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A07運行:国鉄三大事故①
0073A:時期尚早な断定は、現場を混乱させるだけでなく、真実を遠ざける
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陸軍の意向もあり、線路は早期に復旧された。事故車両も早々に撤去され、盛岡駅にある鉄道工場に送致された。
復旧が終わったのは、二日後の深夜だった。事故現場を通過する一番列車は、遺族を乗せた第209列車、つまり、事故を起こした列車と同じ列車である。
長い長い汽笛が山間に響く。いくつもの光条がレールを照らす。列車はゆっくりと、現場を通り過ぎる。
井関達はそれを線路端で、敬礼をもって迎える。しかし、井関達はそれを直視できなかった。
車内から、花束が投げられた。それは転がり落ち、井関の足元に着地する。井関は崩れ落ちそうになるのを必死にこらえて、直立不動を保った。
列車が通り過ぎる。テールライトに向かって、四人は頭を下げた。
時を同じくして、日本全国の国鉄マンに向けてこんな通達が出された。井関は、それを見て仰天する。
―――現場乗務員諸君に告ぐ―――
3月25日 内務省鉄道院第三代総裁 十合信也
3月23日未明の事故原因は、当該機関士が通過信号機を無視したためである。
信号の厳守は安全の一丁目一番地であるから、如何に技術進歩著しくともこれなくして輸送の安全は完遂されない。
乗務員諸君の奮起を促す。
―――以上―――
「なんてことだ、このままでは国鉄が壊れてしまう」
この声明にいち早く反応したのは、珍しく小林だった。
「機関士はミスを否認している。そして、信号所もまた同様だ。この声明は、国鉄現場同士の分断を生じさせかねない」
井関もその意見に賛同した。
「まだ事故調査が始まってもいないのに、こんな決め付けはないよ。まるで事故の全責任が、乗務員に在るみたいじゃないか!」
感情的になる井関。しかし笹井は冷静だった。
「この文言は、毎朝新聞にも掲載されている」
笹井は朝刊をぺらりとめくると、一面に堂々とそれが載っていた。
「官僚は反十合派がメインだ。そんな中で十合体制が盤石に機能しているのは、国鉄現場が十合総裁を支えているからに他ならない。このままでは、十合総裁の進退問題に発展しかねない」
「ああそうだ。十合総裁が無茶苦茶をしても大丈夫なのは、現場職員がそれを受け入れているからだ。その体制が崩れるのはまずい」
「だがしかしこの通達を出さねばならなかった理由もよくわかる。おそらくは、マスコミ対策だろう」
笹井は新聞の一角をペシペシと叩く。そこには「記者:荒巻啄信」の文字があった。
「あ、こいつ! 反国鉄の記者じゃないか」
「こういう記者対策で通達を出したのだろう。総裁の労苦がしのばれる」
「しかし、これは荒れるぞ……」
井関がそう身を縮こませたとき、奥から怒鳴り声が響いてきた。
「オイ、これが本庁の意向か!」
その男たちは、粗野な服装に身を包んだ者たちだった。一瞬、乗務員たちが乗り込んできたかと思ったが、そうではなかった。
「オレ達は機関士の人権を護る市民団体の者だ。この声明はなんだ!」
彼らは毎朝新聞の一面を広げると、くしゃくしゃと丸めて目の前にたたきつけた。
「全て機関士が悪いと言いたいのか、信号所の責任はないのか!」
「ええと、とりあえず落ち着いて……」
「とりあえずだと……? 当局は誠意ある対応をしろ!」
一人が激昂する。それを、先頭に居た一人がまあまあと宥めた。
「失礼。私は代表の岩島、国鉄機関士OBだ」
OB、というにはあまりにも若年の男である。そして妙に芝居がかった声音。井関は官僚の直感で、この二人の遣り取りが演技であることを見抜いた。
「岩島さん、ですか。ご用件は……、事故の件ですね」
「ええ。どうか国鉄は、不当な声明を取り下げて頂きたい」
井関はそれに官僚として答えた。
「申し訳ありませんが、あの声明に関しては私の関知するところではありません。その様なことに関しては直接関連部署に……」
「そんなことは聞く耳を持たん!」
岩島は芝居っけたっぷりにそんな叫び声をあげた。
「アナタたちの統領なら、そう発言したと思いますよ」
管轄など関係あるか、やれと言ったらやらんか……。それは、十合総裁の決まり文句である。逆手に取られた、と井関は思う。
「我々にできることは、事故の真相を明らかにすることだけです」
苦しい井関に助け舟を出したのは、小林だった。瞬間、岩島の顔がゆがむ。
「小林さんじゃありませんか、これは失礼しました」
「いえいえ。ただ、岩島さん。我々はこれからもあなた方と良好な関係を築いていきたいと思う。そう、未来永劫ね」
小林は嫌な笑みを見せる。そこに、笹井が加勢した。
「我々も、真相を究明したい。そしてそれは、あなた方の求めるところでもある」
「……我々もそれを期待しています。だからこそ我々は、あなた方を監視させていただく。どうか、正当な事故調査がなされますよう」
市民団体はそう言って帰っていった。
「まずいぞ、一度総裁に連絡しよう……」
笹井は余裕そうな顔をしていながら、内心静かに焦っていた。
「おい、知り合いか?」
「アレは国鉄現場OBで結成された団体のトップだ。十合総裁とも何度か会談したことがある大物だ。与野党問わず政治家にもつながりが深い……。アレに目を付けられたら厄介だ」
小林は身震いしながらそう言う。
「だが、彼らの言う通りだぞ。我々本庁は、何もわからぬうちから事故原因を決め付け、責任を押し付けようとしている。どうにかしなければ……」
「しかし、どうやって調査をする。そろそろ万策が尽きてきたぞ」
「それに関しては、ひとつ策がある」
そう言いだしたのは、笹井だった。笹井はその手の中に、通達を握っていた。
「総裁が出した通達は二つ。一つは先ほどの決め付け。もう一つは、これだ」
―――特殊事故調査掛の諸君へ―――
付近を管轄する盛岡鉄道管理局の事故調査本部と話を付けておいた。彼らは君たちの指揮下に入るから、存分に事故調査をしてください。
君たちの奮励努力を、期待するしかありません。
―――十合信也―――
総裁ではなく、一人の人間として。十合は四人の為に手を打っていた。
盛岡鉄道管理局、とは事故現場周辺の鉄道を管轄している、鉄道院の部局の一つである。現場を実地で知り尽くした者たちがいる。
「ここに、活路があるかもしれない」
四人の視界は、にわかに明るくなった。
復旧が終わったのは、二日後の深夜だった。事故現場を通過する一番列車は、遺族を乗せた第209列車、つまり、事故を起こした列車と同じ列車である。
長い長い汽笛が山間に響く。いくつもの光条がレールを照らす。列車はゆっくりと、現場を通り過ぎる。
井関達はそれを線路端で、敬礼をもって迎える。しかし、井関達はそれを直視できなかった。
車内から、花束が投げられた。それは転がり落ち、井関の足元に着地する。井関は崩れ落ちそうになるのを必死にこらえて、直立不動を保った。
列車が通り過ぎる。テールライトに向かって、四人は頭を下げた。
時を同じくして、日本全国の国鉄マンに向けてこんな通達が出された。井関は、それを見て仰天する。
―――現場乗務員諸君に告ぐ―――
3月25日 内務省鉄道院第三代総裁 十合信也
3月23日未明の事故原因は、当該機関士が通過信号機を無視したためである。
信号の厳守は安全の一丁目一番地であるから、如何に技術進歩著しくともこれなくして輸送の安全は完遂されない。
乗務員諸君の奮起を促す。
―――以上―――
「なんてことだ、このままでは国鉄が壊れてしまう」
この声明にいち早く反応したのは、珍しく小林だった。
「機関士はミスを否認している。そして、信号所もまた同様だ。この声明は、国鉄現場同士の分断を生じさせかねない」
井関もその意見に賛同した。
「まだ事故調査が始まってもいないのに、こんな決め付けはないよ。まるで事故の全責任が、乗務員に在るみたいじゃないか!」
感情的になる井関。しかし笹井は冷静だった。
「この文言は、毎朝新聞にも掲載されている」
笹井は朝刊をぺらりとめくると、一面に堂々とそれが載っていた。
「官僚は反十合派がメインだ。そんな中で十合体制が盤石に機能しているのは、国鉄現場が十合総裁を支えているからに他ならない。このままでは、十合総裁の進退問題に発展しかねない」
「ああそうだ。十合総裁が無茶苦茶をしても大丈夫なのは、現場職員がそれを受け入れているからだ。その体制が崩れるのはまずい」
「だがしかしこの通達を出さねばならなかった理由もよくわかる。おそらくは、マスコミ対策だろう」
笹井は新聞の一角をペシペシと叩く。そこには「記者:荒巻啄信」の文字があった。
「あ、こいつ! 反国鉄の記者じゃないか」
「こういう記者対策で通達を出したのだろう。総裁の労苦がしのばれる」
「しかし、これは荒れるぞ……」
井関がそう身を縮こませたとき、奥から怒鳴り声が響いてきた。
「オイ、これが本庁の意向か!」
その男たちは、粗野な服装に身を包んだ者たちだった。一瞬、乗務員たちが乗り込んできたかと思ったが、そうではなかった。
「オレ達は機関士の人権を護る市民団体の者だ。この声明はなんだ!」
彼らは毎朝新聞の一面を広げると、くしゃくしゃと丸めて目の前にたたきつけた。
「全て機関士が悪いと言いたいのか、信号所の責任はないのか!」
「ええと、とりあえず落ち着いて……」
「とりあえずだと……? 当局は誠意ある対応をしろ!」
一人が激昂する。それを、先頭に居た一人がまあまあと宥めた。
「失礼。私は代表の岩島、国鉄機関士OBだ」
OB、というにはあまりにも若年の男である。そして妙に芝居がかった声音。井関は官僚の直感で、この二人の遣り取りが演技であることを見抜いた。
「岩島さん、ですか。ご用件は……、事故の件ですね」
「ええ。どうか国鉄は、不当な声明を取り下げて頂きたい」
井関はそれに官僚として答えた。
「申し訳ありませんが、あの声明に関しては私の関知するところではありません。その様なことに関しては直接関連部署に……」
「そんなことは聞く耳を持たん!」
岩島は芝居っけたっぷりにそんな叫び声をあげた。
「アナタたちの統領なら、そう発言したと思いますよ」
管轄など関係あるか、やれと言ったらやらんか……。それは、十合総裁の決まり文句である。逆手に取られた、と井関は思う。
「我々にできることは、事故の真相を明らかにすることだけです」
苦しい井関に助け舟を出したのは、小林だった。瞬間、岩島の顔がゆがむ。
「小林さんじゃありませんか、これは失礼しました」
「いえいえ。ただ、岩島さん。我々はこれからもあなた方と良好な関係を築いていきたいと思う。そう、未来永劫ね」
小林は嫌な笑みを見せる。そこに、笹井が加勢した。
「我々も、真相を究明したい。そしてそれは、あなた方の求めるところでもある」
「……我々もそれを期待しています。だからこそ我々は、あなた方を監視させていただく。どうか、正当な事故調査がなされますよう」
市民団体はそう言って帰っていった。
「まずいぞ、一度総裁に連絡しよう……」
笹井は余裕そうな顔をしていながら、内心静かに焦っていた。
「おい、知り合いか?」
「アレは国鉄現場OBで結成された団体のトップだ。十合総裁とも何度か会談したことがある大物だ。与野党問わず政治家にもつながりが深い……。アレに目を付けられたら厄介だ」
小林は身震いしながらそう言う。
「だが、彼らの言う通りだぞ。我々本庁は、何もわからぬうちから事故原因を決め付け、責任を押し付けようとしている。どうにかしなければ……」
「しかし、どうやって調査をする。そろそろ万策が尽きてきたぞ」
「それに関しては、ひとつ策がある」
そう言いだしたのは、笹井だった。笹井はその手の中に、通達を握っていた。
「総裁が出した通達は二つ。一つは先ほどの決め付け。もう一つは、これだ」
―――特殊事故調査掛の諸君へ―――
付近を管轄する盛岡鉄道管理局の事故調査本部と話を付けておいた。彼らは君たちの指揮下に入るから、存分に事故調査をしてください。
君たちの奮励努力を、期待するしかありません。
―――十合信也―――
総裁ではなく、一人の人間として。十合は四人の為に手を打っていた。
盛岡鉄道管理局、とは事故現場周辺の鉄道を管轄している、鉄道院の部局の一つである。現場を実地で知り尽くした者たちがいる。
「ここに、活路があるかもしれない」
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