婚約破棄は勝ち組です! 修道院はステータスです!

ふわふわ

文字の大きさ
2 / 39

第二話 弁護士と証文

しおりを挟む
第二話 弁護士と証文

 夜会の翌朝、王宮の空気は目に見えて重くなっていた。華やかな催しの後に残るはずの余韻はなく、回廊を行き交う使用人たちの足取りは早く、声も低い。昨夜の出来事が、ただの恋愛騒動では済まないことを、誰もが察していた。

 謁見用の小広間に最初に現れたのは、公爵家の顧問弁護士だった。年配の男で、飾り気のない黒衣に身を包み、手には分厚い革表紙の書類箱を抱えている。その後ろには、記録官と公爵家の騎士が控えていた。彼らの動きには一切の無駄がなく、まるで最初からこの日程が決まっていたかのようだった。

 最後に入室したのが、カタリナ・フォン・アルヴェルトである。夜会の時と変わらぬ落ち着いた表情で、静かに席に着いた。

「本日は、婚約契約解除および清算に関する協議の場となります」

 顧問弁護士が淡々と告げる。その声音には、王宮への遠慮も、王太子への配慮もなかった。ただ契約に基づく事務手続きとして、この場を扱っているだけだ。

 しばらく遅れて、王太子エドワードが入室した。顔色は冴えず、昨夜の自信に満ちた様子は影も形もない。その隣にはミラの姿はなく、代わりに王家側の法務官が控えていた。

「話が大げさすぎるのではないか」

 席に着くなり、エドワードは苛立ちを隠さず言った。

「婚約を解消するだけの話だろう。なぜ弁護士まで呼ぶ必要がある」

 顧問弁護士は一切表情を変えず、書類箱を机の上に置いた。

「婚約は、口約束ではございません。家と家の間で交わされた正式な契約です。解除には、証文の確認と、違約の有無の確定が必要となります」

 そう言って、一枚の羊皮紙を広げる。そこには、王家とアルヴェルト公爵家の紋章が並び、厳かな文字で条項が記されていた。

「こちらが、当時締結された婚約証文です」

 エドワードはちらりと目を向けただけで、興味なさそうに鼻を鳴らす。

「そんな古い書類を今さら」

「古いからこそ、有効なのです」

 弁護士は即座に言い切った。

「この証文には、婚約期間中の不貞行為、ならびに血統に混乱を生じさせる行為を重大な契約不履行とする条文が明記されております」

 王家側の法務官が、小さく咳払いをする。

「……その点については、昨夜、殿下ご自身がご発言なさいましたな」

 エドワードは不機嫌そうに視線を逸らした。

「だからといって、そこまで問題になるとは思わなかった」

 その言葉に、カタリナが初めて口を開いた。

「殿下。それは、契約を軽く見ていらっしゃるからです」

 声は静かで、責める響きはない。

「婚約期間中に他の女性を妊娠させた事実は、感情の問題ではございません。契約違反であり、家の信用を損なう行為です」

 顧問弁護士が頷き、書類をめくる。

「従って、契約は殿下側の不履行により解除されます。この場合、持参金は全額、アルヴェルト公爵家へ返還されることになります」

「持参金だと?」

 エドワードは思わず声を上げた。

「それは、結婚のために用意したものだろう」

「ええ。結婚が成立した場合の話です」

 弁護士は冷静に続ける。

「ですが今回は、殿下側の過失により婚約が破棄されます。よって、持参金は契約時の取り決めに従い、全額返還されます」

 さらに一枚、別の書類が差し出された。

「加えて、名誉毀損に対する補償についても協議が必要となります」

「名誉毀損?」

 エドワードの声が裏返る。

「婚約期間中に、別の女性を妊娠させた王太子の婚約者という立場に置かれたことで、カタリナ様の社会的評価は著しく損なわれました」

 記録官が淡々と補足する。

「再婚条件、家格の交渉、対外的信用、すべてに影響が及びます」

 エドワードは言葉を失った。昨夜、自分が誇らしげに語った行為が、こうして条文と数字に変換されていくことを、まったく想像していなかったのだ。

 カタリナは机上の書類に視線を落とし、静かに言う。

「殿下。これは罰ではありません。契約に基づく清算です」

 その言葉に、王太子は何も返せなかった。ここには、愛も情も通用しない。ただ、証文と責任だけが並んでいる。

「本日の協議では、違約の事実確認までといたします」

 顧問弁護士が締めくくる。

「具体的な返還額、ならびに補償内容については、明日以降、正式な書面で提示いたします」

 そう告げられた瞬間、エドワードははっきりと悟った。昨夜の夜会は、終わりではなかった。むしろ、本当の始まりだったのだと。

 カタリナは席を立ち、一礼する。

「では、失礼いたします。続きを、正式な場で」

 その背中を見送りながら、王太子は初めて、自分が踏み入れたのが恋愛の物語ではなく、契約と責任の世界であることを、痛感していた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】追放された子爵令嬢は実力で這い上がる〜家に帰ってこい?いえ、そんなのお断りです〜

Nekoyama
ファンタジー
魔法が優れた強い者が家督を継ぐ。そんな実力主義の子爵家の養女に入って4年、マリーナは魔法もマナーも勉学も頑張り、貴族令嬢にふさわしい教養を身に付けた。来年に魔法学園への入学をひかえ、期待に胸を膨らませていた矢先、家を追放されてしまう。放り出されたマリーナは怒りを胸に立ち上がり、幸せを掴んでいく。

【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。

ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」 実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて…… 「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」 信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。 微ざまぁあり。

王妃さまは断罪劇に異議を唱える

土岐ゆうば(金湯叶)
恋愛
パーティー会場の中心で王太子クロードが婚約者のセリーヌに婚約破棄を突きつける。彼の側には愛らしい娘のアンナがいた。 そんな茶番劇のような場面を見て、王妃クラウディアは待ったをかける。 彼女が反対するのは、セリーヌとの婚約破棄ではなく、アンナとの再婚約だったーー。 王族の結婚とは。 王妃と国王の思いや、国王の愛妾や婚外子など。 王宮をとりまく複雑な関係が繰り広げられる。 ある者にとってはゲームの世界、ある者にとっては現実のお話。

「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして

東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。 破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。

『外見しか見なかったあなたへ。私はもう、選ぶ側です』

鷹 綾
恋愛
「お前のようなガキは嫌いだ」 幼く見える容姿を理由に、婚約者ライオネルから一方的に婚約を破棄された 公爵令嬢シルフィーネ・エルフィンベルク。 その夜、嫉妬に狂った伯爵令嬢に突き落とされ、 彼女は一年もの間、意識不明の重体に陥る――。 目を覚ました彼女は、大人びた美貌を手に入れていた。 だが、中身は何ひとつ変わっていない。 にもかかわらず、 かつて彼女を「幼すぎる」と切り捨てた元婚約者は態度を一変させ、 「やり直したい」とすり寄ってくる。 「見かけが変わっても、中身は同じです。 それでもあなたは、私の外見しか見ていなかったのですね?」 静かにそう告げ、シルフィーネは過去を見限る。 やがて彼女に興味を示したのは、 隣国ノルディアの王太子エドワルド。 彼が見ていたのは、美貌ではなく―― 対話し、考え、異論を述べる彼女の“在り方”だった。 これは、 外見で価値を決められた令嬢が、 「選ばれる人生」をやめ、 自分の意思で未来を選び直す物語。 静かなざまぁと、 対等な関係から始まる大人の恋。 そして―― 自分の人生を、自分の言葉で生きるための物語。 ---

【完結】婚約破棄はいいのですが、平凡(?)な私を巻き込まないでください!

白キツネ
恋愛
実力主義であるクリスティア王国で、学園の卒業パーティーに中、突然第一王子である、アレン・クリスティアから婚約破棄を言い渡される。 婚約者ではないのに、です。 それに、いじめた記憶も一切ありません。 私にはちゃんと婚約者がいるんです。巻き込まないでください。 第一王子に何故か振られた女が、本来の婚約者と幸せになるお話。 カクヨムにも掲載しております。

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

悪役令嬢まさかの『家出』

にとこん。
恋愛
王国の侯爵令嬢ルゥナ=フェリシェは、些細なすれ違いから突発的に家出をする。本人にとっては軽いお散歩のつもりだったが、方向音痴の彼女はそのまま隣国の帝国に迷い込み、なぜか牢獄に収監される羽目に。しかし無自覚な怪力と天然ぶりで脱獄してしまい、道に迷うたびに騒動を巻き起こす。 一方、婚約破棄を告げようとした王子レオニスは、当日にルゥナが失踪したことで騒然。王宮も侯爵家も大混乱となり、レオニス自身が捜索に出るが、恐らく最後まで彼女とは一度も出会えない。 ルゥナは道に迷っただけなのに、なぜか人助けを繰り返し、帝国の各地で英雄視されていく。そして気づけば彼女を慕う男たちが集まり始め、逆ハーレムの中心に。だが本人は一切自覚がなく、むしろ全員の好意に対して煙たがっている。 帰るつもりもなく、目的もなく、ただ好奇心のままに彷徨う“無害で最強な天然令嬢”による、帝国大騒動ギャグ恋愛コメディ、ここに開幕!

処理中です...