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南の国の王女は文化の違いで場を荒らす~そんなつもりはなかったと本人は非常に反省しているようです~
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「いやあああああああああああ!!!」
婚約破棄宣言で修羅場と化した会場を切り裂くような悲鳴があがったのは、修羅場を生み出した面々とは全く別の場所だった。示し合わせたわけでもないのにモーゼの十戒のごとく人垣は割れ、悲鳴の発生源はすぐに判明する。なぜなら人垣が割れた先に立つ少女はすっかりこの学園の話題の中心であったから。
今学園の話題をかっさらっているのは三つ。ひとつは今しがた起こった婚約破棄の起因となった面々。ふたつめはこの国の皇太子について。そうして最後のひとつは悲鳴を上げた張本人、フェリシア・ボルケであった。
フェリシア・ボルケは南の国からの留学生でボルケ王国の第十六王女でもある。学園のあるアルドリット帝国から馬車や船を乗り継いで一ヶ月弱は要する場所にあるボルケ王国は別名金の国とも呼ばれ、その名の通り金が各地で採掘されることで繁栄してきた国だ。だが海を挟んでいることもありアルドリットに住む人々の中でボルケ王国について正確な情報を持っているのは歴史や文化に明るいものだけというのも致し方がない。
そんなボルケ王国からやってきた留学生の王女は、何もかもがアルドリットとは異なっていた。わかりやすいのはやはりその容姿だろう。アルドリットの国民の大半は色素の薄い髪と肌が特徴的であるのに対して、フェリシアは健康的な褐色の肌と艶々とした美しく豊かな黒髪を有していた。翡翠の石をはめ込んだような瞳を縁取る睫毛も黒々と艶めいて、施されている化粧もアルドリットのものとは少し異なっている。体つきも華奢で儚げな印象を持たれるアルドリットの女性とは異なり、しなやかな筋肉と豊満な胸や尻はどこか野性的な印象さえ与えていた。
他国の王女に対して直接不躾な視線を送るものは当然いなかったが、陰でエキゾチックで魅力的と称するものや野蛮で下品と蔑むものは後を絶たない。敬想や嫉妬が渦巻くものの話題が事欠かないこともまた、致し方がないことであった。
そんなフェリシアがなぜ悲鳴をあげたかといえば、話は少し巻き戻る。
フェリシアたちが通う帝都学園では年度末に生徒会主催で大々的な二部式パーティーが開かれる風習があった。一部は卒業式を終えた三年生の慰労と一、二年生の交流のためのパーティーで二部は社交界の登竜門とも呼ばれ、親世代の貴族たちも招待され最後には皇帝の挨拶まで組み込まれている。
一部のパーティーが始まって間もない頃、突然壇上にあがったのは二年生に在籍するアルドリットの第二皇子ノーマンとノーマンに支えられた可愛らしい少女、そしてノーマンの側近三人衆。談笑に夢中だった生徒たちも学園で噂となっていた面々の登場に嫌な予感でもしたのだろう、誰もが自然と口をつぐみ状況を静観する構えとなった。
ぴんと張り詰めた空気に会場の誰もが居心地の悪さを感じる中、起因となったノーマンたちだけは気にした風もない。得意げな唇の端を隠そうともしないノーマンがその婚約者キャロライナ・フォレット侯爵令嬢を雑に呼びつける。そうして。
「キャロライナ!お前の悪事はもう分かっているぞ!!僕は今ここでお前との婚約を破棄し、新たにこのポーラ・ワイアット男爵令嬢との婚約を発表する!」
高らかな宣言がなされたのだ。ついに事が起きた、というのが学園の生徒たち殆どの今の心情だろう。学園中で噂になるほど良い仲とされていたノーマンとポーラ。裏切られる形となったキャロライナの第一声を誰もが息をのんで待っていた。待っていたのにだが。
「いやあああああああああああ!!!」
フェリシアの悲鳴が会場一帯に響き渡ったのだ。つまり、冒頭に戻る。
キャロライナの悲鳴ならばまだわかるのだが、なぜ無関係なフェリシアがまるで死に直面したかのような悲鳴をあげたのか誰も知るはずもない。得意げに宣言したノーマンも唖然としてしまっている。
「あ、あ、あああああ、貴方様は、その、い、色を売るお仕事の方ではなく、この国の、貴族の…ご、ご令嬢 ですの!?」
悲鳴の後に続く言葉は恐らくポーラに投げかけられたもの。要は娼婦ではなかったのか、との意の失礼な問いかけにポーラは怒ってもいいはずなのだが、誰もかれもが状況を飲み込み切れずに妙な静けさが一帯を包んでいる。
「ア、アデラ…!聞いていた話と違うわ、ど、どうしましょう。今からでも留学先を変えた方がいいんじゃないかしら」
アデラ、と声をかけられたのは留学に際してフェリシアに国からついてきた侍女のことだ。フェリシアと同じく褐色と黒髪をもつアデラは主の奇行が珍しいものではないかのように平然と対応している。通常この類のパーティーに侍女を引き連れて参加するものは居ないのだが護衛も兼ねているらしいアデラはどんな状況でもけしてフェリシアの傍を離れることは無い。
「申し訳ございません、フェリシア様。私共の調査が足りなかったようです。再度徹底的に調べてフェリシア様の条件に当てはまる国を至急探してまいります」
まるで状況が把握できていない周囲をよそに、不手際を詫びるアデラに顔を真っ青にさせながらフェリシアはその申し出を有難く受け取ろうと首を縦に振ったところ。
「待ってくれ、フェリシア嬢!」
今にも新たな留学先を探し始めかねないアデラと気が動転しているフェリシアを引き留める声が上段から響く。声をたどって視線をあげると貴賓席から身を乗り出す男の姿が。この国のものであれば誰もが知る人物、第一皇子ダニエルである。
ダニエルは昨年学園を卒業し、立太子の儀式を終えたばかりだ。ノーマンも美しい顔立ちをしていたがダニエルは更に群を抜いて美しく、皇族の証である銀糸の髪とヴァイオレットの瞳はまるで芸術作品のようだと例えられる。性格に難のある弟と比べ物にならないくらいの人格者と知られているため国の令嬢たちの憧れの的となるのも頷けた。
五年前に隣国の王女と婚約し衝撃と悲しみを令嬢たちに与えたダニエルだったが、ちょうど一年前突然の婚約解消が公表されている。どうやら隣国の王女が粗相をしたらしく、隣国から支払われた慰謝料でアルドリットの財政がたんまり潤ったのはまた別の話だ。あわよくばその後釜にとまだ婚約者のいない令嬢たちは浮足立っていても仕方がなかった。
そんなダニエルが慌てて貴賓席から下りてきたものだから、パーティー会場は今最も熱い三大話題が勢ぞろいしたことになる。混沌も混沌。恐らく一番哀れなのは名誉を傷つけられたまま宙ぶらりんのキャロライナであろうが、そのままの勢いでキャロライナを断罪してやろうと目論んでいたノーマンたちが気を取り直してキャロライナの罪とやらを並べ立てようとしたが最早耳を貸しているものなどいない。
「ダニエル様…、あ…週末ぶりですわね。……皇妃様にもお礼をお伝えしてそれから留学の日程を」
「だからフェリシア嬢、ちょっと待ってくれ。確かに弟は……随分派手にやらかしたようだが、それと君の留学先の変更はどう関係しているんだい?」
一瞬冷ややかな視線がダニエルからノーマンへ送られる。何もかも完璧な兄に劣等感も憧れもあるノーマンは蛇に睨まれた蛙も同然。壇上で高らかに宣言してから時間はさほど経っていないのに随分と小さくなった印象だ。ダニエルがノーマンへ意識をやったのはこの時くらいですぐさまフェリシアに向き直ると話を促すように翡翠の瞳をじっと覗き込む。
「…っ、留学は勿論勉強や他国の交流が第一の目的ですのよ。でも私の婚約者探しも兼ねているとお伝えしたでしょう?」
「ああ、最初に会った母上との茶会でそう言っていたね。けれどやっぱりわからないよ、なんでアルドリットから去るなんて…そんなこと考えないでくれ」
明らかなフェリシアへの好意を隠さないダニエルに二度目の衝撃と悲しみをくらった令嬢たちがいる一方、成熟した見た目とは裏腹に年相応というよりは幼い情緒のフェリシアはちっともダニエルの好意に気付いておらず、その鈍感ぶりに苛立つ令嬢たちもいる。冷静に状況を静観していた一部の令息たちはのちに「感情の渦が可視化できる日がこようとは…」と語っていたとかなんとか。
「……私はアルドリット帝国が法で一夫一妻と定められていると聞き及んで留学先に選びました」
ボルケ王国は世にも珍しい多夫多妻を認められた国である。一夫多妻も王族以外は好ましくないといった認識に世界が変わる中、独自の文化を育み続けるボルケ王国は多夫多妻に異議を申し立てる勢力などほとんど皆無と言ってよかった。ボルケ国王の六人目の側室の母から生まれたフェリシアは今のところ末娘の第十六王女で男女合わせると兄弟姉妹は三十人を下らない。第三王子が生まれるまでの間、血筋のため王妃や側室たちは王とのみ関係を持っていたが第三王子が生まれた後は…言わずもがな。その代わりと言ってはなんだが、醜い嫉妬で王宮が荒れることは一度もなかったという。
たくさんの愛を受けて育ったフェリシアは家族を嫌っているわけでも軽蔑しているわけでもない。ただ、幼少期に手にした他国の童話にすっかり心を奪われてしまっただけ。ひとりの王子様とひとりのお姫様、ふたりは互いに手を取り合い永遠に愛しぬきました、めでたしめでたし。
フェリシアの突然の願いに家族はみな驚いたが、それで幸せになれるのならばと温かく送り出されての留学だったのに。
「それはフェリシア嬢から聞いたから勿論覚えているよ。でもなぜ今そんなことを?」
「だって、あの方…色を売る方でなく、男爵令嬢だって…」
再びとんでもない失礼発言。流石に冷静さを取り戻していたポーラは今がチャンスとばかりに、庇護欲をかきたてる真ん丸と大きな瞳に輝く涙をたっぷりと溜め、わぁんとわざとらしく泣き声を上げた。
「ひどいわっ、私のお母様が娼婦の出だからってキャロライナ様と同じように馬鹿にするのね」
今にも折れてしまいそうな華奢な肩を震わせるポーラが儚げに目を伏せると壇上の四人は皆ポーラに駆け寄った。振り出しに戻るかの如く再び舞台上に引っ張り出されたキャロライナは扇子越しに呆れたような溜息をつく。
アルドリットでは上背があり知性的で意志の強そうな印象を与えるキャロライナと発育よく健康的でいて中身に目を瞑れば妖艶さもあるフェリシアに対するは華奢で儚げなポーラという図はポーラに分があるように見えてしまうのは人の性。
ノーマンが主張していたキャロライナの罪を上手く盛り込んで主導権を握り返そうとするポーラだったが、それがとんでもない藪蛇となろうとは。
「違いますわ!色を売るのも立派なお仕事。勿論私の夫となる方が利用するのは…嫉妬してしまいますですが…その身ひとつで真摯に働く皆様を馬鹿にしたことなどありません。そうでなくて、ワイアット男爵令嬢…だったかしら。あなたがお仕事でないなら、多夫一妻となるということでしょう?お仕事だと思って学園で制服をお召しになっていらしても目を瞑ろうとしていたのに、…そんなことがまかり通る国だと存じておりませんでしたっ」
時が止まるとは正しくこういうことを言うのだ。誰もの脳裏にある疑惑が過ぎり、いやいやまさかと否定する。ポーラだけは誰よりも早くフェリシアの言わんとすることが分かった。当然と言えば当然。フェリシア以上に顔を真っ青にさせたがどう返答しても最悪の未来しか見えず「ちが、違う」とうわ言のような言葉を繰り返すことしかできていない。皆が皆牽制し合う空気の中で声を挙げられるのはやはりダニエルだけで。
「………え、…っと、…どういうこと?」
「あちらの壇上にいらっしゃる男性たちと女性は婚姻関係にあるのでしょう?隠さなくたってかまいませんわ。学園内であれだけ絡みあったり抱き合ったりしてるんですもの。はだかんぼだなんて、は、破廉恥っ!!お兄様やお姉様が学園でってシチュエーションが燃えるのよねなどと言っておりましたが…ボルケ王国だけかと思いきや、まさかアルドリット帝国でもなんて………い、いえ、私はけして見てませんわ、見てません、ちょ、ちょっとしか。ねえ、アデラ!そうよね!見てないわよね!アルドリットの男性のあそこが、お父様やお兄様方と随分違って小さくってびっくりなんてしてませんわ、私!!!」
息の根を止めたあと亡骸に何度も銃弾を撃ち込むくらい容赦のない仕打ちが悪意の欠片も感じさせないことがあろうとは。壇上の面々は耳まで真っ赤に染め、会場の他の令息たちは今日初めて彼らに心からの同情をした。そんな中でもフェリシアの物言いに小さく吹き出したのは間違いなくダニエルだろう。「野ざらしになった戦場かと思った」これもとある令息の後日談である。墓穴を掘っているなど露とも知らないフェリシアに必死に捲し立てられたアデラは主人の背中を優しく摩りながら冷えた視線でちらりと壇上の面々を一瞥したあと「ええ、フェリシア様は見ていません」と一言。忠実なる侍女である。
フェリシアの生まれる前に息子が五人続き久々に生まれた娘は一際美しく可愛らしく、花よ蝶よと囲いに囲って育てられたことが恐らく要因だ。いつしか生まれる国を間違えたんじゃないかと言われるくらいに初心に育ってしまったフェリシアを兄姉たちはこぞって揶揄うのが日課となったのはまたこれも別の話。
「学生婚も多夫一妻も我が国では珍しいことではありませんが、…でもまさかこちらもだなんて聞いておりませんでした!私は私だけを愛してくださる方と一途に一生を添い遂げる結婚を夢見ておりましたのに…あんまりですわ…!」
さっきまでの混沌が最大だと思っていた面々は何事も限度などないのだなと思い思いに遠い目をして時が流れるのを待った。恐らくノーマンはその事実を知らず側近三人もそれぞれ自分だけがと思っていたのだろう「どういうことだポーラ」「ポーラ、ノーマン様に無理矢理迫られて断れない立場だが本当は俺が好きだって話をしていただろう!?」「な、それは僕にも言っていた」と檀上は別の修羅場が巻き起こっていたが止めるものは残念ながらいない。
「…………!……い、嫌だわ、私ったら。………申し訳ありません、気が動転して。他国の法を私が非難する権利はありませんでしたわ。それに奔放なボルケ王国のものが何を言っていると笑われてしまいますわね。大変失礼なことを…。私共の調査不足を棚に上げてお恥ずかしい。……でも、ということですのでダニエル様、私は留学先を変えたいと思うのです」
「アルドリットに多夫一妻制度はないよ、フェリシア嬢」
「………?あら、……では、男妾ということでしょうか?」
「我が国は法の下で一夫一妻制となっている。特定の相手がいなくて当人たちが全員納得の上であればそれを取り締まる法はないけれどね。妾も男妾も認められていないし、婚約者のいる立場でのそれは…ただの不貞行為だ。不貞行為は……見ての通り我が国でも残念ながらゼロではないけれど、それはいけないこととされていて当然罰も与えられるよ」
「あら、あらあら。……、…?…………え!?」
兄から弟へのフォローではなく追撃に、壇上でくだらない小競り合いをしていた面々も流石に消沈してしまったが、ポーラだけは未だに違う違うと首を振って無駄な抵抗をしている。信じてとしなだれかかるその言葉の重みなどないも等しく、ポーラの儚さはこういったところでも活かされるらしいとは最大の皮肉だろう。
その後、後処理をする部隊は散々であった。嘘をつく利益などないフェリシアとアデラの言葉だが、鵜呑みにするわけにもいかないときっちり調査が行われたが、ふたりの証言以上のあられもない事実が出るわ出るわ。四人の男とポーラはそれぞれ場所を変えて仲を深めていたらしい。それぞれにバレないようにとポーラに案内され空き教室や使わなくなった用具小屋などどれも下位貴族や優秀な平民が属するクラス近くで密会していたようだ。
フェリシアとアデラは国と異なる造りの建物が珍しく見学がてら散策をしているタイミングで不幸にも現場を目撃することになったのだが、実際のところ目撃者はふたりだけではなかった。だが目撃者のいずれも身分が低く報復を恐れて口を噤んでいたと後々キャロライナへ謝罪が為されたらしい。
第二皇子の失態に側近三人もそれなりの家柄かつ全員に当然のように婚約者がいたため大事になったのは目に見える。唯一の救いとすれば、誰も嫡男ではなかったことか。故に各々の家も国も決断を下すのは迅速であった。不貞行為に公然わいせつ、侯爵令嬢への罪の偽造等々いくら学生の身分でも情状酌量の余地はないと判断され、再教育という名のもとにそれぞれ違う場所へ労役という判決が下る。
フェリシアもフェリシアで気が動転していたとは言え断罪への反論する間もなかったキャロライナには本当に悪いことをしたと謝罪の文を名産の果実と金で作られた髪飾りと共に送ることにした。「偽りの罪であったことが証明できましたので何の問題もありませんよ。それに…正直すっきりしました。あの方々の情けないお顔を見れたおかげです」と心優しい返信を受け取ったところで漸く安堵の息が漏れた。
定期的に行われる城に呼ばれてのお茶会も久々に楽しさが戻ってきた。しかし目の前で同じく紅茶に舌鼓を打つのは皇妃ではなくダニエルだ。皇妃とフェリシアの交流茶会にダニエルが参加するようになり、そして回を重ねるごとに皇妃は多忙を理由に途中退席することが増えたが、ついに本日は最初からダニエルとふたりきり。不思議に思いつつもダニエルとの会話はいつも楽しい時間のため特に気にすることはなく言葉を続ける。
「はあ……でもよかった。キャロライナ様がお優しい方で。けれどまだまだ修行が足りませんわ、立派で素敵な淑女になって素敵なお婿さんを見つけなければいけないのに」
「ねえ、そのことなんだけど。僕なんてどう?」
「……え?」
「だから僕がフェリシア嬢のお婿さん」
「え、嫌ですわ」
まさか断られるとは思っていなかったダニエルは笑顔のまま固まってしまった。
「ダニエル様、私は私だけを愛してくださる方と一緒になりたいとお伝えしたでしょう?ダニエル様はアルドリット帝国の次期皇帝。皇帝だけは世継ぎのために側室を持つことができる法は存じておりましてよ」
「…………なくす」
「……え?」
「その法、僕がなくす」
「な、何をおっしゃってるのですか、そんな簡単にできませんわ。それに世継ぎの問題は」
「それでフェリシア嬢が僕のところに来てくれるならなんだってするよ。世継ぎなんて遠縁から連れてくるなり何とでもできるからね」
本当にしかねない様子のダニエルにフェリシアは目を白黒させるばかり。戸惑いはあるようだが拒否感はいだいていない様子のフェリシアに気を良くしたダニエルは引く気は一切無いらしい。気づけば向かい合って座っていたはずが椅子ごとフェリシアの横に陣取って泳ぎ続ける翡翠の瞳を覗き込んだ。後ろに立ったまま接触は許さないぞと威圧するアデラの視線に気づかないふりを決め込んだまま。
「だから、ね?いいでしょ?」
「そ、そんなこと言われましても……ダニエル様のことをそんな風に見たことありませんもの。出来れば政略結婚ではなくて、恋をしてみたい、ですし…」
「じゃあそれも僕としよう。僕はもうフェリシア嬢に恋してるわけだし、後は君が僕のこと好きになってくれれば問題ないよ」
「………!?なっ、こ、い…!?ダニエル、様がわ、わ、たくし、に!?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いてまして、アデラ!?」
「いえ、聞いておりません。いささか急なのでは」
「ほらっ、アデラもこう言っておりますわ!!」
恐らくアデラはダニエルの気持ちに随分前から気付いていただろうが、強引に押し通そうとしているダニエルの味方など当然しない。分が悪いし確かに卑怯だったなと肩を竦めて見せたあと、椅子からゆっくりと立ちあがる。そうしてそのまま地面に膝をつき、フェリシアの指先を掬い上げた。まるであの童話の王子様のように。
「フェリシア嬢、僕は君のことが好きだ。どうか僕と結婚して欲しい」
ゆっくりと掬われた指先に唇が落とされる。ダニエルの銀糸の髪がさらりと揺れると太陽の輝きが反射してキラキラと美しく瞳を照らした。いつか夢見た童話の中のお姫様さながらの状況にダニエルの唇が触れた指先がやけに熱くてたまらないが、振りほどく気にはなれない。
「……前向きに、考えさせていただきますわ」
まだ芽生え始めた感情に名前を付けることはできないけれど、きっと近い未来なにかがわかるはず。消灯の時間を過ぎたあと、月明かりの中でも食い入るように読み込んだ童話の恋の物語がついにフェリシアにも。トクトクと脈打つ心臓が飛び出てきそうで必死に押さえつけるフェリシアへ今度はダニエルが爆弾を投下する。
「あ。そうだ、安心して、フェリシア嬢。僕のは大きいよ」
どうやらフェリシアの王子様(仮)は、童話の中と違って眩しく優しいだけの男ではないらしい。
婚約破棄宣言で修羅場と化した会場を切り裂くような悲鳴があがったのは、修羅場を生み出した面々とは全く別の場所だった。示し合わせたわけでもないのにモーゼの十戒のごとく人垣は割れ、悲鳴の発生源はすぐに判明する。なぜなら人垣が割れた先に立つ少女はすっかりこの学園の話題の中心であったから。
今学園の話題をかっさらっているのは三つ。ひとつは今しがた起こった婚約破棄の起因となった面々。ふたつめはこの国の皇太子について。そうして最後のひとつは悲鳴を上げた張本人、フェリシア・ボルケであった。
フェリシア・ボルケは南の国からの留学生でボルケ王国の第十六王女でもある。学園のあるアルドリット帝国から馬車や船を乗り継いで一ヶ月弱は要する場所にあるボルケ王国は別名金の国とも呼ばれ、その名の通り金が各地で採掘されることで繁栄してきた国だ。だが海を挟んでいることもありアルドリットに住む人々の中でボルケ王国について正確な情報を持っているのは歴史や文化に明るいものだけというのも致し方がない。
そんなボルケ王国からやってきた留学生の王女は、何もかもがアルドリットとは異なっていた。わかりやすいのはやはりその容姿だろう。アルドリットの国民の大半は色素の薄い髪と肌が特徴的であるのに対して、フェリシアは健康的な褐色の肌と艶々とした美しく豊かな黒髪を有していた。翡翠の石をはめ込んだような瞳を縁取る睫毛も黒々と艶めいて、施されている化粧もアルドリットのものとは少し異なっている。体つきも華奢で儚げな印象を持たれるアルドリットの女性とは異なり、しなやかな筋肉と豊満な胸や尻はどこか野性的な印象さえ与えていた。
他国の王女に対して直接不躾な視線を送るものは当然いなかったが、陰でエキゾチックで魅力的と称するものや野蛮で下品と蔑むものは後を絶たない。敬想や嫉妬が渦巻くものの話題が事欠かないこともまた、致し方がないことであった。
そんなフェリシアがなぜ悲鳴をあげたかといえば、話は少し巻き戻る。
フェリシアたちが通う帝都学園では年度末に生徒会主催で大々的な二部式パーティーが開かれる風習があった。一部は卒業式を終えた三年生の慰労と一、二年生の交流のためのパーティーで二部は社交界の登竜門とも呼ばれ、親世代の貴族たちも招待され最後には皇帝の挨拶まで組み込まれている。
一部のパーティーが始まって間もない頃、突然壇上にあがったのは二年生に在籍するアルドリットの第二皇子ノーマンとノーマンに支えられた可愛らしい少女、そしてノーマンの側近三人衆。談笑に夢中だった生徒たちも学園で噂となっていた面々の登場に嫌な予感でもしたのだろう、誰もが自然と口をつぐみ状況を静観する構えとなった。
ぴんと張り詰めた空気に会場の誰もが居心地の悪さを感じる中、起因となったノーマンたちだけは気にした風もない。得意げな唇の端を隠そうともしないノーマンがその婚約者キャロライナ・フォレット侯爵令嬢を雑に呼びつける。そうして。
「キャロライナ!お前の悪事はもう分かっているぞ!!僕は今ここでお前との婚約を破棄し、新たにこのポーラ・ワイアット男爵令嬢との婚約を発表する!」
高らかな宣言がなされたのだ。ついに事が起きた、というのが学園の生徒たち殆どの今の心情だろう。学園中で噂になるほど良い仲とされていたノーマンとポーラ。裏切られる形となったキャロライナの第一声を誰もが息をのんで待っていた。待っていたのにだが。
「いやあああああああああああ!!!」
フェリシアの悲鳴が会場一帯に響き渡ったのだ。つまり、冒頭に戻る。
キャロライナの悲鳴ならばまだわかるのだが、なぜ無関係なフェリシアがまるで死に直面したかのような悲鳴をあげたのか誰も知るはずもない。得意げに宣言したノーマンも唖然としてしまっている。
「あ、あ、あああああ、貴方様は、その、い、色を売るお仕事の方ではなく、この国の、貴族の…ご、ご令嬢 ですの!?」
悲鳴の後に続く言葉は恐らくポーラに投げかけられたもの。要は娼婦ではなかったのか、との意の失礼な問いかけにポーラは怒ってもいいはずなのだが、誰もかれもが状況を飲み込み切れずに妙な静けさが一帯を包んでいる。
「ア、アデラ…!聞いていた話と違うわ、ど、どうしましょう。今からでも留学先を変えた方がいいんじゃないかしら」
アデラ、と声をかけられたのは留学に際してフェリシアに国からついてきた侍女のことだ。フェリシアと同じく褐色と黒髪をもつアデラは主の奇行が珍しいものではないかのように平然と対応している。通常この類のパーティーに侍女を引き連れて参加するものは居ないのだが護衛も兼ねているらしいアデラはどんな状況でもけしてフェリシアの傍を離れることは無い。
「申し訳ございません、フェリシア様。私共の調査が足りなかったようです。再度徹底的に調べてフェリシア様の条件に当てはまる国を至急探してまいります」
まるで状況が把握できていない周囲をよそに、不手際を詫びるアデラに顔を真っ青にさせながらフェリシアはその申し出を有難く受け取ろうと首を縦に振ったところ。
「待ってくれ、フェリシア嬢!」
今にも新たな留学先を探し始めかねないアデラと気が動転しているフェリシアを引き留める声が上段から響く。声をたどって視線をあげると貴賓席から身を乗り出す男の姿が。この国のものであれば誰もが知る人物、第一皇子ダニエルである。
ダニエルは昨年学園を卒業し、立太子の儀式を終えたばかりだ。ノーマンも美しい顔立ちをしていたがダニエルは更に群を抜いて美しく、皇族の証である銀糸の髪とヴァイオレットの瞳はまるで芸術作品のようだと例えられる。性格に難のある弟と比べ物にならないくらいの人格者と知られているため国の令嬢たちの憧れの的となるのも頷けた。
五年前に隣国の王女と婚約し衝撃と悲しみを令嬢たちに与えたダニエルだったが、ちょうど一年前突然の婚約解消が公表されている。どうやら隣国の王女が粗相をしたらしく、隣国から支払われた慰謝料でアルドリットの財政がたんまり潤ったのはまた別の話だ。あわよくばその後釜にとまだ婚約者のいない令嬢たちは浮足立っていても仕方がなかった。
そんなダニエルが慌てて貴賓席から下りてきたものだから、パーティー会場は今最も熱い三大話題が勢ぞろいしたことになる。混沌も混沌。恐らく一番哀れなのは名誉を傷つけられたまま宙ぶらりんのキャロライナであろうが、そのままの勢いでキャロライナを断罪してやろうと目論んでいたノーマンたちが気を取り直してキャロライナの罪とやらを並べ立てようとしたが最早耳を貸しているものなどいない。
「ダニエル様…、あ…週末ぶりですわね。……皇妃様にもお礼をお伝えしてそれから留学の日程を」
「だからフェリシア嬢、ちょっと待ってくれ。確かに弟は……随分派手にやらかしたようだが、それと君の留学先の変更はどう関係しているんだい?」
一瞬冷ややかな視線がダニエルからノーマンへ送られる。何もかも完璧な兄に劣等感も憧れもあるノーマンは蛇に睨まれた蛙も同然。壇上で高らかに宣言してから時間はさほど経っていないのに随分と小さくなった印象だ。ダニエルがノーマンへ意識をやったのはこの時くらいですぐさまフェリシアに向き直ると話を促すように翡翠の瞳をじっと覗き込む。
「…っ、留学は勿論勉強や他国の交流が第一の目的ですのよ。でも私の婚約者探しも兼ねているとお伝えしたでしょう?」
「ああ、最初に会った母上との茶会でそう言っていたね。けれどやっぱりわからないよ、なんでアルドリットから去るなんて…そんなこと考えないでくれ」
明らかなフェリシアへの好意を隠さないダニエルに二度目の衝撃と悲しみをくらった令嬢たちがいる一方、成熟した見た目とは裏腹に年相応というよりは幼い情緒のフェリシアはちっともダニエルの好意に気付いておらず、その鈍感ぶりに苛立つ令嬢たちもいる。冷静に状況を静観していた一部の令息たちはのちに「感情の渦が可視化できる日がこようとは…」と語っていたとかなんとか。
「……私はアルドリット帝国が法で一夫一妻と定められていると聞き及んで留学先に選びました」
ボルケ王国は世にも珍しい多夫多妻を認められた国である。一夫多妻も王族以外は好ましくないといった認識に世界が変わる中、独自の文化を育み続けるボルケ王国は多夫多妻に異議を申し立てる勢力などほとんど皆無と言ってよかった。ボルケ国王の六人目の側室の母から生まれたフェリシアは今のところ末娘の第十六王女で男女合わせると兄弟姉妹は三十人を下らない。第三王子が生まれるまでの間、血筋のため王妃や側室たちは王とのみ関係を持っていたが第三王子が生まれた後は…言わずもがな。その代わりと言ってはなんだが、醜い嫉妬で王宮が荒れることは一度もなかったという。
たくさんの愛を受けて育ったフェリシアは家族を嫌っているわけでも軽蔑しているわけでもない。ただ、幼少期に手にした他国の童話にすっかり心を奪われてしまっただけ。ひとりの王子様とひとりのお姫様、ふたりは互いに手を取り合い永遠に愛しぬきました、めでたしめでたし。
フェリシアの突然の願いに家族はみな驚いたが、それで幸せになれるのならばと温かく送り出されての留学だったのに。
「それはフェリシア嬢から聞いたから勿論覚えているよ。でもなぜ今そんなことを?」
「だって、あの方…色を売る方でなく、男爵令嬢だって…」
再びとんでもない失礼発言。流石に冷静さを取り戻していたポーラは今がチャンスとばかりに、庇護欲をかきたてる真ん丸と大きな瞳に輝く涙をたっぷりと溜め、わぁんとわざとらしく泣き声を上げた。
「ひどいわっ、私のお母様が娼婦の出だからってキャロライナ様と同じように馬鹿にするのね」
今にも折れてしまいそうな華奢な肩を震わせるポーラが儚げに目を伏せると壇上の四人は皆ポーラに駆け寄った。振り出しに戻るかの如く再び舞台上に引っ張り出されたキャロライナは扇子越しに呆れたような溜息をつく。
アルドリットでは上背があり知性的で意志の強そうな印象を与えるキャロライナと発育よく健康的でいて中身に目を瞑れば妖艶さもあるフェリシアに対するは華奢で儚げなポーラという図はポーラに分があるように見えてしまうのは人の性。
ノーマンが主張していたキャロライナの罪を上手く盛り込んで主導権を握り返そうとするポーラだったが、それがとんでもない藪蛇となろうとは。
「違いますわ!色を売るのも立派なお仕事。勿論私の夫となる方が利用するのは…嫉妬してしまいますですが…その身ひとつで真摯に働く皆様を馬鹿にしたことなどありません。そうでなくて、ワイアット男爵令嬢…だったかしら。あなたがお仕事でないなら、多夫一妻となるということでしょう?お仕事だと思って学園で制服をお召しになっていらしても目を瞑ろうとしていたのに、…そんなことがまかり通る国だと存じておりませんでしたっ」
時が止まるとは正しくこういうことを言うのだ。誰もの脳裏にある疑惑が過ぎり、いやいやまさかと否定する。ポーラだけは誰よりも早くフェリシアの言わんとすることが分かった。当然と言えば当然。フェリシア以上に顔を真っ青にさせたがどう返答しても最悪の未来しか見えず「ちが、違う」とうわ言のような言葉を繰り返すことしかできていない。皆が皆牽制し合う空気の中で声を挙げられるのはやはりダニエルだけで。
「………え、…っと、…どういうこと?」
「あちらの壇上にいらっしゃる男性たちと女性は婚姻関係にあるのでしょう?隠さなくたってかまいませんわ。学園内であれだけ絡みあったり抱き合ったりしてるんですもの。はだかんぼだなんて、は、破廉恥っ!!お兄様やお姉様が学園でってシチュエーションが燃えるのよねなどと言っておりましたが…ボルケ王国だけかと思いきや、まさかアルドリット帝国でもなんて………い、いえ、私はけして見てませんわ、見てません、ちょ、ちょっとしか。ねえ、アデラ!そうよね!見てないわよね!アルドリットの男性のあそこが、お父様やお兄様方と随分違って小さくってびっくりなんてしてませんわ、私!!!」
息の根を止めたあと亡骸に何度も銃弾を撃ち込むくらい容赦のない仕打ちが悪意の欠片も感じさせないことがあろうとは。壇上の面々は耳まで真っ赤に染め、会場の他の令息たちは今日初めて彼らに心からの同情をした。そんな中でもフェリシアの物言いに小さく吹き出したのは間違いなくダニエルだろう。「野ざらしになった戦場かと思った」これもとある令息の後日談である。墓穴を掘っているなど露とも知らないフェリシアに必死に捲し立てられたアデラは主人の背中を優しく摩りながら冷えた視線でちらりと壇上の面々を一瞥したあと「ええ、フェリシア様は見ていません」と一言。忠実なる侍女である。
フェリシアの生まれる前に息子が五人続き久々に生まれた娘は一際美しく可愛らしく、花よ蝶よと囲いに囲って育てられたことが恐らく要因だ。いつしか生まれる国を間違えたんじゃないかと言われるくらいに初心に育ってしまったフェリシアを兄姉たちはこぞって揶揄うのが日課となったのはまたこれも別の話。
「学生婚も多夫一妻も我が国では珍しいことではありませんが、…でもまさかこちらもだなんて聞いておりませんでした!私は私だけを愛してくださる方と一途に一生を添い遂げる結婚を夢見ておりましたのに…あんまりですわ…!」
さっきまでの混沌が最大だと思っていた面々は何事も限度などないのだなと思い思いに遠い目をして時が流れるのを待った。恐らくノーマンはその事実を知らず側近三人もそれぞれ自分だけがと思っていたのだろう「どういうことだポーラ」「ポーラ、ノーマン様に無理矢理迫られて断れない立場だが本当は俺が好きだって話をしていただろう!?」「な、それは僕にも言っていた」と檀上は別の修羅場が巻き起こっていたが止めるものは残念ながらいない。
「…………!……い、嫌だわ、私ったら。………申し訳ありません、気が動転して。他国の法を私が非難する権利はありませんでしたわ。それに奔放なボルケ王国のものが何を言っていると笑われてしまいますわね。大変失礼なことを…。私共の調査不足を棚に上げてお恥ずかしい。……でも、ということですのでダニエル様、私は留学先を変えたいと思うのです」
「アルドリットに多夫一妻制度はないよ、フェリシア嬢」
「………?あら、……では、男妾ということでしょうか?」
「我が国は法の下で一夫一妻制となっている。特定の相手がいなくて当人たちが全員納得の上であればそれを取り締まる法はないけれどね。妾も男妾も認められていないし、婚約者のいる立場でのそれは…ただの不貞行為だ。不貞行為は……見ての通り我が国でも残念ながらゼロではないけれど、それはいけないこととされていて当然罰も与えられるよ」
「あら、あらあら。……、…?…………え!?」
兄から弟へのフォローではなく追撃に、壇上でくだらない小競り合いをしていた面々も流石に消沈してしまったが、ポーラだけは未だに違う違うと首を振って無駄な抵抗をしている。信じてとしなだれかかるその言葉の重みなどないも等しく、ポーラの儚さはこういったところでも活かされるらしいとは最大の皮肉だろう。
その後、後処理をする部隊は散々であった。嘘をつく利益などないフェリシアとアデラの言葉だが、鵜呑みにするわけにもいかないときっちり調査が行われたが、ふたりの証言以上のあられもない事実が出るわ出るわ。四人の男とポーラはそれぞれ場所を変えて仲を深めていたらしい。それぞれにバレないようにとポーラに案内され空き教室や使わなくなった用具小屋などどれも下位貴族や優秀な平民が属するクラス近くで密会していたようだ。
フェリシアとアデラは国と異なる造りの建物が珍しく見学がてら散策をしているタイミングで不幸にも現場を目撃することになったのだが、実際のところ目撃者はふたりだけではなかった。だが目撃者のいずれも身分が低く報復を恐れて口を噤んでいたと後々キャロライナへ謝罪が為されたらしい。
第二皇子の失態に側近三人もそれなりの家柄かつ全員に当然のように婚約者がいたため大事になったのは目に見える。唯一の救いとすれば、誰も嫡男ではなかったことか。故に各々の家も国も決断を下すのは迅速であった。不貞行為に公然わいせつ、侯爵令嬢への罪の偽造等々いくら学生の身分でも情状酌量の余地はないと判断され、再教育という名のもとにそれぞれ違う場所へ労役という判決が下る。
フェリシアもフェリシアで気が動転していたとは言え断罪への反論する間もなかったキャロライナには本当に悪いことをしたと謝罪の文を名産の果実と金で作られた髪飾りと共に送ることにした。「偽りの罪であったことが証明できましたので何の問題もありませんよ。それに…正直すっきりしました。あの方々の情けないお顔を見れたおかげです」と心優しい返信を受け取ったところで漸く安堵の息が漏れた。
定期的に行われる城に呼ばれてのお茶会も久々に楽しさが戻ってきた。しかし目の前で同じく紅茶に舌鼓を打つのは皇妃ではなくダニエルだ。皇妃とフェリシアの交流茶会にダニエルが参加するようになり、そして回を重ねるごとに皇妃は多忙を理由に途中退席することが増えたが、ついに本日は最初からダニエルとふたりきり。不思議に思いつつもダニエルとの会話はいつも楽しい時間のため特に気にすることはなく言葉を続ける。
「はあ……でもよかった。キャロライナ様がお優しい方で。けれどまだまだ修行が足りませんわ、立派で素敵な淑女になって素敵なお婿さんを見つけなければいけないのに」
「ねえ、そのことなんだけど。僕なんてどう?」
「……え?」
「だから僕がフェリシア嬢のお婿さん」
「え、嫌ですわ」
まさか断られるとは思っていなかったダニエルは笑顔のまま固まってしまった。
「ダニエル様、私は私だけを愛してくださる方と一緒になりたいとお伝えしたでしょう?ダニエル様はアルドリット帝国の次期皇帝。皇帝だけは世継ぎのために側室を持つことができる法は存じておりましてよ」
「…………なくす」
「……え?」
「その法、僕がなくす」
「な、何をおっしゃってるのですか、そんな簡単にできませんわ。それに世継ぎの問題は」
「それでフェリシア嬢が僕のところに来てくれるならなんだってするよ。世継ぎなんて遠縁から連れてくるなり何とでもできるからね」
本当にしかねない様子のダニエルにフェリシアは目を白黒させるばかり。戸惑いはあるようだが拒否感はいだいていない様子のフェリシアに気を良くしたダニエルは引く気は一切無いらしい。気づけば向かい合って座っていたはずが椅子ごとフェリシアの横に陣取って泳ぎ続ける翡翠の瞳を覗き込んだ。後ろに立ったまま接触は許さないぞと威圧するアデラの視線に気づかないふりを決め込んだまま。
「だから、ね?いいでしょ?」
「そ、そんなこと言われましても……ダニエル様のことをそんな風に見たことありませんもの。出来れば政略結婚ではなくて、恋をしてみたい、ですし…」
「じゃあそれも僕としよう。僕はもうフェリシア嬢に恋してるわけだし、後は君が僕のこと好きになってくれれば問題ないよ」
「………!?なっ、こ、い…!?ダニエル、様がわ、わ、たくし、に!?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いてまして、アデラ!?」
「いえ、聞いておりません。いささか急なのでは」
「ほらっ、アデラもこう言っておりますわ!!」
恐らくアデラはダニエルの気持ちに随分前から気付いていただろうが、強引に押し通そうとしているダニエルの味方など当然しない。分が悪いし確かに卑怯だったなと肩を竦めて見せたあと、椅子からゆっくりと立ちあがる。そうしてそのまま地面に膝をつき、フェリシアの指先を掬い上げた。まるであの童話の王子様のように。
「フェリシア嬢、僕は君のことが好きだ。どうか僕と結婚して欲しい」
ゆっくりと掬われた指先に唇が落とされる。ダニエルの銀糸の髪がさらりと揺れると太陽の輝きが反射してキラキラと美しく瞳を照らした。いつか夢見た童話の中のお姫様さながらの状況にダニエルの唇が触れた指先がやけに熱くてたまらないが、振りほどく気にはなれない。
「……前向きに、考えさせていただきますわ」
まだ芽生え始めた感情に名前を付けることはできないけれど、きっと近い未来なにかがわかるはず。消灯の時間を過ぎたあと、月明かりの中でも食い入るように読み込んだ童話の恋の物語がついにフェリシアにも。トクトクと脈打つ心臓が飛び出てきそうで必死に押さえつけるフェリシアへ今度はダニエルが爆弾を投下する。
「あ。そうだ、安心して、フェリシア嬢。僕のは大きいよ」
どうやらフェリシアの王子様(仮)は、童話の中と違って眩しく優しいだけの男ではないらしい。
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