婚約破棄は勝ち組です! 修道院はステータスです!

ふわふわ

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第八話 名誉毀損という現実

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第八話 名誉毀損という現実

 王宮の小会議室に再び集められた面々は、前回とは明らかに違う緊張をまとっていた。持参金の全額返還が確定したことで、この場はもはや「交渉」ではなく、「次にどれほど失うか」を確認する席になっている。

 王家側の法務官は、わずかに疲れた表情で書類を整えていた。数字ではなく、言葉が刃になる段階に入ったことを理解している。

 顧問弁護士ローレンスは、いつも通り淡々としていた。

「次は、名誉毀損について整理いたします」

 その一言で、空気がさらに重くなる。

 王家側の会計官が、慎重に問い返した。

「名誉毀損……とは、具体的にどの点を指しておられますか」

 ローレンスは、即答しなかった。一拍置いてから、ゆっくりと言葉を選ぶ。

「アルヴェルト公爵令嬢カタリナ様は、王太子妃候補として公に認知された存在です。その立場は、単なる婚約者ではなく、将来の国家象徴候補でした」

 彼は視線を落とし、書類の一節を読み上げる。

「その婚約期間中に、王太子殿下が侍女を妊娠させた。この事実が公になったことで、カタリナ様の社会的評価はどう変化したか。それを考慮する必要があります」

 王家側の法務官が、眉をひそめる。

「殿下の行為が問題であることは理解しています。しかし、それが直接、公爵令嬢の名誉を損なったとまで言えるのでしょうか」

 その問いに答えたのは、ローレンスではなくカタリナだった。

「ええ。損なわれましたわ」

 声は静かで、感情の揺れはない。

「私は、婚約者としての義務を果たしていた。その一方で、殿下は婚約期間中に別の女性を妊娠させた。世間は、その事実をどう受け取ると思いますか」

 王家側は沈黙する。

 カタリナは続けた。

「公にはこう囁かれますわ。王太子に愛想を尽かされた令嬢。跡継ぎを産めなかった、価値の落ちた女」

 その言葉は淡々としているのに、重かった。

「それが事実でなくとも、噂は価値を左右します。貴族社会では、事実より評価が重いこともある」

 ローレンスが、その言葉を引き取る。

「再婚価値の低下、という概念をご存じでしょうか」

 王家側の会計官が、かすかに頷く。

「婚約者として市場に出た場合、条件が悪化する……という意味ですね」

「その通りです」

 ローレンスは続ける。

「王太子妃候補という最高位の評価を受けていた令嬢が、婚約不履行によって市場に戻される。その時点で、同等の条件は望めません」

 彼は書類を示した。

「これは感情論ではなく、貴族社会における実務上の損害です」

 王家側の法務官が、苦しそうに息を吐く。

「つまり……公爵家は、『将来得られたはずの政治的・経済的利益』を失った、と」

「はい」

 ローレンスは即答する。

「しかも、その原因は一方的な契約不履行です」

 カタリナは、静かに視線を上げた。

「誤解なさらないでくださいませ。私は、次の結婚を望んでいるわけではありません」

 その言葉に、王家側がわずかに戸惑う。

「ですが、望まないことと、奪われることは別です。選択肢があった状態と、選択肢を奪われた状態では、価値が違います」

 その理屈は、あまりにも明確だった。

 ローレンスが、結論を告げる。

「以上を踏まえ、名誉毀損に対する補償は、金銭のみでは不十分と判断します」

 王家側の会計官が、恐る恐る尋ねた。

「では……どのような形で」

「王領の利権です」

 ローレンスは淡々と言った。

「関税権、鉱山収益、いずれかではありません。複数です」

 沈黙が落ちる。

 それは、王家の基盤そのものを削る要求だった。

 カタリナは、静かに立ち上がる。

「名誉とは、目に見えないからこそ、数値化しなければなりません」

 彼女は穏やかに言う。

「私が失ったのは、信用と将来性です。それを補うには、相応の裏付けが必要でしょう」

 王家側の法務官は、もはや反論しなかった。否定できる理屈が存在しないことを、誰よりも理解していたからだ。

 この瞬間、王家は悟った。

 婚約破棄の問題は、すでに金銭の話ではない。名誉という形をした、取り戻せない資産を失った結果として、国そのものが支払いを求められているのだということを。
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