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A08運行:はつかり、がっかり、じこばっかり

0085A:彼は果たして無自覚なのか、それとも意図的なのか。

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「これまでの調査で、何が分かっているんだい?」

 近衛と一緒に、焼けたキハ80を見に行くことになった。それは車庫の中に安置されているらしく、そこへと向かう。

 その道すがら。近衛のこの言葉にどう答えたものか。井関はしばらく唸った末に、「エンジンを横置き配置としたことに問題があるようです」とだけ答えた。

「おお、なるほど。それなら納得だ。あそこの設計はちょっと急ぎ足だったからね。すでに改善案は取りまとめているから、問題は無い」

 どうやらここまでは近衛の想像の範疇だったようだ。そして井関は、その先の真実を告げようか迷ってしまう。

(先輩、DMH17の出力不足が大元の原因であると、言わなくていいのですか)

(う~ん、どうしようか)

 井関は試しに、少しそのことをにおわせてみることにした。

「近衛さん、原因は他にもあるようです」

「え、そうなの。言ってみなさい」

「はい。どうも、DMH17ではエンジン出力が足りないのではないかと……」

 井関がゴニョゴニョと口ごもりながらそのことを告げると、近衛はきょとんとした顔になる。

「そんなわけないだろう。キハ55で我々はDMH17のエンジン出力に問題ないことを確認している」

 近衛が胸を張る。その後ろで、笹井と水野がこそこそと話していた。

(……なあ、キハ55ってなんだ)

(キハ80のモデルになった気動車です。キハ55は準急や急行に投入されることを目的として製造されました)

(問題は無かったのか?)

(ええ。ただ……)

 水野は苦い顔で井関を見る。井関は、言うべき言葉を飲み込んだようだった。

(キハ55とキハ80は車内構造が全く違います。キハ55で成功を収めたことは、キハ80に問題が無いことの証明にはなりません)

(具体的には何が違うんだ)

(重量です。キハ80は冷暖房や乗り心地対策などで重量がかなり膨れ上がっています。そして特急列車に充当されますから、要求される速度も高いです)

 しばらくして、丸焦げになったキハ80が見えてきた。改めてみてみると、その姿は凄惨なものだ。

「ほぉ、この程度の被害で済んだか」

 しかし、彼から出てきた言葉はこうだった。

「と、言いますと」

「旧式車だったら、もっと酷いことになっていただろう。重厚に車輛を作っておいてよかった」

(水野君、それは事実か)

(一面では事実です。近年の国鉄は、それなりに難燃化対策に躍起ですから)

(しかしそれは、今この場で言うべきことかね……)

 眉をひそめる小林らを傍目に、近衛は一つの結論を出した。

「うむ、キハ80は所定の性能を発揮した。いやはや、これを確認出来て満足だよ!」

 そんな言葉を聞いて、井関は口をパクパクさせることしかできない。

「あの……、エンジンは……」

「ああ、君ね。それはいろいろと勘違いしているよ」

 近衛はまるで物わかりの悪い部下に説教するように人差し指を立てた。

「これはね、動力分散方式というものなんだ」

「は、はぁ。存じ上げておりますが……」

 そんな当たり前のことをイチから説明するのか、と井関がげんなりしている後ろで、またしても笹井と小林の二人が水野に耳打ちする。

(水野君……!)

(動力分散方式とは、嶋さんが提唱しているものです。具体的には、先頭の機関車に動力を集中させるのではなく、各客車それぞれにエンジンやモーターを取り付けて走ろう、というものです)

(それはつまり、電車やディーゼルカーは動力分散式ということでよいかい?)

(ええ、その通りです)

「すなわち、動力分散方式とは小さい動力を各車輛に分散配置することにこそ意味がある。わかるかい?」

 井関は頭が痛くなりそうになりながら、渾身の力を振り絞って頷いた。

「ええ、存じ上げておりますが……」

「と、いうことは、だ。あまり馬力のあるエンジンを積むというのは動力分散のポリシーから逸脱しているとは思わないかい?」

「えっと……その……」

 言いよどむ井関。

(おい水野君!)

(近衛さんは意図的か本心かはわかりかねますが、動力分散方式を都合のいいように誤解しています。別にイチ車両当たりの馬力の多寡はこの際関係がありません!)

(じゃあなんで彼はあんなに自信満々なんだ!)

(わかりませんよ!)

「まことに申し上げにくいのですが、近衛さん。本車においては、エンジン出力の低さを主因とする各種不具合が報告されています。たとえば、エンジンに過負荷がかかった結果エンジンが停止してしまい、残りのエンジンに更に過負荷がかかり連鎖的にエンジン故障が……」

「それはつまり、動力を分散したことにより複数系統によって運行を維持できた、ということではないか。これぞ、動力分散方式の面目躍如ということだろう。いやあ、嶋さんもたまには正しいことを言うもんだ」

 わっはっは、と腰に手を当ててふんぞり返った後、近衛は急に真面目な顔になった。

「それはともかく、君は今や嶋派に居るんだ。あまり嶋技師長のお顔に泥を塗るようなことはよした方がいい」

「えっと、あの……」

「もっとも、君が元の藤居派に戻ってくるというのなら、話は別だがね! それはそれで結構な選択だと思うよ。嶋さんは今や総裁の傍付だが、いずれ天下を取るのは藤居さんだろうからね!」
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