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落ちていく道筋4

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「マーガレット」
マーガレットは名を呼ばれ振り返った。声で呼びかけの相手が分かっていたから、表情は意識的に冷ややかなものに変化した。
振り返れば予想した人物、オリヴァー・ヒライヒが立っている。彼はこの国の第1級魔導師だ。
「なにかしら。私は忙しいのだけど」
睨みつけるようにオリヴァーを見やれば、肩を竦められた。

桜にはすでにオリヴァーへの怒りは殆ど無かったが、主人がそうだからと言って、マーガレットの怒りは収まらない。
元来、桜は怒りが持続しない。悲しみもだ。
怒る時は盛大に激怒し、悲しむ時は盛大に嘆く。
けれども十分に叫んだと判断すれば、客観的に冷静に前を向くのだ。絶望しながら何度でも立ち上がるその姿を、マーガレットは尊敬し崇拝していた。

桜が怒らない分、悲しまない分を自分は覚えていると決めていた。
オリヴァーが桜を騙していたことは、未だに怒っているし、彼を信用する気にもなれない。
全身でそれを訴えるように、マーガレットの態度はより冷たくなっていた。

「お前の主人の一大事だ、と言えば大人しく話を聞くか?」
オリヴァーの言葉にマーガレットは反射的に身構えた。
「あの方はどこにいる」
一瞬にしてマーガレットの空気が変わる。マーガレットは王都に帰還してから、エドワードに頼み込んで体を鍛えていた。
いざという時に桜の身代わりになる素早さを身につけるためだ。
加減を知らないエドワードの指導は厳しかったが確実に身になるものだった。

その指導のお陰か、マーガレットは以前よりも纏う空気が苛烈になった。今も主人の名前を出せば、刺し違えても殺してやろうと身構える。
殺気立った元令嬢現侍女に、オリヴァーは両手を上げる。

「今の話じゃない。これからの話になる。マクシミリアン様に関わる話だ」
オリヴァーの言葉にマーガレットは怪訝な顔を浮かべた。
「恐らく、いや、間違いなく。オレリアンからマクシミリアン様に縁談が持ちかけられる」
「なんですって!?」

意味を理解できず、マーガレットは声を上げた。4ヶ月前、マクシミリアンと桜の婚約が発表されたはずだ。
――それを、縁談が持ちかけられる?隣国のオレリアン王国から?
彼らが婚約の情報を知らないはずがない。大国の王子と西大陸を救った聖女の婚約だ。
もしそれが真実なら、気が狂ったとしか思えない。

「その話を詳しく聞かせて」
瞳を爛々と燃やしたマーガレットにオリヴァーが溜息をつく。
「最初から話すつもりだよ。厄介な話だ、場所を変えよう」
踵を返したオリヴァーに詰め寄りたい衝動を抑えて、マーガレットは彼についていった。



――――



オレリアン国王フィリップは、狡猾で慎重で抜け目がなく、且つ地位に見合った力と欲を持つ男だ。
レアンドラからグレイヒが責められていた時も、グレイヒと同盟を結んでいるにも関わらず、魔物討伐による兵の不足を理由に薄眼を開けてグレイヒを観察していた。

境界線の綻びが強まった当時、フィリップ王にとってグレイヒ王国は取るに足らない滅びの地だと認識していた。
レアンドラが侵略し国を奪い、魔物と共にレアンドラ国民共々滅びることを望んでいた。

しかし、単なる伝説だと思っていた聖女の登場に、フィリップ王は少なからず焦った。
聖女が現れただけで、僅か3年であれだけ荒れ果てた国を再生させれば脅威を抱く。
その上で、第1王子マクシミリアンと聖女の婚約が発表された。

たかが3年でこの回復ぶりである。むしろ、綻びが生じる前以上にグレイヒ王国は栄え始めていた。
同盟を無視した振る舞いをグレイヒは忘れはしないだろう。そこにこれ以上力をつけられれば厄介な事になる。

そこでフィリップ王は一計を案じた。マクシミリアン王子にオレリアンの第一王女マリアとの縁談を持ちかけられるのだ。
最初は国交回復のための使者としてマリアを派遣し、婚約者として勧める。

同盟国としての役割を果たさなかったとはいえ、オレリアンは経済的にも潤沢な強国だ。
身分から言えば、マリアを妻に迎えるには、つり合う身分を用意しなければならない。それは側室ではなく、王妃の位だ。
断る、という選択肢も難しいだろう。聖女との婚約が発表されたとはいえ、同盟国で強国であるオレリアンからの縁談を簡単に断る事は出来ない。
国同士のバランスとは、そういうものだ。

グレイヒ王国では聖女は神だ。国民の誰もが聖女を讃え、王妃になる事を望むだろう。
だが民意と政治は同一ではない。

民意か、政治か。
この二択を迫られて、少なくともグレイヒ王国は揺れる事になるだろう。

そうしてフィリップは臣下に命じて娘を自身の元へと呼びつけた。



――――



「つまり、グレイヒがこれ以上力をつけないために、オレリアンから縁談が持ちかけられる、と」
「ああ」
「その情報の確証は」
「1週間後、国交回復の使者としてマリア王女がやってくる。できればマクシミリアン様に案内をお願いしたいと。彼女の滞在は半年間だ。これで何も無いわけがない」
オリヴァーも不快なのか、表情は硬い。マーガレットもその情報に唇を噛んだ。

貧乏貴族では、国家間の内情など詳しくは分からない。だがこれが非常に難しい問題だというのは理解できた。
「自分達もサクラ様の力に助けられたというのに…」
他国はまだ大丈夫だと危機感を持たないが、グレイヒが潰れればグランディア全土が魔物と瘴気に包まれたはずだ。
恩を仇で返すとは、こういう事を言うのだろう。

「大抵の人間は利己的にできているからな。危険が去れば痛みを忘れて平気で愚行を繰り返す」
吐き捨てるようなオリヴァーの物言いに、マーガレットは目を見張る。オリヴァーはそんなマーガレットに苦笑した。
「正直、あんたが俺を許さないのが助かるんだ。サクラ様は俺にももう普通に接してくれる。だが俺がした事は許される事じゃない。だけど笑顔で話しかけられれば忘れそうになる。あんたが怒るたびに、俺は自分の罪を思い出せるんだ」

今までにない自重を込めた呟きに戸惑って、マーガレットは目線わ逸らす。
「……なぜ、この話を私にしてくれたのですか?」
「この話はどう転ぶか俺には予想がつかない。政治は専門外だからな。だけどもしマクシミリアン様がマリア王女を王妃にすれば、サクラ様はまた傷つく事になる。支えられるのはあんたしかいないだろう」

王子の側近として活躍しているオリヴァーの振る舞いは貴族らしく無い。しがない辺境伯の子息である彼は殆ど平民に混じって生活していた。
今はそのずば抜けた魔力で王子の側近として活躍しているが、感覚の近さとしては、貧乏貴族だったマーガレットに似ているのだろう。

彼もまた、怒りを抱いているのだろう。
冷たい態度をとってはいるがマーガレットも知っていた。
目の前の青年が、好きで桜を騙していたわけではないのだと。
王妃教育中に桜は言っていた。罪だと知りながら罪を犯してしまう覚悟をしなければいけないと。
そして、自分にそれでも一緒にいてくれるだろうかと。

かつて自分を裏切って傷つけた人間と同じように誰かを傷つけるのは、どれだけ苦しいだろう。
しかし彼女に忠誠を誓ったマーガレットに迷いはない。その時点で、自分とオリヴァーが変わりない事をマーガレットは自覚していた。

「教えてくれて、ありがとうございます」
まさかマーガレットの口から感謝の言葉が出るとは思わず、オリヴァーはポカンと口をあけた。
「ただ、私の口からはサクラ様には言えません。必ず殿下から言わせてください」

マクシミリアンがどう考えているのか分からない今、本人以外からの言葉はいたずらに桜を混乱させてしまう。
それでも主人に言えない凶報を胸にしまう事を考えて、マーガレットは砂を噛んだような気持ちがした。

オリヴァーにも意図は伝わったのだろう。真剣な色を浮かべて頷いた。
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