白い結婚のはずでしたが、選ぶ人生を取り戻しました

ふわふわ

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第2話 悲劇の令嬢(中身は歓喜)

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第2話 悲劇の令嬢(中身は歓喜)

 王宮を後にしたディアナ・フォン・ヴァイスリーベは、馬車に揺られながら、静かに目を閉じていた。

 分厚い扉が閉まり、外界の喧騒が遠ざかる。
 その瞬間、彼女の胸に張りつめていたものが、ふっと緩んだ。

(……終わりましたわね)

 誰にも聞かれない心の声が、驚くほど軽やかに響く。

 王太子エドガルドとの婚約。
 それは世間から見れば、栄誉であり、約束された未来だったのだろう。

 だが、ディアナにとっては違った。

 ――王太子の隣で微笑み、
 ――失策を裏で修正し、
 ――責任を取らずに済むよう立ち回る。

 そのすべてが、「婚約者」という立場の名のもとに押し付けられた重荷だった。

(よくもまあ、あれだけ堂々と“可愛げがない”などと言えたものですわ)

 思い出すだけで、苦笑がこぼれそうになる。

 だが同時に、彼女は理解していた。
 エドガルドは、本気でそう思っていたのだ。

 自分が努力していると。
 自分が評価されるのは当然だと。

 その裏で誰が何をしていたのかなど、考えたこともなかったのだろう。

 馬車が屋敷に到着する。

 ディアナが降り立つと、使用人たちが一斉に駆け寄ってきた。

「お嬢様……!」 「王宮での件は……!」

 彼らの表情には、不安と憤り、そして主を案じる色が入り混じっている。

 ディアナは、わずかに俯いた。

「……ご心配をおかけしました」

 声を震わせ、瞳に涙を溜める。
 完璧な“悲劇の令嬢”だった。

「婚約は……破棄となりました」

「そ、そんな……!」 「侯爵家に、あまりにも無礼では……!」

 憤る使用人たちに、ディアナは小さく首を振る。

「どうか……騒ぎ立てないでください。殿下のお気持ちも……わかりますから」

 そう口にした瞬間。

(わかるわけ、ありませんけれど)

 内心で冷静に突っ込む。

 だが、この場では“理解ある令嬢”を演じるのが最適解だった。

 ディアナは自室へと案内され、重厚な扉が閉められる。

 誰もいなくなった室内。

 次の瞬間――。

「……はぁ」

 長い、長い溜息がこぼれ落ちた。

 それは、悲嘆のそれではない。
 解放の吐息だった。

「……やっと、終わった……」

 誰に聞かせるでもなく、呟く。

 ディアナは椅子に腰を下ろし、背もたれに身を預けた。

 頭の中で、これまでの出来事が走馬灯のように巡る。

 外交会議での矛盾した発言。
 財政報告の致命的な計算ミス。
 貴族間の調整不足による火種。

 それらを一つずつ拾い上げ、修正し、時に自分の名を伏せたまま処理してきた日々。

(……本当に、よくやりましたわ、私)

 胸の奥から、静かな達成感が湧き上がる。

 もちろん、これから先も順風満帆とは限らないだろう。
 婚約破棄された令嬢という立場は、世間から好奇の目で見られる。

 だが――。

(少なくとも、“誰かの尻拭い”をする人生ではなくなった)

 それだけで、十分すぎるほどだ。

 そのとき、控えめなノック音が響いた。

「……お嬢様」

 侍女の声。

「よろしいわ」

 入室した侍女は、どこか遠慮がちに口を開く。

「すでに、王宮での出来事が噂になっております……」 「“完璧すぎる令嬢が捨てられた”と……」

 ディアナは、わずかに眉を下げた。

「……そう」

 悲しげに微笑む。

 だが内心では、冷静に分析していた。

(同情は集まる。悪評は、ほとんど立たない)

 エドガルドが理由を自ら口にしたのは、皮肉にもディアナにとって追い風だった。

 ――完璧すぎる。
 ――可愛げがない。

 それは、能力を否定する言葉ではない。
 むしろ、能力を認めた上での拒絶だ。

(随分と、優しいざまぁの種を蒔いてくださいましたわね)

 ディアナは、内心で静かに笑う。

「しばらくは、静かに過ごしたいと思います」 「表向きは……心を痛めている、ということで」

「……承知いたしました」

 侍女が下がり、再び一人になる。

 ディアナは窓辺に立ち、外を眺めた。

 春の陽光が、庭を照らしている。

(自由ですわ)

 誰にも命じられず、
 誰の期待にも縛られず、
 誰かの無能を覆い隠すこともない。

 ――そして。

(きっと、向こうはすぐに気づく)

 自分がいなくなった“後”の現実に。

 王宮が、
 エドガルドが、
 どれほど自分に依存していたのかを。

 ディアナは、静かに目を閉じた。

 もう、戻るつもりはない。

 婚約破棄は悲劇ではない。
 これは――祝福すべき転機なのだから。

 そのことを、彼女だけが知っていた。


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