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三日間の休暇

馬車が止まった場所

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 ラスール伯爵の領地は、比較的恵まれた地域だ。
 貴族街、平民街、貧民街と三つに区画が分かれてはいるが、壁は特になく、やろうと思えば行き来することも可能になっている。
 明確な区画が無い分、平民街は貴族街から貧民街へとなだらかに治安が悪くなっていた。
 平民街に新しいお店が出来たとなれば新しもの好きの令嬢がお供を連れてお出かけする事は珍しくない。とはいえさすがに貧民街へお出かけする事は無いだろう。
 貴族の中でも差別意識を強く持つ者とそうでも無い者が対立しているのを、ラスール伯爵は上手くコントロールしているらしい。というのも、伯爵自身、貴族ではあるが、人狼の血が流れているという事をそれなりに重く受け止めているらしい。
 らしいが続くのは、馬車の中でスチュアートに説明されたからだ。
「ここ、ですか?」
 アデリアの言う通りに馬車は走り、アデリアの言う通りに停止した。止まったのは、細い路地の前だ。
「ええ、この細い道を行かなくてはならないから、ここからは歩いていきます。すぐ戻るから待っていて下さい」
 自分で扉を開けようとしたアデリアの手にスチュアートの手が重ねられた。
「アデリア……」
「は、はいっ?」
 逃げようとしている事に気付かれたかと、ごくりと唾液を飲みながら、ゆっくりと首を横に向ける。
 美しい銀の髪がサラリとゆれて、理知的な蒼い瞳がアデリアをまっすぐ見ている。頬に冷たい吐息が掛かった。
「御令嬢が御手自ら扉を開けるものではありませんよ。まったく、そこも教育しなくてはなりませんね」
 ため息混じりにそういうと、スチュアートが先に降り、アデリアをエスコートしてくれた。
「あ、ありがとうございます……」
 そのまま給金袋を抱え、暗い路地へと足を踏み入れた。
「この路地の向こうに店なんて無いでしょう?」
 すぐ後ろに立っていたスチュアートの言葉に、動きが止まる。
「ど、どうして……?」
 振り向くことが恐ろしく、路地を見つめたままのアデリアの問いかけにスチュアートは答えない。ただ、路地を塞ぐようにアデリアの前へと移動してきた。
「何か、隠していますね?」
「か、隠してなんか……っ」
 明らかに目を泳がせたアデリアに、腕を組んだスチュアートがため息を投げかける。
「私達は上司と部下です。ある程度の信頼関係が大切だと思いませんか?」
「そ、それは……」
 言い淀み、一歩馬車の方へ下がったアデリアの横を黒い影が走って来た。
「――きゃっ」
「アデリア!」
 近づいてきた帽子を目深に被った人物は、詫びを入れる事無く通り過ぎた。転びそうになったアデリアを支えたのは細身のスチュアートだった。腕の細さなんてあまり変わらないくらいだというのに、なんと力強い事か。
「大丈夫ですか――?」
「あ、ありがとうございま――あ?!」
「どうしました?」
「お、お金が無いー?!」
 人通りの少ない道で、アデリアの絶叫が響き渡った。
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