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A05運行:国鉄三大ミステリー①下田総裁殺人事件

0056A:謎解きは時刻表と共に

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「以上が事件の顛末です」

 日野は目の前にドンと資料を積ながら、そう説明してくれた。井関は目を回しながらもなんとか食らいつこうとする。

「えっと、なにがなんだ?」

 しかし、無駄だった。

「ともかく、下田総裁は室蘭で失踪、その後札幌で目撃されたのち、白糠線足寄あしょろ付近で発見されたということだ」

「その足寄とやらに行くには、どうすればいい?」

「室蘭からだと……。千歳線で札幌まで行き、そこから根室本線の列車に乗る。その列車を池田で降り、さらにそこから網走本線で向かうことになる」

「遠いうえに面倒くさいね」

 小林は時刻表の路線図を指で追いながら、立ちくらむようなポーズをして見せた。

「しかし、なんだって総裁はこんなとこまで行ったんだ?」

「逆に、君は総裁が自分の意志で足寄に向かったと思うかい?」

 笹井はそう言った。

「確かに。札幌での言行は少しどころでなくおかしいな」

「それもありますが、総裁の行動履歴そのものが怪しいです」

 水野は時刻表を取り出してそう言う。

「総裁は早朝に駅を出ています。その後、伊達紋別、倶知安で目撃され、最終的に札幌でも目撃されています。しかし……」

 水野は時刻表を広げて指をさす。

「室蘭から札幌方面に向かう始発は6時丁度発の岩見沢行。しかしこれは途中苫小牧で千歳線に乗り換えなければなりません」

 再び水野はページをめくり、新しい列車を指さす。

「ですので、最も早い汽車は7時20分発の札幌行快速です」

「うーむ、これでは早朝とは言えんなあ」

 秘書の証言によれば、6時の時点でもうすでにホテルに居なかったとしている。では、総裁はどの列車に乗ったのか。

「逆に、室蘭駅を最も早くでる汽車は、何時のどこ行きなんだ?」

 笹井にそう指摘され、水野はページをめくる。

「ええと、札幌方面とは真逆、5時16分発の伊達紋別行ですね……」

 その言葉で4人は同時に同じことをひらめく。

「そうか、総裁はこの列車に乗った。だから伊達紋別駅で目撃された」

「前日に伊達紋別駅で不審な様子を見せていたことからも、間違いないな」

「では、総裁は何を考えてここへ降り立ったのだろう」

 水野は路線図のページをめくる。伊達紋別駅。そこから、なにやら線路がぴょんと飛び出していた。

「これはなんだ?」

「ああ、胆振いぶり線ですね」

「……北海道はややこしい地名が多くてかなわんな」

「そうか? ワシは知っているぞ」

 笹井は珍しく鉄道のことについて上回ったので、ちょっと得意げに胸を反った。

「……なんで君なんかがそれを知っているんだい」

「この路線は軍が指定する重要基幹線に指定されている。だから、何が何でもこの線の運行は維持しろと厳命された」

「その通りです」

 横から日野が口をはさんだ。

「この線は重要な採炭地を有しているばかりか、樺太方面への輸送において重要な役目を持っています」

「ほう、というと」

「例えば、先の大戦においては同盟国たる米国からそれなりの支援がやってきました。その際、支援は室蘭で陸揚げされました」

「たしか、証言録にもありましたな」

 小林がページをめくる。そこには、下田総裁とその秘書たちが欧米戦車を見たという記述がある。

「その支援は、稚内又は小樽へと移送し、樺太へと送られます」

「その際に、千歳線を使用すると、大都市札幌を通過することになる。札幌周辺は既に多数の路線が集まっていて混乱していたから、これを使用すると大変なことになる」

 笹井が日野の言葉をつなぐ。それで井関は委細を完全に承知した。

「なるほど。札幌を迂回する必要があったわけですな」

「さようです。列車は室蘭を出ると札幌から逆方面に向かい、伊達紋別駅から胆振線に入ります。胆振線は倶知安くっちゃんまでの路線で、そこから小樽までは函館本線を……」

 日野の説明は、小林の驚きの声で遮られた。

「待ってくれ。その軍事列車の輸送ルートは、総裁の目撃証言と一致する!」

 小林は証言のある項目を指さした。

「総裁は伊達紋別を過ぎ……次は倶知安で目撃されているのか!」

「ということは、総裁は軍事列車と同じ行程を辿ったのか……」

 井関はそう言われて納得した。だが、そこに水野が待ったをかける。

「おかしいです、先輩」

「何がどうおかしいんだい?」

「証言録と時刻表が合致しません」

 水野はそう言うと、胆振線のページを出した。

「総裁は6時14分に伊達紋別駅に着いた。胆振線の始発は6時47分でそれに乗ったと仮定しましょう。すると、倶知安着は9時46分」

 小林は証言録をめくる。

「倶知安証言の時刻と概ね合致するね」

「やはりそうですか……。では、ここから札幌方面に向かいましょう。次の札幌行は……」

 そう言われて、井関は息を呑んだ。

「次の札幌行は、3時間後か!」

「そうです。旭川行第11列車」

 井関はその列車の項目を指でたどる。小樽14時39分、札幌は……。

「札幌着が15時44分か!」

 と、ここまで来て、井関は壁にぶち当たる。

「あれ? 特におかしなことはないな」

 札幌での目撃証言は「旭川行の列車が出る時と同じ」である。そしてこの列車は旭川行。ということは、別にここに下田総裁が居てもおかしくはない。

「問題はその後です」

 と水野は言う。水野の言う通り、その後の行程を辿ってみる。すると、そこで水野の言う”無理なんです”を掘り当てた。

「たとえば、総裁がこの時間に札幌に居たとして、用事を済まして足寄に向かうとする。次の列車は……17時46分発の富良野行だ」

 井関が時刻表を辿る。終点の富良野には21時50分の到着。

「ん? ちょっとまてよ。なあ、列車が下田総裁を轢いたとされるのは何時だ?」

「22時04分……。なあ、足寄まではあと何分かかる」

「何分どころか、足寄着は翌日の朝だ!」

 笹井は仰天して腰を抜かした。

「なんだって!?」

「ということは……」

 井関は恐る恐る日野の顔を見る。彼はそれでも、静かに頷いた。

「我々が出した結論と同じものが出ましたね。そうです、目撃の通りだと、総裁は現場までたどり着くことができません」
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