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第19章:”悪役令嬢”とか言ってるけど、多分妹も作者もよくわかってない(無知)

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「い゛や゛ああああああああッッッ!!!」

 奥杜おくもりは悲鳴、というか奇声をあげながら両手で頭をかかえ、髪を振り乱した。それにとどまらずにれの樹へと走り寄ると、その太い幹におのれの額を何度も叩きつけはじめた。真昼間の校舎裏に、風紀委員の鮮血が飛散する……大惨事じゃねえか!!

「これは嘘よ、何かの間違いよ! あんなふしだらで恥知らずな魔女が、私の前世のはずがないわ!! 魔族の陰謀よ、きっと何者かが"惑乱"の魔法で私を陥れようとしているのよぉッ!!」

 魔法がかけられたかはともかく、相当錯乱しているのは間違いない。どうやら光琉ひかるに前世での多情ぶりを指摘され、その記憶が沸き水のごとくよみがえってきたようである。そりゃ"堅物風紀委員"として名をはせている現世の奥杜からすれば、あの行状は耐えられんよなあ……

 言うなれば昔の黒歴史を突然思い出し、悶えているようなものか。うん、あれは辛いぞ。

 共感と同情をおぼえつつ、俺は風紀委員の失血死をふせぐべく駆け寄った。うしろから羽交い締めする態勢となって抑えこもうとするも、華奢なはずの身体は一向にその勢いをゆるめてくれない。黒歴史パワーおそるべし。

「落ち着け、奥杜! いくら頭から血を流しても、おのれの過去は洗い流せないっ!!」

「こういう時に無駄にうまいこと言おうとしないでくれる!? 余計イラッとくるし、たいしてうまくもないのよッ!!」

「あ、すんません」

 奥杜の言い分ももっともなので、素直に謝った。作者もよく同じことをやっては場の空気を悪化させているというし、おろかな反面教師を真似ることもあるまい。

「ほうらみなさい、ほうらみなさい!! やっとおのれの本性を思い出したようね、あたしの言ったとおりでしょ!? 聖女はつねにタダシイのよ、ケラケラケラケラ」

 頭上からは、調子づいた自称・聖女が容赦なくあおってきやがる。お前は慈悲の心を前世に置き忘れてきたのか!?

 まったく、どうしてどいつもこいつも、転生前とこうも性格が変わっているのか。その点に関しては、俺も人のことは言えないかもしれんが。

「さあ、わかったらブンザイをわきまえて、もうにいちゃんには近づか……って、きゃっ、ふわあ! バカ、あぶなっ、揺らすな、コラ!」

 奥杜の捨て身のヘッドバッドがさく裂するたびに、楡の樹は全身を盛大に振動させている(どんな威力だ!?)。居丈高に胸を張ろうとした光琉は揺り落とされそうになり、あわてて枝にしがみつきなおし、そのまま動けなくなったのだった。他人の傷口に塩を塗ろうとするからそういう目に合うんだよ。すこしは反省しろ。

 ……まあ、このまま放っておくわけにもいかない。風紀委員の失血死に加え、妹の転落死もふせがねばならないのだから、我ながら難儀なことである。

「はなして天代くん、いっそこのまま死なせて! あの淫婦リリスが存在したという証を、あたしの生命ごと消滅させてやるわ!」

「自爆魔法唱える直前みたいなことを言うな! せっかく転生できたのに、そう死に急ぐことはないだろ?」 

 俺は奥杜を止めようと両腕に力をこめながら、夢中で説得をこころみた。

「大丈夫だよ、前世のカーシャだってそこまでおかしい奴じゃなかったって。サリスも、きらいじゃなかったぜ?」

 深く考えたわけではなくとっさに飛び出した文言だったが、これを聞くと幹にヘッドバットをかます奥杜の勢いが急に弱まった。え、何で?

「……ほんと?」

 横目でこちらをうかがいながら、そう小声でたずねてくる。垣間見えた横顔は額から流れ落ちる血にまみれており、乱れた髪と相まってデスマッチ後のレスラーを彷彿とさせた。

 なぜ突然おとなしくなったのかはいまひとつ不分明だったが、そんなことに構ってはいられなかった。せっかく訪れたチャンスを逃さぬよう、急いで楡の樹から風紀委員を引きはがす。

「ほんとに、サリスはカーシャを……前世の私を、軽蔑してなかった?」

「ああ、ほんとほんと。"相棒"をそんな風に思うはずないだろ?」

 嘘は言っていない、はずである。まだ記憶があやふやだがサリスがカーシャに悪感情を持っていなかったことはたしかだし、素行についてはそもそもそんなことを気にする性分ではなかった。良くも悪くも他人に無関心な男だった、ただひとりを除いて。

 脇の芝生に奥杜をすわらせると、なおも昔のことなんか気にするなよとか、人間は過去のあやまちを乗り越えて成長するものだよとか、忘却する力こそ成功する秘訣だよとか、怪しげな自己啓発本に書いていそうな慰めの言葉をかけ続けた。不人情とそしるなかれ、俺もいっぱいいっぱいだったのである。何せこの後、樹の枝にしがみついた妹を救助する役目も控えているんだからな!

 自己啓発説法が功を奏したわけでもないだろうが奥杜は徐々に落ち着き、自分を取り戻していった。まともに受け答えもできるようになり、もう狂騒の気配は去ったと判断すると、俺は断りを入れて彼女からはなれた。ふたたび楡の真下へ舞いもどる。

 見上げると、我が妹様ははなはだゴキゲンナナメのようだった。

「おーおー、ちやほやされちゃって! "流血は女のさいごのブキ"とは、よく言ったものねえ」

「そんな箴言しんげんはねえよ、捏造ねつぞうすんな」

 聖女の生まれ変わりのくせに、言動がいちいち子悪党くさい。

「アホばかり言っとらんで、そろそろ降りることを真剣に考えろ」

「だから無理なんだって! 動けないんだって!!」

「大して動く必要はない、そこから飛び降りればいい」

「にいちゃんッ……」

 光琉は言葉をつまらせた。

「あたしに飛び降り自殺をしろっての!? 愛人ができたからもうヨウズミだっての!? 邪魔になった恋人を、手を汚さずに始末しようってコンタンなんだね!!」

「おまえの思考回路はどういう構造をしてやがるんだ!!?」

 一体どこで感化されたんだか。これからは妙なドラマを観せすぎないよう、注意せねばいかんなあ。

 俺がひそかに今後の方針を固めている間に、光琉は樹の上でおそるおそる手を動かしてスカートのポケットからハンカチを取り出した。そのまま口元まで持っていくと、ハンカチの生地を噛んでひっぱりはじめる。どうやら悔しさをアピールしているらしい……何十年前の昼ドラ!? そしてわざわざそのためにハンカチを取り出したんかい。変なところで律儀なやつである。

「キィーー、バカにしてぇ!! でもそうはトンヤガオロサナイわよ、こうなったらとことん生き延びて邪魔をしてやるんだから! 今ハヤりのになって、にいちゃんたちの前に立ちはだかってやるわ。2人で簡単にしあわせになれるとは思わないことねッ!!」

 すっかりその気のようだ。どうでもいいが最近流行はやっている悪役令嬢の皆さんは、ハンカチを噛んだりはしないと思うぞ?

「ええい、俺の話を聞け! 飛び降りたら、地面にぶつかる前に俺がお前をキャッチしてやるって言ってるんだよ」

「え」

 途端、光琉の表情が一変した。口が開きっぱなしとなり、罪のないハンカチが責め苦から解放される。

「にいちゃん、それって……あたしをぎゅっと抱きしめてくれるってこと?」

「変な風にとらえるな! まあ、形の上では似たようなことになるg」

 俺がみなまで言う前に、妹はいともあっさりと枝から手を放していた。これまで無理だなんだとわめいていたのは何だったんだ、と思わずにはいられない豹変ぶりである。しかもただ自由落下に身を任せるのみならず、うしろの幹を足で蹴ってこちらに向かってくる。なんでわざわざ加速つけるの!?

 局所的な砲弾と化した光琉が頭から俺の胸に直撃して、今朝の再現のごとく俺の身体はしがみついた光琉襲撃者ごと吹っ飛ばされた。朝と違うのは、後ろに遮蔽物しゃへいぶつがなかった点である。背中から地面に激突し、なおも勢い止まらず盛大に土埃つちぼこりを巻きあげた。

 バトル漫画で捨て身の攻撃を受けた敵役かたきやくの気持ちが、わかった気がする。うしろに"慈愛の女神像"がなくてよかったよ、まったく!
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