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第三話 不履行という言葉の重さ
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第三話 不履行という言葉の重さ
王宮の会議室は、朝の光が差し込んでいるにもかかわらず、ひどく陰鬱に感じられた。昨夜の夜会から一日も経っていないというのに、空気はすでに一変している。使用人たちの足音は控えめで、扉の開閉さえも慎重だった。ここで交わされる言葉一つが、王家の未来を左右する。その事実を、誰もが理解していた。
長机の片側には、公爵家の顧問弁護士と記録官、そしてカタリナが座っている。対する側には王太子エドワードと王家の法務官が並び、互いに距離を保ったまま向き合っていた。感情的な衝突を避けるためというより、これ以上不用意な言葉を重ねないための配置だった。
顧問弁護士が静かに口を開く。
「本日は、婚約契約における不履行要件の確認を行います」
その声は淡々としており、王家への配慮も、同情も含まれていない。ただ契約に記された事実を、順序立てて確認するだけの作業だった。
「まず前提として、婚約期間中における双方の義務を整理いたします」
彼は一枚の書類を机に広げる。そこには、婚約証文の該当条文が抜粋されていた。
「婚約期間中、双方は家の名誉を損なう行為を慎み、血統および相続に混乱を生じさせる関係を持たないこと。この条文は、象徴的な文言ではなく、違反時には契約解除と損害賠償が発生する実務条項です」
王家側の法務官が小さく頷く。その条文自体を否定することはできなかった。
エドワードは椅子にもたれかかり、不満げに言う。
「それは分かっている。だが、私には王太子としての裁量があるはずだ」
顧問弁護士は即座に首を横に振った。
「裁量は、契約を守った上で発揮されるものです。契約を破った後に行使できる裁量は存在しません」
その言葉に、室内の空気が一段と重くなる。
カタリナは静かにエドワードを見た。彼女の視線には怒りも軽蔑もなく、ただ事実を見極める冷静さだけがあった。
「殿下。昨夜、殿下ご自身が公の場でお認めになりました」
穏やかな声で、しかしはっきりと告げる。
「婚約期間中に、侍女ミラ様を妊娠させたと」
エドワードは一瞬、言葉に詰まる。否定できない事実だった。
顧問弁護士はその沈黙を逃さず、続ける。
「妊娠の有無は、道徳的な問題以前に、血統と相続に直接影響する要素です。たとえその子が庶子として扱われるとしても、王家の血を引く存在が増えるという事実自体が、政治的な不安定要因となります」
記録官が補足するように口を挟む。
「特に、正式な婚約者が存在する期間中に発生した妊娠は、意図せずとも王家の意思決定に疑念を生じさせます」
エドワードは苛立ちを隠せず、机を指で叩いた。
「責任を取ると言っている。それで十分ではないのか」
その言葉に、カタリナが静かに首を振る。
「殿下。それは、責任を取るという言葉の意味を履き違えていらっしゃいます」
彼女は言葉を選びながら続けた。
「責任とは、結果を引き受けることです。引き受けた結果が、契約解除と清算であるならば、それを受け入れることが責任です」
顧問弁護士が一枚、別の書類を差し出す。
「以上を踏まえ、当方の見解は明確です。契約不履行は王太子殿下側にあり、解除権はアルヴェルト公爵家に帰属します」
王家側の法務官は沈黙したまま、反論を探すように書類に目を走らせる。しかし、条文と事実の組み合わせはあまりにも明白だった。
エドワードは、初めて声を落とした。
「……つまり、私には、破棄する権利すらないということか」
「はい」
顧問弁護士は即答した。
「殿下ができるのは、解除の結果を受け入れ、その後の清算に応じることだけです」
室内に沈黙が落ちる。そこには、誰かを糾弾する声も、感情的な非難もなかった。ただ、契約という仕組みが静かに作動し、王太子という立場をも等しく縛っている現実があった。
カタリナはその沈黙の中で、ゆっくりと立ち上がる。
「本日の確認で十分ですわ」
彼女は一礼し、淡々と告げた。
「次は、清算の話になります。殿下がどれほど誠実に向き合われるかで、今後の評価も変わるでしょう」
そう言い残して席を離れる彼女の背中を、エドワードは黙って見送ることしかできなかった。愛の選択だと信じていた行為が、いまや一つの「不履行」として整理されていく。その重さを、彼はようやく理解し始めていた。
王宮の会議室は、朝の光が差し込んでいるにもかかわらず、ひどく陰鬱に感じられた。昨夜の夜会から一日も経っていないというのに、空気はすでに一変している。使用人たちの足音は控えめで、扉の開閉さえも慎重だった。ここで交わされる言葉一つが、王家の未来を左右する。その事実を、誰もが理解していた。
長机の片側には、公爵家の顧問弁護士と記録官、そしてカタリナが座っている。対する側には王太子エドワードと王家の法務官が並び、互いに距離を保ったまま向き合っていた。感情的な衝突を避けるためというより、これ以上不用意な言葉を重ねないための配置だった。
顧問弁護士が静かに口を開く。
「本日は、婚約契約における不履行要件の確認を行います」
その声は淡々としており、王家への配慮も、同情も含まれていない。ただ契約に記された事実を、順序立てて確認するだけの作業だった。
「まず前提として、婚約期間中における双方の義務を整理いたします」
彼は一枚の書類を机に広げる。そこには、婚約証文の該当条文が抜粋されていた。
「婚約期間中、双方は家の名誉を損なう行為を慎み、血統および相続に混乱を生じさせる関係を持たないこと。この条文は、象徴的な文言ではなく、違反時には契約解除と損害賠償が発生する実務条項です」
王家側の法務官が小さく頷く。その条文自体を否定することはできなかった。
エドワードは椅子にもたれかかり、不満げに言う。
「それは分かっている。だが、私には王太子としての裁量があるはずだ」
顧問弁護士は即座に首を横に振った。
「裁量は、契約を守った上で発揮されるものです。契約を破った後に行使できる裁量は存在しません」
その言葉に、室内の空気が一段と重くなる。
カタリナは静かにエドワードを見た。彼女の視線には怒りも軽蔑もなく、ただ事実を見極める冷静さだけがあった。
「殿下。昨夜、殿下ご自身が公の場でお認めになりました」
穏やかな声で、しかしはっきりと告げる。
「婚約期間中に、侍女ミラ様を妊娠させたと」
エドワードは一瞬、言葉に詰まる。否定できない事実だった。
顧問弁護士はその沈黙を逃さず、続ける。
「妊娠の有無は、道徳的な問題以前に、血統と相続に直接影響する要素です。たとえその子が庶子として扱われるとしても、王家の血を引く存在が増えるという事実自体が、政治的な不安定要因となります」
記録官が補足するように口を挟む。
「特に、正式な婚約者が存在する期間中に発生した妊娠は、意図せずとも王家の意思決定に疑念を生じさせます」
エドワードは苛立ちを隠せず、机を指で叩いた。
「責任を取ると言っている。それで十分ではないのか」
その言葉に、カタリナが静かに首を振る。
「殿下。それは、責任を取るという言葉の意味を履き違えていらっしゃいます」
彼女は言葉を選びながら続けた。
「責任とは、結果を引き受けることです。引き受けた結果が、契約解除と清算であるならば、それを受け入れることが責任です」
顧問弁護士が一枚、別の書類を差し出す。
「以上を踏まえ、当方の見解は明確です。契約不履行は王太子殿下側にあり、解除権はアルヴェルト公爵家に帰属します」
王家側の法務官は沈黙したまま、反論を探すように書類に目を走らせる。しかし、条文と事実の組み合わせはあまりにも明白だった。
エドワードは、初めて声を落とした。
「……つまり、私には、破棄する権利すらないということか」
「はい」
顧問弁護士は即答した。
「殿下ができるのは、解除の結果を受け入れ、その後の清算に応じることだけです」
室内に沈黙が落ちる。そこには、誰かを糾弾する声も、感情的な非難もなかった。ただ、契約という仕組みが静かに作動し、王太子という立場をも等しく縛っている現実があった。
カタリナはその沈黙の中で、ゆっくりと立ち上がる。
「本日の確認で十分ですわ」
彼女は一礼し、淡々と告げた。
「次は、清算の話になります。殿下がどれほど誠実に向き合われるかで、今後の評価も変わるでしょう」
そう言い残して席を離れる彼女の背中を、エドワードは黙って見送ることしかできなかった。愛の選択だと信じていた行為が、いまや一つの「不履行」として整理されていく。その重さを、彼はようやく理解し始めていた。
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