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A05運行:国鉄三大ミステリー①下田総裁殺人事件
0057A:彼らだって悔しいんだ。
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井関達はとりあえず、旭川まで向かった。
「しかしあの話だと、目撃された総裁か、それとも発見された総裁のうちいずれかがニセモノということになるね」
「そういうことになるな」
「どちらがニセモノか。そして、なんの為にニセモノが現れたのか」
「気味が悪いですよ。なんだって今から死ぬ人のニセモノが街中を闊歩していたんですか。あまりにもおぞましいです」
水野がそう言う。だが、井関はこう続けた。
「いや、もっと恐ろしいのは警察だ。なぜ彼らは、この件を自殺で片づけたんだ?」
警察発表によれば、下田総裁は一人で足寄に向かい、列車に身を投げたとしている。
「それは警察の法医学者の判断によるものです」
「というと?」
「自殺の場合と他殺の場合では、傷跡の状況が異なるそうです。法医学者は遺体から、それが自殺のものであると判断しました」
「それは正しい判断ですか?」
井関が問うと、日野は首を振った。
「陸軍並びに米軍の研究チームは、他殺の可能性も捨てきれないとの結論を出しています。……が、この分野はまだ発展途上の学問なので、正確性はどれも担保できません」
「警察はそれを鵜呑みにして結論をだしたわけか」
「仕方がない話でもある。だって、他に証拠がないだろう」
証言は証拠にはならない。人々の記憶は、簡単に乱れ混同することがある。例えば、伊達紋別や倶知安の証言は、誰かの見間違いかもしれない。札幌の証言は、時刻が違うかもしれない。
「そう言われてしまうと、我々もどうしようもないぞ」
「どうしたものかねえ……」
小雪が舞い散る旭川。きらびやかな街並みを見ながら井関達は歩く。ここは陸軍第七師団のお膝下。少々の安心感に包まれている。
できれば、ここから動かずに捜査をしたい。井関はそう思わずにはいられない。
だが、そんな安全時間は唐突に終わりを向かえた。
「内務省鉄道院の、井関次郎さんですね」
いきなり二人組の男がやってきて、そう声をかけられる。日野が井関達を庇おうと前に出るが、彼らはそれに怯むどころかさらなる手を繰り出した。
「陸軍第203鉄道聯隊の日野勝大佐ですね。お話があります」
ちょっとそこの路地へ行きましょう。そんなことを言う彼らが提示したのは、金色に光る旭日。すなわちそれは、警察手帳だった。
「6年前の事件を追ってらっしゃるそうで」
館山と名乗るその刑事は、簡単にそう言った。
「ええ、何か問題でも」
「これは明らかな越権行為だ」
館山はそう言う。井関は内心、やはり、と思った。
「これは我々国鉄の話だ。同じ内務省系官庁だろうと、警察にどうこう言われる筋合いは無い」
笹井がノータイムでそう言い返す。小林が身構えた。敵はなんらかの口実でこれに対し反駁を試みるだろうと思ったからだ。
だが予想に反し、警察は笹井の主張を全面的に認めた。
「その通り。この事件の捜査権は、国鉄にも存在するはずです」
「なら……!」
「しかし、軍人には無い」
館山の目は、最初から井関や笹井の方など向いては無かった。ずっと、日野の方を見ていた。日野は毅然と胸を張りながらも、申し訳なさそうな声で陳謝した。
「その通りです。陸軍に、日本国内における警察権並びにそれに付随する権限は、これを認められていません」
「ココが第七師団の城下町だろうと関係ない。お引き取り願えますか?」
ちょっと待ってくれよ、と小林が待ったをかける。
「彼らは我々の護衛だ。捜査主権を行使しているのは彼らではなく我々であるからして、ここになんの行政学的瑕疵は存在しないはずだ」
「ええ、そうかもしれませんね」
館山は国鉄マンの言うことを否定しない。ただただ受け流すばかりだ。だがついに、館山が話の核心に触れた。
「まずもって、皆さまは我々が今、なぜアナタたちの目の前に現れることができているのか、理解できていますか?」
日野の顔が驚愕に染まる。
「まさか、漏れているのか?」
「この情報は、敵パルチザンのアジトに潜伏している特別警察官からもたらされました。つまり、あなた方の行動はすべて、筒抜けだということです」
日野は難しい顔になると、井関達に深々と頭を下げた。
「どうやら、随行できるのはここまでのようです。私は早急に本隊に復帰し、対策を練らねばなりません」
そんなあ、と情けない声が出かかって、井関はすんでのところでそれを閉じ込めた。元はと言えば、陸軍にワガママの言えない国鉄マンの身分である。
隣の水野もぐっとこらえた。
「ひとつ、勘違いしてほしくないのですが、我々とてあの事件が自殺だなんて微塵も思っちゃいない」
館山の後ろに控えていた熟年の刑事が、ぽつりと静かに語りだした。
「じゃあなんで、警察は自殺で処理したんですか」
「内閣からの指示だ。当時は戦時中である。兵站の責任者が敵工作員によって殺害されました、などと報道できると思うかね」
「それは、そうですが」
井関は何も反論できなかった。
「……我々だって悔しいんだ。これが自殺じゃないことぐらい、刑事なら誰だってわかっている。だが、こうするほかなかった」
刑事はそう言うと、井関に頭を下げた。
「あのヤマは日本人の手に負えるもんじゃあない。悪いことは言わないから、引き上げてくれ」
「それはできん相談です」
しかし井関は、首を縦に振らない。
「安全は、輸送業務の最大の使命であります」
「存じておりますよ」
「我々国鉄は、それを脅かすものが何者であろうと、たとえそれがお天道様であろうと立ち向かわねばなりません」
刑事ははじめて井関に目を合わせた。
「貴方の生命は、保証されませんよ」
まるで脅迫でもするかのように、その眼光が強まる。井関はそれを笑い飛ばした。
「官僚が国民の為に命を賭して、いったい何がおかしいでしょうか?」
井関はそれだけ言って、彼らに背を向けた。
それを告げる井関の拳は震えていたが、決して彼らの方を振り向こうとはしない。
井関達は、旭川の街に消えていった。
「国鉄にも、ホネのある奴がいたもんだ」
刑事は、感心したように笑った。
「事前に手を打っておいてよかったですね」
「ああ……。内務省をナめたらどんな目に合うか、思い知らせてやろうじゃないの」
刑事は不敵に笑いながら、彼らが消えた旭川の街に背を向けた。
「しかしあの話だと、目撃された総裁か、それとも発見された総裁のうちいずれかがニセモノということになるね」
「そういうことになるな」
「どちらがニセモノか。そして、なんの為にニセモノが現れたのか」
「気味が悪いですよ。なんだって今から死ぬ人のニセモノが街中を闊歩していたんですか。あまりにもおぞましいです」
水野がそう言う。だが、井関はこう続けた。
「いや、もっと恐ろしいのは警察だ。なぜ彼らは、この件を自殺で片づけたんだ?」
警察発表によれば、下田総裁は一人で足寄に向かい、列車に身を投げたとしている。
「それは警察の法医学者の判断によるものです」
「というと?」
「自殺の場合と他殺の場合では、傷跡の状況が異なるそうです。法医学者は遺体から、それが自殺のものであると判断しました」
「それは正しい判断ですか?」
井関が問うと、日野は首を振った。
「陸軍並びに米軍の研究チームは、他殺の可能性も捨てきれないとの結論を出しています。……が、この分野はまだ発展途上の学問なので、正確性はどれも担保できません」
「警察はそれを鵜呑みにして結論をだしたわけか」
「仕方がない話でもある。だって、他に証拠がないだろう」
証言は証拠にはならない。人々の記憶は、簡単に乱れ混同することがある。例えば、伊達紋別や倶知安の証言は、誰かの見間違いかもしれない。札幌の証言は、時刻が違うかもしれない。
「そう言われてしまうと、我々もどうしようもないぞ」
「どうしたものかねえ……」
小雪が舞い散る旭川。きらびやかな街並みを見ながら井関達は歩く。ここは陸軍第七師団のお膝下。少々の安心感に包まれている。
できれば、ここから動かずに捜査をしたい。井関はそう思わずにはいられない。
だが、そんな安全時間は唐突に終わりを向かえた。
「内務省鉄道院の、井関次郎さんですね」
いきなり二人組の男がやってきて、そう声をかけられる。日野が井関達を庇おうと前に出るが、彼らはそれに怯むどころかさらなる手を繰り出した。
「陸軍第203鉄道聯隊の日野勝大佐ですね。お話があります」
ちょっとそこの路地へ行きましょう。そんなことを言う彼らが提示したのは、金色に光る旭日。すなわちそれは、警察手帳だった。
「6年前の事件を追ってらっしゃるそうで」
館山と名乗るその刑事は、簡単にそう言った。
「ええ、何か問題でも」
「これは明らかな越権行為だ」
館山はそう言う。井関は内心、やはり、と思った。
「これは我々国鉄の話だ。同じ内務省系官庁だろうと、警察にどうこう言われる筋合いは無い」
笹井がノータイムでそう言い返す。小林が身構えた。敵はなんらかの口実でこれに対し反駁を試みるだろうと思ったからだ。
だが予想に反し、警察は笹井の主張を全面的に認めた。
「その通り。この事件の捜査権は、国鉄にも存在するはずです」
「なら……!」
「しかし、軍人には無い」
館山の目は、最初から井関や笹井の方など向いては無かった。ずっと、日野の方を見ていた。日野は毅然と胸を張りながらも、申し訳なさそうな声で陳謝した。
「その通りです。陸軍に、日本国内における警察権並びにそれに付随する権限は、これを認められていません」
「ココが第七師団の城下町だろうと関係ない。お引き取り願えますか?」
ちょっと待ってくれよ、と小林が待ったをかける。
「彼らは我々の護衛だ。捜査主権を行使しているのは彼らではなく我々であるからして、ここになんの行政学的瑕疵は存在しないはずだ」
「ええ、そうかもしれませんね」
館山は国鉄マンの言うことを否定しない。ただただ受け流すばかりだ。だがついに、館山が話の核心に触れた。
「まずもって、皆さまは我々が今、なぜアナタたちの目の前に現れることができているのか、理解できていますか?」
日野の顔が驚愕に染まる。
「まさか、漏れているのか?」
「この情報は、敵パルチザンのアジトに潜伏している特別警察官からもたらされました。つまり、あなた方の行動はすべて、筒抜けだということです」
日野は難しい顔になると、井関達に深々と頭を下げた。
「どうやら、随行できるのはここまでのようです。私は早急に本隊に復帰し、対策を練らねばなりません」
そんなあ、と情けない声が出かかって、井関はすんでのところでそれを閉じ込めた。元はと言えば、陸軍にワガママの言えない国鉄マンの身分である。
隣の水野もぐっとこらえた。
「ひとつ、勘違いしてほしくないのですが、我々とてあの事件が自殺だなんて微塵も思っちゃいない」
館山の後ろに控えていた熟年の刑事が、ぽつりと静かに語りだした。
「じゃあなんで、警察は自殺で処理したんですか」
「内閣からの指示だ。当時は戦時中である。兵站の責任者が敵工作員によって殺害されました、などと報道できると思うかね」
「それは、そうですが」
井関は何も反論できなかった。
「……我々だって悔しいんだ。これが自殺じゃないことぐらい、刑事なら誰だってわかっている。だが、こうするほかなかった」
刑事はそう言うと、井関に頭を下げた。
「あのヤマは日本人の手に負えるもんじゃあない。悪いことは言わないから、引き上げてくれ」
「それはできん相談です」
しかし井関は、首を縦に振らない。
「安全は、輸送業務の最大の使命であります」
「存じておりますよ」
「我々国鉄は、それを脅かすものが何者であろうと、たとえそれがお天道様であろうと立ち向かわねばなりません」
刑事ははじめて井関に目を合わせた。
「貴方の生命は、保証されませんよ」
まるで脅迫でもするかのように、その眼光が強まる。井関はそれを笑い飛ばした。
「官僚が国民の為に命を賭して、いったい何がおかしいでしょうか?」
井関はそれだけ言って、彼らに背を向けた。
それを告げる井関の拳は震えていたが、決して彼らの方を振り向こうとはしない。
井関達は、旭川の街に消えていった。
「国鉄にも、ホネのある奴がいたもんだ」
刑事は、感心したように笑った。
「事前に手を打っておいてよかったですね」
「ああ……。内務省をナめたらどんな目に合うか、思い知らせてやろうじゃないの」
刑事は不敵に笑いながら、彼らが消えた旭川の街に背を向けた。
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