グローリー

城華兄 京矢

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第5話

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  「夢」などではないことは、そばにいたアインリッヒが一番良く知っている。だが、取り繕うザインの言を否定することが出来なかった。
  ザインが正気であることに安心したロン、ロカ、ジーオンは、それぞれに、どことなくしっくりいかない溜息をつきながら、再びザインを残し隣の部屋に行く。部屋には、再度アインリッヒと、ザインだけになる。
  「お前、女だったんだな」
  再びベッドに横たわったザインが、彼女を女性と気づいたのは、ロカが「彼女」と言ったからである。自分自身の感覚だけでは、未だ女と知ることが出来ない。
  「女……か、剣士に男も、女もないと思うが……」
  ザインには、そんな気はなかったが、アインリッヒはかなり突っかかった答えを返す。
  水が、さらさらと流れる音がする。暫くし、水が絞り出される音がした。そうかと思うと、ひんやりとした物が、ザインの額に乗せられる。どうやら濡れタオルらしい。
  ザインはもう一度目を顰める。そしてアインリッヒを確認しようとする。
  「見辛そうだな、だが、極度の貧血と疲労から来る物だろう。安心しろ、明日の朝にでもなれば、視力は回復するはずだ」
  自分の性別を指摘されたときとは違い、非情に落ち着いたトーンで喋るアインリッヒだった。だが、その話し方は、やはりどことなく男喋りである。いや、それを意識して喋っているのだ。そのせいで、口調にきつさが感じられる。
  「んじゃ、のんびり寝る事もないな。準備してサウスヒルを通って、エピオニアに行く」
  ザインはゆっくりと体を起こし、体に巻かれてある包帯を窮屈そうに、パジャマを脱ぐ。引き締まり、なおかつ隆々とした肉体が、さらけ出される。それは包帯の上からでも十分解るほどだ。
  「まて!エピオニアには、あと六日もあれば十分に着く。それまでゆっくり休んでいるが良い」
  無理をしかねないザインを、強引に寝かせつけ、シーツを肩口まで掛けてやる。その瞬間、アインリッヒから、鋼鉄と血のの匂いが漂う。とても女性らしい香りではない。気になるのは血の匂いだ。幸い浅い匂いだ。それほどの殺人経験を感じない。鎧の方は、だいぶ前からのものだと推測できる。
  「ダイジョウブだよ。傷もそれほど痛くない。明日中に視力が回復するなら、今から動いても支障は出ねぇさ」
  アインリッヒの言葉が、妙に大げさに聞こえるザインだった。彼女は、夕べのことで、可成りの責任を感じているらしい。彼女の心配する空気が自分に乗ってくるのがわかる。
  ザインには、アインリッヒがどの様な顔をしているのかは解らない。自分の世話ををしている女性が、小柄で、黄金の髪を靡かせ、凛々しく美しく、輝く青い瞳をしている素晴らしい女性であるなどとは、全く予想していなかった。
  ザインの頭髪は、茶と黒の入り混ざった毛で栗色よりも少し濃い感じがする髪色だ。非情に硬そうなその髪は、ボサボサっとなっていてる。辛うじて寝癖でないのが解る程度の雑なヘアスタイルだ。
  「なぁ、一寸ロンを呼んでくれねぇか」
  と、突然アインリッヒに用事を言いつけるザインだが、どことなく遠慮がちだ。それはただ用事を言いつけるのが、気が引けるというわけでは無さそうだ。一瞬気まずそうな空気が流れたため、ザインは思い出したようにこういうのだった。
  「そうそう、それと、どこかでフライドチキン売ってないかな、骨抜きのやつ……」
  「解った。一階のレストランで聞いてみる」
  「頼られる」という思いが、アインリッヒに了解の返事を押し出させた。ベッドの横の席から、腰を上げ、ザインに背中を向けるのだった。
  「ほかに食べたいものは?」と、アインリッヒは一度振り向き、少しうれしそうに声を弾ませた。
  「何でもいいや。適当に摘めるものを……」
  「解った」
  アインリッヒは、ロンを呼びに行った後、レストランに向かう。暫くすると、ザインの部屋にロンがやってくる。
  「どうした?何か問題か?!」
  ロンは、ザイン自身に何か問題が起こったのではないかと、心配そうな顔をしている。ザインの耳に入った声も、いかにもそれといった感じの不安そうな声だった。自分を心配してくれる人間が、すぐに出来ようとは思ってもいなかった。嬉しい限りだ。だが、ロンを呼んだのは、その逆で、ロンのことが心配で呼んだのだ。
  「まあ、その辺に椅子があったら掛けてくれよ」
  「ああ、で?なんだ」
  本当に兄貴分といった雰囲気で、ザインの悩み事なら何でも聞いてやると言いたげなほどに、大らか且つ剛胆な声である。
  ロンが腰を掛けたのを、大体の雰囲気で掴み取ったザインは、再び口を開いた。
  「ロン。俺は別に怒っちゃいないから。アインリッヒを許してやってくれ、あれは俺の判断でしたことなんだ」
  静かで穏やかではあったが、息が詰まりそうなほどに、真剣に頼むザインがいた。
  「大体は解っている。お前がかわせば、破片が野次馬に当たっていた……。だからこそ、状況を把握せず、躱せる攻撃も、鎧の防御力任せ、受けに走った彼奴が許せん」
  「しかし、飛び散った破片を身体で受けたのは、俺の勝手で、彼奴に当たるのは筋違いだ。それに元はといえば、夜盗が来なければ、何もなかった。許せないのは、法と秩序を混沌に陥れてしまう者。それに、原因がある。違うか?」
  ザインが、手探りでロンの手を掴み、力強く握りしめた。それは自分の様態を知らせると同時に、強く説得する意味も込められていた。
  「……解った。水にながそう。私はもう戦いで、お前のような若者を死ぬのを見たくない。だから無理するな、いいな!」
  もうこれ以上、何を言っても頑なになって引きそうにないザインに対して、そう言い放ち、人差し指を彼にむけ、立ち上がり、忠告を促しながら後ろ向きに部屋と立ち去ろうとする。その時、丁度、部屋に入りかけたアインリッヒと、ぶつかってしまう。だが、あいにく被害はなかった。
  ロンは、そのままアインリッヒを避けるように、部屋を去ろうとする。
  「済まない……」
  そう言ったアインリッヒに、ロンの返答はない。
  扉だけが冷たく閉ざされる。部屋には二人だけが残された。その瞬間、室内に香ばしい香りが充満する。
  「どうやら私は、彼に嫌われてしまったらしい」
  自業自得であるが、寂しそうに微笑むアインリッヒだった。そこには、あの時彼女が故意であるが、所構わず状況を無視したわけではない。と、そんな雰囲気が何となく漂う。それはザインの直感だった。それに、あの時は、異常なまでに殺気立っていた。
  「ザインバーム。申し訳ないが、チキンは骨付きしかなかった。飲み物はオレンジジュースで良いな。それから、スープとパンだ。朝食の基本だからな」
  と、テーブルをベッドの脇に寄せ、食べ物の乗ったトレーをその上に乗せる。より一層良い匂いが彼の鼻をくすぐるが、彼は、はいそうですかと、飛びつける状況ではない。目が霞んで物の正確な位置が把握できないのだ。それでも、腹のすき具合には勝てず、手探りでフォークと、ナイフを探し始めた。
  「アチアチアチ!」
  しかし、指をスープの中に入れてしまい、反射的に指を振り上げ、幾度も手をブンブンと振る。
  「バカ!何をやっている……」
  だが、ザインの目の具合がそれほど悪いと言うことに気がつく。アインリッヒはあまりにも酷すぎる症状に、ザインの着ているパジャマを破る。
  「少しじっとしていろ!!」
  「な!待てよ!やるんなら夜に……」
  「く!くだらないことを言うな!私を女扱いすると揺るさんぞ!」
  揉め合いながらも、アインリッヒはザインの包帯を外し、彼の傷の具合を調べる。確かに傷は完治しているのだが……。
  「スタークルセイド殿!」
  アインリッヒは突然ジーオンを呼ぶ。隣の部屋に筒抜けるほど大きな声だ。そうでなければ、彼には聞こえないのだから。当然だが、ザインの鼓膜が破れそうになる。
  アインリッヒに呼ばれたジーオンが再度、ザインの傷を調べる。
  「誤算だったな。どうやら視神経を麻痺させる毒が、矛先に仕込まれていたらしいな」
  コレは盗賊が良くやる手段だった。傷つけた獲物が、遠くへ逃げ切れないようにし、アジトとを第三者にばれないようにするためだ。
  「ってことは、ジーサンの治療で、十分直るんだろ?」
  ザインは楽観的に質問する。毒を治療するためには、通常で行われる回復魔法以外の魔法が使われることもある。特に強烈な毒気は、回復魔法だけでは、除去しきれないものが多いのである。
  「もちろんじゃ。直に麻雀牌も拝めるぞ」
  ザインが神経毒で死ななかったのは、ジーオンの治療のおかげでもあるのだが、それが幾分か視神経のほうに回ってしまっていたらしい。治療をザインの生命維持に集中させたための取りこぼしでもあった。それだけ、ザインの怪我が酷かったということでもある。
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