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A01運行:井関、樺太へ

0015A:真実のパーツは、既に我々の手中にあったというわけだ

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 列車は山頂へと達し、すると急に車内が寒くなってきた。凍えまいと井関達が身を寄せ合ってると、ハツは毛布を投げて寄越した。

「それじゃあ、当時列車に乗っていた機関助士はだれなんだ? 君はその人物を庇っているのか?」

「結論から言えば、列車には機関助士は乗ってなかったわ」

「そんなことがあり得るか」

 笹井が食って掛かるが、ハツは涼しい顔だ。

「だって、現に今、機関助士は乗ってないわ」

 ハツは今、”機関士”として乗り込んでいる。だから今この場に”機関助士”は存在していない。

「おい水野、そんなことはあり得るのか?」

「まさか……そんな……。あり得ませんよ」

「現実から目を背けない方がいいわ、お兄さん。この地に敵弾が降り注いだことも、人々が焼かれ、犯され、棄てられたこと同じように、このことも事実なの」

 その言葉は、まるで子供に”1+1”を教えるかのように当然のこととして、そして優しい口調だった。だが水野は”=2”を受け入れることができない。

「運転局は現場からの報告に基づき、少なくとも最低限の人員は確保していたはずです。なぜ、こんなことに」

「私たちが”人が足りない”と言う。すると、アナタたちはその分人件費を減らす。”人が足りている”というと、アナタたちはその分人件費をくれる。だから、私のような学徒を動員してでも数字を水増しするしかなかった」

 って、父さんが言っていたわとハツは言う。”1+1=2”には、確固とした論拠があったのだ。

「当日、私は体調を崩してとても機関車に乗ることができる身体じゃなかった。そうしたら、立花君が『じゃあ今日は休め』って言ってくれたの。それが最後の会話になっちゃった」

「立花君、というのは、亡くなった立花機関士だな」

「ええ、彼は尋常小学校から同じだったの。樺太から逃げる時も一緒で、仲が良かったのね。それが仇になったわ」

 彼女の言葉が、チクリと井関の胸を刺す。

「では、ハツさん。あなたは彼が単独で機関車に乗らなければならなかったという事が、原因と考えているのですか」

 水野は真っ青な顔でそうまとめた。だがそれに対し、ハツは微妙な顔をする。

「うーん、どういったらいいのかわからないけれども、それは事実の半分しか指摘していないと思うわ」

「どういうことだ」

「もうすぐ、わかると思うのだけれど」

 彼女はそう言うと、右手をあげて「場内進行!」と唱えた。




「逢坂駅か。では、峠を一つ越えたんだな」

「どういうことだ井関」

「この豊真線には二つの峠がある。それが宝台と瀧ノ沢だ。今越えたのが宝台で、もうすぐ差し掛かるのが、事故が起きた瀧ノ沢」

 列車は坂を下り切った。そしてそのまま谷間を抜けるように走る。

「それで、もう半分はなんなんだ」

「オジサン、この機関車に、詳しそうだった、わかると思った。だけど」

 ハツは井関に対しそんな挑発的な目線を投げかける。

「この機関車は完璧だ。私が設計し、そして上越線、奥羽本線で実際に運用し、問題は発生しなかった」

「でも、ここは、樺太よ」

「上越国境も、米沢も、日本有数の積雪地帯であることには変わらない」

「でも、ここは、樺太」

 彼女はそれを繰り返すだけだった。その時、機関車の奥の方からグオングオンと唸るような音が聞こえてきた。

「おい井関、何だこの音は」

「この音は……。ブロアの音か」

「へえ……オジサン、やっぱり、詳しいね」

 ハツはそれだけを言った。

「なんだ、ブロアって」

「今、坂を上っているだろう」

 井関はハツの後ろに立って、各種計器をチェックする。

「こういう急坂を”上る”とき、モーターにはとんでもない負荷がかかる。すると、急激に温度が上昇するんだ」

「なるほど、だからそれを冷ますために冷風を取り入れているんだな」

「そうだ。モーターは最高でも150℃ほどまでしか耐えることができない。それを越えると火事の危険がある」

 井関はそう言いながらモーターやブロアがある方を覗く。

「雪国では、ブロアが車内に雪を巻き込んでしまって機械が壊れてしまうことがあるのだが……。それも大丈夫なようだ」

「ではやはり、君の設計は正しかったということか」

「ああそのはずなんだが、なにかおかしいぞ?」

 井関がハツの方を再び見ると、彼女は薄いジトっとした目線でこちらを見つめていた。

「やっと、きがついた?」

 ハッとする井関の首筋を、冷風がそっと撫であげる。その瞬間、井関は叫びそうになってしまった。

「そうか、ブロアの構造だ!」

「どういうことだ井関」

 井関はブロアを指さした。

「温暖な地域であれば、発熱する部位にブロアで直接風を”吹き付ける”。だが、それだと雪国では都合が悪いことはさっき話した通りだ」

「では、どうしたんだ?」

「かんたんなことだ。温まった空気を外へ”掻き出す”ようにしたんだ」

「なんだって!?」

 水野は無言で手袋を外して、その指に唾液を付けて空中に浮かべる。そして気が付いた。

「空気が運転席からブロアの方へ流れています。ということは……」

「運転室からの隙間風を利用することで、車内への雪の進入を防ぐ構造になっている」

「やっぱり、わざと、だったんだ」

 ハツが言葉にしては安らかな顔を見せる。その表情を見て、井関は何も言えなくなった。

「だが、それが事故と何の関係がある」

 笹井はそう言う。列車は瀧ノ沢駅にたどり着き、登り坂から一転、下り坂を下り始める。

 その瞬間、ハツは無言で何らかのハンドルを操作した。

「それは、いまから、わかる、さ……」

 コトン、と彼女の手がハンドルから離れた。それを最後に、彼女は動かなくなってしまった。
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