上 下
35 / 108
A03運行:特命掛のハジメテ

0035A:多少の危ない橋は、渡ってしまうのが出世のコツさ

しおりを挟む
「さて、事故の原因だが……」

「待ちたまえ。いろいろと聞かせてくれ」

 笹井は井関の手をはっしと掴んだ。

「なぜ、君が私鉄の車輛のカギを持っているんだい?」

 彼は、その手の中を指摘する。握りこまれた右手の中には、確かに今しがたこの車輛の扉を開けたカギが在る。

「説明してもらわねば、納得がいかないぞ」

「なんてことはないさ」

 彼は飄々とカギをもてあそぶだけだ。

「これは忍び錠だ」

「忍び錠?」

「ああ。日本全国の鉄道で共通して使える、カギだよ」

「なんだそれは。そんな便利な道具がこの世にあってたまるか」

 彼が手に持っていたそれは、カギというにはあまりにも簡素なそれである。これで日本全国、鉄道車両の機密区画に入れるというのだからゾっとしない。

「それで、なんでそんなものを君が持っているんだい?」

「ホラ、車輛の設計をするときに実物の中に入れてもらうことがあるんだが、その時にイチイチ現場の人間に頭を下げるのは面倒だからね」

 だから、余分に一個自分用のも作ったんだ。彼はなんてことないよといった風にそう言うが、小林は気が気じゃない。

「それ、職務規定違反じゃないか」

「そうかい? まあ些細な問題さ。そんなことより事故原因だよ」

 井関は抗議の目線を向ける3人を無視して車輛と向き合った。

「この異臭の原因は、至極簡単だ。軸焼けと言われるものだ」

「軸焼け?」

「車輛の足回りの摩耗部が異常発熱してしまう現象さ」

 井関はそう言って車輪の辺りを指さす。

「ここをこうしてこうすると……。ホラ、潤滑油が腐ってしまっている」

 摩耗部は黒く焼け焦げている。それを覆うようにしてあるはずの潤滑油は、激しいにおいを放出しながらもはや残骸と化していた。

「ありゃ、本当だ。潤滑油は早々こんなことになるような材質ではないだろう?」

「もちろん。100℃くらいまでなら十分耐えられる」

「しかし、異臭がするだけじゃないか。これがどうして危険なんだい?」

 あそこまで血相を変えてまで止める必要があるほどのことじゃないだろう。と、小林は先ほどの水野を思い出してそんなことを言う。それに対し、彼はきっぱりと言い切った。

「いえ、この軸焼けという現象は危険です。これを放置すると、最悪足回りが崩壊して脱線する危険性があります」



「なんだって!? そりゃ大ごとじゃないか」

「それに、この現象はさっきも言った通り異常発熱を伴う。だから最悪の場合、それが周りの部材に広がって……」

 そこまで言って、井関は口をふさいだ。

「車体下部で発生した、異常発熱……?」

 笹井も何かを察したように息を呑む。

「井関。まさか、この軸焼けが起こると……」

 小林は神妙な顔で井関に問いかける。彼は、静かに頷いた。

「車輛に燃え広がる可能性が、ある……!」
しおりを挟む

処理中です...