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A08運行:はつかり、がっかり、じこばっかり

0088A:がっかり、の真相

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「近衛さん、そろそろ本当のことをおっしゃってくださいよ」

 翌朝。6時になると同時に、四人は近衛の部屋に突撃を敢行した。それから「おはようございます!」の声と共に、彼の布団を完全に包囲する。

「な、何だね君たちは!」

「さあ、近衛さん!」

 水野は布団を引っぺがし、近衛に迫る。近衛はすっかり弱り果てて、か細い声でこうつぶやいた。

「まあ待て、話せばわかる……」



「それで、君たちは何をしに来たのだね」

 一杯の水を呑んでなんとか平静を取り戻した近衛は布団の上で彼らに向き直る。

「近衛さん。アンタ、何か不正をやっとるんじゃないですか?」

 井関の一言に近衛は泡を食った。

「な、なんだって! そんなことは……」

「よーく胸に手を当てて考えてくださいや。必ず、なにかあるはずですよ」

 そう言うと、彼は急に顔を青くさせた。

「まさか、あれが……」

「さあ、何があるんですか!」

 小林が詰め寄る。近衛はとうとう観念したのか、訥々と語り始めた。

「……大阪エンジンの専務の娘さんから、確かに受け取った」

「なにを、いつ!?」

「これを……。盲腸で入院したとき……」

 そう言って彼は胸ポケットから、光沢のあるそれを取り出した。それをみて井関は愕然とする。

 それは……。

「折り鶴じゃないですか」

「大阪エンジンの専務と会食する直前に倒れたものだから、向こうさんがとても心配してくれたらしく。当時まだ9歳ぐらいだった娘さんが私にこれをくれたんだ。それ以来、俺はあの会社は良い会社だと思っとる」

「……ちなみにそれ、お金が挟まっていたとか無いですか?」

「バカモノ! 俺は官僚だぞ。折り紙代は1銭単位で返金した!」

 井関は頭がクラクラしてしまった。

 違う、聞きたいのはそう言うことじゃない。

「近衛さん、さあ覚悟を決めて本当のことを言ってください」

「な、なんだね……」

「本当は誰から何をもらったんですか」

「だから、この折り鶴を……」

「本当のことを言え、近衛ー!」

 水野がものすごい剣幕で言い募る。その瞬間、近衛は顔を青くした。

「まさか、あれか……」

「さあ、さあ! いったいなんです!」

 近衛は今度こそ覚悟を決めたように、唇を震わせながらポケットから財布を出した。

「まさか……なにかもらったんですか」

「これを……」

 それはこんどこそ金色に光る物体。井関はグッとそれに目を凝らして、その真実に大きく目を開いた。

「……お守りじゃないですか!」

「以前交通事故に会ったときに、プレアデス重工の方に深大寺のお守りを頂いたんだ。どうも本社の近くにあるらしくてな」

 それから近衛は悲痛な顔で懺悔した。

「もうもらったのは5年も前になるが、未だにお焚き上げできていない……。そろそろいかなければとは思っていたのだが……」

「ああもう! そうじゃないんですよ!」

 ついに笹井まで大声を出した。

「あなたがDMH17の選定に際し受け取ったワイロを言えと言っとるんです!」

「……ハァ?」

「まさかここまできてシラばっくれるおつもりじゃないでしょうね」

「待ってくれ、君たちは何を言っているのだ。まったくわからんぞ」

 近衛は目をグルグルさせている。井関はそこへたたみこんだ。

「近衛さん。DMH17はあまりにも欠陥の多いエンジンです。それをキハ80に無理やり採用するように仕向けたのは貴方でしょう」

 近衛は呆気にとられたように言葉を失った。

「さあ、なんでこんなことをしたのか、きちんと説明してください!」

「待ってくれ、本当に待ってくれ!」

 近衛から出てきたのは、こんな悲痛な言葉だった。

「DMH17は、欠陥エンジンなのか……?」

「は?」

 近衛の言葉に、こんどは井関達が言葉を失う番だった。

「俺はDMH17が現在の国鉄においては最も良いエンジンだと考えたから採用したんだが……。まずかったのか?」

 近衛の顔は本日最高級に蒼くなる。だが、それよりも顔を蒼くしているのは井関達の方だ。

「あの、近衛さんはDMH17の図面と性能表は当然……」

「ああ、もちろん見たさ! そのうえで現状最も素晴らしいエンジンだと私は判断した!」

 ほら! と近衛は自分のカバンまで這っていき、そこからごそごそと図面を引っ張り出した。

「見たまえ。どこにも問題はないだろう」

「違うんです、根本的な問題があります。このエンジンは20年も前の設計なんです。いろいろと時代遅れなんです」

「な、なんだって!?」

「戦前のつたない技術でも製造できるように、様々な部分にムダがあります。例えば……」

 そこから、井関によるエンジン講座が開講された。驚いたことに、近衛はエンジンについて笹井と同程度の知識しか持ち合わせて居なかった。

 近衛は笹井が驚くところで驚き、笹井が納得するところで納得した。それがだんだんと井関の頭痛を大きくしていった。

 唯一の救いは、腐っても工業系の人間だったためかそれなりの科学的知識だけはあったことであった。

「現代の最新のエンジン理論に従えば、同じ重量で約2倍近い出力を得ることが出来るんです」

 その言葉を言い終えたときには、井関はもうヘロヘロだった。

「つまり、明らかに出力が十分でないエンジンを投じた結果、それを主因として連鎖的にエンジン故障を誘発し、ひいては火災を起こしたという解釈でいいかい?」

「ええ、そうです」

 近衛が正しく話を理解してくれたのは、もうすでに8時を回ったころだった。井関は達成感で笑みをこぼす。反対に絶望的な顔になっていくのは近衛だ。

「……もしかして俺は、とんでもないことをしたか?」

「はい、しました」

「なんてことだ……」

 近衛が頭を抱えたとき、四人は徒労感で乾いた笑い声を出すことしかできなくなっていた。
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