婚約破棄されたので、戻らない選択をしました

ふわふわ

文字の大きさ
11 / 40

第11話 広がる波紋

しおりを挟む
第11話 広がる波紋

 領政補佐として正式に迎えられてから、ミディア・バイエルンの日々は、さらに忙しさを増していた。

 朝は早い。夜明け前に起き、簡単な食事を済ませると、前日の報告と当日の予定を確認する。誰かに急かされるわけではないが、仕事が待っているという事実が、自然と身体を動かした。

「……次は、南側の街道ですね」

 机の上に広げられた地図を見つめ、ミディアは独り言のように呟く。北側の物流改善が形になり始めた今、次に目を向けるべきは、街道の維持と治安だった。

 扉をノックする音がする。

「どうぞ」

 入ってきたのは、財務担当の男だった。以前よりも、表情が柔らいでいる。

「ミディア様、こちらが今月分の中間報告です」

「ありがとうございます」

 書類を受け取り、素早く目を通す。数字の並びに、大きな異常はない。むしろ、わずかながら改善が見られる。

「……支出が抑えられていますね」

「はい。共同備蓄の影響で、輸送にかかる余分な費用が減りました」

 財務担当は、少し誇らしげに答えた。

「現場が理解してくれた証拠です」

 ミディアは、頷いた。

「数字は、結果を正直に示します。皆さんの努力ですね」

 その言葉に、男は一瞬驚いたような顔をした後、深く頭を下げた。

「……ありがとうございます」

 彼が部屋を出た後、ミディアは椅子に背を預けた。

 ――評価されるのは、私だけではいけない。

 王宮での経験が、そう教えてくれていた。誰か一人が持ち上げられれば、必ず歪みが生まれる。ここで同じことを繰り返すつもりはない。

 昼前、アイロス・アルツハイムが執務室を訪れた。

「忙しそうですね」

「おかげさまで」

 ミディアは顔を上げ、微かに笑った。

「南側街道の件、動き出そうと思っています」

「聞かせてください」

 彼は、椅子に腰を下ろし、腕を組んだ。命令でも、指示でもない。ただ、話を聞く姿勢だ。

「街道沿いの集落で、軽犯罪が増えています。直接の原因は、物流の滞りと、仕事不足です」

「……治安だけの問題ではない、ということですね」

「はい。巡回を増やすだけでは、根本的な解決にはなりません」

 ミディアは、資料を差し出した。

「街道整備を兼ねた雇用を、短期的に作れないかと考えています」

 アイロスは、資料に目を通しながら、静かに頷いた。

「金はかかるが……」

「何もしないより、安く済みます」

 はっきりと言い切る。

 彼は、しばらく考えた後、短く答えた。

「進めましょう」

 即断だった。

「詳細は、あなたに任せます」

 ミディアは、一瞬だけ目を瞬かせたが、すぐに頷いた。

「承知しました」

 ――信頼されている。

 その事実が、じわりと胸に広がる。

 午後、政庁を訪れた商人たちとの面談があった。以前なら、領主代理か、上級職員が対応していたはずの場だ。

「ミディア・バイエルンと申します。本日は、お時間をいただきありがとうございます」

 名乗ると、商人たちは一瞬、互いに顔を見合わせた。

「……あの、王都の……?」

 戸惑いを含んだ声。

「はい。ですが、今はアルツハイム領の仕事をしています」

 それだけで、余計な説明はしなかった。

 商人たちは、次第に本題に入っていく。通行税、街道の状態、盗難の不安。どれも、現実的な話だ。

 ミディアは、遮らず、否定せず、ただ聞いた。必要なところでだけ、短く質問する。

「……話しやすい方ですね」

 面談の終わり、年配の商人がぽつりと呟いた。

「そう言っていただけるなら、嬉しいです」

 それは、社交辞令ではなかった。

 その日の夕方、職員の一人が、噂話のように言った。

「最近、村の方々が『ミディア様に相談すれば、話を聞いてもらえる』と……」

 ミディアは、手を止めた。

「……困りますね」

「え?」

「私一人に集中してしまうと、現場が回らなくなります」

 彼女は、静かに続けた。

「相談窓口を整理しましょう。私でなくても、対応できる形に」

 職員は、感心したように頷いた。

 夜、宿舎に戻ると、窓の外に小さな灯りが点々と見えた。村々の灯だ。

 ミディアは、机に向かいながら、ふと考える。

 ――私の名前が、独り歩きし始めている。

 それは、喜ぶべきことでもあり、慎重になるべきことでもあった。

 王宮では、名は重荷だった。
 だが、ここでは、仕事の結果に紐づいている。

「……大丈夫」

 小さく呟く。

 ここには、独断を止めてくれる人がいる。
 そして、共に考える人たちがいる。

 広がり始めた波紋は、まだ穏やかだ。
 だが確実に、この辺境を変えつつある。

 ミディア・バイエルンという名は、静かに、だが確実に、現実の中で評価され始めていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

婚約破棄で終わるはずでしたのに、気づけば全部あなた方が崩れておりました

しおしお
恋愛
王太子カイルの婚約者だった公爵令嬢リディアナは、学園の舞踏会で突然婚約破棄を告げられる。 隣にいたのは、可憐に涙をこぼす義妹ミレイユ。 誰もがリディアナを捨てられた令嬢だと思った。 けれどその婚約破棄は、ただの恋愛沙汰では終わらなかった。 王太子は、自分が何に支えられていたのかも知らないまま婚約を切り、義妹と継母は、選ばれた側になったつもりで浮かれ上がる。 しかし一夜明けるごとに、王宮の実務は乱れ、社交界の空気は冷え、王太子の周囲からは人が消えていく。 一方、すべてを失ったはずのリディアナは、静かに身を引きながらも、崩れていく彼らを冷ややかに見つめていた。 選ばれただけでは、何者にもなれない。 肩書きだけでは、人は支えられない。 そして、誰かを踏みにじった代償は、ゆっくりと、けれど確実に返ってくる――。 これは、婚約破棄された公爵令嬢が自ら騒がず、 勝ったつもりだった王太子、義妹、継母が、静かに自滅していくざまぁ恋愛譚。

「妹にしか思えない」と婚約破棄したではありませんか。今更私に縋りつかないでください。

木山楽斗
恋愛
父親同士の仲が良いレミアナとアルペリオは、幼少期からよく一緒に遊んでいた。 二人はお互いのことを兄や妹のように思っており、良好な関係を築いていたのである。 そんな二人は、婚約を結ぶことになった。両家の関係も非常に良好であったため、自然な流れでそうなったのだ。 気心のしれたアルペリオと婚約できることを、レミアナは幸いだと思っていた。 しかしそんな彼女に、アルペリオはある日突然婚約破棄を告げてきた。 「……君のことは妹としか思えない。そんな君と結婚するなんて無理だ」 アルペリオは、レミアナがいくら説得しても聞き入れようとしなかった。両家が結んだ婚約を、彼は独断で切り捨てたのである。 そんなアルペリオに、レミアナは失望していた。慕っていた兄のあまりのわがままさに、彼女の気持ちは冷めてしまったのである。 そうして婚約破棄されたレミアナは、しばらくして知ることになった。 アルペリオは、とある伯爵夫人と交際していたのだ。 その事実がありながら、アルペリオはまだレミアナの兄であるかのように振る舞ってきた。 しかしレミアナは、そんな彼を切り捨てる。様々な要素から、既に彼女にはアルペリオを兄として慕う気持ちなどなくなっていたのである。 ※あらすじを少し変更しました。(2023/11/30) ※予想以上の反響に感想への返信が追いついていません。大変申し訳ありません。感想についてはいつも励みになっております。本当にありがとうございます。(2023/12/03) ※誤字脱字などのご指摘ありがとうございます。大変助かっています。

とある令嬢の優雅な別れ方 〜婚約破棄されたので、笑顔で地獄へお送りいたします〜

入多麗夜
恋愛
【完結まで執筆済!】 社交界を賑わせた婚約披露の茶会。 令嬢セリーヌ・リュミエールは、婚約者から突きつけられる。 「真実の愛を見つけたんだ」 それは、信じた誠実も、築いてきた未来も踏みにじる裏切りだった。だが、彼女は微笑んだ。 愛よりも冷たく、そして美しく。 笑顔で地獄へお送りいたします――

婚約破棄された令嬢、気づけば王族総出で奪い合われています

ゆっこ
恋愛
 「――よって、リリアーナ・セレスト嬢との婚約は破棄する!」  王城の大広間に王太子アレクシスの声が響いた瞬間、私は静かにスカートをつまみ上げて一礼した。  「かしこまりました、殿下。どうか末永くお幸せに」  本心ではない。けれど、こう言うしかなかった。  王太子は私を見下ろし、勝ち誇ったように笑った。  「お前のような地味で役に立たない女より、フローラの方が相応しい。彼女は聖女として覚醒したのだ!」

【完結】愛され令嬢は、死に戻りに気付かない

かまり
恋愛
公爵令嬢エレナは、婚約者の王子と聖女に嵌められて処刑され、死に戻るが、 それを夢だと思い込んだエレナは考えなしに2度目を始めてしまう。 しかし、なぜかループ前とは違うことが起きるため、エレナはやはり夢だったと確信していたが、 結局2度目も王子と聖女に嵌められる最後を迎えてしまった。 3度目の死に戻りでエレナは聖女に勝てるのか? 聖女と婚約しようとした王子の目に、涙が見えた気がしたのはなぜなのか? そもそも、なぜ死に戻ることになったのか? そして、エレナを助けたいと思っているのは誰なのか… 色んな謎に包まれながらも、王子と幸せになるために諦めない、 そんなエレナの逆転勝利物語。

婚約破棄された公爵令嬢は、ただ冤罪を晴らしたいだけなのです

明衣令央
恋愛
王太子アレクシスから突然の婚約破棄を告げられた公爵令嬢エレノア。 身に覚えのない冤罪まで着せられ、学園は騒然となる。 王家の調査が始まる中、彼女の前に現れたのは誠実な第二王子ウイリアム。 静かに真実へと歩み出すエレノアの影で、 “時”をめぐる運命が、ゆっくりと動き始めていた――。

【完結】悪女を押し付けられていた第一王女は、愛する公爵に処刑されて幸せを得る

甘海そら
恋愛
第一王女、メアリ・ブラントは悪女だった。 家族から、あらゆる悪事の責任を押し付けられればそうなった。 国王の政務の怠慢。 母と妹の浪費。 兄の女癖の悪さによる乱行。 王家の汚点の全てを押し付けられてきた。 そんな彼女はついに望むのだった。 「どうか死なせて」 応える者は確かにあった。 「メアリ・ブラント。貴様の罪、もはや死をもって以外あがなうことは出来んぞ」 幼年からの想い人であるキシオン・シュラネス。 公爵にして法務卿である彼に死を請われればメアリは笑みを浮かべる。 そして、3日後。 彼女は処刑された。

捨てられた令嬢と、選ばれなかった未来

鍛高譚
恋愛
「君とは釣り合わない。だから、僕は王女殿下を選ぶ」 婚約者アルバート・ロンズデールに冷たく告げられた瞬間、エミリア・ウィンスレットの人生は暗転した。 王都一の名門公爵令嬢として慎ましくも誠実に彼を支えてきたというのに、待っていたのは無慈悲な婚約破棄――しかも相手は王女クラリッサ。 アルバートと王女の華やかな婚約発表の裏で、エミリアは社交界から冷遇され、"捨てられた哀れな令嬢"と嘲笑される日々が始まる。 だが、彼女は決して屈しない。 「ならば、貴方たちが後悔するような未来を作るわ」 そう決意したエミリアは、ある人物から手を差し伸べられる。 ――それは、冷静沈着にして王国の正統な後継者、皇太子アレクシス・フォルベルト。 彼は告げる。「私と共に来い。……君の聡明さと誇りが、この国には必要だ」

処理中です...