(BL)君のことを忘れたいから遠回りしてきた

麻木香豆

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第五章 救世主

第二十六話

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 ようやく新規の客、そして常連の女性客のカットも終わり、來は控え室に戻った。
 ドアを閉めると、静寂が戻る。
 ふぅ、と深く息を吐き、椅子に腰を下ろした。

「……どんだけバレてんだよ」

 独り言のように呟いた声が、狭い部屋に沈む。

 新榮といい、リカの古参オタクといい――。
 リカと付き合っていることが、じわじわと知られている。
 それは本来、あってはならないことだ。
 表では決して交際を匂わせず、デートも日中は避け、もっぱら來の部屋で会うだけ。
 まるで芸能人同士の密やかな交際のようだった。

 そういう生活には慣れている。
 也夜のときも、そうだった。
 夜だけの逢瀬。人目を避け、声も潜めて――。
 あの頃と何が違うのか。
 ため息がもう一度こぼれた。

 なんとなく、手持ち無沙汰のままスマホを取り出し、ふと頭に浮かんだ。
 エゴサーチ。
 自分の名前を検索するなんて、これまで一度もしたことがなかった。
 少し怖い。けれど、確かめずにはいられなかった。

 検索欄に自分の名前を打ち込むと、すぐに美容院の情報が表示された。
 そういえば――大輝に言われて、プロフィール用に横顔の写真を撮ったことを思い出す。
 下の名前と、柔らかく光を受けた横顔。
 あの何気ない一枚が、こんなふうに誰かの目に留まっているのかと思うと、妙な気分だった。

 そこからの指名もある。
 けれど、中には“來が也夜の元恋人だ”と知った上で来る客もいる。
 レビュー機能もあるが、大輝が個人名では評価できないよう設定してくれていた。
 その配慮が、ありがたくもあり、怖くもあった。

 カヨが朝礼で時々読み上げるレビューの中には、自分の名前が出てくることもある。
 けれど、悪いものはなかった。
 「優しい」「話しやすい」「丁寧」――そんな言葉に安堵しながら、どこか他人事のように聞いていた。

 五目おにぎりの包みを開き、ひと口かじる。
 味がしない。
 スマホの画面をもう一度開くと、案の定、也夜の記事がいくつも並んでいた。

 写真付きの記事、舞台の告知、ファンたちのコメント。
 どれも明るく、眩しい。
 少しスクロールして、也夜の所属事務所のホームページを開く。

 ――笑っていた。
 あの頃と同じ笑顔で。
 でも、その笑顔の奥に自分はいない。

 胸の奥に、静かに痛みが広がった。


『上社也夜への応援メッセージをこちらで受け付けております。弊社では全てのメッセージを読んでおります。日頃からの応援、ありがとうございます。事務所では昨年より規定サイズ内の手紙以外のもの、プレゼント、花束の受付は承ることはできません。ご了承ください。また、彼の入院している病院へのお見舞いやご自宅、家族などへの取材もお断りしております。』

 ──と、サイトには淡々と記されていた。

 事故前の写真も閲覧できるようだったが、ファンクラブに入らないと半分ほどしか見られない。それでも今は休会中のため、ほとんどが公開されていた。

 來はかつてファンクラブに入らなかった。
 着飾ったモデルの也夜よりも、一緒にいるときのふわふわとした素の也夜が好きだったからだ。
 もちろんモデルとしての彼も格好よかった。けれど來の知る也夜は、もっとやわらかく、もっと人間らしかった。

 写真を眺めながら、ふと來は気づく。
 ──このあたりだ。自分と付き合い始めた頃。
 笑顔の質が変わっている。
 交際を公表し、同性愛者であることも包み隠さず語ってからの也夜の表情はどこか自由だった。
 モデルの仮面の下でようやく息をしているような顔。

 思い出す。
 二人の写真は少なかった。也夜はもともと写真を撮る習慣がなく、事務所からもプライベートでの撮影を控えるよう言われていた。
 だから結婚式の準備をしていた頃、二人の写真がなさすぎて困った。
 結局、前撮りのきっちりした写真だけが残った。
 それでも來の脳裏には、誰にも見せない也夜の表情が鮮明に残っている。
 ベッドの上で見せたあの顔──それを知っているのは自分だけだという優越感が、一瞬、胸の奥を熱くした。

 ……はっと我に返る。

「バカか、僕は」

 忘れたいのに、なぜこうしてまた思い出してしまうのか。
 自分でスマホの画面を閉じた。

 ──トントン。

 控室の扉を叩く音。

「來さん、上社さんお見えになりましたよ」

 予定より少し早い。彼女はいつもそうだった。
 來は慌ててお茶を飲み干し、歯を磨き、身だしなみを整えると控室を後にし



「久しぶり」

 待機室で待っていた美園は、黒のリクルートスーツ姿だった。
 しばらくぶりに見るその姿は、相変わらずきりっとしていて、どこか也夜のモデル時代の顔立ちに似ていると、來はふと思った。

「久しぶりです」

「ちょっと前髪を切って欲しい。あと後ろは切りすぎず、結べるように。就活、出遅れたけどさ、今日説明会に行ってきたの。来週から試験なんだよ」

「そうか……もう就活なんだね」

「お兄ちゃんの件でバタバタしたけど、なんとかね」

 美園は來より一学年下。
 先に専門学校を卒業して社会人になった來から見ると、大学生の彼女の華やかさは少し眩しかった。
 來は彼女を個室に案内した。也夜の紹介で、美園もいつもこの部屋を使っている。

「就活しなくても、お父さんに言えば……」

「言ったじゃない。親の力は借りないって。私のしたいことで働くの。少し遅れたけど、浪人してでもね」

 上社家の父は大手商社の役員。母方も関連会社の社長令嬢で、いわば政略結婚だった。
 それでも、來が二人に会ったときは権威を振るうような態度はなく、ただ、育ちの良さと余裕だけが滲んでいた。

「お兄ちゃんが芸能界に早く入っちゃって……。だから私には、関連会社の男と結婚して、家を固めろってうるさいの。
 それで父はさらに昇進、って筋書きらしいよ」

「……そうかな。也夜のことだって、出世の一つにしてたじゃないか」

「まあね。あなたと付き合ってるってバレるまでは、ね。ほんと迷惑。いい迷惑よ。
 あなたと付き合ってから、家族めちゃくちゃ。私が間に入らなかったら、結婚すらできなかったんだから」

「その件は……ありがとう」

「よくわからないわね、“ありがとう”って。私はただ、お兄ちゃんの意志を尊重して、家族の崩壊を止めただけ」

 その棘のある言葉にも、來は静かに頷いた。
 リカとは違う、冷たく理知的な毒気。
 ──自分は、なぜこういう女の人に縁があるんだろう。
 來はそう思いながら、そっと視線を逸らし、ハサミを入れた。

「……なんかさ、メール、ずっと無視してたよね。他に相手できたの?」

「……!」

「できたんだ。てか、女の人でしょ?」

 図星を突かれ、來は思わず咳き込んだ。
 美園はそれを見て、小さく笑った。


「わっかりやすー」

「……なんでそう思う?」

「なんかさ、肌つやいいから“してる”んだろうなって思ったけど──」
 美園は鏡越しに來の顔を覗き込み、少し口角を上げた。
「でも目が違う。お兄ちゃんと付き合ってた時より、今の方がギラついてる。……なんか“男”って感じ」

 あまりにダイレクトな言葉に、來は思わず息をのんだ。
 個室でよかった、と胸の中でつぶやく。
 鏡に映る自分の目を見る。そんなに変わったのか、と。
 そう思っていると、美園の笑顔はすっと消えていた。

「……お父さんたちに反対されたからって、すぐ他の人にふらっていっちゃうの? 最低」

 その一言のあと、美園は黙った。
 部屋の空気が一瞬にして冷たくなる。

「すぐってわけじゃないし……」

 來は小さくこぼした。
 髪の毛を整え、軽く払い、タオルとケープを外す。
 仕上げのドライヤーの音が、やけに長く感じた。

「ありがと。……最低は言いすぎたけど」

「いえ、最低です。僕は──」

 來が言いかけると、美園はすっと立ち上がり、彼を見上げた。
 その目は、泣くのを必死にこらえているようだった。

「なんで……お兄ちゃんのこと、聞かないの?」

「美園さんが黙るから」

「……少しは聞いてよ。大丈夫なのかとか、状態はどうなのかとか……」
 美園の声が震えた。
「それに……あなた、家賃出してることも何も話さない。ほんと、最低……」

「その……」

「“お兄ちゃんの意志を尊重する”とか言ってたけど、私は……私は──」

 美園の目が真っ赤に染まる。

「……結婚、反対だったんだから」

 それだけ言うと、美園は鞄をつかみ、勢いよく個室を出ていった。
 残された來の手には、まだ彼女の髪の温もりが残ってい
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