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異世界急行 第一・第二

整理番号10:シ=ク鉄道線内における連続脱線事故(前編)

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 帝都の南東にあるサンクトル駅、その立派な構内の一角に、これまた立派な応接間があった。そこでは一人の初老人がある男の相手をしていた。

「おたくはなにやら良い技術顧問を手に入れたそうじゃないですか。いったいそんな逸材、どこに転がってたんです?」

 客人から棘のある物言いでそう言われたその男は、笑ってそれをいなしながらこう答えた。

「シグナレス嬢が東国から連れてきたそうで」

「東国から? 東国に鉄道が豊かな国などありましたかね」

「それがどうもあったらしいのです。ああ、あったらしいというのは、私も伝え聞く話なので、確かなことは言えんのですが」

 その男はレルフ・マックレー。シロッコ=クアール鉄道の支配人である者だ。

「いつか御貸し願いたいものですね」

「ハハハ、御冗談を」

 レルフは渇いた笑いでその男を丁重に追い出した。

 嫌な客人の居なくなった部屋で一人、レルフは呟く。

「シグナレスや。今度はまた、厄介なものを連れてきたね……」









 日本は世界一ダイヤが緻密で正確な鉄道、日本を占領しに来たGHQは日本国鉄(省線)のダイヤの素晴らしさに、日本の鉄道を支配することを諦めた……。そんな“日本ヨイショ”が一定の信頼性を勝ち得るほどに、日本の鉄道はダイヤにうるさかった。
 もちろんそれは、通勤地獄の様相を無視すればの話ではあるのだが……。

 どんな状況下でもダイヤグラムを手放さないという点では、やはり日本の鉄道はダイヤグラムに準拠していると言えるだろう。
 安定輸送の為に敢えてダイヤグラムを放棄した国は少なからず存在する。

 にも関わらず、日本の鉄道は、そして御岳篤志は、なかなかどうしてダイヤグラムに固執した。それが安全への王道だと信じたからだ。

 果たして、その執念は“エドワード・ラッセル”にも受け継がれ、そして彼を通してシロッコ=クアール鉄道へともたらされた。

 シロッコ=クアール鉄道は、開業以来の原始的な指示運転制度を放棄し、ダイヤグラム準拠運転を手にした。

 その結果は、すぐに数字となって表れた。

 シロッコ=クアール鉄道の輸送量が昨年同期と比べて二倍以上に増加したのである。



 当然、エドワードがもたらしたものはダイヤグラムだけではない。効率の良い運転、速度を出せる運転、ロスの少ない運転。それらのエドワードにしてみれば基礎的な技術の伝授は、同鉄道の運転速度を飛躍的に高め、同時に輸送効率を爆発的に増加させた。

 同鉄道を介した輸送需要が圧倒的に増加する中で、滞貨、すなわち運びきれず積み残す貨物・若しくは乗客を一切発生させることなく、同鉄道は運転を続けた。
 それはエドワード一人の力でなしえたことではなく、同鉄道に従事する全ての鉄道員が、高い向上心と素直な向学心を持ち合わせたその結果であった。
 これには、ヨステン・ガーフィールドという、偏屈ながら生真面目な親分の存在も大きいと、エドワードは語る。

 だがしかし、この高度成長は思ってもみなかった弊害を、鉄道の根幹を揺るがしかねないとても大きな弊害を生みだしてしまった。

 脱線事故の増加である。









 日本の鉄道において、安全は至上命題だ。

 それを裏付けるように、運転の安全の確保に関する省令(法令番号:昭和二十六年七月二日運輸省令第五十五号)というものの中には、こんな文言がある。

第二条(規範)
 1.安全の確保は、輸送の生命である。
 2.規定の遵守は、安全の基礎である。
 3.執務の厳正は、安全の要件である。

 エドワード、いや、御岳篤志が今わの際に呟いた言葉である。これは、日本の鉄道の、まさに一丁目一番地だった。

 安全の確保は、輸送の生命。エドワードはそれを痛いほど理解している、だから、この世界の鉄道に出会ってまず最初にしたことが、安全の確保のための改革、すなわち、ダイヤグラムとタブレットの導入だった。

 ダイヤグラムを遵守し、保安設備(=タブレット閉塞)を確保する。これこそが、この世界の鉄道、少なくとも、今目の前に横たわっているシク鉄のとっての最善策になるはずだった。

 事実、正面衝突事故(並びに未遂=インシデント)は鳴りを潜めた。ヨステン曰く、月に二・三件、多い時では二日に一回は発生していた正面衝突事故、若しくはインシデントは、ダイヤグラムとタブレット閉塞の導入によって全く発生していない。

 エドワードはこの報告を聞いた時、小さくガッツポーズをした。これでこの鉄道の安全は守られた。そう思った。

 だが、現実は新しい問題を呼び起こしていた。エドワードの提案により、あくまでも“副次的”にもたらされた輸送の効率化は、偉大なる落とし穴をそこに作っていたのである。

 エドワードはそれを、身にもって知ることとなった。









 シロッコ=クアール鉄道(内部) 事故調査報告書 第 1 号

 本報告書の調査は、本件鉄道事故に際し、今後のシロッコ=クアール鉄道の発展と安全の確保のために、鉄道事故及び事故に付帯して発生した被害の原因を究明し、事故の防止並びに被害の軽減を図って行われたものである。

1.シロッコ=クアール本線 ハハット駅~ミノルバ停留所間 列車脱線事故

 事故経過
・シロッコ=クアール鉄道(以下、シク鉄)シロッコ=クアール本線(以下、シク本線)のアルヴスタン王国内発シロッコ(→サンクトル)行き二十七両編成の赤44列車がハハット~ミノルバ間を走行中、車掌が異常振動を認めたため緊急停止措置を行ったが、先頭より十両目の貨車が脱線した。

 事故当該列車・車輛
・赤44列車
 D2機関車けん引、有蓋車十一両、無蓋車七両、長物車九両編成。

 事故現場概況
・平坦かつ速度の出やすい高速区間。また、同列車はミノルバ停留所を通過する速達普通列車である。

 被害など
・二十二両が脱線、転覆。また、最後尾の有蓋車に添乗していた列車長が負傷した。









 脱線事故。それは、軌道レールの上を走る鉄道にとって、絶対にあってはならない事故である。

 この事故発生の一報は、エドワードの心をとても寒からしめた。

 まさに安全が、損なわれたということなのであるから。



 現場に到着したエドワードはまず、その現場の“平凡さ”に驚いた。

―――平坦な直線区間。それも、なんの障害物も見通し不良も存在しない……―――

 脱線の原因は多岐に渡るが、通常重大事故として挙げられる事故の殆どは、(その場が強風・悪天候・土砂流入などがない限り)おおよそは曲線区間で、それも速度超過によるものであると言える。
 これらは乗り上がり脱線、滑り上がり脱線、飛び上がり脱線と呼ばれるものであったり、又はそれら総合の結果であったりするのであるが、今回の事故はその様な原因に拠るものであるとは到底考えられなかった。

 なぜなら、事故発生現場を含め、至近に曲線区が存在しないからである。

 このことからエドワードは、もうすでに脱線原因の目星を付け始めていた。

―――この事故は、恐らくアレだ。だがしかし、その直接の原因が何かは検証が必要だ……―――

 今のエドワードには、証拠はおろか事故の記録すらなく、ただただ目の前に現場が横たわっているだけ。エドワードは整理された情報からではなく、この残骸の中から真実を探し出さなければならない。それに気が付いた時、エドワードはちょっとだけめまいがする思いだった。

 さて、エドワードはいつものように、すなわち国鉄機関士であった時の様に、胸ポケットからメモと万年筆を取り出そうとする。そこで、自らがもう違う存在に生まれ変わっていたことを思い出した。

「ああ、やってしまった。馬鹿か俺は……」

 ペチン! と自分のおでこを平手打ちすると、エドワードの背後からいけません! という声がする。エドワードは驚いて振り返ると、そこにはミヤが荷物を抱えて立っていた。

「自分の頭を叩くと、馬鹿になると聞きました。エドワード様は馬鹿ではありませんし、馬鹿になってもいけません……」

 ミヤは力なくそう答えた。そして、その手に持っている荷物をエドワードに押し付ける。

「これは?」

「メモとペンです。クリス様がこれを持っていけと」

 その荷物はひとまとめにされた筆記用具だった。きっと慌てたエドワードが何も持たずに出かけて行ったのを不憫に思い持たせたのだろう。
 エドワードは礼を言って受け取ったが、ふと考えなおしてその筆記用具をミヤに返した。

「ミヤ、字は書けるか?」

 ミヤは戸惑う表情を魅せながら、小さくうなづいた。

「ならヨシ。今から俺が言うことを、ミヤは書き取ってくれ」

 ミヤの返事も聞かず、エドワードは現場の調査を始める。ミヤは、その後ろを百面相の表情を見せながらついて行った。



 最初に脱線したと思われたのは、有蓋車だった。

 有蓋車とは国鉄でもっともポピュラーな貨車の一つだ。まるで小屋に台車を付けたような形をしており、古い有蓋車はそのまま倉庫として使われることもある。
 まさに、鉄道原初の時代からある由緒正しき貨車だ。

 その貨車は普通、屋根を付けて守らねばならないもの、すなわち小荷物だとか紙であるとか、ともかく水濡れや砂埃、風などを避けたいものが積まれていることが常だった。

 事故に遭った有蓋車は大きく変形しており、中の荷物が散乱していた。荷物はどうやら箱詰めされた何某かであるようで、たまに箱が壊れて中の物が露出しているところもあった。

 エドワードはその様な情景を逐一、言語化してミヤに伝える。ミヤはそれを一言一句書き取っていった。

 それにしても、とエドワードは思う。

―――やはり、速度の出しすぎが原因であろうか―――

 エドワードが伝授した方式に拠れば運転速度は劇的に増大する。それが事故の遠因もしくは直接の原因であるとしか、エドワードには思えなかった。

 エドワードの肌感覚から言えば、エドワードが出した速度は早くも何ともなかった。

 エドワードは常総本線において、特急荒潮号を運転したことがある。特急荒潮号は北方地方に対する速達列車であり高速化に対する要求は大きかった。が、エドワードが荒潮号を運転していた時代ではまだ蒸気機関車が必要な区間が多く、仕方なしに蒸気機関車での運転となった経緯がある。
 エドワードは当時最速の蒸気機関車を用いて運転を行ったが、それでもゆったりとした速度でしか運転できなかった。

 エドワードが当地で出した最高速度は、その時の速度よりも明らかに低速であった。

 だが、当地においてはそれでも高速と判断されてしまうほどに、未だ高速化が成されていない世界なのであろう。ということにエドワードは今頃気が付いたのである。

―――安全を確保するつもりが、却って安全性を損なってしまった―――

 その事実が、エドワードを焦らせた。



 次に、機関士に聴取を行った。機関士は以下の様に語った。

「ミノルバ手前の緩いカーブを抜けると、そこから全力運転にするんだ。すると、ハハット駅通過直後の上り坂に余力を持って対応できるから。速度計を見ていないからわからないが、ミノルバ駅通過時点で相当な速度が出ていたと思う。この区間は速度が出せるから、いつも助士と最高記録を狙って(速度を)出してしまうんだ」

(具体的にいつもどのくらいの速度を出すか聞かれて)

「六十キロメートルマイジぐらい、いつも平気で出すよ。前までは四十キロマイジもなかなか出せなかったから、ついつい出してしまったんだ。もしかしたら、七十キロマイジくらい出ていたかもしれない」

 ここでいう「キロマイジ」とは、エドワードの感覚からしてだいたい日本でいう「~キロメートル毎時」とほぼ同じであると考えてよさそうだった。

 さて、ここで問題になってくるのは、貨車の構造だ。

 貨車の足回り、すなわち車輪とその回りに関しては、エドワードもよく見慣れているものだった。

「一段リンク式の足回り……戦前のワムとほぼ同構造だ。制限速度は六十五キロ程度……」

 エドワードの脳内に事故原因が浮かんでは消える。どの事故原因も、直接の原因であるとは断定できなかった。何しろ、情報もその蓄積も浅い世界の事である。
 判断に要する情報が圧倒的に少なかった。

 頭を悩ませているうちに、ヨステンがやってきた。そして、後ろの列車が詰まっているからと、早々に現場を片付けてしまった。

 現場保存が大事とはいえ、輸送を支障してまでの現場保存は逆に新たな危険を喚起する恐れがある。これには、エドワードも渋々ながら同意せざるを得なかった。

 結局、エドワードは何もつかめないまま、その場を後にした。
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