上 下
21 / 47
異世界急行 第一・第二 異世界事故調編

整理番号21:開拓列車、ベス近郊脱線事故(1)

しおりを挟む
 季節は、地球でいうところの夏に相当する時期に移り変わっていた。

 サン・ロード南部の夏は乾燥しており、空には雲一つない。

 そんな心地よい景色の中を、一本の列車が走り抜ける。



 ミルケ鉄道7778列車は、テペン駅を定刻通り発車した。テペンはサン・ロード皇国第三の都市で、南方への交易の要衝である。列車は、そこからさらに南方へ出発した。

 機関車はガルバ号と呼ばれる最新のものだった。サン・ロード皇国の制式機関車と比べ、約二倍近い出力を有している。ミルケ鉄道自慢の機関車だ。

 それに引き換え、後部の客車は見るからにボロボロな木造客車だった。
 それはドレス号という客車で、ミルケ鉄道が開業当時から所有している旧式の客車だ。まるで粗末な箱とでも形容したほうが良いような客車だった。

 乗客は、この粗末なぼろ客車に満載され、非常に不愉快な思いをしていた。テペン駅発車時点で車両は満員を超えている。

 空調や扇風機の類などは当然ながら概念からして存在しない。乗客は全ての窓を開け放して少しでも外気を取り入れようとしていた。
 だがその努力は徒労に終わる。なぜなら車内は人間で埋め尽くされており、風が通る隙間など存在しなかったからだ。加えて、外はカンカン照りで温度はかなり上がっていた。

 なぜこのような状況になったかというと、それはこの列車の特殊性に依拠する。

 この列車は多数の開拓民を乗せた、開拓列車だった。

 乗車前の切符確認によると、列車の乗客は、サン・ロード皇国と南の大シンカ共和国との国境付近にある新しい開拓地「ベス」に向かう予定だったという。

 つまり、車内の乗客はこのベスへと向かう開拓民だったのである。

 乗客であるミルルもその一人だった。彼女もまた以前は奴隷の立場であり、脱走に脱走を繰り返して今ここに一人の人間として存在している。
 彼女はこの不愉快な空間の中で、明日への夢を抱いていた。

 さて、列車はベスまで残りわずかの地点までやってきた。車掌がそれを伝えると、車内から安堵のようなため息が漏れる。
 その時、列車の後方から、まるで死人が息を吹き返したような、そんな奇妙な空気の音がした。

 列車の一番後方で乗務していた列車長は、当然その異常に気が付いた。列車長は激しく戸惑う。

 列車長の役目の中には、列車に異常が発生した際に非常ブレーキを採る、という任務も含まれる。列車長はここで、ブレーキを採るべきかを逡巡した。

 だが、車掌長はここで、もうすぐ列車がキシュリッジ駅にたどり着くことを思い出した。

 キシュリッジ駅はテペン~ベス間において最後の補給地点であり、従来は当駅で水・石炭の補給を行ってきた。車掌長は、当然この7778列車も停車するものと思い込んだ。

 だが、そうはならなかった。列車はキシュリッジ駅を定刻に通過すると、そのまま加速を始めた。

 車掌長はここに至ってもなお、非常ブレーキを採るべきか逡巡した。そして考えた挙句、車掌は非常ブレーキを採らなかった。



 そのころ運転台では、機関士と機関助士が異常に気が付いていた。

 列車はキシュリッジ駅を通り過ぎ、ベスに向かう最後の難所である急な下り坂に差し掛かった。

 そこに至って、列車は急激に速度を増していく。運転を担当する機関士は加速をやめ、列車を減速させるためにブレーキハンドルを握る。同時に、ブレーキをかけることを知らせる汽笛を鳴らした。

 それから機関士は、ブレーキをいっぱいに採った。

 列車は少しだけ減速する。が、それは機関士が意図したとおりの減速ではない。機関士の感覚よりも、大幅にブレーキの効きが悪かった。

 機関士は何が起きたのかわからず、最大ブレーキを叩き込む。だが、それでも列車は減速しない。
 列車はとうとう、ガタガタと震えながら本来であれば絶対に到達しないであろう速度へと達してしまう。

 機関士は危険を感じ、非常警笛を吹鳴した。列車長はそれに気が付き、ついにブレーキを採った。しかし、列車は一切減速をしない。
 列車長は思わず、駐車ブレーキ、すなわち地球の自動車でいうところのサイドブレーキにあたるブレーキを採った。これにより、列車は多少の減速をしたように見えた。だが、しばらくして最後尾の車両から煙が上がる。

 列車長は突然の事態に動揺し、叫んだ。

「火事だ! この列車はもう止まらない!」

 車掌長がそう叫んだ直後、ひときわ大きく煙が噴き出し、列車は再び加速へ転じた。

 車内は大きく混乱する。一家を挙げて開拓地へ向かおうとしていたものや、現地の視察に向かっていた小役人まで、様々な者達が一斉に動揺し、いわゆるパニックに陥った。

 一人が窓を開け放った。そして、その窓から乗客が落ちていく。

 しかし、列車はまだ停まらない。

 列車はそのままの速度を保ち、ベス駅直前のゆるい右カーブへ差し掛かる。

 列車はカーブを曲がり切れず、大きく動揺し、脱線。



 死者は445名(大シンカ側発表で390名)、負傷者は確認できていない。

 また、機関士ウィリーと機関助士セッセの死亡が確認された。









 現場はまるで生き地獄のようだ。と、エドワードは記録係のミヤに書きとらせる。

 そんな感想のような文言は”クソの役にも立たない”とエドワードは認識している。が、それでも、エドワードはそれを記録せずにはいられなかった。

 エドワードの前世から続く長い鉄道マン生活の中でも、ここまでの惨状は見たことがない。それくらい、事故現場は凄惨を極めていた。

 事故現場からテペン側へ数キロにわたって、点々と遺体が転がっていた。エドワードは訳が分からない。何をどう計算しても、遺体の数が多すぎるのである。

「まるでラッシュ・アワーの中央線が事故を起こしたかのようだ」

 エドワードはそうつぶやいた。先に到着した治安維持部隊によれば、死者は数百人単位。だが、エドワードの目にはさらに多いように見えた。

「エドワード、事故原因の見立ては?」

 信じられない。そんな顔で固まってしまったエドワードに、鍛冶師として連れてきたアイリーンは正気に戻させようと質問を投げかける。

 エドワードは動揺しながらも、しかし冷静に現場を分析していた。

「列車は下り坂を下って、このカーブに差し掛かった。そして、そこで脱線。典型的な速度超過による脱線さ」

 むしろ、それ以外の原因は想定できなかった。列車は相当な高速度で脱線したようで、数十メートル先まで吹き飛ばされている。
 線路には脱線の痕跡が残っている。すなわち、高速で衝撃した車輪が、線路をぐちゃぐちゃに歪めてしまっていた。

「速度超過脱線でなければ、ここまで車両が吹き飛ぶことはない、だろう」

 むしろエドワードからしてみれば、そう信じたかった。



 事故原因が速度超過と判明すれば、行うべきはその速度超過がどのように発生したか、ということである。

 速度超過の原因は多岐にわたる。機関士(運転士)のミスまたは意識喪失、速度制限に関しての研究不足または認識不足、誤った制限速度の通達または表示、などである。
 だが、エドワードは、もうひとつの原因を懸念していた。

 エドワードは事故車両へ近づく。そして、そのうちの一番遠くへとばされた機関車のほうへ歩み寄った。
 機関車の構造は強く、それはなんとか原型をとどめていた。だが、火室からこぼれた発火石で辺りは焼け焦げている。その強いにおいが、エドワードの鼻を突いた。

 エドワードはその様子に顔をしかめながら、ひとつひとつ残骸を確認していった。すると、いくらか損傷の度合いが低い、といっても客室部分はペチャンコにつぶれている、車両を発見した。エドワードは駆け寄って、アイリーンを手招きする。

「アイリーン、これを見てくれ」

 エドワードはその残骸の中でも、車輪の周囲を指さして言った。

「この辺りを調べれば、事故原因がわかるかもしれない」

「どういうことだい?」

「ブレーキが動作した痕跡があるかどうかを見たい。君なら判断つくだろう?」

 エドワードも当然、この道のプロである。だが、こういったことは、鍛冶士であるアイリーンの方が有利であると、エドワードは踏んだ。

「君が言うんだから、そうだろうね。ちょっと見せてもらおうか」

 彼女はそういうと、まじまじと車輪を見つめる。すると、急に顔を曇らせた。

「なんだこれは、酷いなぁ。ずいぶんと使い古しているよ」

 その言葉をエドワードが問いただした。

「それは、すり減っているということか?」

「ああ、そうさ。だいぶ使い込まれている。けれど、今回の事故とは関係ないね」

 彼女はそう言った。その言葉には、かなりの自信があるようだった。エドワード一応、その言葉の真意も問いただす。

「なぜそれがわかる?」

「熱さ。ブレーキによる加熱が事故の前にあったとするならば、表面などにそういう変化が現れる。特に、ブレーキが利かなくなるほどの熱ならね」

「なるほど、それが無いということは、事故当時このブレーキは動作していなかったということか?」

「そう考えて間違いないと僕は思う。君はどう思う?」

 そう問いかける彼女の顔はいやに挑戦的だった。エドワードは、君がそう言うならそうだろう、と答えるにとどめた。

「餅は餅屋、鍛冶は鍛冶屋だ。判断は君に任せるよ」

「わぁ、僕ったら責任重大。でも、信じてくれていいと思うよ。この事故は、ブレーキ故障による事故さ」

 彼女は、今度は確かにそう言い切った。その言葉に、エドワードは深くうなづく。

「じゃあ、問題はどうしてブレーキが効かなかったか、だ」

 こういった鉄道のブレーキは普通、車輪に対し制輪子(ブレーキシュー)という部品を押し当てることによってブレーキを効かせる。
 これは、自転車のブレーキの構造とほぼ同一だ。

 これらに問題が無いということは、すなわち制輪子を車輪に押し当てる部分で問題が発生したということである。

 では、どんな問題が発生したか。エドワードはそれを検証したかった。だが、現場はそれを許さないほどに深く傷ついていた。

「この惨状じゃ、残骸の中からこれ以上の証拠を見つけ出すのは不可能だ。あきらめて、周辺調査で明らかにしていこう」

 現場には、今も炎がくすぶる匂いが立ち込めていて、それは慣れているエドワードでも少し気分が悪くなってくるほどだ。

「ミヤ、あとは適当にそのあたりの記録を頼む。これ以上の収穫はなさそうだ」

 エドワードはミヤにそう指示を飛ばした。だがしかし、返事が無い。ミヤはとても快活な返事を返す子だから、エドワードついつい心配になってしまい、ミヤの方を見た。
 すると彼女は、うずくまって震えていた。いち早く気が付いたアイリーンが彼女に駆け寄る。

「どうしたの? どこか具合が悪いかい?」

 その問いかけに、ミヤはただただ首を振った。

 だが、その顔色は明らかに青白く、その手はかすかにふるえていた。

「ミヤ、どうした? なにかあったか?」

 エドワードが優しく問いかけると、ミヤはかろうじて声を絞り出した。

「……私の、親友だったんです」

 ミヤはぺしゃんこになった客車の、その客室の一角を指さした。

「一緒に逃げて、逃げられたのに、なんで……」

「もういい。何も言うな」

 エドワードは彼女を抱きかかえる。ミヤはその胸の中で、わんわんと大きな声で泣き始めた。エドワードは、心の痛みを思い出した。

―――あの時と、同じだ―――

 事故の悲しみ。それ以上に悲惨な、残された者の心中。彼女の涙がエドワードの胸を濡らしたとき、彼の前世の記憶がフラッシュバックする。

―――解決しなければならん。彼女のためにも、我々のためにも―――

 エドワードは胸に彼女を抱きとめながら、そう決意した。
しおりを挟む

処理中です...