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A07運行:国鉄三大事故①

0080A:鎮魂

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 結審からしばらくして、盛岡で合同の慰霊祭が執り行われた。それには十合総裁も出席し、遺族の前でこう謝罪した。

「全責任は私にございます。この事故をもう二度と繰り返さぬという未来を以て、必ずこの罪を償っていく所存であります」

 総裁は涙ながらに、そう語った。

 それが彼らを突き動かしたのか、もしくは他の理由があったのかは知らないが。慰霊祭を執り行った遺族会はその後、こんな手紙を総裁に手渡している。

”我々も事故の後、機関士に罪があると報道で聞きずいぶんと憤りました。機関士の人身を以て償うべきだと考えておりました。
 ですが、こう数か月たち落ち着いてみると、彼もまたこの事故の被害者であるということに思い至りました。
 それぞれに秘める思いはありましょうが、遺族会としては機関士にこれ以上責めを求めるものではありません。どうか、寛大なご処置を……”

 慰霊はつつがなく進み、犠牲となった百十二柱は天へと還った。

 しかし、四人の顔は晴れない。

「ブレーキ問題は解決した。しかし、それ以外の要因に関しては全く解決がなされていない」

 井関は言う。

「司法の介入によって、結局信号機問題や運転順序問題は棚上げされてしまった。しっかりとした聞き取り調査が成されていれば、何かが変わったかもしれんが……」

 その言葉に笹井が首を振った。

「何を言っても仕方がないさ。米国だって同じような状況だと、外国人技術者が話していたよ」

「彼と話したのか?」

 笹井の言葉に井関が驚いた。

「ああ、ワシは英語ができるからな」

「君の粗野な正確と図体で英語をしゃべられると、とても不愉快だね」

「なんだい小林、ケンカか?」

「そんなことより、その技術者は何と言っていたんだい」

 話の続きが聞きたくて、井関は先を急かす。笹井は不満げに答えた。

「”だが、米国は外国人である私の目から見て、確かに変わりつつある。さて『極東の光』諸君らは、どう立ち向かうかね”と」

「なるほど、手厳しいね」

 井関は苦笑するしかない。その時、この会話を黙ってそばで聞いていた嶋が動いた。

「……君たちも、そろそろそのような時期なのかもしれません」

 そう言うと、彼は総裁秘書の君津に二言、三言耳打ちすると、四人の前に立った。

「私たちは君たちぐらいの頃、欧州へ飛びました。旧ドイツをはじめとして様々な国を巡り、果ては南アフリカまで……。井関君が指摘してくれたように、それらが今の我々を形作っているのは間違いないでしょう」

「嶋さん……」

 井関は、次に嶋が何を告げようとしているか、うっすらとわかってしまった。そして、期待通りの言葉が彼らを貫く。

「君たち、米国へ飛びなさい。あそこの鉄道はもはや滅亡寸前です。ですがそこに、鉄道と安全に対する意地と気迫があるでしょう」

「それが、日本鉄道の発展につながりますか」

「ええ、もちろん。我々は滅びる直前の欧州から学べる限りを学びました。今は、滅びる前の新大陸からすべてを学ぶ時です。そしてそれは、新しい鉄道を作るでしょう」

 嶋はいつものように抑揚のない声で言う。しかしその顔は、気のせいかもしれないが自信をもっているように見えた。

「我が国の鉄道の父が英国だとすれば、我が国の鉄道の母は米国です。母から、全てを受け継いできなさい」

「井関以下四名、確かに拝命いたしました!」

 こうして四人は、米国へと旅立った。



 彼らが研鑽の旅をした。彼らが学んだのは鉄道だけではない。海軍の航空技術者でもあった嶋の弟の口利きもあり、彼らは航空業界の調査官とも接点を持つことができた。
 彼らはロサンジェルスからニューオリンズ、ワシントンへと至り、北東回廊をフィラデルフィア、ニューヨークと越える。
 そして海の向こうにあるはずの欧州を睨みながらシカゴへと至り、そして日本へと帰還した。

 この間、実に七か月に及ぶ。そして彼らが帰った時には、日本の状況は様変わりしていた。

 時は1955年。東北本線に、特急列車がやってくる。
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