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異世界急行 第一・第二
整理番号19:スイザラス鉄道ボイラー爆発事故(8・終審)
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査問は微妙な雰囲気のまま閉廷し、乗務員二人は無罪となった。
エドワードはその結末を見ることなく、査問会を後にした。
退室したエドワードはバツが悪くなり、査問所の屋上に上がって一人、黄昏ていた。そこへアリアル卿が近づいてくる。エドワードは思わず、意地の悪い笑みがこぼれた。
「図らずも、査問を無茶苦茶にしてしまったようだ。すまないねぇ」
エドワードは皮肉のつもりでそんな言葉を言い放った。だが、帰ってきた反応は、アリアル卿の深いお辞儀だった。
「……それは、なんだ?」
「感謝と、少しの謝罪だ」
そうつぶやいたアリアル卿は顔を上げて、少しだけ微笑んだ。その微笑みの訳が分からず、エドワードは何らかの言葉をかけようとしたが、言葉が出てこない。
やっとひねり出した言葉は、いやにつっけんどんなものだった。
「アンタの目的はなんだ」
アリアル卿は、覚悟を決めたようにその帽子を脱いだ。そしてそれを足元に置くと、長くなるが、と前置きした。
エドワードは訳も分からず、首肯する。すると、アリアル卿はその口を開いた。
「あれは私が十四を迎えた時だったと思う。長い邸宅ぐらしにも耐えかねて、私は帝都東側のスラム街に遊びに行ったんだ。今から思えば、とても無謀なことだったと思う」
アリアル卿の口からこぼれ始めたそれは、何の脈絡もない昔話だった。エドワードは訳が分からない。普段のエドワードなら、この言葉をさえぎって結論をせかすところである。
「私は途中で、スラム街の盗賊団に襲われた。当時の私は、いや今も、最有力貴族のボンボンだからね。私の恰好はあまりにも目立っただろう。なんせ、スラムの連中は上着どころか、下着すら身にまとってなかったからね」
だが、アリアル卿の雰囲気が、それをさせなかった。こんなことはエドワードにとって初めてだ。エドワードは、アリアル卿の言葉を、ひとつも逃すまいと固唾を呑んだ。
「逃げ惑った私は、気が付いたら歓楽街にまで迷い込んでいた。もう訳が分からなかった。領地への帰り方もわからない。私は途方に暮れてしまった。その時だった」
アリアル卿の表情は、恍惚で、それでいて寂し気だった。そしてその奇妙な表情は、エドワードにも心当たりがあった。
「私を守ってくれた女性がいた。それは歓楽街の嬢だった。彼女は迎えが来るまでの三日三晩、仕事を休んでまで私の面倒を見てくれた。……とても、淫靡で艶やかな女性だった」
彼の瞳は、ひどく湿っていた。エドワードはなんとなく、この話の流れを読むことができた。
「エドワード君。もう言わなくても伝わると思うが、機関士であるケルトン・サムラックは、私の息子だ」
「愛してしまったんですな、彼女を」
小さくうなづく彼の瞳から、小さく何かがこぼれた。エドワードは、それから目をそらす。
そんなエドワードの気遣いを知ってか知らずか、アリアル卿は話を笑い飛ばした。
「まったく、あれから私の人生は大変だったよ! 親にはこっぴどく叱られるし、あったこともない子供のことを考えながら生きていかないといけないし……」
だが、その表情は浮かなかった。まるで何かに取りつかれたかのように、彼は虚空を見つめている。
「五年前のことだ。彼女のことを忘れられず、歓楽街をさまよっている時だった。私は彼に偶然出会ってしまった」
「大人になった、彼に」
「ああそうだ。一目見て分かった。私と同じ目をしていて、彼女と同じ顔をしていたから。そして歳も、サムラックという姓も、何もかもが一緒だった。だから私は、彼をこの鉄道に招き入れたんだ」
エドワードは、話の全てを完全に理解した。
「つまり閣下は、最愛の女性との間に生まれた子を、守ってほしかったわけだ」
エドワードの言葉に、アリアル卿は静かに首肯した。
「一目見て、君が人情に篤く、それでいて生真面目な職人肌の人間だとわかったよ。だから、君に賭けてみることにしたんだ。君なら、息子の無実を証明してくれるかもしれないとね」
それを口に出してから、アリアル卿は初めて笑顔になった。だがしかしそれは、気障な雰囲気はどこかへ消え、憑き物がとれたような晴れやかな笑顔だった。
「ありがとう。エドワード・ラッセル君。君のおかげで、本懐は達せられた。私は、全てを守ることができた。本当にありがとう」
アリアル卿はそんな言葉とともに、再び深々と頭を下げた。
アリアル卿が屋上から去ると、エドワードは虚空に向けてつぶやいた。
「盗み聞きとは感心しないねぇ」
その言葉を発した瞬間、どこからともなくアイリーンが現れた。彼女はバツの悪そうな顔をしながら、ペコリと頭を下げる。
「大車輪の活躍だった君を、すこしばかりおどけてねぎらおうと思ったんだ。いやあ、僕史上最大の失敗だったよ」
おどける彼女に、エドワードは自分の口元に人差し指を立てた。
「わかってるよ。誰にも言わないし、言うつもりもないさ。しかし、だ」
アイリーンは合点がいった、という顔だ。
「彼がなぜ、色欲魔と呼ばれるまでになってしまったのか、図らずもわかってしまった」
「奇遇だな。俺もだ」
アリアル卿はひどい色欲魔、貴族界イチのプレイボーイ。そんなうわさ話を、アイリーンから耳にしたことがあった。
「彼はきっと、その女性をずっと探し求めてたんだね」
「ああ。そしてやっと手に入れた彼女の面影を、彼は手放したくなかったんだ」
エドワードには、あの涙がそれを伝えようとしていたように見えた。
「しかし、光源氏みたいなやつだなあ、あいつは」
エドワードは湿っぽくなった空気を換えようと、笑いながらついそんな感想を口にした。
「ヒカルゲンジ?」
当然、アイリーンは怪訝な顔をする。その表情に、エドワードはひやりと汗をかいた。
「ああ、そういえば、エスパノ家? とやらはこの国でどれだけ偉いんだ?」
焦ったエドワードは無理やり話題を変える。アイリーンは変な顔をしながらも、その問いに答えてくれた。
「エスパノ家は国内最有力貴族、ボフォース家の分家だって話はしたよね?」
「ああ。それは聞いたな。そのボフォース家ってのが強いのかい」
「そうさ。この国の王妃は、ほとんど彼らボフォース家の女性から出ているんだ。それに、ボフォース家にはたくさんの元王族がいるからね」
「元王族?」
「王族から降下した人たちさ。それに、王の妾の子なんかがその実情を伏せられて籍を入れてる場合もあるらしい。……一説によると、アリアル卿は実は現王の隠し子なんじゃないかって噂があるんだ」
「へえ、藤原不比等みてぇなやつだな。あいや、平清盛のほうが適切かも……」
エドワードはまた口を滑らした。今度は慌てることなく、なんてことないように、元居た国の歴史上の人物だとごまかした。
「ふーん、そんな人間がいるんだね」
アイリーンは納得したような顔を見せた。エドワードは、ホッと胸をなでおろす。が、次の瞬間、エドワードの心臓は縮み上がった。
「君、本当にウソやゴマカシが下手なんだね」
アイリーンはそんなことを言いながら、コロコロと笑った。笑っていられないのはエドワードの方である。
エドワードは真っ青な顔で、ナンのことだかワカラナイ、と答えた。
それを見たアイリーンがまた、腹を抱えて笑う。
「ねえ、知ってる? 石炭は主に西方の国で採れるから、東国で使うことはないんだよ?」
エドワードは血の気が引く思いがした。そういえば、いつだったか石炭で動く機関車の話を口走った覚えがある。
「ば、バレてしまっては致し方ない! 実は私は、西国のスパイで……」
ウソにウソを重ねようとするエドワードに、アイリーンは指をさしながらチェックメイト! と言い放った。
「もう一つ。この世界に、木炭は存在しないよ。当然、木炭バスもね」
エドワードはとうとう観念して白旗を上げた。もはやぐうの音も出なかった。
「どこから気が付いていた?」
「君、僕が耳慣れない言葉に眉をひそめるたびに、いちいち慌てて取り繕おうとしていただろう? 普通、異国から来た人間が祖国の言葉の意味を聞かれても、特段慌てたりはしないもんさ」
エドワードは一周回ってぐうの音を出した。その珍妙な光景は、今しがた再現されたばかりだ。
「つまり君は、元居た国、いや、世界について触れられたくない人間。そんな人種は、この世界に一つしかないからね。推理するのは簡単だったよ」
エドワードは思わず万歳した。両手を高く天へと掲げて、降参だと身体じゅうで表現している。
「まるで明智小五郎だ。君はいい探偵になれるよ」
「そうそう、そんな感じで堂々としていればいいのさ」
まさか、光源氏や平清盛、藤原不比等が命取りになるとは思わなかった。エドワードは心の中で、おのれ摂関家! と叫ぶ。
「でも、君もまるで探偵のようだったよ。見事な推理だった」
「そうかい?」
「もちろん! お世辞抜きでね」
そういわれると、悪い気はしなかった。エドワードは少しだけ鼻の下を伸ばした後、アイリーンに向き直る。
「なあ、アイリーン。出来ればこのことは……」
彼女は、そのクールな顔を崩して、まるでいたずらっ子の様に意地悪な顔をした。
「うーん、どうしよっかな?」
エドワードはその場に正座する。土下座の準備だ。エドワードは産まれてから、妻である瑠璃の親父に挨拶をしたとき以外に、土下座なんてものをしたことが無い。
エドワードはそんなプライドを投げ捨てて、土下座の準備に入った。
アイリーンは慌ててそれを止める。
「冗談、冗談さ!」
まったくもう、と彼女は頬を膨らませると、優しくため息をついた。
「僕も、ダクターの辛さについては知っているさ。だから黙っててあげる。ただ、その代わり……」
彼女はエドワードの鼻先まで顔を近づけた。少しだけ居心地が悪そうにするエドワードに、アイリーンは真剣なまなざしで問いかけた。
「教えてくれないかな。君がこの世界に来た、その理由を」
エドワードは逡巡した。全てのことを言ってしまうのは、あまりにもためらわれた。だから、少しだけそれを包み隠して、エドワードは伝えることにした。
「実は俺は、事故で死んだ。鉄道事故だ。そして俺は生前、ずっと鉄道事故を研究していたんだ」
「……なるほど? だから君は、この次の世界でも、事故を研究し、無くしたいんだ」
アイリーンはエドワードの言おうとしたことを先回りしてくれた。だからエドワードはただ頷くだけでよかった。
「なるほどね。じゃあ、これからも、今日みたいに事故の調査をするのかい?」
「ああ、そのつもりさ」
ふーん、と、アイリーンは納得したような顔を見せた。その顔は、夕日に照らされて真っ赤だった。
アイリーンはその顔をプイとそらすと、エドワードに背中を向けた。
「ねえ、君に一つだけ言っておくよ。僕は、君の味方だからね」
その背中が、僕を信じて、と語りかけているようだった。
アイリーンは振り返る。そして口をエドワードの耳元に寄せると、小さくつぶやいた。
「いつか本当のことを全て話せる日が来たら、教えてね」
驚いた顔のエドワードに、アイリーンは冗談めかした妖艶な顔で、明るく言い放った。
「その時は、本当の僕を教えてあげるから」
一人の少年が、二人の会話を聞いていた。その少年は、査問所の掃除係だった。
彼は二人の会話を途中まで聞くと、持ち場を放りだして一目散にかけた。
「見つけた、見つけたぞ!」
彼はそんなことを口走りながら、街道を駆けていった。
エドワードはその結末を見ることなく、査問会を後にした。
退室したエドワードはバツが悪くなり、査問所の屋上に上がって一人、黄昏ていた。そこへアリアル卿が近づいてくる。エドワードは思わず、意地の悪い笑みがこぼれた。
「図らずも、査問を無茶苦茶にしてしまったようだ。すまないねぇ」
エドワードは皮肉のつもりでそんな言葉を言い放った。だが、帰ってきた反応は、アリアル卿の深いお辞儀だった。
「……それは、なんだ?」
「感謝と、少しの謝罪だ」
そうつぶやいたアリアル卿は顔を上げて、少しだけ微笑んだ。その微笑みの訳が分からず、エドワードは何らかの言葉をかけようとしたが、言葉が出てこない。
やっとひねり出した言葉は、いやにつっけんどんなものだった。
「アンタの目的はなんだ」
アリアル卿は、覚悟を決めたようにその帽子を脱いだ。そしてそれを足元に置くと、長くなるが、と前置きした。
エドワードは訳も分からず、首肯する。すると、アリアル卿はその口を開いた。
「あれは私が十四を迎えた時だったと思う。長い邸宅ぐらしにも耐えかねて、私は帝都東側のスラム街に遊びに行ったんだ。今から思えば、とても無謀なことだったと思う」
アリアル卿の口からこぼれ始めたそれは、何の脈絡もない昔話だった。エドワードは訳が分からない。普段のエドワードなら、この言葉をさえぎって結論をせかすところである。
「私は途中で、スラム街の盗賊団に襲われた。当時の私は、いや今も、最有力貴族のボンボンだからね。私の恰好はあまりにも目立っただろう。なんせ、スラムの連中は上着どころか、下着すら身にまとってなかったからね」
だが、アリアル卿の雰囲気が、それをさせなかった。こんなことはエドワードにとって初めてだ。エドワードは、アリアル卿の言葉を、ひとつも逃すまいと固唾を呑んだ。
「逃げ惑った私は、気が付いたら歓楽街にまで迷い込んでいた。もう訳が分からなかった。領地への帰り方もわからない。私は途方に暮れてしまった。その時だった」
アリアル卿の表情は、恍惚で、それでいて寂し気だった。そしてその奇妙な表情は、エドワードにも心当たりがあった。
「私を守ってくれた女性がいた。それは歓楽街の嬢だった。彼女は迎えが来るまでの三日三晩、仕事を休んでまで私の面倒を見てくれた。……とても、淫靡で艶やかな女性だった」
彼の瞳は、ひどく湿っていた。エドワードはなんとなく、この話の流れを読むことができた。
「エドワード君。もう言わなくても伝わると思うが、機関士であるケルトン・サムラックは、私の息子だ」
「愛してしまったんですな、彼女を」
小さくうなづく彼の瞳から、小さく何かがこぼれた。エドワードは、それから目をそらす。
そんなエドワードの気遣いを知ってか知らずか、アリアル卿は話を笑い飛ばした。
「まったく、あれから私の人生は大変だったよ! 親にはこっぴどく叱られるし、あったこともない子供のことを考えながら生きていかないといけないし……」
だが、その表情は浮かなかった。まるで何かに取りつかれたかのように、彼は虚空を見つめている。
「五年前のことだ。彼女のことを忘れられず、歓楽街をさまよっている時だった。私は彼に偶然出会ってしまった」
「大人になった、彼に」
「ああそうだ。一目見て分かった。私と同じ目をしていて、彼女と同じ顔をしていたから。そして歳も、サムラックという姓も、何もかもが一緒だった。だから私は、彼をこの鉄道に招き入れたんだ」
エドワードは、話の全てを完全に理解した。
「つまり閣下は、最愛の女性との間に生まれた子を、守ってほしかったわけだ」
エドワードの言葉に、アリアル卿は静かに首肯した。
「一目見て、君が人情に篤く、それでいて生真面目な職人肌の人間だとわかったよ。だから、君に賭けてみることにしたんだ。君なら、息子の無実を証明してくれるかもしれないとね」
それを口に出してから、アリアル卿は初めて笑顔になった。だがしかしそれは、気障な雰囲気はどこかへ消え、憑き物がとれたような晴れやかな笑顔だった。
「ありがとう。エドワード・ラッセル君。君のおかげで、本懐は達せられた。私は、全てを守ることができた。本当にありがとう」
アリアル卿はそんな言葉とともに、再び深々と頭を下げた。
アリアル卿が屋上から去ると、エドワードは虚空に向けてつぶやいた。
「盗み聞きとは感心しないねぇ」
その言葉を発した瞬間、どこからともなくアイリーンが現れた。彼女はバツの悪そうな顔をしながら、ペコリと頭を下げる。
「大車輪の活躍だった君を、すこしばかりおどけてねぎらおうと思ったんだ。いやあ、僕史上最大の失敗だったよ」
おどける彼女に、エドワードは自分の口元に人差し指を立てた。
「わかってるよ。誰にも言わないし、言うつもりもないさ。しかし、だ」
アイリーンは合点がいった、という顔だ。
「彼がなぜ、色欲魔と呼ばれるまでになってしまったのか、図らずもわかってしまった」
「奇遇だな。俺もだ」
アリアル卿はひどい色欲魔、貴族界イチのプレイボーイ。そんなうわさ話を、アイリーンから耳にしたことがあった。
「彼はきっと、その女性をずっと探し求めてたんだね」
「ああ。そしてやっと手に入れた彼女の面影を、彼は手放したくなかったんだ」
エドワードには、あの涙がそれを伝えようとしていたように見えた。
「しかし、光源氏みたいなやつだなあ、あいつは」
エドワードは湿っぽくなった空気を換えようと、笑いながらついそんな感想を口にした。
「ヒカルゲンジ?」
当然、アイリーンは怪訝な顔をする。その表情に、エドワードはひやりと汗をかいた。
「ああ、そういえば、エスパノ家? とやらはこの国でどれだけ偉いんだ?」
焦ったエドワードは無理やり話題を変える。アイリーンは変な顔をしながらも、その問いに答えてくれた。
「エスパノ家は国内最有力貴族、ボフォース家の分家だって話はしたよね?」
「ああ。それは聞いたな。そのボフォース家ってのが強いのかい」
「そうさ。この国の王妃は、ほとんど彼らボフォース家の女性から出ているんだ。それに、ボフォース家にはたくさんの元王族がいるからね」
「元王族?」
「王族から降下した人たちさ。それに、王の妾の子なんかがその実情を伏せられて籍を入れてる場合もあるらしい。……一説によると、アリアル卿は実は現王の隠し子なんじゃないかって噂があるんだ」
「へえ、藤原不比等みてぇなやつだな。あいや、平清盛のほうが適切かも……」
エドワードはまた口を滑らした。今度は慌てることなく、なんてことないように、元居た国の歴史上の人物だとごまかした。
「ふーん、そんな人間がいるんだね」
アイリーンは納得したような顔を見せた。エドワードは、ホッと胸をなでおろす。が、次の瞬間、エドワードの心臓は縮み上がった。
「君、本当にウソやゴマカシが下手なんだね」
アイリーンはそんなことを言いながら、コロコロと笑った。笑っていられないのはエドワードの方である。
エドワードは真っ青な顔で、ナンのことだかワカラナイ、と答えた。
それを見たアイリーンがまた、腹を抱えて笑う。
「ねえ、知ってる? 石炭は主に西方の国で採れるから、東国で使うことはないんだよ?」
エドワードは血の気が引く思いがした。そういえば、いつだったか石炭で動く機関車の話を口走った覚えがある。
「ば、バレてしまっては致し方ない! 実は私は、西国のスパイで……」
ウソにウソを重ねようとするエドワードに、アイリーンは指をさしながらチェックメイト! と言い放った。
「もう一つ。この世界に、木炭は存在しないよ。当然、木炭バスもね」
エドワードはとうとう観念して白旗を上げた。もはやぐうの音も出なかった。
「どこから気が付いていた?」
「君、僕が耳慣れない言葉に眉をひそめるたびに、いちいち慌てて取り繕おうとしていただろう? 普通、異国から来た人間が祖国の言葉の意味を聞かれても、特段慌てたりはしないもんさ」
エドワードは一周回ってぐうの音を出した。その珍妙な光景は、今しがた再現されたばかりだ。
「つまり君は、元居た国、いや、世界について触れられたくない人間。そんな人種は、この世界に一つしかないからね。推理するのは簡単だったよ」
エドワードは思わず万歳した。両手を高く天へと掲げて、降参だと身体じゅうで表現している。
「まるで明智小五郎だ。君はいい探偵になれるよ」
「そうそう、そんな感じで堂々としていればいいのさ」
まさか、光源氏や平清盛、藤原不比等が命取りになるとは思わなかった。エドワードは心の中で、おのれ摂関家! と叫ぶ。
「でも、君もまるで探偵のようだったよ。見事な推理だった」
「そうかい?」
「もちろん! お世辞抜きでね」
そういわれると、悪い気はしなかった。エドワードは少しだけ鼻の下を伸ばした後、アイリーンに向き直る。
「なあ、アイリーン。出来ればこのことは……」
彼女は、そのクールな顔を崩して、まるでいたずらっ子の様に意地悪な顔をした。
「うーん、どうしよっかな?」
エドワードはその場に正座する。土下座の準備だ。エドワードは産まれてから、妻である瑠璃の親父に挨拶をしたとき以外に、土下座なんてものをしたことが無い。
エドワードはそんなプライドを投げ捨てて、土下座の準備に入った。
アイリーンは慌ててそれを止める。
「冗談、冗談さ!」
まったくもう、と彼女は頬を膨らませると、優しくため息をついた。
「僕も、ダクターの辛さについては知っているさ。だから黙っててあげる。ただ、その代わり……」
彼女はエドワードの鼻先まで顔を近づけた。少しだけ居心地が悪そうにするエドワードに、アイリーンは真剣なまなざしで問いかけた。
「教えてくれないかな。君がこの世界に来た、その理由を」
エドワードは逡巡した。全てのことを言ってしまうのは、あまりにもためらわれた。だから、少しだけそれを包み隠して、エドワードは伝えることにした。
「実は俺は、事故で死んだ。鉄道事故だ。そして俺は生前、ずっと鉄道事故を研究していたんだ」
「……なるほど? だから君は、この次の世界でも、事故を研究し、無くしたいんだ」
アイリーンはエドワードの言おうとしたことを先回りしてくれた。だからエドワードはただ頷くだけでよかった。
「なるほどね。じゃあ、これからも、今日みたいに事故の調査をするのかい?」
「ああ、そのつもりさ」
ふーん、と、アイリーンは納得したような顔を見せた。その顔は、夕日に照らされて真っ赤だった。
アイリーンはその顔をプイとそらすと、エドワードに背中を向けた。
「ねえ、君に一つだけ言っておくよ。僕は、君の味方だからね」
その背中が、僕を信じて、と語りかけているようだった。
アイリーンは振り返る。そして口をエドワードの耳元に寄せると、小さくつぶやいた。
「いつか本当のことを全て話せる日が来たら、教えてね」
驚いた顔のエドワードに、アイリーンは冗談めかした妖艶な顔で、明るく言い放った。
「その時は、本当の僕を教えてあげるから」
一人の少年が、二人の会話を聞いていた。その少年は、査問所の掃除係だった。
彼は二人の会話を途中まで聞くと、持ち場を放りだして一目散にかけた。
「見つけた、見つけたぞ!」
彼はそんなことを口走りながら、街道を駆けていった。
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