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2章 山間の村・アトル

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「おー、見えた見えた」

 イヴァンと別れてほどなく、教えられた方向へと歩くとすぐに森の出口に辿り着き、そしてその少し先に村を認めてフラッドは安堵の声を洩らす。
しばらく前は最悪の野宿さえも覚悟していたのもあり、落ち着ける場所にありつけたのは本当に幸いなことであった。

「まだ日が落ちるまでは少しありそうだな」

 薄暗い森をしばらくさ迷っていたのもあり、外の明るさがいつも以上に眩しさを感じさせた。太陽はだいぶ降り始めたとは言え、夕暮れまではまだまだの頃合いである。
 森を抜けた余韻にしばし浸ったのに、フラッドは深呼吸を一つして踏み出した。目指していた村に向かって。

「……ん、誰かいるな。見張り、か?」

 村に近付いて気付く。外敵を阻む為の物であろう、村を囲うように立てられた柵と、内外の往き来の為に開かれた柵の切れ間に佇む人の姿が目に入った。
 恐らく本来は仕事に使っているのであろう小振りな斧を手に持ち、周囲を警戒する様子から考えて番兵のようなものと見てとれる。山を背にして豊かな自然に囲まれた村にしては、妙な物々しさを漂わせる光景だった。

「そこのお前、止まれ!」

 村に近付いたフラッドに気付き、番兵の男性が制止のを声を張り上げた。警戒心を露にした険しい表情で、手にした斧を胸の前で構える。

「怪しい者じゃない。山の向こうへ行こうとしてるだけだ」

 言葉に従い足を止めてから声を返すフラッド。元々この村へ来るのも目的ではあったが、いきなりそれを話せば余計に面倒な事になりそうだった為、そこは伏せて答える。
 荷物を足元に置き、両手を自由にして怪しくないことを示すフラッドを、番兵はジロジロと見定めるように眺めてきた。その視線が止まったのは、肩口から見える長剣の柄の辺りでのこと。

「……後ろに背負ってるのはなんだ?」
「旅の剣士といったところなんでね。こいつはオレの相棒だ」
「周りに仲間がいる気配はないか……賊ではないようだな」
「勘弁してくれよ。森で遭難しかけて、ようやく人のいる所に辿り着けたってのに」

 フラッドのした説明にも、番兵の男は警戒の色を崩さずに探りを入れてくる。一難去ってまた一難、そんな言葉を脳裏に浮かべながらフラッドは苦笑した。

「なぜ森から現れた? 山越えをするのなら街道を使えばいいだろうに」
「それ聞かれるの二度目だな。……おっと、そうだ!」
「どうした?」

 つい数刻前に交わしたのと同じやり取りの最中、その時に言われた事をフラッドは思い出す。そんな様子に怪訝な顔をする番兵。

「イヴァンってこの村の人間なんだよな?」
「そうだが、なぜイヴァンの事を……まさか!?」
「待て待て、勘違いするな。偶然、森の中でコボルトに襲われるイヴァンを助けたんだよ」

 『自分の名前を出せば良くしてもらえる』との言葉に甘えて話を切り出すも、危うく妙な勘違いをされそうになって慌てて説明を加える。それでもやはり、番兵の顔に浮かぶ不審の色は濃いままで。

「参ったな。言葉だけで信用しろってのが無理なのはわからないでもないが……うーん」
「……いや、もういい。信用しよう」
「本当か?」
「あぁ。俺の見たところ、確かに旅の剣士と言った感じだし、それにイヴァンの名を知ってるのなら助けたのも本当だろう」

 まだまだ揉めるかと思った矢先、警戒の色を解いて番兵が言った。その辺りはやはり山間と言う辺鄙な場所に住む故なのかと少し心配な気持ちになりながらも、丸く収まりそうな事にホッと胸を撫で下ろす。

「イヴァンには急な使いを任せているからな。本当ならあんたに礼をする為に、自分で案内したかったろう。あいつはそういう男だからな」
「ずいぶんとイヴァンを信頼してるんだな」
「当たり前だ、俺とあいつは幼い頃からこの村で過ごしてきた仲間なんだ」

 さっきまでの警戒心はどこへやら。態度を軟化させた番兵は、気さくな感じでフラッドと言葉を交わした。それは恐らく、イヴァンの人柄による安心感もあるのだろう。

「とにかくすまなかったな。ちょっとここ最近は気の抜けない事が起きていたもので、いつもと違うものに対してはどうしても慎重にならざるを得なくてな」
「みたいだな。イヴァンもそんな話をしていたよ、『長居はしない方がいい』って忠告も一緒に」
「そうか……イヴァンがそんな事を。ともあれ、もうすぐ日も暮れる。今夜は村で休んでいってくれ」

 若干、表情を曇らせながらそう言って、番兵は村の中へとフラッドを手で促してくる。フラッドもそれに頷きを返してから、村に向かって歩き出した。

「助かる。手持ちも心許なくなっていたからな」
「なーに、仲間を助けてくれた恩人だ。大したことは出来ないが、食事と一晩の寝床ぐらいは世話をさせてもらうよ」

 フラッドの横に並んで歩きながら、番兵は本当に感謝している様子でそう言った。

* * * * *

「俺はセグド。今は村の入口の見張り役をしてるが、普段は木こりをやっている」
「それで持ってるのが斧なのか」
「あぁ。長年の相棒だな、こいつは」
「オレはフラッド、さっきも言ったが旅の剣士ってところだ」

 歩きながら互いに自己紹介をする二人。村の中を眺めれば、農作業に勤しむ者や家畜の世話に忙しない者といった村人の姿が目に入る。ただ、村全体にどこかピリピリとした穏やかならぬ空気が漂っているのを、フラッドは感じ取っていた。

「ところで村に何かあったのか? 何となくただならぬ空気に思えるが……」
「あぁ、ちょっとな……村長!」

 イヴァンと同じく、訊ねるフラッドに言葉を濁すセグド。歩く先に見えた人影に向かって声を張り上げる。
セグドの声に振り返ったのは老齢の、しかし風格を漂わせる男性だった。フラッドの姿を目にして、微かに眉を動かすがそれだけで平静のままで。

「セグド、様子はどうかね?」
「今のところは特に変わりなく」
「ふむ。それならば何よりだが……そちらの方は?」

 村長と呼ばれた老人の近くまで来て足を止めると、外の様子を確かめてからフラッドについてセグドに尋ねる。いきなり本題に入らない辺り、村の長者らしい気遣いと慎重さを持ち合わせているとフラッドは感じた。

「こちらは旅の剣士でフラッドさんです。山向こうへ行く道中、村を見つけ立ち寄ったとの話で」
「うむ、旅のお方か。こんな時期に珍しいな、何か事情でもおありかな?」
「あー、ちょっと探し人があるもんでね。申し訳ないが、今夜は宿の世話をお願いしたい」

 穏やかな表情ながら、会話の間にフラッドを見るその目には鋭さを感じさせる。村の長としての責任感がそうさせているのか、フラッドはそんな事を思った。

「森の中で魔物に襲われたイヴァンを助けてくれたそうです。もうじき日も落ちますし、今夜は村で休んでもらいましょう村長」
「ほう、イヴァンを……それは感謝せねばなりませんな。無論、そういうことであれば今夜はゆっくりしていってくだされ」
「ありがたい。お言葉に甘えて、一晩ゆっくりさせてもらうよ」

 セグドの説明に顔色を明るくして村長が言った。「小さな宿ですが」と前置きして、建物の一つを手で示してくる。村長の言う通り確かにそれほど大きくはないが、外観も小綺麗な印象の宿だった。

「じゃあ、俺はまた入口に戻ります。フラッドさん、ゆっくり休んでいってくれよ」
「セグド、すまないがよろしく頼むよ。フラッドさん、改めてアトル村へようこそ。小さな村ですので大したもてなしも出来ませんが」
「いや、まともな食事と落ち着いて身体を休める寝床だけでも相当ありがたい」
「そう言ってもらえると気が楽になりますな。もし何かあれば私の家はあそこですので、遠慮なく訪ねてくだされ」

 言って村長が身体ごと向けた先には、年季の入った大きな家が目に入った。微かな懐かしさと、そして迷いがフラッドの胸でわだかまる。

「では私はこれで」
「あぁ、ありがとう」

 結局そのままそれで村長とはそこで別れ、フラッドは宿へ向かって再び歩き出した。村には辿り着いたのだから、今は焦る必要もないと自分に言い聞かせながら。

* * * * *

「いらっしゃい!」

 宿に入ると出迎えたのは、いかにも快活な女性の声だった。まず目に入ったのはテーブルと椅子が並んだ開けた空間、客や村の者が食事をする為の食堂のようだ。
女性──この宿の女将だろう──は食堂の真ん中のテーブルを拭きながら、フラッドに満面の笑みを向けていた。

「セグドから話は聞いてるよ。大したもてなしは出来ないけど、今夜はゆっくりしていってちょうだい」
「あぁ、世話にならせてもらうよ」
「堅苦しいのはいらないよ! なんたってウチの旦那の恩人なんだからね、あんたは!」

 健康的な雰囲気ながら線の細い見た目とは裏腹に、宿の女将が放った豪快な口調の言葉にフラッドは目を丸くする。

「じゃあ、ここはイヴァンの」
「そ。いつもはグータラしてる、どうしようもない旦那だけどね。それでもやっぱり大事な人だからさ」
「そうか。じゃあ遠慮なく、くつろがせてもらうよ」
「あいよ! あぁ、部屋はそっちの通路に入ってすぐの左側だから」

 教えられた通りに食堂の奥から続く通路に行くと、さほど長くはない廊下の左右に扉が二つずつ見えた。言われた一番手前の扉を開いて中を覗けば、簡素な作りながらさっぱりと整えられた室内だった。

「しばらくゆっくりしてて! すぐに食事を用意するから、出来たら呼ぶよ!」
「あぁ、了解した」

 パタパタと食堂の奥へと向かう足音を聞きながら、フラッドは部屋に入り荷物を置いた。窓側に備えられたベッドに腰を下ろす。

「ふー、久々の感触だな」

 素朴だがしっかりとした木製のベッド。ふかふかで下ろした腰が沈み込む感覚が、疲れた身体には心地よかった。足元に綺麗に畳まれた毛布からは、陽の光が染み込んだ匂いが漂っている。

「……変わらないな、あの頃と」

 うっかり身体をベッドに倒れ込ませてしまいそうになるのを堪え、前傾姿勢になりながらフラッドは呟きを漏らした。
 国境の険しい山脈の麓にあるアトル村は、街道に程近いのもあって通行の要衝としての役割が強い。それ故、訪れる旅人によるトラブルなども度々あった。
そういう環境だから、外からの来訪者への警戒はそれなりにあるが、それでも根底にはしっかりと心遣いが強い。
 それは厳しい旅の道中、少しでも心と身体を休められるようにとの思いから来るものである。自然と共に生きるからこそ生まれた、この村ならではの思い遣りの精神だった。

「しかし、森の中で聴いたあの音は……」

 コボルトたちとの戦いの中、遥か遠くから響いた音を思い返し嫌な予感が微かに芽生える。昔、一度ここへ来た時にもあれと似た音を……咆哮をフラッドは耳にしていた。

「単なる杞憂で終わればいいんだが……まさかあの人を訪ねて来て、こんな嫌な感じに出迎えられるとはな。とにかく、明日だ」

 もしもかつての災いの再現だとしたら。予定とは違うが、見過ごす訳にもいかない。そんな事を考えていると、食堂から女将の呼ぶ声がほのかないい匂いと共に飛んできた。

「フラッドさん、食事が出来たからこっちにどうぞー!」
「あぁ、いま向かう──」

 心地よさから離れる事への名残惜しさにゆっくりと腰を浮かせながらの返事も終わらぬ内に、フラッドは全身で空気の変化を察知する。すばやく立ち上がると、壁に立て掛けていた長剣を手にして部屋を飛び出す。

「ど、どうしたんだい、そんな怖い顔──」
「うわあああっ!!」

 早足で現れたフラッドを見て、狼狽した声を女将が上げかけた時だった。宿の外から誰かの叫び声が響いて来たのは。

「女将は宿から出ないように! いいな!」
「ちょっとあんた──」

 事態が飲み込めず呼び止める女将の声を無視し、フラッドは叫び声の響いてきた方向に飛び出して行った。
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