I think now.

巴瀬 比紗乃

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Step up

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 明日のための商品補充をしながら、私はもんもんとしていた。

「閉店間際にゆっくり見てる客は、何がしたいんだろ」
「しかも質問してくるし。ほんと迷惑。こっちは閉店準備があるっての」

 先輩たちは掃除しながら愚痴っている。

「お客さんの愚痴は店で言わない。飲み屋で笑い話にしなさい」

 売り場に響く愚痴に、レジ閉めをしていた店長が叱責した。

「「はーい」」

 心のこもっていない返事が響く。レジから離れていく先輩たちとすれ違う。小さくなった愚痴から、店長という言葉が漏れ聞こえてきた。もやもやが私の中で増えていくのを感じながら、陳列する手を早めた。
 ひとまず与えられた仕事を終えると、私は店長のもとへ駆け寄った。

「店長、今日はすみませんでした」

 首を傾げる店長に、お客様にクレームを頂いた件ですと伝える。今日私は、お客様に無愛想だと言われてしまったのだ。

「私は笑ってるつもりだったんですけど」
「仕方ないわ。マスクで大部分が隠れているからね」

 私が謝っても許してくれなかったお客様を、たしなめてくれた店長のその手腕に、私は感謝しかなかった。どれだけ謝っても足りないと思っているのに、店長は笑って私を庇ってくれる。

「私、接客の仕事でマスクするなって言われたわ」
「ご時世、考えて欲しいわー」
「いや、風邪でもマスクしたいわ。くしゃみ、電車だと嫌われるからさー。なんで接客だと、”話は別”扱いされるのか。意味が分からないわ」
「ほんと、客って身勝手だよね」

 また聞こえてきた愚痴に、店長は「こら」と言って諌めた。私は申し訳なさで、萎縮してしまう。
 そんな私の肩を、店長はポンポンと叩いて、励ましてくれる。

「どんな理由であれ、マスクするのはお客様を思って、だからね。分かってもらえなくても、外すわけにはいかないのよね」

 顔をあげると、笑顔を作る店長と目があった。店長もマスクをしているのに。笑顔が分かる。

「笑顔を伝えるのは難しいけど、ちょっとずつ慣れてくしかないわね。対策とりながら」

 泣きそうな私に、店長は優しく「手伝ってくれる?」と声をかけてくれた。私は頷くことしかできなかった。店長の指示に従って、コインケースに小銭を詰めていく。

「眉毛を弧に描いとく?」
「それ、アリかも。でも、そんな変な眉毛で帰るの嫌じゃない?」
「書き直して帰れば良いんじゃん」
「その一手間、嫌だわ」

 掃除を終わらせて、先輩たちもレジに集まってきた。
 先輩たちの会話に、店長は唸った。
 困ってるのは私だけじゃないのかと、少しホッとした。

「めんどくさいとか、仕事だからとかじゃなく、まずは楽しいことでも考えて、笑ってみたら? そしたら雰囲気も変わって、お客様ににこやかな空気が伝わると思うわ」

 店長のアドバイスに、先輩たちは口を尖らせる。

「なんか難しいこと言ってません?」
「私、よく分かんないです」

 私は作業を進めながら、ただ聞いていた。

「例えば、好きな人がいるときの幸せオーラとか、かな。ああいうの、伝わるっていうじゃない?」

 店長の言葉に、先輩は不満げに眉根を寄せた。

「店長、嫌味ですか?」
「自分が結婚したからって酷くありません?」
「そんなつもりで言ってません」

 左手の薬指の輝きに、乙女心は燻られる。
 私はレジ閉めを終わらせて、店長の承認の判子を待つ。

「まあ、仕方のないクレームは、少しくらい聞き流しても良いから。あんまり深く考え込まないようにね」

 先輩と話していたはずの店長が、微笑みかけてくれる。そして「待たせてごめん」と言いながら、判子を押してくれた。先輩2人は、呆れた様子で事務所に入っていった。
 楽しいこと。
 例えば好きな漫画や、音楽、デザート。カレシがいなくても、自分のテンションを上げるものはたくさんある。
 仕事でそんなこと考えるなんて、サボってるも同然だと思ってた。だけど、ソレが仕事で活かせるというのなら。

「店長。私、やってみます」

 私の楽しいが、お客様のためになるのなら。少しでも、喜んでもらえるのなら。私は、私の楽しいを活かしてみたい。

「慣るまで大変かもしれないけど、頑張って」
「はい!」



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