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異世界急行 第一・第二 異世界事故調編

整理番号23:開拓列車、ベス近郊脱線事故(3)

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 車掌、ブリービはこの道三十年のベテランである。彼は二人を前にして、とつとつとこう語り始めた。

「私は、テペン駅から列車に乗務しました……」









 その日、私は7778列車に、始発のテペン駅から乗務しました。

 車掌の仕事は、まず切符の確認です。が、ベス行きの列車はいつもひどい混雑なので、客が列車に乗り込む前に切符を持っているかどうかだけ確認して、あとは特になにもしません。
 車内は絶望にくれた世捨て人か、荒くれものぐらいしか居ませんからね。

 列車は定刻に発車しました。ああ、定刻っていうにのは、最近導入されたダイヤグラム? っていうんですか? あれに基づいた時刻で発車した、という意味です。

 しかし、あれを考え出した人はとんでもないですね。あれがうちの鉄道に入ってきてから、仕事がちょっと窮屈になりましたよ。

 さて、列車はふつーに運転していましたんだがね、途中で変な音がしたわけです。こう、なんていうんでしょうかね、おぼれた人間が息を吹き返したような音というんですか? そんなこう、空気みたいな音がしたんですよ。

 それで私、あれーおっかしーなー? と思ってブレーキを採ろうかと思ったんですがね。

 しかし次の駅がもう近づいていますからね。じゃあいいだろうと思ったわけです。そしたらね、列車は駅を通過したんですよ。
 よくよく確認したら、ダイヤグラムが出来てから、その駅、キシュリッジ駅っていうんですけれどもね、そこで停車しなくてもよくなったらしいんですよ。

 それでそのまま、運転士さんは停車せずに通過しちゃったわけ。

 あちゃー、と思って、今度はきちんと停車させなきゃいけないな、と思ったのですが、いや、異常が発生したのなら運転士さんがブレーキをかけるだろう、と考えたわけです。

 だから私、そのまま見てましたらね、下り坂に入っていくんですよ。そしたらね、運転手さんが、ブレーキを掛けますよーっていう汽笛を鳴らしたもんだから、ああ、やっぱりブレーキをかけるんだ、と思ったんですよ。

 ところがですよ。速度はちっとも遅くならない。挙句の果てには、運転士さんが非常汽笛を鳴らし始めたもんだから、私も慌ててブレーキを採ったんですよ。

 それでも速度は減ってかない。とうとうブレーキが千切れましてね。そのあとは、ご存じの通り……。



 え? なんで最初に異変を感じたときに停めなかったんだって?

 そりゃああなた、決まってますよ。そのダイヤグラム? とかいうのから逸脱したら、私は怒られてしまいますからね。そんなのはごめんこうむります。

 事故の原因は何だろうって? そんなの私にはわかりませんで。
 でもまあ、何か故障したんでしょう。見ての通り、この鉄道はオンボロだらけの下賤な鉄道ですから。









「何か得るものはあったかい?」

 アイリーンの言葉に、エドワードはやり切れない、というような表情で返した。

「今回の事故は、ひたすら物証がない。だから、我々がどれだけ頑張ったところでそれは諮問以上の意味は持たんだろう」

 だが、エスの顔は悲嘆には暮れていなかった。

「しかし、原因にはたどり着いたんだろう?」

 その顔に、エドワードは肯定の言葉を返す。

「原因は、空気管のトラブルだ」

 空気管、と言われてエスは疑問符を浮かべる。

「空気管、というのをまず説明してもおうか」

「わかった。まずそこからだな」

 そういって、エドワードは白紙にすらすらと図を書き始める。

「まず、鉄道のブレーキというのは空気で動作する」

「空気で?」

「そうだ。たとえば、もっとも原始的なブレーキであれば、蒸気機関車から発生した蒸気圧を使用して、制輪子を車輪に押し当てる」

「へえ、自動車なんかだと油圧なのに、鉄道は空気圧なのか」

「そう。そこから派生して、例えば空気圧縮機で気圧の高い空気を作り出し、そしてそれを利用する方法などが考え出された」

 それを、空気ブレーキという。エドワードはそう書きだした。

「空気ブレーキにはいくつかの方式がある。しかし、この場ではそれはさしたる問題ではない。証言によれば、空気の音がした後にブレーキが利かなくなった、とある」

「死人が息を吹き返したような音、だっけ?」

 アイリーンが合いの手を打つと、エスはぽんと手をたたいた。

「そうか。エア漏れだ。自動車でブレーキ油が漏れた時と同じことが起こったんだ」

「その通り。おそらく、機関車や客車と客車の間を結んでいたエアホースが破損して、そこから空気が漏洩したんだ」

 しかし、エスは再び腑に落ちないといったような顔になる。

「しかし、あまりにも危ないなあ。こう、もしそうなってもいいような対策とかはないのかい?」

「……。空気ブレーキにも種類がある、といったが、例えば自動ブレーキなんかは、空気が抜けると逆に自然とブレーキがかかるような仕組みになっている」

「へえ。じゃあ全部それにすればいいじゃないか」

「おそらく、この鉄道の技術レベルはそこまで達していない。自動ブレーキは、かなり複雑なんだ」

 彼はそういうと、紙にその図を描こうとした。だが、幾度かそれにチャレンジしたあとで、エドワードは紙をくしゃくしゃに丸める。

「とても、私の画力では表しきれない。概念自体は簡単なんだがな」

 彼はそういうと、ペンを放る。

「ともかく、だ。この鉄道では、ブレーキに使う空気圧を蒸気機関車で生み出し、それを客車に供給しブレーキをかけていた。しかし、何らかの原因で破損した空気管からエアが漏れ、ブレーキが利かなくなってしまった」

「しかし、なんでそんなことが起きるんだ? 普通は、そんなことが起きないようにしているんだろう?」

 エスは不安げな顔でエドワードを見た。

「もちろん、普通の鉄道ではそんなことが起きないようにしている。たとえば、そもそもそんなブレーキを使わない、とかな」

「……と、いうと?」

「さっき、空気ブレーキにはたくさんの方法があり、その中に自動ブレーキがあると言ったはずだ」

「ああ……。そうか、その自動ブレーキを採用するんだな」

「そう。更に、その自動ブレーキが故障してもよいように、最低でも二系統のブレーキを搭載する。こうすることによって、どこか一つが完全に故障したとしても、なんとか制動、ブレーキが利くように設計する」

 ふむふむ、とエスはうなづく。そして、口を開いた。

「この鉄道は、その努力を怠ったわけだ」

 ここへきて、エドワードは苦い顔をする。

「そうとも言い切れん。そのほかのブレーキも、使い方を間違えなければ有用なものだ。我々は今から、なぜ空気管が破損したのか、という問いに答えなければならん」

「だけれど、それを見つけるのはむりだよ。あの瓦礫の山から、どうやって証拠を探し出せっていうんだい?」

 エドワードの顔は更に険しくなる。そして、半ば敗北宣言ともいえるような言葉を発する。

「……この事故においては、完全に事故原因を特定するのはほぼ不可能だろう。しかし、我々は、いくつかの推定される原因と、そしてそれらに共通する問題点を洗い出すことができる」

「例えば?」

 アイリーンにそう聞かれて、エドワードはしばし黙った。そして、そのあとでノートの一ページをめくる。

「車輪がいやにすり減っている。これは、お前さんの証言だ」

「そうだね。だが、それは無関係だと……」

 アイリーンのその言葉は、エドワードの笑みに打ち消された。

「車輪も制輪子も、一定の期間または損傷具合で交換される。しかし、あれはそうなっていなかった」

「まさか」

「検査や修繕の過程に、問題があった可能性がある」

 彼はそう言って立ち上がった。

「どこへ?」

「車庫に忍び込むのさ!」

 走り出した彼を、二人は止められなかった。









 夜、真っ暗闇の機関区に、三人の姿があった。それぞれ発光石という魔石でその場を照らしながら機関区を物色していた。

「みろ、真空ブレーキだ」

 エドワードは機関車を照らしながらそう声を上げた。

「ということは?」

「真空ブレーキは、列車をつなぐ空気管が破損するとブレーキが効かなくなる」

「君の推論通りか」

 エドワードはその先にずんずん進む。そして、車両の下へもぐりこんだ。

「うわ、ひどいなこれは」

「どう酷いんだい?」

「ロクな整備を受けていない」

 彼は車輪を指さしながらそういう。

「車軸がボロボロだ。これじゃあ、ほかの事故が起きるぞ」

「うあ、こっちもひどいや」

 アイリーンも声を上げた。

「車輪がトンでもなくすり減っている。これじゃ走行中に車輪が割れて、大事故になる」

「それで、肝心のブレーキは?」

 エスは夜目が利くのか、発光石を使わずに歩き回りながらそう言った。

「ああ、見つけたさ。……これはひどいな。この客車、ブレーキ管にすでに穴が開いている」

「なんだって!? ……ああ、こっちもだ」

 彼らは頭を抱えた。どれもこれも、列車は故障していた。

「今まで、なぜ事故が起きなかったのか、不思議でしょうがない」

「起きてたさ、今まで、いくらでも」

 その瞬間、機関区に灯りがついた、エドワードはびっくりして飛び上がり、あたまをぶつける。

 もんどりを打って倒れていると、一人の男が近づいてきた。エスはその男の顔を見て思わず身構える。

 その男は、昼間、エドワードをスコップで殴打した者だったからだ。

「昼間はすまなかった。正直、我々も気が立っていてね」

 彼はそう言って頭を下げる。そんな彼に、エドワードは先を促した。

「ここ数百日で、もう五回は同じ事故が起きている。みんな、ブレーキ管の故障だ」

「……よく、それを放置できたな」

「俺たちもそう思った。だから、支配人に陳情したんだ。そしたら……」

 彼は、無念そうな顔を見せた。

「無駄なことはできない。そう言われた」

 エドワードは身の毛がよだつのを感じる。

「無駄なこと、だと?」

「ああそうだ。あの列車に乗るのはだいたいが貧しい南部開拓民だ。そして、そのほとんどが元奴隷。シンカの連中も、この鉄道の連中も、彼らのことを貨物か何かだと思ってやがる」

 そんな連中に、金はかけられない。それが、支配人の下した最終的な決定だったそうだ。エドワードは腸が煮えくりかえりそうになる。

「なあ、あんた。この事故を調べてるんだろう? お願いだ、奴を懲らしめてくれ」

 彼はそう言ってうなだれた。

「俺たちはこれでも頑張ったんだ。もう、頑張るのは無理だ」

 彼の背中は、初めて見た時のそれより、だいぶ小さく見えた。その背中に、エドワードは語りかける。

「最後に物事を動かすのは、君たちの力だ」

 絶望に打ちひしがれたような子で、彼はエドワードの顔を見る。その顔を、エドワードはしっかりと見据えた。

「だが、我々は君たちの闘争を無駄にしない、その手伝いができる」

 エドワードはそう言って立ち上がる。

「任せろ。君たちの犠牲を、無駄にはしない」

 エドワードはそう言って、報告書の作成に取り掛かった。









 機関士の彼も手伝って、報告書は朝方に完成した。その報告書を見ながら、彼はつぶやく。

「結局、証拠がないからこういう書き方になるのか」

 それに対し、エドワードはすまないと、そう言った。

「だが、俺はあきらめんぞ」

 エドワードは固くそう誓う。その顔を見て、彼も表情を緩めた。

「ああ。我々も戦う」

 二人は固く握手を交わす。ちょうど、空が白み始めてくるころだった。

「しかし、お嬢様も浮かばれない」

「お嬢様? 支配人令嬢か?」

 彼の口からそんな言葉が出てきて、エスはちょっと驚いた。

「ああ。彼は事故に遭った機関士、ウィリーとデキてたんだ」

 そう言われて、エスとエドワードは顔を見合わせる。

「ウィリーは、支配人に何度か安全性について陳情に行ってたんだ。彼女とはそこで出会ったらしい。事故後、ウィリーを亡くしたお嬢はだいぶ参っちまったようで、毎日彼女の部屋から叫び声が聞こえるらしい」

「そうか……」

 顔も知らない令嬢ではあるが、彼女のことを思うとエドワードも胸が張り裂ける思いだ。

「事故はたくさんの尊い人命と、そして想いを奪う。今度こそ、止めよう」

 四人は、固く手を結びあった。

 朝日が、ちょうど彼らの頬を照らした。
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