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第九話 慰謝料の算定

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第九話 慰謝料の算定

 会議室に置かれた帳簿の量が、前回よりも明らかに増えていた。紙の束は高さを増し、机の中央を占拠している。それは感情の重さではない。数値と条件が積み上がった結果だった。

 王家側の会計官は、すでに疲労を隠そうともしていなかった。彼は理解している。今日の議題は「支払うか否か」ではなく、「どこまで支払うか」だ。

 顧問弁護士ローレンスは、帳簿の一冊を開いた。

「本日は、名誉毀損に対する慰謝料の算定についてお話しします」

 その声は淡々としているが、室内の空気は張り詰めていた。

「まず前提として、慰謝料とは感情を慰めるための金銭ではありません。損害を数値化し、契約違反によって失われた利益を補填するためのものです」

 王家側の法務官が、低く頷く。

「つまり……推定損失額を算出する、ということですね」

「その通りです」

 ローレンスは迷いなく答えた。

「では、順に整理しましょう」

 彼は指で書類を押さえながら続ける。

「第一に、再婚価値の低下による損失です。王太子妃候補という立場から、婚約不履行により市場へ戻された令嬢が、同等の条件で再婚できる可能性は、統計上著しく低下します」

 王家側の会計官が、思わず顔をしかめる。

「統計……とおっしゃいますが」

「過去五十年分の貴族婚姻記録です」

 ローレンスは別の帳簿を示した。

「王家との婚約が破棄された令嬢が、その後、同格以上の家に再婚できた例は、全体の一割にも満たない」

 その数字は、重かった。

 カタリナは、静かにその話を聞いていた。自分の価値が数字として並べられることに、感情は湧かない。ただ、事実として受け止めている。

「第二に、政治的影響力の損失です」

 ローレンスは続ける。

「王太子妃候補であるという立場は、個人の名誉に留まりません。公爵家としても、王家との結びつきを通じて得られるはずだった発言権、影響力が存在しました」

 王家側の法務官が、低く呟く。

「それは……数値化できるものなのでしょうか」

「可能です」

 即答だった。

「発言権とは、利権配分や政策決定への関与として現れます。過去の事例を参照すれば、どの程度の経済効果があったか、推定は十分に可能です」

 ローレンスは帳簿を一枚めくる。

「第三に、社会的信用の低下です」

 王家側の会計官が、思わず息を呑んだ。

「信用……」

「はい」

 ローレンスは頷く。

「公爵令嬢が、婚約期間中に不貞を働いた王太子の相手とされた。この事実は、本人に非がなくとも、評価を下げます。信用が下がれば、取引条件は悪化し、家全体の交渉力も低下する」

 カタリナが、静かに口を開いた。

「つまり、私個人の問題ではなく、我が家全体が被った損失、ということですわね」

「その通りです」

 ローレンスは頷いた。

「以上を合算した結果、金銭のみで補填するのは非現実的です」

 王家側の会計官が、覚悟を決めたように問いかける。

「……それで、具体的な補償内容は」

 ローレンスは、用意していた書類を差し出した。

「こちらが、算定結果に基づく補償案です」

 紙の上には、簡潔な項目が並んでいる。

「第一に、金銭補償。これは象徴的な部分に過ぎません」

 会計官の視線が、その金額に吸い寄せられる。象徴的と言うには、十分すぎる額だった。

「第二に、王領関税権の一部譲渡。期間は無期限」

 会計官の指が、わずかに震える。

「第三に、北部鉱山の収益配分権。こちらも期限は設けません」

 沈黙が落ちた。

 それは、王家の将来収入を恒常的に削る内容だった。

 王家側の法務官が、苦しそうに口を開く。

「これは……慰謝料というより、国家運営に影響する水準では」

「だからこそです」

 ローレンスは静かに答える。

「国家契約に準ずる婚約が破られたのです。その影響が国家規模になるのは、自然な結果です」

 カタリナは、ゆっくりと立ち上がった。

「私たちは、王家を滅ぼそうとしているわけではありません」

 彼女の声は穏やかだった。

「ただ、失われたものと釣り合う補償を求めているだけです」

 その言葉に、王家側は何も返せなかった。否定すれば、契約の論理そのものを否定することになるからだ。

 この日、慰謝料は感情の対価ではなく、国家規模の損害調整であると、はっきり定義された。

 そして王家は理解し始めていた。

 これはまだ、途中段階に過ぎないということを。
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