシャンと重そうな金属音が聞こえる。
 この世界に来て二人目の美女に遭遇した。
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