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5話
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教会のお勤めは朝早くから始まります。
日の出とともに起床して、身の回りの整理整頓を行います。
気持ちの良い一日を過ごすためですね。
次にお掃除。
皆が使う食堂や廊下、礼拝堂、神殿などを綺麗にします。
それが済んだら朝食を頂き、続いて礼拝堂で神様へ祈りを捧げます。
これらは教会にいる全ての信徒が一緒に行う日課です。
「エリノ、司祭がお呼びです」
あら珍しい。
いつもは助祭長へ話を通すのに。
ちなみに、私は助祭です。
他の宗派では女性が助祭になることはありませんが、ここ、ワルテレク教は違います。
私は司祭室へ向かいました。
神殿や礼拝堂とは別の管理棟に司祭室があります。
私は司祭室の重厚な扉をノックしました。
「入りたまえ」
やや重い扉を開き室内へ入ります。
「お呼びでしょうか」
トビアス司祭は見ていた書類から目線を外し私を見ました。
彼の手はまるで赤ちゃんのようにぷくぷくしています。
教会では皆が同じ食事をしているはずですが、彼は恰幅の良い体をしているのです。
内緒で良い物を食べていると噂する者もいます。
この町の最高権力者ですから、少しは贅沢をしても良いのではないか、そんな意見が多いのも事実です。
私は教会の教えに背いているのなら許せないと思いますけれど。
「ああ、エリノか。こちらへ」
立派な執務机の前まで移動しました。
「殊寵者から加護の力が失われた話は聞いたかね」
「はい」
「エリノも加護を授かっていたな」
「はい」
「しかし癒しの術は今でも使えている。そう報告を受けているが違いないか」
「その通りです」
「なぜエリノだけが使えるのかね?」
「私にはわかりかねます」
「ほぅ……。数日前、神殿で神はいないと騒いだ者に対して賓客としてもてなすよう指示を出したのはエリノだね?」
「はい」
「理由を述べなさい」
「それは……」
ミズキ様と約束したのです、正体を明かさないと。
嘘はいけませんが、彼の身を案ずるならばここは何としてでもごまかさないといけません。
「取り調べに同席した修道士から話は聞いておる、隠しても無駄だよ」
あの人たちは!
他言無用と釘を刺したのに。
仕方ありませんね、最低限の情報は明かしましょう。
「申し訳ありません、話さないと約束しているので私の口からは言えません」
「ふむふむ。約束は確かに大事だ。しかし困っている殊寵者たちを救いたいとは思わないかね」
「思います。けれど彼一人にその重責を負わせるのも酷だと存じます」
「なるほど、優しいエリノがそう思うのは無理もないな。ならばエリノが伝えれば良いであろう」
「私が?」
「加護の使い方は伝授してもらったのだろう。ならば他の殊寵者たちに教えれば良いではないか」
それはミズキ様に止められました。
私が奇異の目にさらされてしまうのを懸念されたのです。
困っている人は助けたい、けれど今の生活を捨ててまでしたいかと問われると、返事に困ってしまいます。
でもトビアス司祭の助力があればもしかすると……。
「そうですが。よろしいのでしょうか?」
「問題でもあるのかね?」
「神様はご休憩されていらっしゃいます。私が癒しの術を使えるのは神様の妹様に祈りを捧げているからなのです」
「妹様? いったい何を言っておるのだね」
「信じられないのも無理はありません。神様に妹様がいるなんて、今まで聞いてきた教えにはありませんでしたから」
「妹、だとっ? そんな戯言、信じられるわけがなかろう!」
トビアス司祭は顔を紅潮させています。
声を荒げたりはしませんが怒っているのは感じ取れました。
「実際に癒しの術が使えているのです。神様の加護が与えらえているのですから疑う余地はありません」
「う~む……にわかには信じがたい。確かにそのような話を広めるのは混乱を招くだろうな」
「はい、私もそう考えております、ですから公にはしたくはありません」
「ふむ、ふむ……。その加護の使い方は殊寵者にしか効果はないのかね?」
「と、言いますと?」
「加護を授かっていない者でも、エリノが行う方法ならば加護が得られるのではないか」
「それはわかりかねます」
「神殿に熱心に通うあの……確かラシアと言ったか。あの娘はどうだね?」
「私に試せと?!」
「これは命令だ。神の恩恵は皆が平等に得られなければならない。エリノだけが加護を享受するなど許されないのだ。もし逆らえば破門とする」
嘘でしょ?
人体実験を強要するなんて、司祭ってこんな人だったかしら。
でも一理あるのよね。
世界で私だけが加護を受けているのは良くないと思う。
きっと苦労している人がいるもの。
だからと言ってミズキ様に頼るのは間違えている。
これは命令……。
もし奇異の目にさらされてもトビアス司祭が助けて下さるかもしれない。
神に祈りを捧げるだけですもの、危険はないと思うし……。
「わかりました」
「うむ。良い結果を期待している。下がってよい」
私は一礼し、司祭室を後にしました。
今日は休日。
お昼を過ぎると大勢の信者たちが礼拝堂へやってきます。
礼拝堂は信者たちが座る長椅子が常設され、正面には祭壇が設けられています。
助祭長が語る神の教えに、信者たちは熱心に耳を傾けています。
礼拝堂と神殿は別の建物です。
神殿には椅子や祭壇はありません。
神様に最も近い建物ですから、黙して祈りを捧げる場所なのです。
そのような厳粛な場所でミズキ様は『神はいない』と叫んだのですから投獄されてあたりまえなのです。
真実だとしても時と場所は選んでほしかったですね。
今日も彼女は来ていますね。
名前はラシアと言います。
長跪し、手を胸にあて、目を閉じて祈りを捧げています。
ちなみに、長跪とは両膝を並べて地につけ上半身を直立させる礼法ですよ。
お尻を踵に付けないので長時間この姿勢を保つのは苦しいのです。
でも彼女は姿勢を崩すことはありません。
神様へ対する真摯な姿は私も見習わないといけませんね。
ラシアは孤児院の出身で、今は農家を手伝う仕事をしているはずです。
華美ではない服装は彼女の真面目さを表しているようです。
加護の話を彼女にするため、祈りが終わるのを待ちます。
待ちます……。
待ちます……。
待ちます……。
長いですね。
もしかして、あの姿勢のまま寝ているのでしょうか。
近づいて確認してみます。
寝息は聞こえませんね。
念のため声をかけてみましょう。
「ラシアさん?」
ゆっくりとまぶたを開いたラシアさんは、軽く会釈をすると、再びまぶたを閉じ祈りを始めました。
「あのっ、ラシアさん? お祈りの最中に恐縮なのですけれど、少しお話があります」
ゆっくりとまぶたを開いたラシアさんは、ゆっくりと首をかしげます。
噂通りの、のんびりとした無口な子です。
「ラシアさん、神の加護に興味はありませんか?」
なぜでしょう、怪しい商売に勧誘しているような言い方になってしまいました。
やましい気持ちはないのに心がもやっとします。
ラシアさんは暫く考えた後、コクリと頷きました。
私は指輪を外すとラシアさんに渡しました。
今からする行いが、はたして彼女のためになるのでしょうか。
複雑な心境です。
「これをはめてください。そしてこう唱えるのです。アナスタシア様、どうかこの者の傷を癒したまえ、と」
ラシアさんは指輪をはめると祈りを唱え始めました。
驚きました!
声がとても小さいのです。
誰もいない静まり返る神殿だからそこ、辛うじて聞こえるくらいの声です。
声の大きさが祈りの強さに影響しないとは思いますが、これでは妹様に聞こえているか不安です。
「もう少し大きな声が出るかしら?」
「アナスタシア様、どうかこの者の傷を癒したまえ」
かなり小声ですが、先ほどよりかは聞こえます。
癒しの術が発動すれば手のひらに淡い光が出るはずですが、何の変化も見られませんでした。
どうやら失敗のようですね。
「ごめんなさい、加護は与えられなかったようなの」
ラシアさんは悲しい表情になると指輪を私に返し神殿から去って行きました。
その背中に深い哀愁を漂わせて。
私は彼女を落胆させてしまった罪悪感と、体に悪影響が出なかった安心感で何とも言えぬ複雑な気持ちになってしまいました。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
また嘆願書か、愚民どもは甘い顔をするとすぐにつけあがる。
机の上に積まれた書類を見ると溜息が出るわ。
扉をノックする音が聞こえる。
誰か来たようだ。
「入りたまえ」
用事を言いつけておいた修道士が部屋に入って来た。
「トビアス司祭、例の件、確認できました」
「ふむ、詳しく聞こう」
「はっ。エリノは神殿にてラシアと接触。いつもはめている指輪を外しラシアに貸し与え祈りの言葉を教えました『アナスタシア様、どうかこの者の傷を癒したまえ』と」
「それで効果は?」
「いいえ。癒しの術が発動した形跡は見られませんでした」
「そうか……。ラシアの様子はどうだ。体に異変などは出なかったのか」
「はい。加護が得られなかったのが残念なのか、落ち込んだ様子は見られましたが、体に影響ないようです」
「指輪はエリノに返したのだな」
「はい」
「その指輪を誰にも気づかれずに入手するのだ。手段は任せる」
「はっ」
修道士は一礼すると司祭室から退室した。
私は殊寵者が嫌いだ。
むしろ憎んでいる。
あいつらは偶然加護を得たにすぎないのだ。
それなのに当然のように大きな顔をする。
自分たちが優れていると勘違いしているのだ。
司教よりも上の階位は殊寵者しかいない。
これは明らかな差別だ。
しかし、そのようなことは発言すら許されない。
殊寵者から加護が消えたと聞いたときは心の中でザマアと叫んだ。
これからは私にもチャンスが巡ってくると喜んだ。
それなのにエリノだけは加護が失われていないという。
もし加護を取り戻す方法が知れ渡れば、私の優位性が失われる。
エリノは邪魔なのだ。
だが、殊寵者でない者にも加護が得られる方法があるならば、先にそれを聞き出さねばならん。
私だけが殊寵者となった後でエリノを始末すれば良い。
ラシアの体に異変もないようだし、私が試しても大丈夫だろう。
指輪か……。
加護を得るために必要なのだろう。
クックック、手に入れるのが待ち遠しいわ。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
本日のお勤めもつつがなく終えることができました。
疲れを癒すためサウナに来ています。
教会の敷地内にあるので便利なのです。
脱衣所で修道服を脱ぎサウナ室へ入ると、むせ返るほどの熱気で、すぐに汗が流れ出しました。
息苦しいですが私はこの暑さが大好きです。
大きな樽に水が溜めてあるので、そこから桶で水をすくい手ぬぐいを濡らしました。
汗と共に体の汚れを手ぬぐいで拭き取ると疲れも一緒に洗い流されるようです。
サウナ室の壁際には椅子が用意してあります。
「ふぅ~……」
椅子に腰を下ろし、目を閉じ、体の芯が温まるまで一日を振り返るのが日課です。
ラシアには悪いことをしました。
思わせぶりな話を持ち掛け、期待を煽り、結局は落胆させてしまった。
あれならば最初から話をするのではなかった。
ミズキ様も最初から成功するとは思っていなかったご様子。
それでも私のためにアナスタシア様のことを教えて下さった。
同じ気持ちだったのでしょうか……。
トビアス司祭には、まだ報告していません。
何だか嫌な予感がするのです。
なぜラシアを指名したのでしょう。
加護を授けて頂けるのか試すのなら、あの場でご自身が試されれば良かったはず。
体への悪影響を恐れた?
ありえるわ。
やはりラシアを実験台にしたのではないかしら。
もし報告をすれば、第二、第三の実験台を指名してきそうです。
そんな企みに加担したくはありません。
どうすれば穏便に断れるのでしょうか……。
「いけない、のぼせてしまいそうだわ」
軽く汗を拭き取りサウナ室から出ました。
熱気から解放されるこの一瞬もサウナが好きな理由です。
もう一枚用意していた渇いた手ぬぐいで体を拭き、服を着ようとしたのですが。
下着がありません!
着ていた下着も、洗濯した綺麗な下着も、どちらともです。
誰かが間違えた?
いいえ、修道服は私のです。
それに指輪もありません!
盗まれたのでしょうか。
教会で? いったい誰が?
私は真っ先にトビアス司祭を思い浮かべました。
まさか指輪を使って実験を?
証拠もないのに疑うのは良くありません。
仮にトビアス司祭が犯人だとしても白を切られるだけです。
どうしましょう……。
日の出とともに起床して、身の回りの整理整頓を行います。
気持ちの良い一日を過ごすためですね。
次にお掃除。
皆が使う食堂や廊下、礼拝堂、神殿などを綺麗にします。
それが済んだら朝食を頂き、続いて礼拝堂で神様へ祈りを捧げます。
これらは教会にいる全ての信徒が一緒に行う日課です。
「エリノ、司祭がお呼びです」
あら珍しい。
いつもは助祭長へ話を通すのに。
ちなみに、私は助祭です。
他の宗派では女性が助祭になることはありませんが、ここ、ワルテレク教は違います。
私は司祭室へ向かいました。
神殿や礼拝堂とは別の管理棟に司祭室があります。
私は司祭室の重厚な扉をノックしました。
「入りたまえ」
やや重い扉を開き室内へ入ります。
「お呼びでしょうか」
トビアス司祭は見ていた書類から目線を外し私を見ました。
彼の手はまるで赤ちゃんのようにぷくぷくしています。
教会では皆が同じ食事をしているはずですが、彼は恰幅の良い体をしているのです。
内緒で良い物を食べていると噂する者もいます。
この町の最高権力者ですから、少しは贅沢をしても良いのではないか、そんな意見が多いのも事実です。
私は教会の教えに背いているのなら許せないと思いますけれど。
「ああ、エリノか。こちらへ」
立派な執務机の前まで移動しました。
「殊寵者から加護の力が失われた話は聞いたかね」
「はい」
「エリノも加護を授かっていたな」
「はい」
「しかし癒しの術は今でも使えている。そう報告を受けているが違いないか」
「その通りです」
「なぜエリノだけが使えるのかね?」
「私にはわかりかねます」
「ほぅ……。数日前、神殿で神はいないと騒いだ者に対して賓客としてもてなすよう指示を出したのはエリノだね?」
「はい」
「理由を述べなさい」
「それは……」
ミズキ様と約束したのです、正体を明かさないと。
嘘はいけませんが、彼の身を案ずるならばここは何としてでもごまかさないといけません。
「取り調べに同席した修道士から話は聞いておる、隠しても無駄だよ」
あの人たちは!
他言無用と釘を刺したのに。
仕方ありませんね、最低限の情報は明かしましょう。
「申し訳ありません、話さないと約束しているので私の口からは言えません」
「ふむふむ。約束は確かに大事だ。しかし困っている殊寵者たちを救いたいとは思わないかね」
「思います。けれど彼一人にその重責を負わせるのも酷だと存じます」
「なるほど、優しいエリノがそう思うのは無理もないな。ならばエリノが伝えれば良いであろう」
「私が?」
「加護の使い方は伝授してもらったのだろう。ならば他の殊寵者たちに教えれば良いではないか」
それはミズキ様に止められました。
私が奇異の目にさらされてしまうのを懸念されたのです。
困っている人は助けたい、けれど今の生活を捨ててまでしたいかと問われると、返事に困ってしまいます。
でもトビアス司祭の助力があればもしかすると……。
「そうですが。よろしいのでしょうか?」
「問題でもあるのかね?」
「神様はご休憩されていらっしゃいます。私が癒しの術を使えるのは神様の妹様に祈りを捧げているからなのです」
「妹様? いったい何を言っておるのだね」
「信じられないのも無理はありません。神様に妹様がいるなんて、今まで聞いてきた教えにはありませんでしたから」
「妹、だとっ? そんな戯言、信じられるわけがなかろう!」
トビアス司祭は顔を紅潮させています。
声を荒げたりはしませんが怒っているのは感じ取れました。
「実際に癒しの術が使えているのです。神様の加護が与えらえているのですから疑う余地はありません」
「う~む……にわかには信じがたい。確かにそのような話を広めるのは混乱を招くだろうな」
「はい、私もそう考えております、ですから公にはしたくはありません」
「ふむ、ふむ……。その加護の使い方は殊寵者にしか効果はないのかね?」
「と、言いますと?」
「加護を授かっていない者でも、エリノが行う方法ならば加護が得られるのではないか」
「それはわかりかねます」
「神殿に熱心に通うあの……確かラシアと言ったか。あの娘はどうだね?」
「私に試せと?!」
「これは命令だ。神の恩恵は皆が平等に得られなければならない。エリノだけが加護を享受するなど許されないのだ。もし逆らえば破門とする」
嘘でしょ?
人体実験を強要するなんて、司祭ってこんな人だったかしら。
でも一理あるのよね。
世界で私だけが加護を受けているのは良くないと思う。
きっと苦労している人がいるもの。
だからと言ってミズキ様に頼るのは間違えている。
これは命令……。
もし奇異の目にさらされてもトビアス司祭が助けて下さるかもしれない。
神に祈りを捧げるだけですもの、危険はないと思うし……。
「わかりました」
「うむ。良い結果を期待している。下がってよい」
私は一礼し、司祭室を後にしました。
今日は休日。
お昼を過ぎると大勢の信者たちが礼拝堂へやってきます。
礼拝堂は信者たちが座る長椅子が常設され、正面には祭壇が設けられています。
助祭長が語る神の教えに、信者たちは熱心に耳を傾けています。
礼拝堂と神殿は別の建物です。
神殿には椅子や祭壇はありません。
神様に最も近い建物ですから、黙して祈りを捧げる場所なのです。
そのような厳粛な場所でミズキ様は『神はいない』と叫んだのですから投獄されてあたりまえなのです。
真実だとしても時と場所は選んでほしかったですね。
今日も彼女は来ていますね。
名前はラシアと言います。
長跪し、手を胸にあて、目を閉じて祈りを捧げています。
ちなみに、長跪とは両膝を並べて地につけ上半身を直立させる礼法ですよ。
お尻を踵に付けないので長時間この姿勢を保つのは苦しいのです。
でも彼女は姿勢を崩すことはありません。
神様へ対する真摯な姿は私も見習わないといけませんね。
ラシアは孤児院の出身で、今は農家を手伝う仕事をしているはずです。
華美ではない服装は彼女の真面目さを表しているようです。
加護の話を彼女にするため、祈りが終わるのを待ちます。
待ちます……。
待ちます……。
待ちます……。
長いですね。
もしかして、あの姿勢のまま寝ているのでしょうか。
近づいて確認してみます。
寝息は聞こえませんね。
念のため声をかけてみましょう。
「ラシアさん?」
ゆっくりとまぶたを開いたラシアさんは、軽く会釈をすると、再びまぶたを閉じ祈りを始めました。
「あのっ、ラシアさん? お祈りの最中に恐縮なのですけれど、少しお話があります」
ゆっくりとまぶたを開いたラシアさんは、ゆっくりと首をかしげます。
噂通りの、のんびりとした無口な子です。
「ラシアさん、神の加護に興味はありませんか?」
なぜでしょう、怪しい商売に勧誘しているような言い方になってしまいました。
やましい気持ちはないのに心がもやっとします。
ラシアさんは暫く考えた後、コクリと頷きました。
私は指輪を外すとラシアさんに渡しました。
今からする行いが、はたして彼女のためになるのでしょうか。
複雑な心境です。
「これをはめてください。そしてこう唱えるのです。アナスタシア様、どうかこの者の傷を癒したまえ、と」
ラシアさんは指輪をはめると祈りを唱え始めました。
驚きました!
声がとても小さいのです。
誰もいない静まり返る神殿だからそこ、辛うじて聞こえるくらいの声です。
声の大きさが祈りの強さに影響しないとは思いますが、これでは妹様に聞こえているか不安です。
「もう少し大きな声が出るかしら?」
「アナスタシア様、どうかこの者の傷を癒したまえ」
かなり小声ですが、先ほどよりかは聞こえます。
癒しの術が発動すれば手のひらに淡い光が出るはずですが、何の変化も見られませんでした。
どうやら失敗のようですね。
「ごめんなさい、加護は与えられなかったようなの」
ラシアさんは悲しい表情になると指輪を私に返し神殿から去って行きました。
その背中に深い哀愁を漂わせて。
私は彼女を落胆させてしまった罪悪感と、体に悪影響が出なかった安心感で何とも言えぬ複雑な気持ちになってしまいました。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
また嘆願書か、愚民どもは甘い顔をするとすぐにつけあがる。
机の上に積まれた書類を見ると溜息が出るわ。
扉をノックする音が聞こえる。
誰か来たようだ。
「入りたまえ」
用事を言いつけておいた修道士が部屋に入って来た。
「トビアス司祭、例の件、確認できました」
「ふむ、詳しく聞こう」
「はっ。エリノは神殿にてラシアと接触。いつもはめている指輪を外しラシアに貸し与え祈りの言葉を教えました『アナスタシア様、どうかこの者の傷を癒したまえ』と」
「それで効果は?」
「いいえ。癒しの術が発動した形跡は見られませんでした」
「そうか……。ラシアの様子はどうだ。体に異変などは出なかったのか」
「はい。加護が得られなかったのが残念なのか、落ち込んだ様子は見られましたが、体に影響ないようです」
「指輪はエリノに返したのだな」
「はい」
「その指輪を誰にも気づかれずに入手するのだ。手段は任せる」
「はっ」
修道士は一礼すると司祭室から退室した。
私は殊寵者が嫌いだ。
むしろ憎んでいる。
あいつらは偶然加護を得たにすぎないのだ。
それなのに当然のように大きな顔をする。
自分たちが優れていると勘違いしているのだ。
司教よりも上の階位は殊寵者しかいない。
これは明らかな差別だ。
しかし、そのようなことは発言すら許されない。
殊寵者から加護が消えたと聞いたときは心の中でザマアと叫んだ。
これからは私にもチャンスが巡ってくると喜んだ。
それなのにエリノだけは加護が失われていないという。
もし加護を取り戻す方法が知れ渡れば、私の優位性が失われる。
エリノは邪魔なのだ。
だが、殊寵者でない者にも加護が得られる方法があるならば、先にそれを聞き出さねばならん。
私だけが殊寵者となった後でエリノを始末すれば良い。
ラシアの体に異変もないようだし、私が試しても大丈夫だろう。
指輪か……。
加護を得るために必要なのだろう。
クックック、手に入れるのが待ち遠しいわ。
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本日のお勤めもつつがなく終えることができました。
疲れを癒すためサウナに来ています。
教会の敷地内にあるので便利なのです。
脱衣所で修道服を脱ぎサウナ室へ入ると、むせ返るほどの熱気で、すぐに汗が流れ出しました。
息苦しいですが私はこの暑さが大好きです。
大きな樽に水が溜めてあるので、そこから桶で水をすくい手ぬぐいを濡らしました。
汗と共に体の汚れを手ぬぐいで拭き取ると疲れも一緒に洗い流されるようです。
サウナ室の壁際には椅子が用意してあります。
「ふぅ~……」
椅子に腰を下ろし、目を閉じ、体の芯が温まるまで一日を振り返るのが日課です。
ラシアには悪いことをしました。
思わせぶりな話を持ち掛け、期待を煽り、結局は落胆させてしまった。
あれならば最初から話をするのではなかった。
ミズキ様も最初から成功するとは思っていなかったご様子。
それでも私のためにアナスタシア様のことを教えて下さった。
同じ気持ちだったのでしょうか……。
トビアス司祭には、まだ報告していません。
何だか嫌な予感がするのです。
なぜラシアを指名したのでしょう。
加護を授けて頂けるのか試すのなら、あの場でご自身が試されれば良かったはず。
体への悪影響を恐れた?
ありえるわ。
やはりラシアを実験台にしたのではないかしら。
もし報告をすれば、第二、第三の実験台を指名してきそうです。
そんな企みに加担したくはありません。
どうすれば穏便に断れるのでしょうか……。
「いけない、のぼせてしまいそうだわ」
軽く汗を拭き取りサウナ室から出ました。
熱気から解放されるこの一瞬もサウナが好きな理由です。
もう一枚用意していた渇いた手ぬぐいで体を拭き、服を着ようとしたのですが。
下着がありません!
着ていた下着も、洗濯した綺麗な下着も、どちらともです。
誰かが間違えた?
いいえ、修道服は私のです。
それに指輪もありません!
盗まれたのでしょうか。
教会で? いったい誰が?
私は真っ先にトビアス司祭を思い浮かべました。
まさか指輪を使って実験を?
証拠もないのに疑うのは良くありません。
仮にトビアス司祭が犯人だとしても白を切られるだけです。
どうしましょう……。
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ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
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この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
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これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
異世界に召喚されて2日目です。クズは要らないと追放され、激レアユニークスキルで危機回避したはずが、トラブル続きで泣きそうです。
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この聖水、泥の味がする ~まずいと追放された俺の作るポーションが、実は神々も欲しがる奇跡の霊薬だった件~
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「泥水神官」と蔑まれる下級神官ルーク。彼が作る聖水はなぜか茶色く濁り、ひどい泥の味がした。そのせいで無能扱いされ、ある日、無実の罪で神殿から追放されてしまう。
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落ちこぼれ神官の、痛快な逆転スローライフ、ここに開幕!
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