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第47章:聖女は微笑みながら、ろくでもない夢を見る(寝言)①

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「あによお、にいひゃん、箸が全然れんぜん進んれないじゃない。あたひのりょーりがえないっへの!?」

 呂律の怪しい口調で絡んでくる、我が妹様。どこからどう見ても、タチの悪い酔っ払いである。

「……なんでアップルジュースしか飲んでないのに酔っ払ってんだよ、お前は」

「酔っへないよっへない。中学生ちゅーがくへーのあたひが酔っぱらっへみなさいよ、この小説ソッコー削除しなひゃなくなるわよ?」

「分かってんなら紛らわしい真似しないでくれる!!?」

 もちろん我が家では、未成年にアルコールを勧めるなどというコンプライアンスに反する真似は断じてしていない。読者の皆様にはどうかご理解いただきたい。

「はっはっは、酔っぱらっても仕方ないかも知れないなあ。だって、光琉ひかるの作った料理はこんなに美味いんだもの」

 妹に甘すぎる父がわけのわからない論理で擁護し、パエリアを口に運ぶ。何でもありか、あんた。

「さっすが、おとーさん! ダレカサンと違って、わかってるー」

 光琉が父の後ろへ駆け寄って肩を揉む真似をしながら、に向かって嫌味ったらしい目線を送ってくる。ウゼえ。あと急に呂律もどりやがったな?

 あのDNA鑑定書を見せつけられた夜以来、父の光琉に対する溺愛ぶりは激しくなったのだった。自分の娘と確信してわだかまりがなくなった、というより、かつて疑ってしまったことへの贖罪しょくざいの意味合いが強いように見えた。

 その愛情の露出がひどくいびつなものに思えて、光琉を猫可愛がりする父を目の当たりにすると未だに抵抗を感じてしまう。俺もかつて罪の意識から光琉を 揶揄やゆする者たちに片っ端から噛みついていったことがあるし、その義務感の残滓ざんしが現在の”兄”としての使命感の一因をなしているという自覚もある。だから父の抱える後ろめたさが、どうしたって見えすいてしまうのだ。これは一種の同族嫌悪、というやつかもしれない。

 父の心底しんていを知ってか知らずか、光琉は無邪気に父に懐いている。ことに今夜は、ビールをコップに注いだり食べ物を小皿に装ったりと、甲斐甲斐しく世話を働いていた。それは前世の記憶を取り戻したことが、多少影響しているかもしれない。

 "光の聖女"メルティアはフェイデア全土からあまねく尊崇を受ける存在だったが、その両親との関係が良好だったとはお世辞にも言えない。幼少期の家庭環境は、不遇かつ不条理なものだったと聞いている。だから体験したことのない家族の温もりというものに、人一倍の憧れを抱いていた……

 父に向ける光琉の満面の笑みを見て、俺は内心のわだかまりを一時押し込めることにした。鏡に映った虚像かも知れないが、それはメルティアが夢にまで見た肉親との団らんだった。硝子ガラスの破片へと砕いてしまう気にはなれなかった。

「でもお父さん、逆に心配だなあ。こんなに可愛い上に料理もできたんじゃ、光琉を嫁に欲しいと言う男はゴマンといるだろうからなあ」

 父の慨嘆に俺は口に含んだにんじんポタージュを吹き出しかけた。いきなり何言い出しやがる、このおっさん。

「ふへへ、ほんとにそーおもう? ありがと、おとーさん」

「……なあ、実際、お前、今はどうなんだ? その……付き合ってる男とか、いないのか?」

「えー、いないいない。まあ、まるっきりがないこともないんだけどねえ」

 チラチラこっちを見るんじゃねえ。

「な、何! そんな奴がいるのか。一体誰だ、どんな男だ!?」

「口うるさくて、素直じゃなくて、頭が固い上にネクラだから友達も少ないんだけど、顔はぎりぎり合格点かなあ。ま、他の女の子は誰も問題にしないだろうし、仕方ないからあたしが相手してあげるってかんじぃ?」

 俺が何も言い返せないのを良いことに、好き勝手ほざきやがるな!

「なんだそりゃ、ロクな男じゃないな。い、嫌だぞ、お父さん、光琉がそんな奴のためにこの家からいなくなるのは!!」

 気の早すぎる杞憂にあたふたとする我が親父どの。どうやらもう相当酔っぱらっているらしい。よく見れば頬に差す朱も相当濃くなっている。

「んー、その点は大丈夫かな。その人と将来イッショになっても、あたしが家を出て行くことはないと思うよ」

「そ、それはそいつがうちに婿養子に入るということか? も、もうそんなところまで話が進んでいるのか!!?」

「んっふっふ、どーかなー」

「それ以上余計なことを口にするんじゃねえ!!」という内心の叫びを口に出すわけにもいかず、俺は光琉お手製パエリアを黙々と口にかき込むしかなかった。うむ、海鮮の風味が程よく口内に広がって美味い。美味いのがこの際は無性に腹立たしい!

 酔っぱらった父は娘の爆弾発言に目を白黒させている。酔っていないはずの妹は顔を上気させ、まだまだシラフとも思えない妄言を止めそうになかった。

 うーむ、このアホ聖女、ほんとに親の前では猫を被る気あるのかなあ。段々不安になってきたぞ……
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