白い結婚のはずでしたが、選ぶ人生を取り戻しました

ふわふわ

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第3話 新しい婚約者

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第3話 新しい婚約者

 王宮の回廊は、いつもより騒がしかった。

 祝賀式典が終わってなお、人の流れは途切れない。
 囁き声、探るような視線、好奇と悪意が入り混じった空気。

 その中心にいたのは――
 王太子エドガルド・ヴァルシュタインと、その腕にそっと手を添える少女だった。

「……あの方が」 「平民の……?」 「王太子殿下の、新しい婚約者だそうよ」

 噂は、羽根のように広がっていく。

 少女の名は、フィオナ。

 淡い若草色のドレスに身を包み、華奢な体つきで、視線を落としがちに歩く姿は、いかにも“守ってあげたくなる”存在だった。

「大丈夫だ、フィオナ。皆、君を祝福している」

 エドガルドはそう言って、彼女の肩を引き寄せる。

「……はい、殿下」

 フィオナは小さく頷き、ぎこちない微笑みを浮かべた。

 その表情は不安と緊張に満ちている。
 だが、エドガルドにはそれが「純粋さ」に見えているらしい。

(……本当に、よくできた舞台ですこと)

 少し離れた場所から、その光景を見つめる者がいた。

 ディアナ・フォン・ヴァイスリーベ。

 公の場に姿を現すのは避けるつもりだったが、どうしても外せない用件があり、王宮に足を運んでいた。

 そして――運悪く、あるいは運良く。

(こうして、再確認できましたわね)

 ディアナは、感情を表に出さぬまま、二人を観察する。

 エドガルドの顔には、高揚と優越感がはっきりと浮かんでいた。
 まるで、長年の重荷を下ろしたかのような軽さ。

「侯爵令嬢は……」 「もう過去の人だ。これからは、フィオナが俺の隣に立つ」

 そう言い放つ声が、はっきりと耳に届く。

(ええ。どうぞ、お好きになさって)

 ディアナは心の中で静かに返す。

 だが同時に、胸の奥で別の感情が動いた。

(……あの方、本当に何もわかっていない)

 フィオナは、エドガルドに寄り添いながらも、周囲の貴族たちの視線に怯えている。
 礼儀作法も、会話の受け答えも、ぎこちない。

 それ自体は責められるものではない。
 彼女は、これまでそうした世界で生きてこなかったのだから。

 だが――。

(誰が、彼女を守るつもりなのでしょう)

 エドガルドは、フィオナを“選んだ”ことに満足している。
 だが、“支える”覚悟は見えない。

 その証拠に。

「殿下、次は外務卿との顔合わせが――」

「後でいい。今は、フィオナを優先する」

 そう言い切り、重要な報告を後回しにする。

(……ああ)

 ディアナは、ほんのわずかに目を伏せた。

(もう、始まっていますわね)

 王宮という場所は、感情だけで動くにはあまりにも複雑だ。
 一つの判断の遅れが、連鎖的な混乱を生む。

 それを――
 エドガルドは、理解していない。

 そのとき、不意に視線が絡んだ。

 フィオナが、ディアナに気づいたのだ。

「あ……」

 一瞬、少女の表情が強張る。

 ディアナは、すっと背筋を伸ばし、完璧な微笑みを浮かべた。

 敵意も、哀れみもない。
 ただの、礼儀正しい挨拶。

 それが、かえってフィオナを動揺させた。

「……あ、あの……」

 フィオナは小さく頭を下げた。

「その……」

 言葉を探す様子に、エドガルドが眉をひそめる。

「どうした?」

「いえ……」

 フィオナは黙り込み、視線を落とした。

(……やはり、まだ覚悟が足りませんわね)

 ディアナは、二人の前に一歩進み出た。

「ご無沙汰しております、王太子殿下」

 声は落ち着いていて、感情の揺れは一切ない。

「……ああ」

 エドガルドは、わずかに居心地悪そうに応じた。

「ご婚約、おめでとうございます」

 その一言に、周囲が静まり返る。

 祝福の言葉。
 だが、皮肉も未練も含まれていない。

 それが、エドガルドの自尊心を微妙に刺激した。

「……当然だ」

 彼は、少し強めの声で言った。

「俺は、自分にふさわしい相手を選んだだけだ」

「そうでございますね」

 ディアナは、穏やかに頷く。

「どうか……末永く、お幸せに」

 その言葉に、フィオナは戸惑いながらも、再び頭を下げた。

「……ありがとうございます」

 震える声。

 その姿を見て、エドガルドは満足げに微笑む。

(本当に、何も変わっていない)

 ディアナは、内心でそう結論づけた。

 彼は、“選んだ”ことで責任を果たしたつもりになっている。
 だが、これから始まるのは――選び続ける日々だ。

 ディアナは、静かにその場を後にした。

 背後で再びざわめきが広がる。

「やっぱり、余裕ね……」 「格が違うわ……」

 そんな声が、微かに聞こえた。

(ええ。もう、違いますわ)

 立場も、役割も、未来も。

 そして――。

(きっと、近いうちに“違い”ははっきりと表れる)

 誰が支え、
 誰が壊すのか。

 それを、王宮は否応なく思い知ることになるだろう。

 ディアナは、振り返らずに歩き続けた。

 新しい婚約者を得た王太子の背後で、
 最初の歯車が、音もなく狂い始めていることを――
 まだ、誰も気づいていなかった。


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