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A10運行:首都圏大騒動~”五方面”への道~

0102A:通勤地獄!第620列車は殺人電車の名を受けて今日も走る

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 どこまでもこげ茶色の”電車”。人はそれを「国電」と呼んだ。

 国電、すなわち国鉄の電車。電車とはもともと路面電車を指す言葉であり、それがまさか、日本国土の津々浦々を高速かつ優美に網羅することを目的とした国鉄が運用するだろうことは、明治の人間にとって大きな驚きだったに違いない。

―――電車とは、鉄道において列車と比べ一歩劣った存在である―――

 そんな意識は、国鉄のみならず日本全国民が共有するところなのだろうか。

 直接的な関係はないのだろうが、ともかく”電車”に対する国鉄の投資はどうしても消極的であった。
 特に、首都圏内を下駄のように走る通勤電車に至っては、国鉄は特にさしたるやる気を見せていないようでもあった。

 しかしながらそんな国鉄の態度とは裏腹に、通勤電車の重要性は日を追うごとに増していく。国鉄が”チビッと”目を離したすきに、首都圏の通勤電車はまさに「通勤地獄」の様相を呈していた。

 乗車率100%などとうに越えている。一番ひどいのは高崎線で、埼玉県から群馬県にかけて急速に宅地化し乗客が増えたことに鉄道の側が追い付けていない。

 例えば、この高崎線上り第620列車なんというのは、酷いモノであった。

 前橋発(東京)新橋行の第620列車は、熊谷を過ぎたあたりからとんでもない混雑に見舞われる。
 仕事へ急ぐサラリーマン、勉学に勤しむ学生、それから行商へ出向く農家のオバチャンなども居る。ともかく、第620列車の中はとんでもない混雑になる。

 これでも、一昔前に比べれば多少はマシになったのかもしれない。二年前までこの列車は詰め込みの効かない客車列車で、人々は屋根や機関車の上に乗らざるを得なかった。
 ドアなど閉めることすらかなわず、乗客同士が手を組み合って支え合って、この地獄をやり過ごしてきた。

 だがそれでも、東京の高く質の悪い貸家に住まうことを考えれば、こちらの方がお金の面だけでもマシというもの。
 高崎線朝の通勤ラッシュ唯一の東海道線直通列車、第620列車は、たくさんのラッシュ客の篤い需要を得て、走っていた。

 そんな第620列車も、この近年の電車バンザイの風潮に圧され今年に入り電車化されることとなった。車輛は、横須賀線のおさがりである戦前製。それでも、座席配置の変更で車内に空間をねん出し定員を増やすなど、以前よりかはマシ、なはずだった。

 さて、時間は少し巻き戻る。東条チエは高崎から東京の銀行に勤める女性行員である。戦前であれば東京に一人で働く”モガ”となったであろうが、もはやそんな時代でもなく。
 彼女は一人、群馬県は倉賀野の実家から東京は新橋まで通うのである。

 さて彼女はいつも通りに第620列車に乗り込んだ。

 この列車はこの辺りではもうすでに立ち客が居る。チエは車輛の中ほどに立った。

 神保原、岡部、深谷……。列車はやがて籠原にたどり着く。その次は熊谷。ここでドッと乗客が増える。
 吹上、鴻巣、桶川……。増える、増える。乗客がどんどんと増え、車内の圧力は増すばかりだ。
 満員電車というものほど辛いものはない。人智を超えた圧力がその身体を押さえつける。

 そして列車は上尾に到達する。この駅を最後に、列車の混雑は最高潮を向かえる。

 結論から言えば、彼女は新橋の駅で遺体で発見された。

 だが、この時代としては、駅構内で遺体が上がるのは特に珍しくないことである。かっぱらいが近くの乗客に咎められ、そのままリンチに遭ってくず物入に投げ込まれていたりだとか、素性の知れない者が駅の片隅で冷たくなっていたりだとか、とかくそう言うことは多い。

 だからこの件も、いつものこととして忘れ去られてしまった。

 その風潮が変わったのは、それからしばらくして。再び、悲惨な事故が起きてからである。

 第620列車は、いつもどおり超満員で上尾駅を発車した。列車はなんとなく右へ右へ曲がりながら走る。次の宮原駅を過ぎれば、あとは大宮。大宮では左の方からくる東北本線と合流し、そして大宮駅を始発とする(東北)京浜線が走る。ここに至れば、混雑も少しはマシになろうか。

 さて、列車は宮原駅前の右急カーブに差し掛かる。その時。

 ドン!

 と音がして、木片が散らばった。この木片は何か、つい先ほどまでこの電車のドアを構成していた木片である。
 そう、ドアが砕けた。何が理由か断じることは出来まいが、まずもって確実にこの乗客の圧力に関係して、ドアは砕け散った。

 乗客が、電車から落ちてくる。カーブに振り落とされるように、まるで砲丸投げの弾のように。ばらばらと、線路に落ちる。

 車掌は慌てて列車を止めた。だが、もう遅い。

 合わせて3人が亡くなった。

 犠牲者がこれだけで済んだのは、宮原駅手前で速度が低かったこと。そして高崎線の乗客が、半ば習い性としてスクラム・・・・を組んで乗車していたことに尽きる。

 そうでなければ、何人の犠牲が出ていたか。

 早速、国鉄の責任追及と相成った。また、東条チエの件も毎朝新聞によって蒸し返される。

 国鉄は針のムシロに立たされた……。

 こんな時、国鉄幹部のアタマの中にあるのは一つだ。

「蒲須坂事件を無事に解決した彼らなら、何とかするかもしれないな」

「どうだろう、彼らのその……”臨時”特殊事故調査掛を常設部署に格上げする口実として、彼らを登板させるのはいかがか」

 国鉄内部だけではない。危うく詰め腹を切らされそうになっている内閣からも、そんな声が相次ぐ。

 こうして、久しぶりの東京を満喫していた四人は、早々に呼び戻されることになった。

「”臨時”特殊事故調査掛、出動!」
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