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14章 二人の想い出、悲劇の序章

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「フラッドさん、大丈夫かな……」
「信じよう、ティート」
「そうだね」

 精霊の間。そこで待つティートとマチーナはフラッドの身を案じ、言葉を交わしていた。奥では未だ、精霊による儀式が続いている。

「それにしても異界の存在だなんて。父さんからは一言も聞いたことがなかった」
「きっとアタシに気を遣ってたんだと思う、ヤッシュさんは。十年前の戦いに両親が関わってなんて、アタシは知らなかったし」
「うん……」

 マチーナが両親の死を知らされたのは、魔竜を倒したヤッシュが野営地に姿を現してからのこと。恐らくはその時のショックの大きさ故に、彼女はその頃の記憶がはっきりしていなかった。

「覚えてるのはこれを渡された事と、ヤッシュさんから引き取るって言われたことの二つぐらいかな」

 言って首から下げたペンダントを、胸元から取り出す。 フィロスタ皇国の象徴である鳥の翼を象ったペンダントと、その留め具の辺りに指環が通されている。

「マチーナのお父さんが魔法師団に入った時に授与されたペンダント、だっけ。もうひとつは……」
「結婚指輪。皇国の有名な鍛冶屋に頼んで作ってもらったって、ヤッシュさんから聞いた」
「そうか。あの時のマチーナ、本当に茫然としていたもんね」

 ティートの当時のことについての記憶はそれほど定かな訳では無かった。ある日突然、父が「アトル村に行く」と言い出して、母がそれに同行すると返事をしていたのが始まりだったのは覚えているのだが。
 その次に思い出せるのは、帰ってきた父がマチーナに何かを話してその後。魂が抜けたようになってしまった彼女の姿。
その後、村に戻ってからもティートは毎日のようにマチーナに話しかけたり、遊びに誘ったりとしていた。

(きっとマチーナは覚えていないんだろうけど)

 そんな風にしてしばらくが経ったある日だった。マチーナがヤッシュに、剣術を教えて欲しいと言い出したのは。それからの彼女はそれまでが嘘のように、今こうしてる強気な性格の少女へと変わっていったのだ。

「ちょっとティート? なにぼんやりしてるの」
「あ、あぁ、ごめん。ちょっと昔のこと思い出してて」
「アタシがヤッシュさんに引き取られた頃のこと?」

 聞かれたティートが頷くと、マチーナはくすっと笑う。それを不思議そうな顔で見ていたティートに、マチーナは遠い目をして宙を見上げて。

「もう、ほっといてよ。アタシね、ずっとそう思ってた」
「えっ?」
「あの頃さ、ティートはずっとアタシに話しかけたり、遊びに誘ったり……。いっぱい構ってくれたでしょ?」
「なんだよ、覚えてたのか。僕はてっきり、その当時のことなんてもう忘れたもんだとばかり」

 意外そうに反応するティートに、マチーナはまた笑いながら話を続ける。

「忘れる訳ないでしょ? 最初は本当にほっといて、って思ってたんだから。両親がいなくなって、ヤケクソになってたんだろうね。アタシ、子供のクセに一丁前に」
「それは……。しょうがないと思うよ、僕だって母さんが亡くなった時はそんな感じだったし」

 ティートの言葉にマチーナはムッとした顔になって詰め寄っていく。急に近付かれたティートは無意識に後ろにずりずりと下がってしまう。

「ちょっとティート? アタシはあんなに大泣きしてないんだけど?」
「あー、あぁ、うん。そ、そうだね。だからその、ちょっと詰め寄るの止めてもらえるかな?」
「まったく……」

 ふんっ、と鼻を鳴らしてマチーナが背中を向け離れていった。圧力から解放され、全身を脱力させて安堵するティート。
 ティートには見えていなかったが、そんな彼の様子を肩越しに見ながらマチーナの顔は笑っていた。

「それじゃあ聞くけどさ」
「なに?」
「マチーナはどうして、急に父さんに剣を教えてほしいなんて言い出したの?」
「あー、それは……」

 と、答えようとしかけてすぐに、マチーナはやめてしまう。少し不機嫌そうに口を尖らせながら。

「べ、別になんだっていいでしょ!」
「なんだよ、マチーナ。急に怒り出して」
「怒ってない! ほらほら、今は大人しく待つよ、ティート!」
「なんなんだよ、もう」

 つっけんどんに吐き捨てると、精霊の方に身体を向けてしゃがみこむマチーナ。そんな彼女の反応に訳のわからないティートは、不承不承と言った顔をしながらもその場に腰を下ろした。

(“アタシもティートを守れるようになりたいから”なんて、恥ずかしくて言えるわけないじゃない)

 とっさに見せた不機嫌な表情は照れ隠し。背中を向けてすぐにマチーナは顔を赤らめ、それを見られないようにするので精一杯だった。

(連れられて遊びに行った森の中、狼に襲われたアタシをあんなに必死で庇うティートを見て……)

 遠い記憶。傷だらけになりながらも決して逃げ出そうなんてせず、茫然と立ち尽くすだけのマチーナをティートは必死で守った。幸いその時は駆け付けたヤッシュのおかげで事なきを得たのだが、身体のあちこちに負った傷が元でティートはそれからしばらく高熱にうなされてしまう。

(どうして? アタシはもう死んでもよかったのに……なんで、そんなになってまでティートは守ってくれたの?)

 ティートを彼の母やヤッシュが看病をするのを見ながら、マチーナの心に浮かんでいたのは何故の言葉。それが見つかったのは、うなされながら口にしたティートの一言だった。

「マチーナは大丈夫……?」

 それを聞いた瞬間、マチーナは自分の疑問の無意味さを理解し、そして涙が溢れた。自分をただ大切に思ってくれているティートの気持ち、自分がいつの間にか回復を願っていたティートへの気持ち。
そのことを自覚して、そうしてマチーナは自分というものを取り戻したのである。
 そして家族をもう失わない為に。家族を守れるようになる為に。彼女はヤッシュに剣を教えて欲しいと願い出たのであった。

(まぁ、結局。ティートの方が剣の腕前は上のままだったけどね)

 めきめきと腕を上げたマチーナがティートと手合わせをして、勝つのはいつも彼女ではあったが。マチーナ自身はいつでも勝ったとは思っていなかった。
ティートの優しさが自分に対しての打ち込みを、無意識に手加減させているのに気付いていたから。

(だから魔法の勉強もした。ティートが私を気にせず、本来の力を発揮できるように)

 そしてもしもの時に、彼を守れるように。

(まぁ、ティートの方こそ、その時のこと忘れちゃってるだろうけどね)

 あの時、数日が経ってようやく体調が落ち着き目を覚ましたティートは、マチーナを守って傷を負ったことをすっかり忘れてしまっていた。回復した彼を泣きながら安堵するマチーナに、ティートはきょとんした様子ながらもそんな風に心を開いた彼女を喜んでいたのだ。

「ティート」
「うん? なに、マチーナ」
「アタシのこと、ちゃんと守ってよね。その代わり、アタシもティートのこと守ってあげるから」
「なんだよそれ。でも、わかった」

 背中を向けたまま言ったマチーナに、ティートは呆れた様子ながらも力強く応える。それは素直になれない代わりの、お互いを思う気持ちを確認する為の約束だった。

『……待たせたな』

 そして精霊がそう告げて、ティートとマチーナに渡される物の用意がようやく完了した。

* * * * *

「こいつぁ厄介だな」

 オーガの一体を倒した後、戦況はフラッドに不利な方向へと傾いていた。思い通りに事が運ばないことに業を煮やしたローブの男が、ついに自らフラッドへの攻撃を開始した為である。

「えぇい、ちょこまかと動きおって!」
「当たり前だっ、誰が大人しくやられるかよ!」

 ローブの男が手から放つ魔力の弾をかわし、避けた先を狙って振り下ろされるオーガの刃を横に跳んで回避する。回避した隙を狙って撃たれた魔力の弾を、身体をひねって紙一重でやり過ごした。

(これじゃ防戦一方だな)

 感情的になりながらとは言え、ローブの男とオーガの連携には隙が無く、こうしてフラッドは回避に専念するので精一杯であった。そして防戦一方であることで戦線は後退を余儀なくされ、敵はじりじりと洞穴の奥へと進んでいく結果となる。

「さっきの余裕はどうした、旅の剣士よ!? 徐々に我々は精霊の元へと近付いているぞ!」
「あんまり飛ばすとバテるぜ?」
「抜かせ!!」

 怒声と共に放たれた立て続けの魔力弾は、フラッドが避ける方向を狭めさせる位置へ撃たれる。飛び来る魔力弾の後ろからは、突進を掛けるオーガの巨体があった。
 魔力弾の間に身体を割り込ませ、素早く刃を振り上げるオーガに対して備える。が、その背後。
離れた位置に立つローブの男の動作に、フラッドは顔色を変えた。

「まずい!」
「気付いても遅い!!」

 横に大きく振り回される刃を、後方に跳んで避けながらフラッドは全身を強張らせた。ローブの男が胸の前に合わせた両手の間、強大な魔力が凝縮されているのを目にして。
これまでよりも強力な魔力を放とうとしている、それを察してフラッドの本能が危険信号を鳴らしていた。だが、それを避ける選択肢が見当たらない。

「ガアアッ!」
「くそっ!」

 危機的状況にあることを理解して動きの鈍るフラッドへ、オーガの一撃が襲い掛かってくる。狭くはないが一直線に伸びる洞穴の通路、その只中にあるのが災いしていた。せめて家屋のある広い場所に近ければ……たらればには意味がないと知りながら、オーガの一撃に再び後方に跳んでかわしながらフラッドは歯噛みした。

「私の邪魔をした自らの愚かさを悔いて死ぬがいい!!」

 そして、ローブの男の両手にわだかまる魔力の塊が完成する。勝ち誇る叫びと共にその両手がまっすぐに前に伸ばされた。

「闇に飲まれて消え去れ! ダークネスウェーブ!!」

 フラッドに向かって開かれた両手から、通路いっぱいに広がった闇の波動が解き放たれた。押し寄せる闇の波動がオーガを呑み込み、そのまま立ち尽くすフラッドへと迫っていって。

「……なにっ!?」

 だがローブの男が上げたのは驚愕の声だった。視線の先、放たれた闇の波動が掻き消された後に現れた光の壁を目にして。

「フラッドさんっ、間に合いましたね!」
「マチーナ、ティート!」
「しっかり精霊様から受け取ってきましたよ!」

 駆け付けたマチーナとティートが、フラッドのすぐ後ろにやって来ていた。二人の手にはそれぞれ、かつてヤッシュとギースが手にしていた剣と杖があった。

「今のは、マチーナか?」
「そうですよ、これが母の授けられた力……!」

 たった今、ローブの男の放った闇の波動を打ち消した光の壁も、マチーナの生み出した魔力の防護壁である。
彼女は確実に、精霊の加護を使いこなしていた。

「ティートはその剣、使えそうか?」
「はい、たぶん大丈夫だと思います!」
「フラッドさん、一気に行きましょう!!」

 フラッドの確認する声に、ティートが力強く頷いて肯定する。そしてマチーナの放った声を合図に、三人がローブの男を見据えながら戦闘態勢をとった。

「……くっくっくっ」
「!?」
「なにが、おかしいの!?」

 形勢は完全に逆転したかの見えた状況で、しかしローブの男の口から出たのは不気味な含み笑いだった。ローブの男から発せられる妙な雰囲気に、ティートとマチーナの二人が無意識に少し後退る。

「運命は私に味方しているようだな。求めていた者がこうして、自ら私の眼前にやって来てくれるとは!!」
「なに!?」「どういう意味!」
「気を引き締めろ、二人とも!」

 予想外の反応を見せるローブの男に浮き足だったティートとマチーナに、フラッドが叱咤の声を飛ばした。

「くっくっくっ、私が求めていたのはその娘の持つ精霊の杖と……そして娘自身だ!!」
「アタシ……!?」
「ボーッとするな、マチーナ!」

 言い放つローブの男の言葉に、マチーナが虚を衝かれて無防備になる。声を張り上げたフラッドだったが、それも無意味な結果となってしまう。

「もらっていくぞ、その娘は! シャドウゲート!」
「!? な……っ」
「マチーナ!!」

 マチーナに向けてローブの男が腕を伸ばし言葉を放つやいなや、彼女を周囲に発生した闇が包み込み凝縮していって、そして消え去ってしまう。あとにはマチーナの姿は跡形も無くなっていた。

「目的は達せられた、ここでお別れだ。そうだ、一つ餞別に教えてやろう。あの娘を手に入れる為に、あの村に私の手の者を向かわせている」
「アトル村にモンスターを!?」
「今となっては無意味であったが、村もただでは済むまいな。くあっはっはっ!」

 高らかな哄笑を上げ、ローブの男の姿が闇に包まれ消えていく。後にはただ、最悪の状況を突き付けられたフラッドとティートの二人が立ち尽くすのみだった。
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