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断章-月下血風小夜曲(後)①

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「口では否定していたが、俺たちが今のような状況におちいる可能性くらい、"槍聖そうせい"の老いぼれも当然気づいていたはずだ。腹の中では俺が襲撃してきた魔物に殺されることを、期待していたのかもしれんな。それに応えてやる義理はないが」

 サリスがかわいた笑い声をたてると、カーシャがため息をついた。

「あんたたち勇者ってのは、ほんとに仲が悪いわねえ。特にあの"槍聖"のじいさんと、序列7位の"白銀の騎士"があんたをきらってるって噂は、傭兵稼業をしていたあたしの耳にまで届いていたわよ」

「それに"雷霆公女"もだな。あの気位のたかい公女は、事あるごとに俺に突っかかってきやがる。よほど気に食わないらしい」

 サリスの発言に、今度はカーシャは返事をしなかった。ただ両眼を細め、あきれたような視線を向けてくるだけだった。

「ん、どうした?」

「……あれは違うでしょうよ。まったく、つくづく女心に疎いんだから」

「? 言っていることがよくわからないが」

 首をかしげていると、先ほどよりも盛大なため息がカーシャの口から漏れた。ついでに、大げさなほど肩をすくめてみせる。

「何でもないわよ、馬鹿馬鹿しい。あんた、ニブいのも大概にしないと聖女サマにも愛想つかされるわよ。あのお嬢ちゃんだって、年頃の女の子なんだからね」

「……だから何でいちいちメルティアを引き合いに出すんだよ。彼女は関係ないだろ」

 ことさら無愛想をよそおいつつも反応してしまうのは、「メルティアに愛想をつかされる」というカーシャの示唆が多少は気になったからである。このあたり、前世の自分ながら、サリスの情緒は成熟していたとはどうも言い難いようだ。

「まだそんなこと言ってる。いい加減、往生際が悪いわよ」

「お前こそしつけえぞ。俺とメルティアをどうしても男女の仲にしたいようだが、一体何を根拠に、」

「それよ」

 だしぬけに、カーシャが人差し指を突きつけてきた。

「その"メルティア"って呼び方。一体いつから、名前で呼ぶようになったのかしら? 旅がはじまった頃は"あの女"だの"小娘"だの、散々な言い草だったじゃない」

 カーシャの指摘に、サリスは言葉を詰まらせた。変化を自分で意識していなかったのは、迂闊と言うしかない。

 たしかに旅をつづけるうち、いつの間にか"光の聖女"を名前で呼ぶようになっていた。もちろん彼女に対する心証が徐々に変化したからだが……一体いつから今の呼び方になっていたか、はっきり思い出せなかった。

 以前旅の途中で立ち寄った村を救うため、雪山に巣食う氷竜と戦ったことがあった。村は雪山のふもとにあり、たびたび飛来する氷竜によって甚大な損害を被っていたのである。

 当初は村を救うべきか放っておいて旅をいそぐべきかをめぐり、メルティアとサリスははげしく意見を衝突させた。しかし紆余曲折ののち、最終的には協力して氷竜を討伐することに成功したのだった。そしてその葛藤と戦いを通じて、彼女の心の一端に触れたという実感が、サリスにはあった。苦戦の末に勝利をおさめた時、ふたりの間には絆に似た何かが、たしかに芽生えていた……呼び方が変わったのは、あの頃だったろうか?

「あの……聖女サマだって、最初は"勇者様"って他人行儀な呼び方だったのがいつの間にか"サリス様"になって、最近は随分あんたになついてるじゃないの。2人きりで仲良さそうに話しこんでるとこ、道中もよく見かけたわよ」

「今後の旅の見通しや"聖剣"のあつかいについて、相談していただけだ。共に魔族と戦う同志として彼女のことは認めているが、それ以上の感情はない」

「ふーん、あくまで言いはるつもりね」

 カーシャは亜麻色の髪をゆっくりとかき上げながら、いたずらっぽい笑みを浮かべだ。

「だったらあんた、一度あたしと寝てくれない?」

「……唐突に何を言い出す」

「だってこの旅をはじめてから、満足に男も見つくろえないじゃない? そろそろ我慢の限界なのよお」

 そう言うとサリスの横に移動してきて、肩にしなだれてみせる。誘惑する仕草は、手慣れたものだった。

 風魔法の使い手として名を馳せているカーシャだが、実はもうひとつ、その多情なことも裏稼業の世界では有名だった。"色欲のカーシャ"の呼称は、"疾風の魔女"とおなじくらい広く知られている。数々の同業の異性と浮名をながしては、すぐに冷めて捨ててしまう。長いまつげに縁どられた二重の眼を細めて彼女が言いよれば、大抵の男は魅せられてしまい、手もなく軍門に降るとのことだった。

 無論、カーシャが一時の火遊びに飽きて手を引く気になった時、男の方でも同じ気持ちとはかぎらない。中にはどうしても彼女への執着を断てない相手と修羅場をむかえたことも何度かあったようだが、荒くれ者の傭兵たちといえども”疾風の魔女”に実力行使でかなう者などいなかった。結局、毎回男の方が涙を呑むことで決着し、カーシャはその後も変わらず奔放なふるまいを続けるのだった……

「あんた経験少なそうだし根暗な性格だけど、この際贅沢は言ってらんないわ。顔はぎりぎり合格点、それに何だかんだで剣が強いのは好みね。いいでしょ、長い付き合いだけど、そろそろあたしを抱いてみない?」

 吐息がかかるほど耳元に顔を近づけ、囁いてくる。カーシャも言ったとおり、サリスはこれまで彼女とそういった関係を結んだことはなかった。共に戦う相棒としては認めていたし、この男にしては随分好意的でさえあったが、異性として意識したことはなかったのである。

「冗談もそれくらいにしておけ、くだらん」

「あら、あたしは本気よ」

「だったらなおさらタチが悪い。いい加減はなれろ」

「女に恥をかかせる気? それともやっぱり、聖女サマに遠慮しているのかしら」

 カーシャはサリスの左腕に自身の両手をかけ、密着してきた。ふくよかな胸の感触が、二の腕に生まれる。

 フェイデアの魔導士は普通、僧侶や司祭などと同じく、極力肌をあらわにしない服装を心がけるものである。足首までかくす色合いの地味な法衣ローブに身を包み、華美な装飾などもせず、清貧を外見で体現するのが魔導を志す者の有り様と言われていた。してみれば、カーシャはその点でも異質な存在だった。

 日常的に着ている革製の衣服は妖艶な肢体の稜線をはっきり浮き立たせ、しかも上半身は肩や胸元を、下半身は膝の半分より下を露出させている。山野を旅する時はその上から防寒用のマントを羽織るが、いったん街中にはいれば堂々とマントをはだけてしまうため、当然挑発的な格好をした魔女は脂ぎった視線を周囲から向けられることになる。その手の商売女だと勘違いした男に声をかけられ、メルティアや"司祭"が渋い顔をしながら相手を追い返す、ということもしばしばだった。
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