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第22話 不敬ではなく報道ですわ
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第22話 不敬ではなく報道ですわ
王太子ギヨームが王都サロン新報を発禁にしようとして失敗したという話は、その日のうちに王都のあちこちへ広がった。
もっとも、広がり方は二通りだった。
ひとつは王宮内の重苦しい噂。
殿下はよほど追い詰められているらしい、という話。
もうひとつは社交界の、ずっと意地の悪い噂。
図星を突かれて逆上なさったのね、という話である。
「ずいぶん分かりやすいですわね」
午後の編集会議で、クレマンスが楽しそうに言った。
編集部は今日も完璧にサロンだった。窓辺の花、銀のティーセット、揃いの椅子、甘い焼き菓子。けれど卓上に並ぶ紙束は、王太子のさらなる失策をどう料理するかで満ちている。
「発禁未遂だけでも充分に記事向きですけれど」
オデットが笑う。
「今日はそれ以上に面白い話がございますの」
「まあ、何かしら」
「殿下、今度は石版画を問題になさりたいそうですわ」
その一言に、部屋の空気が少しだけ和んだ。
和んだ、というのも妙な話だが、要するに全員が“やはりそこへ来たのね”と思ったのである。
「……あの絵を?」
ミレイユが首を傾げる。
「ええ。“あれは不敬だ”“王太子を貶めるための悪意ある図だ”と」
クレマンスが扇を口元に当てて笑った。
「まあ。ようやく絵の怖さにお気づきになったのですわね」
「気づくのが遅すぎますけれど」
セラフィーナはそう言いながら、自然と窓辺へ視線を向けた。
イリスは今日も、少し離れた場所で静かに紙を見ている。飾り気のない濃紺のドレス、長い黒髪、そして何より観察する目。彼女が描く石版画は、単なる挿絵ではない。王都サロン新報の武器の一つだ。
「イリス」
セラフィーナが呼ぶと、石版画家は顔を上げた。
「ええ」
「ご感想は?」
その問いに、イリスは一拍だけ置いた。
「感想、と申されましても」
「殿下が、あの石版画を不敬だと仰っていることについて」
「そうですわね」
イリスは淡々と答えた。
「不敬ではありませんわ」
とても短い。
けれどそれで充分だった。
クレマンスが身を乗り出す。
「どうしてそう言い切れますの?」
「誇張しておりませんもの」
イリスは平然としている。
「立ち位置、目線、腕の角度、周囲との距離。あの場で見えたものを整えて紙に移しただけですわ。わたくしが勝手に付け足した醜さはございません」
ルイーザが静かに頷いた。
「つまり、不敬ではなく記録であると」
「ええ。もっと言えば報道の一部ですわ」
その言葉に、セラフィーナは小さく笑みを深めた。
報道。
まさにそこだ。
王太子は、記事も絵も“自分を貶める攻撃”だと思っている。
だが実際には違う。彼が公衆の面前で行ったことを、読める形、見える形にしただけなのだ。
「では、今回の紙面はそこを押し出しましょう」
セラフィーナが言うと、全員の意識が自然と集まる。
「“不敬ではなく報道ですわ”――この一線を、言葉として明確にしたいの」
「政治面向きでもありますわね」
ルイーザが言う。
「王族だからこそ、行状は公的関心の対象になる。そこを曖昧にしてはなりません」
「社会面なら、“怒った理由が絵だった”というくだりだけで充分に笑えますわ」
オデットは楽しそうだ。
「だって皆さま思いますもの。怒るところ、そこですの? って」
「経済面では、石版画付き号外の増刷が効いておりますし」
ミレイユがさらりと続ける。
「殿下のお怒りとは裏腹に、非常によく売れましたわ」
「嫌ですわねえ」
クレマンスがうっとりしたように言う。
「怒れば怒るほど話題になるなんて、まるで紙面に愛されておりますわ」
「愛されているのではなく、素材として優秀なのです」
セラフィーナの返答に、小さな笑いが起こる。
その間に、イリスは新しい下絵をそっと卓へ置いた。
「次は少し違う描き方にいたしますわ」
「どのように?」
セラフィーナが問う。
「新聞そのものを持つ手です」
全員が絵を見る。
そこにあるのは、しわの寄った紙面を強く握りしめる男の手だった。顔は描かれていない。だが、怒りに任せて紙を傷めるその指先だけで、充分に伝わる。
「……良いですわね」
セラフィーナは静かに言った。
「お顔を出さない分、かえって幼く見えますわ」
「ええ。怒りは指先に出ますもの」
イリスの口調は相変わらず静かだ。
「それに、わたくしたちが傷つけたのではなく、ご自分で紙を握り潰そうとなさっている形になります」
その理屈がまた、美しかった。
セラフィーナはペンを取り、見出し案を書きつける。
不敬ではなく報道ですわ
石版画へのご不満、かえって話題を広げる形に
クレマンスが目を細める。
「とても結構ですわ」
ルイーザも続けた。
「本文では、“王族の行状を公に論じることは不敬ではなく責任の一部である”と整理いたしましょう」
「社会面では、“殿下、絵をご覧になってさらにご立腹”くらいの軽さで拾いますわ」
オデットの言い方に、また笑いが起きた。
窓の外では春の風がレースを揺らしている。
部屋の中では、優雅な令嬢たちが紅茶を片手に、王太子の怒りすらも整えて紙面へ載せようとしていた。
セラフィーナは最後に、そっとカップを持ち上げた。
「では、そういうことにいたしましょう」
彼女は柔らかく微笑む。
「わたくしたちは殿下を辱めたのではございませんわ。殿下がなさったことを、皆さまの読める形に整えただけですの」
そしてその言葉こそが、今の王太子には最も痛いはずだった。
王太子ギヨームが王都サロン新報を発禁にしようとして失敗したという話は、その日のうちに王都のあちこちへ広がった。
もっとも、広がり方は二通りだった。
ひとつは王宮内の重苦しい噂。
殿下はよほど追い詰められているらしい、という話。
もうひとつは社交界の、ずっと意地の悪い噂。
図星を突かれて逆上なさったのね、という話である。
「ずいぶん分かりやすいですわね」
午後の編集会議で、クレマンスが楽しそうに言った。
編集部は今日も完璧にサロンだった。窓辺の花、銀のティーセット、揃いの椅子、甘い焼き菓子。けれど卓上に並ぶ紙束は、王太子のさらなる失策をどう料理するかで満ちている。
「発禁未遂だけでも充分に記事向きですけれど」
オデットが笑う。
「今日はそれ以上に面白い話がございますの」
「まあ、何かしら」
「殿下、今度は石版画を問題になさりたいそうですわ」
その一言に、部屋の空気が少しだけ和んだ。
和んだ、というのも妙な話だが、要するに全員が“やはりそこへ来たのね”と思ったのである。
「……あの絵を?」
ミレイユが首を傾げる。
「ええ。“あれは不敬だ”“王太子を貶めるための悪意ある図だ”と」
クレマンスが扇を口元に当てて笑った。
「まあ。ようやく絵の怖さにお気づきになったのですわね」
「気づくのが遅すぎますけれど」
セラフィーナはそう言いながら、自然と窓辺へ視線を向けた。
イリスは今日も、少し離れた場所で静かに紙を見ている。飾り気のない濃紺のドレス、長い黒髪、そして何より観察する目。彼女が描く石版画は、単なる挿絵ではない。王都サロン新報の武器の一つだ。
「イリス」
セラフィーナが呼ぶと、石版画家は顔を上げた。
「ええ」
「ご感想は?」
その問いに、イリスは一拍だけ置いた。
「感想、と申されましても」
「殿下が、あの石版画を不敬だと仰っていることについて」
「そうですわね」
イリスは淡々と答えた。
「不敬ではありませんわ」
とても短い。
けれどそれで充分だった。
クレマンスが身を乗り出す。
「どうしてそう言い切れますの?」
「誇張しておりませんもの」
イリスは平然としている。
「立ち位置、目線、腕の角度、周囲との距離。あの場で見えたものを整えて紙に移しただけですわ。わたくしが勝手に付け足した醜さはございません」
ルイーザが静かに頷いた。
「つまり、不敬ではなく記録であると」
「ええ。もっと言えば報道の一部ですわ」
その言葉に、セラフィーナは小さく笑みを深めた。
報道。
まさにそこだ。
王太子は、記事も絵も“自分を貶める攻撃”だと思っている。
だが実際には違う。彼が公衆の面前で行ったことを、読める形、見える形にしただけなのだ。
「では、今回の紙面はそこを押し出しましょう」
セラフィーナが言うと、全員の意識が自然と集まる。
「“不敬ではなく報道ですわ”――この一線を、言葉として明確にしたいの」
「政治面向きでもありますわね」
ルイーザが言う。
「王族だからこそ、行状は公的関心の対象になる。そこを曖昧にしてはなりません」
「社会面なら、“怒った理由が絵だった”というくだりだけで充分に笑えますわ」
オデットは楽しそうだ。
「だって皆さま思いますもの。怒るところ、そこですの? って」
「経済面では、石版画付き号外の増刷が効いておりますし」
ミレイユがさらりと続ける。
「殿下のお怒りとは裏腹に、非常によく売れましたわ」
「嫌ですわねえ」
クレマンスがうっとりしたように言う。
「怒れば怒るほど話題になるなんて、まるで紙面に愛されておりますわ」
「愛されているのではなく、素材として優秀なのです」
セラフィーナの返答に、小さな笑いが起こる。
その間に、イリスは新しい下絵をそっと卓へ置いた。
「次は少し違う描き方にいたしますわ」
「どのように?」
セラフィーナが問う。
「新聞そのものを持つ手です」
全員が絵を見る。
そこにあるのは、しわの寄った紙面を強く握りしめる男の手だった。顔は描かれていない。だが、怒りに任せて紙を傷めるその指先だけで、充分に伝わる。
「……良いですわね」
セラフィーナは静かに言った。
「お顔を出さない分、かえって幼く見えますわ」
「ええ。怒りは指先に出ますもの」
イリスの口調は相変わらず静かだ。
「それに、わたくしたちが傷つけたのではなく、ご自分で紙を握り潰そうとなさっている形になります」
その理屈がまた、美しかった。
セラフィーナはペンを取り、見出し案を書きつける。
不敬ではなく報道ですわ
石版画へのご不満、かえって話題を広げる形に
クレマンスが目を細める。
「とても結構ですわ」
ルイーザも続けた。
「本文では、“王族の行状を公に論じることは不敬ではなく責任の一部である”と整理いたしましょう」
「社会面では、“殿下、絵をご覧になってさらにご立腹”くらいの軽さで拾いますわ」
オデットの言い方に、また笑いが起きた。
窓の外では春の風がレースを揺らしている。
部屋の中では、優雅な令嬢たちが紅茶を片手に、王太子の怒りすらも整えて紙面へ載せようとしていた。
セラフィーナは最後に、そっとカップを持ち上げた。
「では、そういうことにいたしましょう」
彼女は柔らかく微笑む。
「わたくしたちは殿下を辱めたのではございませんわ。殿下がなさったことを、皆さまの読める形に整えただけですの」
そしてその言葉こそが、今の王太子には最も痛いはずだった。
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