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異世界急行 第一・第二
整理番号6:運転技能評価競技会
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機関区内を機関車が走り抜ける。そしてあるところまで行くと、停まった。
信号係が走り回り、分岐器を操作する。機関車が走るべき道が、どんどん作られていき、そしてついには最後までつながった。
機関車はそのまま後退を始める。ゆっくり、ゆっくり、いつもの豪快さがどこかへ飛んで行ってしまったかのように静かに動き、機関車はホームに滑り込む。
そして、また停まる。
「はい、連結ー!」
一人の駅員が叫ぶ。機関車は先ほどよりもゆっくりゆっくりと後退し、そして最後に、機関車のすぐ後ろでずっと静かに控えていた貨車に対し、その連結器を重ね合わせた。
「はい停まれー!」
ガシャン! と大きな音がする。駅員が連結器を足で踏み、連結具合を確認。そしてなんの問題も無いことを、手を挙げて周囲に知らせた。
惚れ惚れするほど基本に忠実な、連結操作だった。
エドワードは感心している。ヨステンはそれに構わず、なにやら紙を読み上げ始めた。
「この列車は隣の信号所に送る空荷貨車の回送。三十両編成だ」
エドワードの集中は、ヨステンの方へ引き戻された。それを傍目で認めたヨステンは、その紙をエドワードに寄越した。
「本列車を、エドワード・ラッセルの実力試験列車とする。この機関区を発車して、隣の信号所に着いたら所員がここに伝話をする。そこまでの時間を計る。いいな?」
「ああ、構わんさ」
「では、あと五分で出発だ」
そう言うと、ヨステンはまるで付き合ってる時間はないとばかりに、とっととどこかへ行ってしまった。
その代わりに、エドワードのもとにアイリーンがやってくる。
「ねえエドワード。とりあえずここから水が出るようにはしておいたけれども」
そう話すアイリーンの顔は、まだやはり不思議そうだった。
そんなアイリーンの顔を更に怪訝にさせることを、エドワードは告げる。
「ありがとう。じゃあ、その水を発火石にかけてくれ」
「はぁ!?」
アイリーンが驚きの声を上げる。それはまさに絶叫だった。忌憚のない、耳を射殺さんばかりの絶叫だった。
周囲の者は一斉に二人に注目し、そしてどこかへ行ったはずのヨステンまでが踵を返して走り戻ってきた。
「オイオイ! 何をしやがるんだ!」
ヨステンはエドワードの胸倉をつかみかからんばかりの勢いで詰め寄る。
「まあそう興奮しなさんなって」
どうどうとヨステンを落ち着けるが、彼の咆哮は収まるところを知らない。邪知暴虐の愚者たるエドワードに向かって、ヨステンの怪気炎は更に強まっていく。
「この回送の後ろには火急列車が控えてるんだ! 途中で停まったら承知せんぞ!」
その顔は必死だった。そこには、いけ好かない意地悪オヤジの顔はなく、生真面目な鉄道マンの顔があった。
―――ほう、こいつもそんな顔をするのか―――
彼の顔を見て、エドワードは逆に胸倉を掴み返す。彼の生真面目さが、エドワードの心に火をつけた。
「そんな状況何度も遭遇した。だがな、数百回の乗務の中で、うしろの列車を支障したのはただの一度だけだ」
エドワードの脳裏には、死ぬその直前の出来事がよぎる。後にも先にも、エドワードが後ろの列車に迷惑をかけたのは、エドワードの三十年にわたる鉄道生活の中で、あの時がただの一回だ。
―――同じ轍は踏むまいよ―――
エドワードはぐっとこぶしを握りこむ。幸い、天気はいい。こんな環境で後れを取ることは、なによりもエドワードのプライドが許さない。
そんな態度に気圧されてか、ヨステンはその手を離した。
「勝手にしやがれ!」
ヨステンは捨て台詞を吐いてまたどこかへ行ってしまう。それとほぼ同時に、発火石に水が撒かれた。エドワードもそこに加わって、ミヤと一緒に発火石に水をかける。
「なあ、なんであんなもんを連れてきたんだお嬢! 発火石に水をかけたら火が冷えちまうだろう!」
後ろでヨステンがシグナレスに詰め寄っていた。
「どうだろう。彼には彼なりの理由があるんじゃないかな」
ヨステンは呆れかえって、その場にへたり込んだ。
そうしているうちに、発火石の山から水がしたたり落ちるほどになる。エドワードは合図をして、水撒きを終わらせた。
「そろそろ発車だ!」
一人が叫ぶ。満足したエドワードは運転台に乗り込んだ。
「さて、火夫は僕がやればいいかな?」
半信半疑という顔のアイリーンがミヤからスコップを貰おうとする。だが、エドワードはその手を止めた。
「いや、ミヤで行こう。君は俺の運転を見ててほしい」
アイリーンは少し考えたのちに、それを渋々了承した。
「もし途中で辛くなったら、いつでも代わるからね」
そんなことを言いながら。
さて、全員が位置についた。時計らしきものを持った一人が、いつでも発車してよいと言う。
「ヨシ、進行!」
エドワードは汽笛を思いっきり鳴らした。その手が微かに震える。
時計の針が進み始めた。
エドワードはレバーを握り操作を始める。すると、汽車はゆっくりと歩み始めた。
列車はすぐに駅を抜け、列車はこの三人だけの空間になる。
「換算四十車ってところか……」
エドワードはそうつぶやいた。瞬間、その手がせわしなく動き始める。
それに合わせるように、汽車のシュッシュッという音がどんどん大きくなっていく。
「ドレンコック開く、ブロワー!」
一つ一つ手順を声に出しながら作業をこなしていく。身体に染み付いた行動の全てが、エドワードを本能的に突き動かしていた。そのことに、エドワードは今更ながらに気が付く。
「この感触、生きてた頃と全く同じだ……」
エドワードの顔に、つい笑みがこぼれた。
目の前にはアメリカの荒野かと見まがうばかりに気持ちのいい直線。エドワードはどんどんと速度を上げる。
規則正しい蒸気の音と、ボイラーにミヤが発火石をくべる音だけが響く。
煙突からは白い煙がちょろちょろと上がっていた。
その様子を見て、ついにアイリーンが口を開いた。
「ねえミヤちゃん。辛いなら代わるよ?」
それを聞いたエドワードは口をはさむ。
「大丈夫だ。そのままでいい」
「でも、煙がちっとも黒くならないじゃないか」
それを聞いてエドワードは、やっぱりか、という気分になった。
―――ここの汽車も随分と黒い煙を吐いていた。この世界の火夫はみな、煙の黒さはパワーの証明、のような認識なのかもしれん。まあ、俺もガキの頃はそうだった―――
そんなことを思いながら、アイリーンに返事をした。
「それでいいんだよ」
「なんでさ」
エドワードは背を向けたまま、アイリーンに全てを説明して見せる。
「なあ、煙は何で黒いんだ?」
「え? そんなことを言われても……」
考えたこともなかった。そんな風に答えるアイリーンにエドワードは答えを出した。
「正解は、燃えることのできなかった燃料が煙突から排出され、それが黒く見えるから」
「燃えることができなかった燃料?」
「そうだ。この場合、エーテルと結びつくことができなかった発火石の成分が、そのまま煙突から漏れ出てしまっているのさ。もし、その成分まできちんと燃やして熱に変えることが出来れば、発生する蒸気の量はかなり多くなると思わんかい?」
そう言われて、アイリーンはハッとしたような顔になった。
「まさか、発火石をたくさん投げ入れると煙が黒くなったのって……」
「乱雑に発火石を投げ入れたことにより火室の空気が淀み、エーテルと反応できなかった発火石が多量に発生したんだ。そして、その不完全な燃焼をした発火石の成分が煙突から吐き出されている、と」
汽車はぐんぐんスピードを上げていく。それでも、アイリーンは信じられない思いだ。
「信じられないか? でも、これが現実だ。事実、ミヤは投げ入れる量こそ少ないが、蒸気圧は黒煙をもくもく上げる火夫より上等だぜ? その証拠にそろそろ……」
エドワードが言い終わらないうちに、ビューという不快な音と共に汽車から蒸気が吹きあがった。それは安全弁の音だった。安全弁は、蒸気圧が危険な値にまで達してしまった際に、その蒸気を外気へ放出する役目を負っている。
「安全弁!? まさか」
普通、蒸気は運転中にどんどん消費される。走行中に安全弁で放出しなければならないほど、蒸気圧が高まることはまずありえない。
だがしかし、今まさにそれがありえていた。
「そうだ。安全弁が走行中に作動してしまうぐらい、高い蒸気圧を作れるんだ」
アイリーンは火室の中を覗き見る。すると、火床は綺麗に均されていた。
「なるほど。こうすることによって通風をよくし、熱のムラを作らないのか」
「そういうこと。さ、速度を上げるぞ!」
エドワードは更にせわしなく手元を操作する。
「まだ余力を残していたというのか!」
「当り前さ。今まではこの機関車の性能を見ていたんだから。どうやらこの機関車、そこまで高圧の蒸気は使わんらしい」
エドワードは運転の中で、機関車の性能を探っていた。そしてエドワードは、安全弁が作動してしまうほどに貯めた蒸気圧を、ここで一気に使い始める。
汽車は、弾き飛ばされるように更なる加速を始めた。
「何を言ってるんだ! これはこの国の標準機関車、前時代のものより各段に蒸気圧は高いんだぞ!」
アイリーンの絶叫を無視して、エドワードはなおも速度を上げる。
「おいおい、こんな速度ははじめてだ……」
「どうだい、あのヨステンが満足しそうな結果は出そうかい?」
「満足どころか、こんな速さ、前人未踏だよ! それにここから先は少しゆるい下り勾配なんだ。これ以上どこまで速度が上がるのかわからなくて、ちょっと怖いよ」
言われて後ろを振り返ると、少し変な揺れ方をしている貨車を見つけた。エドワードは頃合いだろうと思う。
「ほう、そうか。ミヤ、絶気だ。もう釜を焚かなくてもいいぞ」
エドワードは加速をやめると、アイリーンはその場にへたり込んだ。
そして渇いた笑みを浮かべる。
「まさかここまでとは……。本当にすごいや。君はいったい何者だい?」
「何者って、ただの機関士だよ」
「そんなはずがないよ。こんなすごい技術を持っているんだ」
そう勢いづくアイリーンに、エドワードは首を振った。
「勘違いすんなよ。これは俺がすごいんじゃねぇ」
謙遜なんて、という顔をするアイリーンに、エドワードは続ける。
「これは俺たちの先人が、命を懸けて発見し、実証し、体系化したその賜物さ。彼らが命を賭けたからこそ、俺みたいなボンクラでもここまでのことができる」
エドワードはその言葉を口でなぞった。
「これは俺の力じゃねえ。俺を育ててくれた、国鉄の力さ」
信号所で折り返し機関区に戻ると、誰もが度肝を抜かれたような顔で彼らを迎えた。
その人込みを超えて、ヨステンが近付いてくる。
「どうだい、俺たちは合格かい?」
エドワードの言葉にヨステンはとても渋い顔をしていた。
「お前たちがたたき出した“時計”は、史上最高の速さだった。だが!」
ヨステンはエドワードを睨みつける。
「なんか文句かい?」
「ああ。俺たちはお前たちを迎え入れるわけにはいかねぇ」
―――しまった。早すぎてイカサマをしたとでも思われたか―――
エドワードの背中にひやりと汗が伝った。だが次の瞬間、ヨステンは相好を不意に崩すと、自分の帽子を投げ捨てた。
「冗談じゃねえ! この俺たちの誰より早い奴を“迎え入れる”だぁ? 俺たちが頭下げて『お願いします』がスジだろうがよ!」
そういうと、ヨステンは深々と頭を下げた。
「悪かった。俺たちの完敗だ。どうか色々教えて欲しい」
「ああ、よろこんで」
どこかから、いや、そこらじゅうから歓声が上がった。いつの間にかにエドワードは機関区の連中に囲まれ、称賛を受けていた。
「ようこそシ=ク鉄道へ! カータ機関区は歓迎する!」
エドワードはこの時、今まで感じたことのない喜びを覚えた。
「御岳篤志」が生きていた時間が、そして日本が安政二年、もしくは明治五年以降着実に積み上げてきたものが、確かなものだったと知れたからだ。
―――ああ、先輩たちは間違って無かったんだ―――
エドワードの脳裏に、事故で死んでいった大先輩たちの顔が浮かぶ。叱咤激励しながら、全てを教えてくれた師匠の声が聞こえる。
―――この道を往け、篤志―――
エドワードの頬を、一条の雫が垂れた。
そして決意する。この世界に機関士として尽くす、と。
この道の先に、愛する者が居ると信じて――――――。
信号係が走り回り、分岐器を操作する。機関車が走るべき道が、どんどん作られていき、そしてついには最後までつながった。
機関車はそのまま後退を始める。ゆっくり、ゆっくり、いつもの豪快さがどこかへ飛んで行ってしまったかのように静かに動き、機関車はホームに滑り込む。
そして、また停まる。
「はい、連結ー!」
一人の駅員が叫ぶ。機関車は先ほどよりもゆっくりゆっくりと後退し、そして最後に、機関車のすぐ後ろでずっと静かに控えていた貨車に対し、その連結器を重ね合わせた。
「はい停まれー!」
ガシャン! と大きな音がする。駅員が連結器を足で踏み、連結具合を確認。そしてなんの問題も無いことを、手を挙げて周囲に知らせた。
惚れ惚れするほど基本に忠実な、連結操作だった。
エドワードは感心している。ヨステンはそれに構わず、なにやら紙を読み上げ始めた。
「この列車は隣の信号所に送る空荷貨車の回送。三十両編成だ」
エドワードの集中は、ヨステンの方へ引き戻された。それを傍目で認めたヨステンは、その紙をエドワードに寄越した。
「本列車を、エドワード・ラッセルの実力試験列車とする。この機関区を発車して、隣の信号所に着いたら所員がここに伝話をする。そこまでの時間を計る。いいな?」
「ああ、構わんさ」
「では、あと五分で出発だ」
そう言うと、ヨステンはまるで付き合ってる時間はないとばかりに、とっととどこかへ行ってしまった。
その代わりに、エドワードのもとにアイリーンがやってくる。
「ねえエドワード。とりあえずここから水が出るようにはしておいたけれども」
そう話すアイリーンの顔は、まだやはり不思議そうだった。
そんなアイリーンの顔を更に怪訝にさせることを、エドワードは告げる。
「ありがとう。じゃあ、その水を発火石にかけてくれ」
「はぁ!?」
アイリーンが驚きの声を上げる。それはまさに絶叫だった。忌憚のない、耳を射殺さんばかりの絶叫だった。
周囲の者は一斉に二人に注目し、そしてどこかへ行ったはずのヨステンまでが踵を返して走り戻ってきた。
「オイオイ! 何をしやがるんだ!」
ヨステンはエドワードの胸倉をつかみかからんばかりの勢いで詰め寄る。
「まあそう興奮しなさんなって」
どうどうとヨステンを落ち着けるが、彼の咆哮は収まるところを知らない。邪知暴虐の愚者たるエドワードに向かって、ヨステンの怪気炎は更に強まっていく。
「この回送の後ろには火急列車が控えてるんだ! 途中で停まったら承知せんぞ!」
その顔は必死だった。そこには、いけ好かない意地悪オヤジの顔はなく、生真面目な鉄道マンの顔があった。
―――ほう、こいつもそんな顔をするのか―――
彼の顔を見て、エドワードは逆に胸倉を掴み返す。彼の生真面目さが、エドワードの心に火をつけた。
「そんな状況何度も遭遇した。だがな、数百回の乗務の中で、うしろの列車を支障したのはただの一度だけだ」
エドワードの脳裏には、死ぬその直前の出来事がよぎる。後にも先にも、エドワードが後ろの列車に迷惑をかけたのは、エドワードの三十年にわたる鉄道生活の中で、あの時がただの一回だ。
―――同じ轍は踏むまいよ―――
エドワードはぐっとこぶしを握りこむ。幸い、天気はいい。こんな環境で後れを取ることは、なによりもエドワードのプライドが許さない。
そんな態度に気圧されてか、ヨステンはその手を離した。
「勝手にしやがれ!」
ヨステンは捨て台詞を吐いてまたどこかへ行ってしまう。それとほぼ同時に、発火石に水が撒かれた。エドワードもそこに加わって、ミヤと一緒に発火石に水をかける。
「なあ、なんであんなもんを連れてきたんだお嬢! 発火石に水をかけたら火が冷えちまうだろう!」
後ろでヨステンがシグナレスに詰め寄っていた。
「どうだろう。彼には彼なりの理由があるんじゃないかな」
ヨステンは呆れかえって、その場にへたり込んだ。
そうしているうちに、発火石の山から水がしたたり落ちるほどになる。エドワードは合図をして、水撒きを終わらせた。
「そろそろ発車だ!」
一人が叫ぶ。満足したエドワードは運転台に乗り込んだ。
「さて、火夫は僕がやればいいかな?」
半信半疑という顔のアイリーンがミヤからスコップを貰おうとする。だが、エドワードはその手を止めた。
「いや、ミヤで行こう。君は俺の運転を見ててほしい」
アイリーンは少し考えたのちに、それを渋々了承した。
「もし途中で辛くなったら、いつでも代わるからね」
そんなことを言いながら。
さて、全員が位置についた。時計らしきものを持った一人が、いつでも発車してよいと言う。
「ヨシ、進行!」
エドワードは汽笛を思いっきり鳴らした。その手が微かに震える。
時計の針が進み始めた。
エドワードはレバーを握り操作を始める。すると、汽車はゆっくりと歩み始めた。
列車はすぐに駅を抜け、列車はこの三人だけの空間になる。
「換算四十車ってところか……」
エドワードはそうつぶやいた。瞬間、その手がせわしなく動き始める。
それに合わせるように、汽車のシュッシュッという音がどんどん大きくなっていく。
「ドレンコック開く、ブロワー!」
一つ一つ手順を声に出しながら作業をこなしていく。身体に染み付いた行動の全てが、エドワードを本能的に突き動かしていた。そのことに、エドワードは今更ながらに気が付く。
「この感触、生きてた頃と全く同じだ……」
エドワードの顔に、つい笑みがこぼれた。
目の前にはアメリカの荒野かと見まがうばかりに気持ちのいい直線。エドワードはどんどんと速度を上げる。
規則正しい蒸気の音と、ボイラーにミヤが発火石をくべる音だけが響く。
煙突からは白い煙がちょろちょろと上がっていた。
その様子を見て、ついにアイリーンが口を開いた。
「ねえミヤちゃん。辛いなら代わるよ?」
それを聞いたエドワードは口をはさむ。
「大丈夫だ。そのままでいい」
「でも、煙がちっとも黒くならないじゃないか」
それを聞いてエドワードは、やっぱりか、という気分になった。
―――ここの汽車も随分と黒い煙を吐いていた。この世界の火夫はみな、煙の黒さはパワーの証明、のような認識なのかもしれん。まあ、俺もガキの頃はそうだった―――
そんなことを思いながら、アイリーンに返事をした。
「それでいいんだよ」
「なんでさ」
エドワードは背を向けたまま、アイリーンに全てを説明して見せる。
「なあ、煙は何で黒いんだ?」
「え? そんなことを言われても……」
考えたこともなかった。そんな風に答えるアイリーンにエドワードは答えを出した。
「正解は、燃えることのできなかった燃料が煙突から排出され、それが黒く見えるから」
「燃えることができなかった燃料?」
「そうだ。この場合、エーテルと結びつくことができなかった発火石の成分が、そのまま煙突から漏れ出てしまっているのさ。もし、その成分まできちんと燃やして熱に変えることが出来れば、発生する蒸気の量はかなり多くなると思わんかい?」
そう言われて、アイリーンはハッとしたような顔になった。
「まさか、発火石をたくさん投げ入れると煙が黒くなったのって……」
「乱雑に発火石を投げ入れたことにより火室の空気が淀み、エーテルと反応できなかった発火石が多量に発生したんだ。そして、その不完全な燃焼をした発火石の成分が煙突から吐き出されている、と」
汽車はぐんぐんスピードを上げていく。それでも、アイリーンは信じられない思いだ。
「信じられないか? でも、これが現実だ。事実、ミヤは投げ入れる量こそ少ないが、蒸気圧は黒煙をもくもく上げる火夫より上等だぜ? その証拠にそろそろ……」
エドワードが言い終わらないうちに、ビューという不快な音と共に汽車から蒸気が吹きあがった。それは安全弁の音だった。安全弁は、蒸気圧が危険な値にまで達してしまった際に、その蒸気を外気へ放出する役目を負っている。
「安全弁!? まさか」
普通、蒸気は運転中にどんどん消費される。走行中に安全弁で放出しなければならないほど、蒸気圧が高まることはまずありえない。
だがしかし、今まさにそれがありえていた。
「そうだ。安全弁が走行中に作動してしまうぐらい、高い蒸気圧を作れるんだ」
アイリーンは火室の中を覗き見る。すると、火床は綺麗に均されていた。
「なるほど。こうすることによって通風をよくし、熱のムラを作らないのか」
「そういうこと。さ、速度を上げるぞ!」
エドワードは更にせわしなく手元を操作する。
「まだ余力を残していたというのか!」
「当り前さ。今まではこの機関車の性能を見ていたんだから。どうやらこの機関車、そこまで高圧の蒸気は使わんらしい」
エドワードは運転の中で、機関車の性能を探っていた。そしてエドワードは、安全弁が作動してしまうほどに貯めた蒸気圧を、ここで一気に使い始める。
汽車は、弾き飛ばされるように更なる加速を始めた。
「何を言ってるんだ! これはこの国の標準機関車、前時代のものより各段に蒸気圧は高いんだぞ!」
アイリーンの絶叫を無視して、エドワードはなおも速度を上げる。
「おいおい、こんな速度ははじめてだ……」
「どうだい、あのヨステンが満足しそうな結果は出そうかい?」
「満足どころか、こんな速さ、前人未踏だよ! それにここから先は少しゆるい下り勾配なんだ。これ以上どこまで速度が上がるのかわからなくて、ちょっと怖いよ」
言われて後ろを振り返ると、少し変な揺れ方をしている貨車を見つけた。エドワードは頃合いだろうと思う。
「ほう、そうか。ミヤ、絶気だ。もう釜を焚かなくてもいいぞ」
エドワードは加速をやめると、アイリーンはその場にへたり込んだ。
そして渇いた笑みを浮かべる。
「まさかここまでとは……。本当にすごいや。君はいったい何者だい?」
「何者って、ただの機関士だよ」
「そんなはずがないよ。こんなすごい技術を持っているんだ」
そう勢いづくアイリーンに、エドワードは首を振った。
「勘違いすんなよ。これは俺がすごいんじゃねぇ」
謙遜なんて、という顔をするアイリーンに、エドワードは続ける。
「これは俺たちの先人が、命を懸けて発見し、実証し、体系化したその賜物さ。彼らが命を賭けたからこそ、俺みたいなボンクラでもここまでのことができる」
エドワードはその言葉を口でなぞった。
「これは俺の力じゃねえ。俺を育ててくれた、国鉄の力さ」
信号所で折り返し機関区に戻ると、誰もが度肝を抜かれたような顔で彼らを迎えた。
その人込みを超えて、ヨステンが近付いてくる。
「どうだい、俺たちは合格かい?」
エドワードの言葉にヨステンはとても渋い顔をしていた。
「お前たちがたたき出した“時計”は、史上最高の速さだった。だが!」
ヨステンはエドワードを睨みつける。
「なんか文句かい?」
「ああ。俺たちはお前たちを迎え入れるわけにはいかねぇ」
―――しまった。早すぎてイカサマをしたとでも思われたか―――
エドワードの背中にひやりと汗が伝った。だが次の瞬間、ヨステンは相好を不意に崩すと、自分の帽子を投げ捨てた。
「冗談じゃねえ! この俺たちの誰より早い奴を“迎え入れる”だぁ? 俺たちが頭下げて『お願いします』がスジだろうがよ!」
そういうと、ヨステンは深々と頭を下げた。
「悪かった。俺たちの完敗だ。どうか色々教えて欲しい」
「ああ、よろこんで」
どこかから、いや、そこらじゅうから歓声が上がった。いつの間にかにエドワードは機関区の連中に囲まれ、称賛を受けていた。
「ようこそシ=ク鉄道へ! カータ機関区は歓迎する!」
エドワードはこの時、今まで感じたことのない喜びを覚えた。
「御岳篤志」が生きていた時間が、そして日本が安政二年、もしくは明治五年以降着実に積み上げてきたものが、確かなものだったと知れたからだ。
―――ああ、先輩たちは間違って無かったんだ―――
エドワードの脳裏に、事故で死んでいった大先輩たちの顔が浮かぶ。叱咤激励しながら、全てを教えてくれた師匠の声が聞こえる。
―――この道を往け、篤志―――
エドワードの頬を、一条の雫が垂れた。
そして決意する。この世界に機関士として尽くす、と。
この道の先に、愛する者が居ると信じて――――――。
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