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異世界急行 第一・第二

整理番号5:魔法の国の汽車

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 エドワードは目の前に広がったそれを見て、感動のあまり涙が零れる。
 漆黒の煙がもくもくと上がり、白い蒸気を吹き出しながらガタゴトと走るそれは、何度目をこすっても幻ではない。
 それはまさに、御岳篤志の原風景。

 紛うことなく、鉄道だった。









  広大な敷地に所狭しと線路が並び、おびただしい数の鉄道車両がそれを埋め尽くしている。
 御岳の生まれた旧東京市柴谷、その中ほどに位置する旧・金居機関区。そこは北日本における鉄道の要衝であり、御岳の原点だ。

 機関区とは、主に機関車や機関士(運転士)、機関助士(運転助士)、場合によっては車掌や乗務員、操車掛、又は客貨車などの運行に必要な機材、人材を管轄する基地のことを指す。

 この金居機関区は、東京から東北地方へと向かう常総本線の運用を一手に担う基地であり、御岳の生まれた昭和五年時点では日本最大級の規模を誇っていた。

 御岳はこのマンモス機関区の側で生まれ育ち、その威容に心動かされながら幼少期を送った。

 紆余曲折の後に国鉄勤務者になった御岳だが、昭和三十九年に金居機関区が千景機関区に統廃合されるまでの約二十年間を、この金居駅と金居機関区で勤務した。

 御岳にとってこの金居機関区は、人生の始まりから最盛期までを支えてくれた思い出深い場所である。

 目の前に広がる光景に、エドワードはついつい、そんな景色を重ね合わせた。




 機関車が真っ黒な煙を吐き出し、貨車や客車を連ねて闊歩する。在りし日の日本国鉄と同じ、蒸気機関車の天下がそこには広がっていた。

「この世界にも鉄道があるのか!」

 エドワードは興奮のあまり叫んだ。それは魂の絶叫だった。もう二度と目にすることはないと思っていた世界が広がっているのだから、無理もないことだった。

「ああなんてことだシグナレス。間違いない、これこそが私の人生だ」

 エドワードは泣いていた。今再び、人生を共にした仲間と巡り合えたのだから。エドワードにとって、機関車は、貨車は、客車は、まさしく最愛の仲間である。
 シグナレスはエドワードの涙に驚きつつ、優しい声で問いかけた。

「これはシロッコ=クアール鉄道。通称、シ=ク鉄道。どうかな。これが君の居場所で間違いない?」

「見紛う訳がない。ああそうだ!」

 機関車が汽笛をあげる。エドワードは身震いした。その身体を芯から震わせるような笛の音は、生前に心血を注いだ蒸気機関車それに間違いなかった。

 興奮するエドワードを見て、シグナレスは微かに微笑んだ。

「よかったよ。これならすぐに馴染めそうだね。……とと、まずはここを君の居場所にするためにも、挨拶に行こうか」

 エドワードは首が取れんばかりに肯いた。

 もうその眼には、希望以外の何物も映っていなかった。









「へぇ、これが新入りですかい」

「そうよ。異国で機関士をしていたそうなの」

 エドワードはいきなり、胡散臭いものを見る目でなじられる。

 その目線の主は、この機関区のお偉方であるようだった。

「ふーん、まあお嬢の顔を立てるとしましょうか。俺はここの区長をやってるヨステン・ガーフィールド」

 そう言ってその男はエドワードに握手を求めた。

 エドワードがそれに応えると、男はギリギリときつく手を締め上げる。

―――いけすかん奴だな―――

 エドワードは持ち前の喧嘩っぱやさを何とか我慢しつつ、微笑みを継続した。

「で、こいつをここで面倒みろと?」

「人材交流だよ、ヨステン。君たちにもいい刺激になると思うのだけれど」

 シグナレスの言葉を、ヨステンは鼻で笑った。

「こんなのが? どうにも信じられんね」

 とうとうエドワードはヨステンを睨みつける。その気迫に押されてか、ヨステンは少したじろぐと観念したようにエドワードにスコップを投げてよこした。

「なら、見せてくれよ。アンタの実力とやらを」

 ヨステンは機関車の方を毛むくじゃらのアゴで指す。

 エドワードはスコップを握りしめる。冷たいスコップの感触が、手に伝わってくると、なんだか喜びのような、やる気のようなものが心の奥底からこみ上げてくるような気がした。

「いいでしょう」

 そういうエドワードの口角は、いびつに歪んでいた。









「機関車はこれを使え。そして、監視役と説明役として、アイリーンを付ける」

 ヨステンがそう言うと、一人の機関士がやってきた。その機関士は気さくに手を振ると、細くしなやかな手で握手を求めてきた。エドワードはその手を握り返す。その時、ある違和感を覚えた。

―――ん? この手……―――

 エドワードの思考をかき消すようにヨステンは続ける。

「この機関区から隣の信号所まで、空荷の貨車を引いてもらう。隣の信号所に着くまでの時間でお前さんの実力を計ろうと思う。異存はあるか?」

 エドワードは、機関車に触らせてもらえるならそれだけで大歓迎だった。それどころか自分の実力すら試してもらえるのだから、異議があるわけがなかった。
 エドワードは満面の笑みで肯く。

 ヨステンはそれをちょっと気味悪がった。

「まあいい。今から数十分後、走ってもらう。それまで準備でもするといい」

 ヨステンはそう言うと、そのままどこかへ行ってしまった。

「改めてよろしく。ボクはアイリーンさ」

 アイリーンと呼ばれた機関士が、代わりに声を掛けてきた。

「俺はエドワードだ。ところで……」

 エドワードは気になっていたことを打ち明ける。

「時に、君は女か?」

 アイリーンは、口元を笑っているかのように歪めながら、低い声で問いかける。

「君の国にも、女機関士を馬鹿にする決まりがあるのかい?」

 その眼は冷たかった。エドワードは片方だけ口角を上げると、こう言い返した。

「いいや。俺の国にあるのは半端モンの機関士をシゴく風潮ぐらいだな。君は当然、半端モンじゃないんだろう?」

 その瞬間、アイリーンは相好を崩す。それから少しだけ値踏みするような目線をエドワードに向けると、次の瞬間にはいたずらっ子のように舌をちろりと出した。

「当然さ。僕は女男でなく、れっきとした女だからね」



 さて、エドワードは機関車の運転台に上がった。そして、その光景に嘆息する。

「素晴らしい……。ほとんど同じだ……」

 レバーや機器類など、それはかなりの点でエドワードが死ぬ直前の景色と似通っていた。

―――外観を見る限り、これはテンダー式大型機関車。恐らく本線級の高出力機だろう。形状からして日本でいうところの明治期のきかんしゃと同じようなものだろう。そして……―――

「なあ、これは飽和式か? それとも過熱式か?」

 エドワードは少し気になっている事を質問してみた。だが、アイリーンにはその意味が通じていないようだった。

「ああ、すまない。これは蒸気を何回温めるんだ?」

 そう聞くと、アイリーンの眼が光った。

「一回だけだよ。なんでそんなことを聞くんだい?」

「ああいや、ちょっと気になったのさ」

 これでエドワードは確信した。

―――この鉄道はレベルで言えば、明治中期ぐらいの技術レベル。まるで先輩機関士に教わった通りの世界だ―――

 そしてそれを証明するように、アイリーンが呟く。

「良く知ってたね。蒸気を二度温める機関車が存在するなんて」

 蒸気機関車には飽和式と過熱式がある。
 飽和式の方は、一度だけ水を熱し、そこから蒸気を取り出す。
 過熱式は、発生した蒸気を更に温めて蒸気圧を上げる。

 エドワードが生きていた昭和中期、すなわちSL時代末期には、より高性能な過熱式が主流であった。が、明治時代においてはまだ飽和式以外の蒸気機関車は存在しなかった。

「ああ、俺は詳しくてね」

 つまり、ここからだいたいの技術レベルが割り出せるのである。

 アイリーンの反応から察するに、この時代は飽和式から過熱式への転換点のように思えた。
 エドワードの原点となる時代から、少し前の時代。つまりエドワード少年が周りの大人たちの話を聞きながら、その胸を膨らませていた時代と同じレベルということになる。

 エドワードは一人でそう感慨に浸りながら、その胸の高まりが抑えられない。

「じゃあ、これはわかるかな?」

 そんなエドワードに、アイリーンはあるものを見せた。それは、雑に後付けされたただのレバーだった。が、エドワードにはそれが何だか一目でわかった。

「砂撒きレバーか?」

「大正解! 君、すごいんだねぇ」

 アイリーンは目を丸くして驚いてくれた。エドワードはそれにとてもいい気になる。

「これ、僕が砂撒き装置と一緒に僕が作ったんだ! けれど、誰も使ってくれなくてさ」

 だが、そう言われて急に不安になる。この世界の鉄道は自分の知らない物理法則で動いているんじゃないかと思ったからだ。
 だが、その疑問はすぐに氷解した。

「一度使ったら、線路守からものすごく怒られたんだ。線路が傷む! って」

 線路守とは恐らく保線の事であろうことは、エドワードにはすぐに分かった。
 すなわち、線路に異常がないか見張り、異常があれば少しのものでもすぐに治してしまう、鉄道の陰のスペシャリストの事だ。

 通常、鉄のレールの上を鉄の車輪で走る鉄道は雨などによって極端に摩擦力が低下すると、その場で車輪が滑ってしまうことがある。
 そうすると停まれなくなったり進めなくなってしまうので、機関士は車輪が踏みしめるレールに砂を撒いて摩擦力を確保する。
 その時、砂が研磨剤の役目を果たしてしまい、レールをかなり傷つけることがあるのだ。

「たしかに、使いすぎれば怒られるだろうな。俺もよく大目玉を喰らったもんだ」

 エドワードの元居た国鉄でも、同じような問題は多々あった。そして、その度に保線区、すなわち保線作業従事者が詰める基地から保線作業員が飛んできて、砂を撒いた機関士をどやしつけるなんてことがあったりした。
 当然、エドワードも怒られたことがある一人だ。

「これ、砂は入ってるのかい?」

「ああ、もちろん。いつか君みたいな話の分かる人が来る時を見越して、きちんと入れてあるさ」

「じゃあ、いざという時には使わせてもらうよ」

 そういうと、アイリーンの眼はますます輝いた。

「なあなあ、他に何かお役に立てそうなことはないかい?」

 アイリーンはとても協力的になってくれた。とりあえず監視役が邪魔をしてくることはなさそうで、ミヤはホッとした。

 そんなミヤにスコップを預けつつ、エドワードはうーんと考え込んだ。そして顎に手を当てながら、燃料のある方へと向かう。

 機関車の後方、そこには紅の石が、シグナレスの屋敷で見たものと同じ石が山積みになっていた。エドワードはそれを指差す。

「そうだ。これの説明を受けてなかった、アイリーン、ミヤ、これはなんだ?」

 エドワードがそう問いかけると、ミヤもアイリーンもびっくりした顔になった。

「まさか、知らないのかい?」

 エドワードは慌てて言い繕う。

「俺の元居た国じゃ、燃料はこれ以外にも色々使うんだ。例えば、薪とか、石炭とか」

「薪だって!? それは興味があるなあ。……とと、今は時間がないから手短に話すね。これは発火石。魔法石の一種で、魔法力を込めるかマッチか何かで物理的に火を点けるかすると、良く燃えるんだ」

 アイリーンはそう言うと、山積みになった紅い石を一つ取り出して、なにかを念じるようなしぐさをして見せた。
 すると、そこから火が出た。エドワードはびっくりして尻もちをつく。

「なんだそりゃぁ!」

「なんだって、これは魔法だよ。……まさか、魔法を知らないのかい!?」

 アイリーンは怪訝な顔になる。エドワードは焦った。その後ろでシグナレスも冷や汗をかいている。

 そんな状況で助け舟をだしたのは、ミヤだった。

「問題ない。エドワード様は魔法を使用しなくても誰よりも釜焚きが上手だった。それに、私たちに魔法に頼らない安全な釜焚きの方法も教えてくれた」

 ミヤの言葉に乗っかるように、エドワードはうんうんと頷いた。

「へぇ……。それもそれで興味深いや。だけども、今は急ごうか」

 話題が逸れてくれたことに感謝しつつ、エドワードは発火石を見つめ、一つ手に取ってみる。

 それはまるで宝石のようだった。

 そして、ある一つのことに気が付く。

「なあミヤ。お前さん、朝に会った時、真っ赤な粉がついていたよな」

「ええ。エドワード様に拭いていただきました」

 エドワードは自分のポケットを見てみる。すると、先ほどの粉が、まだ確かに残っていた。

「なあアイリーン。発火石は発火したあと、どうなるんだい?」

「ああ、空気中のエーテルと反応して燃えるよ。それは薪と同じさ」

 エーテルとは恐らく酸素のことであろう。つまり、一度発火した発火石は石炭と同じように着火・発火した後は酸素を消費して燃えるということだ。
 そしてまた、石炭と同じように粉、塵を発生させるということも分かった。

 これらから、エドワードは一つの可能性に思い至った。

―――あれを使うことはできんだろうか―――

 考えを巡らせるエドワードに、アイリーンは最後の決断を迫る。

「さ、もう時間があまりないよ。もし用意するものがあるなら、これがタイムリミットだ」

 エドワードはしばしの間だけ、逡巡した。そしてそののちに、アイリーンにひとつだけ願い事をする。

「アイリーン、ありったけの水を用意してくれ!」

 アイリーンも、その隣のミヤも、訳が分からないという表情でいる。
 その中でエドワードだけが、自信を持った表情でたたずんでいた。
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