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4章 少女の願い
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「ってことは、やっぱりあの音は『魔龍』の……」
「ふむ、フラッド殿も聴かれましたか。あの音……というよりは咆哮、と呼ぶべきでしょうか。今はまだ断言は出来ませぬが、あの時と似ているのは間違いありませんな」
顔を曇らせ頷く村長に、フラッドは軽く息を吐き出して。しかしすぐに首を横に振った。寄せられた期待に応えられないことへの申し訳なさを感じながら。
「しかし、オレがこの村を訪れたのは、それとは別の用事だよ。残念ながら」
「別の用事……ですかな。と申されますといったい?」
「人探しってのは本当でね。その手掛かりを求めて、ヤッシュさんを訪ねようと思ってたんだが……」
そこで言葉を切るフラッドと、フラッドの言葉に沈んだ表情になる村長。昨夜のコボルトの襲撃の最中、求める相手の姿を認められなかった時点で何となく予感はあった。
その予感が村長の見せた反応で、フラッドは確信に変わるのを痛感する。
「一年ほど前になりますかな。さしものヤッシュ殿も、病には勝てませんでの」
「そうか、病……」
「そうなるとフラッド殿は、もうこの村での目的は無くなってしまわれましたかな」
村長の言葉には、言外に救いを求める響きが伝わってくる。それに応えたい気持ちはフラッドにもあったが、先を急ぐ旅でもある。すぐには答える事は出来なかった。
「いや、せっかくだから御子息……ティートだったか。彼からヤッシュさんの話でも聞いてみようかな。昨日の傷の具合も気になるしな」
「そうですか。しかし話はすぐには難しいかもしれませんな……」
「重いのか?」
昨夜は混乱のただ中にあったせいで、ティートの姿を見ることは無かった。そのせいでどの程度の傷なのかまで、フラッドは知らなかった。
「いえ、命には別状はないのですが。ただ少々、傷が深いのかまだ目を覚ましておりませんでな」
「そうか。とりあえず見舞いがてら様子を見に行かせてもらうか」
「では儂も同行しましょう。マチーナもその方が安心するでしょうし」
マチーナと聞いて少し考え、かつての事件の時の女の子であることに思い当たる。同時にヤッシュらしいな、そんな言葉が浮かんできて口許が緩んだ。
「ささ、話し込んでしまいましたな。朝食を再開しましょう」
「あぁ、遠慮なくいただくよ」
その後、他愛もない会話を挟みながらフラッドは朝食をゆっくり楽しんだ。
* * * * *
「無茶はよせ、マチーナ!」
「離してセグドさん! アタシが行かないとティートが……っ」
朝食を済ませ、村長と連れ立ってフラッドがティートの家に近付くと、言い争うような声が聞こえてきた。見ればセグドに腕を捕まれた少女──マチーナが振り払おうともがきながら、声を荒げている場面にかち合う。
「何事じゃ、セグド。それにマチーナも落ち着きなさい」
「あ、村長」
「もうっ」
声を掛けた村長にセグドが気を取られた隙をついて、マチーナが捕まれた腕を振り払い自由になる。そのまま駆け出そうとして、村長の制止の声に足を止めた。
「いったいどうしたんじゃ、こんな朝から?」
「いえ、それがマチーナが山に薬草を取りに行くと言って、聞かないもので……」
「だってこのままじゃティートがっ!」
事情を説明するセグドを遮り、大きな声でマチーナが言う。フラッドの方を少し警戒するように横目で見ながら、しかし彼女にとって大事なのは今やろうとしている事の方らしかった。
「落ち着くんじゃ。ティートの状態は悪いのか?」
「思いの外、傷の具合が思わしくなくて……まだ目を覚ましてないんですよ」
「ふむ……どうしたものか」
「あぁ、いや。クタードさんの見立では悪い気に充てられただけだろうから、しばらく安静にすれば大丈夫だろうって話なんで」
考え込む村長に、慌ててセグドがそう補足を加えた説明を続ける。一般に獣の爪や牙で負った傷には、何かしらの悪い物が付随するもの。ティートの症状も恐らくそれによるものだろう。
「でもわからないじゃない! ヤッシュさんだって……っ」
だがそれで納得できないマチーナは、そこで済ませようとする年長者たちに食って掛かる。その言葉に含まれた名前が、少女の抱く不安を物語っていた。
「だからヤッシュさんのは病気で、ティートのはよくある怪我だって何回も言ってるだろう?」
「そうやって楽観的にしてて、もし何かあったらどうするんですか!?」
「……で、お嬢ちゃんはどうしようとしてたんだ?」
「えっ」
やれやれと言った様子で、恐らくはフラッドたちが来るまでにも繰り返したであろう説明をするセグドに、マチーナは納得することなく言い返した。それまで近くで何も言わずにいたフラッドが、唐突にマチーナへと問いかけると戸惑いの声が返ってくる。
「昨日、村を救ってくれた旅の方だ」
「フラッドだ、よろしく」
「……マチーナです。昨晩はその……どうも、ありがとうございました」
突然の闖入者に戸惑い、不審の色を向けていたマチーナだったが、セグドのした説明に一転表情を軽くすると伏し目がちに礼を口にした。地面に落ちた視線の動きから察するに、気恥ずかしさが多分にあるようにフラッドには思えていた。
「どういたしまして。それで、ティートの具合が良くないのに対してお嬢ちゃんは、どうしようとしてるんだ?」
「えっと、それは……」
フラッドに対してと言うよりは、村長がいるせいだろう。いかにも言いにくそうな様子でマチーナは言葉を濁す。代わりにといった様子で、ため息を一つ吐き出してからセグドが口を開く。
「さっきも言いましたが、山に這えている薬草を採りに行くと言って聞かないんですよ」
「なるほどね」
「昨夜の事もある。気持ちはわからんでもないが、今は山へ行くのは危険じゃ。それぐらいはマチーナ、お主にもわかっておるじゃろう?」
「それは……っ」
村長の諌めにも反論しようとするが、村の長たる彼の言葉の重みを理解してなのかマチーナはそこで口をつぐんでしまった。
「それにティートのそばに居てやれるのは、お主だけではあるまいか」
「それは誰かが……」
「きつい事は言いたくないが、村の者は誰もがそれぞれの日々の営みがある。特にもうすぐ寒期を迎えようという時期、それに向けて備えなければならんのはお主もわかっておるはずだが」
「…………」
尚も食い下がろうとする彼女に、村長はまとめ役としての厳しく重い言葉で諭していく。山あいの冬は過酷である。そこに存在する集落の生活もやはり厳しいもの、それがわかるからマチーナはそれ以上は何も言えなくなった。
だが、俯いた顔に浮かんでいる覚悟は揺らいだようには見えない。
「とりあえずティートの様子を見させてもらってもいいか?」
「あ、はい。家の中へどうぞ」
「マチーナ、お主はもうしばらくここにいなさい。セグド、怪我をしているところ悪いがまた番を頼むぞ」
「はい、村長。いいかマチーナ、早まった真似はするんじゃないぞ?」
沈黙したマチーナにフラッドが訊ねると、彼女は頷いて家の入口に手を差し出し促す。まだ諦めてはいないと見た村長はマチーナを呼び止め、セグドへは村の入口へ戻るように言った。
「じゃあ、失礼するよ」
「……えっ」
家の中に入りながら肩越しに振り向き飛ばしたウィンクに、マチーナは呆けた声を漏らす。そのままフラッドは室内へと入っていった。
* * * * *
「お邪魔させてもらうよ……っと」
「ん、どちら様ですかな?」
ティートの家に入るとリビングに居た男性がフラッドの方に顔を向け、誰何の声を放って来る。が、すぐに思い当たったのか、「あぁ」と呟いて振り返った。
「村を救ってくれた旅の方ですね。昨晩はありがとうございました」
「会う人会う、毎回お礼を言われるのは少しくすぐったいな」
「ははは、そうでしょうね。遅れました、自分はクタード。この村の医者……みたいなものです」
「フラッドだ。こんな村で医者なんて珍しいな」
城下町や宿場町、港町などでは医者と呼ばれる怪我や病気の治療に従事する者がいるのは普通ではあるが、こういった小さな村なんかにいるのはフラッドの知る限りなかった。
理由は単純、不便だからである。治療の為に必要な道具の調達に苦労するのもあるし、やってくる病人や怪我人の絶対数の差も大きい。
「そうですね。元はトスィー王国で医学を勉強して、そこで営んでいたんですが。自分はこの村の生まれでして」
「なるほどな。故郷の助けになりたかった訳か」
「えぇ。ですが認められるようになったのは最近のことですよ」
言って苦笑するクタード。こういった村では怪我や病魔に対しては、独特の風習や価値観に基づいた対処をするのが普通である。
クタードのように学問として理屈や仕組みを理解しての治療をする者を、すぐには受け入れられなかったのも不思議な話ではない。
この村の生まれと言う要素を持ってしても、医者というものが容認されるのは容易ではなかったことがその態度から窺えた。
「そんな苦労をしても、生まれ故郷の為になにかをしたい。素直に凄いと思うよ、オレは」
「いえいえ、恐縮です。ところで用件は……?」
「あぁ、ティートの見舞いと様子を見たいと思ってね」
挨拶がてらの話のあと尋ねられて本題を切り出すと、何やらクタードは渋い顔で考え込むような反応を見せた。そんなに傷の具合が良くないのか? 最初はそう思ったフラッドだが、何となくそうではない雰囲気に首を傾げる。
「……あぁ、まだそういうのが好ましくないならやめておくよ。見舞いを無理強いしても仕方ないしな」
「そうですね……今日のところは」
「先生、構いませんよ……フラッドさん、どうぞこちらの部屋へ」
事情があるのだろうと引き下がろうとするフラッドに、申し訳なさそうに答えるクタードの言葉を遮り、奥からか細い声が聞こえて来た。
「……との事なので、行きましょうか」
「いいのか?」
「えぇ。ただ、少し声は抑え気味でお願いします」
そう言い奥へと案内するクタードを追い、ティートの部屋に辿り着いた。扉に手をかけ、フラッドに中へ入るように促してくる。クタード自身は部屋の前で待つつもりらしかった。
「あまり無理はしないでくださいよ、ティート君」
「わかってますよ……どうぞ、中へ」
「じゃあ、失礼させてもらうぜ」
一言断って、開いた扉の中へと入るフラッド。それほど広くはない部屋の端に備えられたベッドに、ティートは上体を起こして出迎えた。
「目は覚ましたみたいだな」
「あぁ、その事についてはちょっとありまして」
「……?」
背後で扉が静かに閉じられる。クタードの様子と、ティートの声をひそめる感じから、マチーナに聞こえないようにしたいことをフラッドは察した。
「マチーナ、まだ山へ行くのを諦めてないでしょう?」
「あぁ。行かせない為の一芝居、ってところか」
「まぁ、そうですね」
あっさりと見抜かれたことに少し驚いたのか、一瞬目を丸くするティート。だがすぐにその表情は穏やかな物へと変わる。
「じゃあ怪我の具合も?」
「いえ、そっちはセグドが説明した通りです。コボルトの爪から毒が回ったのか、若干の熱もあり起き上がるのは辛い状態です」
その言葉通り、ティートの顔色は少し赤らんだような風になっており、寒さが強まり始めた時期のわりに汗をかいているのが見てとれる。
「幸い命に別状はないんですが、この分だとしばらく回復には時間も掛かりそうで……」
呼吸が苦しいのか、時折軽く咳き込みながら話すティート。外に聞こえないように気を遣ってか、なるべく抑えながらの咳きではあったが。
「で、マチーナの護衛を頼みたいんだな?」
「さすがですね、そこまで察しているなんて。父から聞いていた以上に聡明なようだ」
「なんだ、オレのこと判ってたのか?」
ティートの言葉に今度はフラッドの方が目を丸くした。かつてこの村を訪れた時、ティートはまだ幼かった。当然、自分のことなど覚えてはいないと思っていたからだ。
だが父であるヤッシュから自分のことを聞かされ、そしてそこから思い至る辺りはやはり親子なのだと、フラッドは感心する。
「マチーナも自分で薬草を採る事に固執していますからね。彼女は一度言い出したら、どんなに説得しても無駄だって理解してます」
「なるほどな。まぁ、オレもそのつもりでいたし、構わないよ」
「ありがとうございます。ただ、くれぐれも気を付けてください。今の山は何があるか、わかりませんからね……」
フラッドの言葉にティートが深々と頭を下げ、そう口にした。今の状況が普段とは違うことを、彼も何となく感じ取っているのだろう。
頷きティートの部屋を出たフラッドは、クタードに彼を頼むと言うと家の外へと足早に向かった。
相変わらず家の前では、マチーナと村長の問答が続いてるようだった。
「ふむ、フラッド殿も聴かれましたか。あの音……というよりは咆哮、と呼ぶべきでしょうか。今はまだ断言は出来ませぬが、あの時と似ているのは間違いありませんな」
顔を曇らせ頷く村長に、フラッドは軽く息を吐き出して。しかしすぐに首を横に振った。寄せられた期待に応えられないことへの申し訳なさを感じながら。
「しかし、オレがこの村を訪れたのは、それとは別の用事だよ。残念ながら」
「別の用事……ですかな。と申されますといったい?」
「人探しってのは本当でね。その手掛かりを求めて、ヤッシュさんを訪ねようと思ってたんだが……」
そこで言葉を切るフラッドと、フラッドの言葉に沈んだ表情になる村長。昨夜のコボルトの襲撃の最中、求める相手の姿を認められなかった時点で何となく予感はあった。
その予感が村長の見せた反応で、フラッドは確信に変わるのを痛感する。
「一年ほど前になりますかな。さしものヤッシュ殿も、病には勝てませんでの」
「そうか、病……」
「そうなるとフラッド殿は、もうこの村での目的は無くなってしまわれましたかな」
村長の言葉には、言外に救いを求める響きが伝わってくる。それに応えたい気持ちはフラッドにもあったが、先を急ぐ旅でもある。すぐには答える事は出来なかった。
「いや、せっかくだから御子息……ティートだったか。彼からヤッシュさんの話でも聞いてみようかな。昨日の傷の具合も気になるしな」
「そうですか。しかし話はすぐには難しいかもしれませんな……」
「重いのか?」
昨夜は混乱のただ中にあったせいで、ティートの姿を見ることは無かった。そのせいでどの程度の傷なのかまで、フラッドは知らなかった。
「いえ、命には別状はないのですが。ただ少々、傷が深いのかまだ目を覚ましておりませんでな」
「そうか。とりあえず見舞いがてら様子を見に行かせてもらうか」
「では儂も同行しましょう。マチーナもその方が安心するでしょうし」
マチーナと聞いて少し考え、かつての事件の時の女の子であることに思い当たる。同時にヤッシュらしいな、そんな言葉が浮かんできて口許が緩んだ。
「ささ、話し込んでしまいましたな。朝食を再開しましょう」
「あぁ、遠慮なくいただくよ」
その後、他愛もない会話を挟みながらフラッドは朝食をゆっくり楽しんだ。
* * * * *
「無茶はよせ、マチーナ!」
「離してセグドさん! アタシが行かないとティートが……っ」
朝食を済ませ、村長と連れ立ってフラッドがティートの家に近付くと、言い争うような声が聞こえてきた。見ればセグドに腕を捕まれた少女──マチーナが振り払おうともがきながら、声を荒げている場面にかち合う。
「何事じゃ、セグド。それにマチーナも落ち着きなさい」
「あ、村長」
「もうっ」
声を掛けた村長にセグドが気を取られた隙をついて、マチーナが捕まれた腕を振り払い自由になる。そのまま駆け出そうとして、村長の制止の声に足を止めた。
「いったいどうしたんじゃ、こんな朝から?」
「いえ、それがマチーナが山に薬草を取りに行くと言って、聞かないもので……」
「だってこのままじゃティートがっ!」
事情を説明するセグドを遮り、大きな声でマチーナが言う。フラッドの方を少し警戒するように横目で見ながら、しかし彼女にとって大事なのは今やろうとしている事の方らしかった。
「落ち着くんじゃ。ティートの状態は悪いのか?」
「思いの外、傷の具合が思わしくなくて……まだ目を覚ましてないんですよ」
「ふむ……どうしたものか」
「あぁ、いや。クタードさんの見立では悪い気に充てられただけだろうから、しばらく安静にすれば大丈夫だろうって話なんで」
考え込む村長に、慌ててセグドがそう補足を加えた説明を続ける。一般に獣の爪や牙で負った傷には、何かしらの悪い物が付随するもの。ティートの症状も恐らくそれによるものだろう。
「でもわからないじゃない! ヤッシュさんだって……っ」
だがそれで納得できないマチーナは、そこで済ませようとする年長者たちに食って掛かる。その言葉に含まれた名前が、少女の抱く不安を物語っていた。
「だからヤッシュさんのは病気で、ティートのはよくある怪我だって何回も言ってるだろう?」
「そうやって楽観的にしてて、もし何かあったらどうするんですか!?」
「……で、お嬢ちゃんはどうしようとしてたんだ?」
「えっ」
やれやれと言った様子で、恐らくはフラッドたちが来るまでにも繰り返したであろう説明をするセグドに、マチーナは納得することなく言い返した。それまで近くで何も言わずにいたフラッドが、唐突にマチーナへと問いかけると戸惑いの声が返ってくる。
「昨日、村を救ってくれた旅の方だ」
「フラッドだ、よろしく」
「……マチーナです。昨晩はその……どうも、ありがとうございました」
突然の闖入者に戸惑い、不審の色を向けていたマチーナだったが、セグドのした説明に一転表情を軽くすると伏し目がちに礼を口にした。地面に落ちた視線の動きから察するに、気恥ずかしさが多分にあるようにフラッドには思えていた。
「どういたしまして。それで、ティートの具合が良くないのに対してお嬢ちゃんは、どうしようとしてるんだ?」
「えっと、それは……」
フラッドに対してと言うよりは、村長がいるせいだろう。いかにも言いにくそうな様子でマチーナは言葉を濁す。代わりにといった様子で、ため息を一つ吐き出してからセグドが口を開く。
「さっきも言いましたが、山に這えている薬草を採りに行くと言って聞かないんですよ」
「なるほどね」
「昨夜の事もある。気持ちはわからんでもないが、今は山へ行くのは危険じゃ。それぐらいはマチーナ、お主にもわかっておるじゃろう?」
「それは……っ」
村長の諌めにも反論しようとするが、村の長たる彼の言葉の重みを理解してなのかマチーナはそこで口をつぐんでしまった。
「それにティートのそばに居てやれるのは、お主だけではあるまいか」
「それは誰かが……」
「きつい事は言いたくないが、村の者は誰もがそれぞれの日々の営みがある。特にもうすぐ寒期を迎えようという時期、それに向けて備えなければならんのはお主もわかっておるはずだが」
「…………」
尚も食い下がろうとする彼女に、村長はまとめ役としての厳しく重い言葉で諭していく。山あいの冬は過酷である。そこに存在する集落の生活もやはり厳しいもの、それがわかるからマチーナはそれ以上は何も言えなくなった。
だが、俯いた顔に浮かんでいる覚悟は揺らいだようには見えない。
「とりあえずティートの様子を見させてもらってもいいか?」
「あ、はい。家の中へどうぞ」
「マチーナ、お主はもうしばらくここにいなさい。セグド、怪我をしているところ悪いがまた番を頼むぞ」
「はい、村長。いいかマチーナ、早まった真似はするんじゃないぞ?」
沈黙したマチーナにフラッドが訊ねると、彼女は頷いて家の入口に手を差し出し促す。まだ諦めてはいないと見た村長はマチーナを呼び止め、セグドへは村の入口へ戻るように言った。
「じゃあ、失礼するよ」
「……えっ」
家の中に入りながら肩越しに振り向き飛ばしたウィンクに、マチーナは呆けた声を漏らす。そのままフラッドは室内へと入っていった。
* * * * *
「お邪魔させてもらうよ……っと」
「ん、どちら様ですかな?」
ティートの家に入るとリビングに居た男性がフラッドの方に顔を向け、誰何の声を放って来る。が、すぐに思い当たったのか、「あぁ」と呟いて振り返った。
「村を救ってくれた旅の方ですね。昨晩はありがとうございました」
「会う人会う、毎回お礼を言われるのは少しくすぐったいな」
「ははは、そうでしょうね。遅れました、自分はクタード。この村の医者……みたいなものです」
「フラッドだ。こんな村で医者なんて珍しいな」
城下町や宿場町、港町などでは医者と呼ばれる怪我や病気の治療に従事する者がいるのは普通ではあるが、こういった小さな村なんかにいるのはフラッドの知る限りなかった。
理由は単純、不便だからである。治療の為に必要な道具の調達に苦労するのもあるし、やってくる病人や怪我人の絶対数の差も大きい。
「そうですね。元はトスィー王国で医学を勉強して、そこで営んでいたんですが。自分はこの村の生まれでして」
「なるほどな。故郷の助けになりたかった訳か」
「えぇ。ですが認められるようになったのは最近のことですよ」
言って苦笑するクタード。こういった村では怪我や病魔に対しては、独特の風習や価値観に基づいた対処をするのが普通である。
クタードのように学問として理屈や仕組みを理解しての治療をする者を、すぐには受け入れられなかったのも不思議な話ではない。
この村の生まれと言う要素を持ってしても、医者というものが容認されるのは容易ではなかったことがその態度から窺えた。
「そんな苦労をしても、生まれ故郷の為になにかをしたい。素直に凄いと思うよ、オレは」
「いえいえ、恐縮です。ところで用件は……?」
「あぁ、ティートの見舞いと様子を見たいと思ってね」
挨拶がてらの話のあと尋ねられて本題を切り出すと、何やらクタードは渋い顔で考え込むような反応を見せた。そんなに傷の具合が良くないのか? 最初はそう思ったフラッドだが、何となくそうではない雰囲気に首を傾げる。
「……あぁ、まだそういうのが好ましくないならやめておくよ。見舞いを無理強いしても仕方ないしな」
「そうですね……今日のところは」
「先生、構いませんよ……フラッドさん、どうぞこちらの部屋へ」
事情があるのだろうと引き下がろうとするフラッドに、申し訳なさそうに答えるクタードの言葉を遮り、奥からか細い声が聞こえて来た。
「……との事なので、行きましょうか」
「いいのか?」
「えぇ。ただ、少し声は抑え気味でお願いします」
そう言い奥へと案内するクタードを追い、ティートの部屋に辿り着いた。扉に手をかけ、フラッドに中へ入るように促してくる。クタード自身は部屋の前で待つつもりらしかった。
「あまり無理はしないでくださいよ、ティート君」
「わかってますよ……どうぞ、中へ」
「じゃあ、失礼させてもらうぜ」
一言断って、開いた扉の中へと入るフラッド。それほど広くはない部屋の端に備えられたベッドに、ティートは上体を起こして出迎えた。
「目は覚ましたみたいだな」
「あぁ、その事についてはちょっとありまして」
「……?」
背後で扉が静かに閉じられる。クタードの様子と、ティートの声をひそめる感じから、マチーナに聞こえないようにしたいことをフラッドは察した。
「マチーナ、まだ山へ行くのを諦めてないでしょう?」
「あぁ。行かせない為の一芝居、ってところか」
「まぁ、そうですね」
あっさりと見抜かれたことに少し驚いたのか、一瞬目を丸くするティート。だがすぐにその表情は穏やかな物へと変わる。
「じゃあ怪我の具合も?」
「いえ、そっちはセグドが説明した通りです。コボルトの爪から毒が回ったのか、若干の熱もあり起き上がるのは辛い状態です」
その言葉通り、ティートの顔色は少し赤らんだような風になっており、寒さが強まり始めた時期のわりに汗をかいているのが見てとれる。
「幸い命に別状はないんですが、この分だとしばらく回復には時間も掛かりそうで……」
呼吸が苦しいのか、時折軽く咳き込みながら話すティート。外に聞こえないように気を遣ってか、なるべく抑えながらの咳きではあったが。
「で、マチーナの護衛を頼みたいんだな?」
「さすがですね、そこまで察しているなんて。父から聞いていた以上に聡明なようだ」
「なんだ、オレのこと判ってたのか?」
ティートの言葉に今度はフラッドの方が目を丸くした。かつてこの村を訪れた時、ティートはまだ幼かった。当然、自分のことなど覚えてはいないと思っていたからだ。
だが父であるヤッシュから自分のことを聞かされ、そしてそこから思い至る辺りはやはり親子なのだと、フラッドは感心する。
「マチーナも自分で薬草を採る事に固執していますからね。彼女は一度言い出したら、どんなに説得しても無駄だって理解してます」
「なるほどな。まぁ、オレもそのつもりでいたし、構わないよ」
「ありがとうございます。ただ、くれぐれも気を付けてください。今の山は何があるか、わかりませんからね……」
フラッドの言葉にティートが深々と頭を下げ、そう口にした。今の状況が普段とは違うことを、彼も何となく感じ取っているのだろう。
頷きティートの部屋を出たフラッドは、クタードに彼を頼むと言うと家の外へと足早に向かった。
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