21 / 40
第21話 王太子の焦燥
しおりを挟む
第21話 王太子の焦燥
王都は、表向きには何も変わっていなかった。
朝の鐘が鳴り、貴族たちは決まった時刻に集い、決まった言葉を交わす。
だが、その中心――王太子アルトゥールの周囲だけが、微妙に歪み始めていた。
「……辺境の件、まだ尾を引いているのか」
執務机の前で、アルトゥールは苛立ちを隠そうともせずに言った。
「はい」
側近が、慎重に答える。
「商会からも、評議会からも、問い合わせが続いております」
「問い合わせ?」
アルトゥールは、低く笑った。
「不満だろう。辺境が勝手に動いて、王都の思惑を狂わせている」
「それだけではありません」
側近は、言葉を選びながら続ける。
「“誰が主導しているのか”という点で、皆、同じ名前を挙げています」
分かっている。
聞かなくても、分かっている。
「……ミディア、か」
名を口にした瞬間、部屋の空気が重くなった。
かつては、自分の隣にいるのが当然だった存在。
助言をし、裏方を引き受け、王太子の判断を“形”にしていた女。
だが今、その女は――王都にいない。
「殿下」
側近が、恐る恐る進言する。
「このまま放置すれば、“王太子が切り捨てた女に、王都が振り回されている”という見方が広がります」
アルトゥールは、机を指で叩いた。
「……そんな馬鹿な話があるか」
吐き捨てるように言う。
「切り捨てたのは、こちらだ」
だが、その言葉には、確信がなかった。
切り捨てたはずの存在が、
なぜ、これほど王都を揺らしている?
「殿下」
別の側近が、慎重に口を開く。
「もし……もしも、ミディア嬢が“自分の意思で去った”と見なされれば――」
言葉が、途中で止まる。
「何だ」
「殿下が、選ばれなかった、という見方も……」
その瞬間、アルトゥールは立ち上がった。
「戯言だ!」
怒声が、部屋に響く。
「王太子が、選ばれない? そんなことが、あるはずがない!」
側近たちは、沈黙した。
否定できる材料を、誰も持っていない。
――事実として。
ミディアは、戻らなかった。
呼ばれても、誘われても、選ばなかった。
それは、王都の論理では説明できない行動だった。
一方、辺境では。
ミディア・バイエルンは、朝の視察を終え、橋の完成を確認していた。
「これで、冬でも通れますね」
現場責任者の言葉に、彼女は頷く。
「お疲れさまでした。皆さんのおかげです」
拍手が起きる。
誰か一人に向けられたものではない。
その光景を、少し離れた場所から、アイロス・アルツハイムが見ていた。
「……王都が、焦り始めています」
視察後、二人きりになった時、彼が言う。
「感じています」
ミディアは、静かに答えた。
「だから、こちらは変わりません」
「何も、手を打たなくていい?」
「いいえ」
ミディアは、首を振った。
「“普通に進める”ことが、最大の対策です」
王都が感情で動くなら、
こちらは現実で動く。
「……あなたは、残酷ですね」
アイロスが、半ば冗談めかして言う。
「いいえ」
ミディアは、少し考えてから答えた。
「対等なだけです」
夜、王都では、アルトゥールが眠れずにいた。
あの返書。
淡々とした言葉。
感情の欠片も残っていない文章。
――自分は、本当に“捨てた”のか。
それとも――“逃した”のか。
初めて、その疑問が、胸に刺さる。
だが、答えは出ない。
答えは、王都にはない。
その頃、辺境の夜は静かだった。
ミディア・バイエルンは、灯りの下で次の計画書に目を通している。
王太子の焦燥など、知る由もない。
そして――知る必要もない。
彼女が選んだ道は、
もう、王都の感情では揺らがなかった。
王都は、表向きには何も変わっていなかった。
朝の鐘が鳴り、貴族たちは決まった時刻に集い、決まった言葉を交わす。
だが、その中心――王太子アルトゥールの周囲だけが、微妙に歪み始めていた。
「……辺境の件、まだ尾を引いているのか」
執務机の前で、アルトゥールは苛立ちを隠そうともせずに言った。
「はい」
側近が、慎重に答える。
「商会からも、評議会からも、問い合わせが続いております」
「問い合わせ?」
アルトゥールは、低く笑った。
「不満だろう。辺境が勝手に動いて、王都の思惑を狂わせている」
「それだけではありません」
側近は、言葉を選びながら続ける。
「“誰が主導しているのか”という点で、皆、同じ名前を挙げています」
分かっている。
聞かなくても、分かっている。
「……ミディア、か」
名を口にした瞬間、部屋の空気が重くなった。
かつては、自分の隣にいるのが当然だった存在。
助言をし、裏方を引き受け、王太子の判断を“形”にしていた女。
だが今、その女は――王都にいない。
「殿下」
側近が、恐る恐る進言する。
「このまま放置すれば、“王太子が切り捨てた女に、王都が振り回されている”という見方が広がります」
アルトゥールは、机を指で叩いた。
「……そんな馬鹿な話があるか」
吐き捨てるように言う。
「切り捨てたのは、こちらだ」
だが、その言葉には、確信がなかった。
切り捨てたはずの存在が、
なぜ、これほど王都を揺らしている?
「殿下」
別の側近が、慎重に口を開く。
「もし……もしも、ミディア嬢が“自分の意思で去った”と見なされれば――」
言葉が、途中で止まる。
「何だ」
「殿下が、選ばれなかった、という見方も……」
その瞬間、アルトゥールは立ち上がった。
「戯言だ!」
怒声が、部屋に響く。
「王太子が、選ばれない? そんなことが、あるはずがない!」
側近たちは、沈黙した。
否定できる材料を、誰も持っていない。
――事実として。
ミディアは、戻らなかった。
呼ばれても、誘われても、選ばなかった。
それは、王都の論理では説明できない行動だった。
一方、辺境では。
ミディア・バイエルンは、朝の視察を終え、橋の完成を確認していた。
「これで、冬でも通れますね」
現場責任者の言葉に、彼女は頷く。
「お疲れさまでした。皆さんのおかげです」
拍手が起きる。
誰か一人に向けられたものではない。
その光景を、少し離れた場所から、アイロス・アルツハイムが見ていた。
「……王都が、焦り始めています」
視察後、二人きりになった時、彼が言う。
「感じています」
ミディアは、静かに答えた。
「だから、こちらは変わりません」
「何も、手を打たなくていい?」
「いいえ」
ミディアは、首を振った。
「“普通に進める”ことが、最大の対策です」
王都が感情で動くなら、
こちらは現実で動く。
「……あなたは、残酷ですね」
アイロスが、半ば冗談めかして言う。
「いいえ」
ミディアは、少し考えてから答えた。
「対等なだけです」
夜、王都では、アルトゥールが眠れずにいた。
あの返書。
淡々とした言葉。
感情の欠片も残っていない文章。
――自分は、本当に“捨てた”のか。
それとも――“逃した”のか。
初めて、その疑問が、胸に刺さる。
だが、答えは出ない。
答えは、王都にはない。
その頃、辺境の夜は静かだった。
ミディア・バイエルンは、灯りの下で次の計画書に目を通している。
王太子の焦燥など、知る由もない。
そして――知る必要もない。
彼女が選んだ道は、
もう、王都の感情では揺らがなかった。
82
あなたにおすすめの小説
婚約破棄で終わるはずでしたのに、気づけば全部あなた方が崩れておりました
しおしお
恋愛
王太子カイルの婚約者だった公爵令嬢リディアナは、学園の舞踏会で突然婚約破棄を告げられる。
隣にいたのは、可憐に涙をこぼす義妹ミレイユ。
誰もがリディアナを捨てられた令嬢だと思った。
けれどその婚約破棄は、ただの恋愛沙汰では終わらなかった。
王太子は、自分が何に支えられていたのかも知らないまま婚約を切り、義妹と継母は、選ばれた側になったつもりで浮かれ上がる。
しかし一夜明けるごとに、王宮の実務は乱れ、社交界の空気は冷え、王太子の周囲からは人が消えていく。
一方、すべてを失ったはずのリディアナは、静かに身を引きながらも、崩れていく彼らを冷ややかに見つめていた。
選ばれただけでは、何者にもなれない。
肩書きだけでは、人は支えられない。
そして、誰かを踏みにじった代償は、ゆっくりと、けれど確実に返ってくる――。
これは、婚約破棄された公爵令嬢が自ら騒がず、
勝ったつもりだった王太子、義妹、継母が、静かに自滅していくざまぁ恋愛譚。
「妹にしか思えない」と婚約破棄したではありませんか。今更私に縋りつかないでください。
木山楽斗
恋愛
父親同士の仲が良いレミアナとアルペリオは、幼少期からよく一緒に遊んでいた。
二人はお互いのことを兄や妹のように思っており、良好な関係を築いていたのである。
そんな二人は、婚約を結ぶことになった。両家の関係も非常に良好であったため、自然な流れでそうなったのだ。
気心のしれたアルペリオと婚約できることを、レミアナは幸いだと思っていた。
しかしそんな彼女に、アルペリオはある日突然婚約破棄を告げてきた。
「……君のことは妹としか思えない。そんな君と結婚するなんて無理だ」
アルペリオは、レミアナがいくら説得しても聞き入れようとしなかった。両家が結んだ婚約を、彼は独断で切り捨てたのである。
そんなアルペリオに、レミアナは失望していた。慕っていた兄のあまりのわがままさに、彼女の気持ちは冷めてしまったのである。
そうして婚約破棄されたレミアナは、しばらくして知ることになった。
アルペリオは、とある伯爵夫人と交際していたのだ。
その事実がありながら、アルペリオはまだレミアナの兄であるかのように振る舞ってきた。
しかしレミアナは、そんな彼を切り捨てる。様々な要素から、既に彼女にはアルペリオを兄として慕う気持ちなどなくなっていたのである。
※あらすじを少し変更しました。(2023/11/30)
※予想以上の反響に感想への返信が追いついていません。大変申し訳ありません。感想についてはいつも励みになっております。本当にありがとうございます。(2023/12/03)
※誤字脱字などのご指摘ありがとうございます。大変助かっています。
とある令嬢の優雅な別れ方 〜婚約破棄されたので、笑顔で地獄へお送りいたします〜
入多麗夜
恋愛
【完結まで執筆済!】
社交界を賑わせた婚約披露の茶会。
令嬢セリーヌ・リュミエールは、婚約者から突きつけられる。
「真実の愛を見つけたんだ」
それは、信じた誠実も、築いてきた未来も踏みにじる裏切りだった。だが、彼女は微笑んだ。
愛よりも冷たく、そして美しく。
笑顔で地獄へお送りいたします――
婚約破棄された令嬢、気づけば王族総出で奪い合われています
ゆっこ
恋愛
「――よって、リリアーナ・セレスト嬢との婚約は破棄する!」
王城の大広間に王太子アレクシスの声が響いた瞬間、私は静かにスカートをつまみ上げて一礼した。
「かしこまりました、殿下。どうか末永くお幸せに」
本心ではない。けれど、こう言うしかなかった。
王太子は私を見下ろし、勝ち誇ったように笑った。
「お前のような地味で役に立たない女より、フローラの方が相応しい。彼女は聖女として覚醒したのだ!」
【完結】愛され令嬢は、死に戻りに気付かない
かまり
恋愛
公爵令嬢エレナは、婚約者の王子と聖女に嵌められて処刑され、死に戻るが、
それを夢だと思い込んだエレナは考えなしに2度目を始めてしまう。
しかし、なぜかループ前とは違うことが起きるため、エレナはやはり夢だったと確信していたが、
結局2度目も王子と聖女に嵌められる最後を迎えてしまった。
3度目の死に戻りでエレナは聖女に勝てるのか?
聖女と婚約しようとした王子の目に、涙が見えた気がしたのはなぜなのか?
そもそも、なぜ死に戻ることになったのか?
そして、エレナを助けたいと思っているのは誰なのか…
色んな謎に包まれながらも、王子と幸せになるために諦めない、
そんなエレナの逆転勝利物語。
婚約破棄された公爵令嬢は、ただ冤罪を晴らしたいだけなのです
明衣令央
恋愛
王太子アレクシスから突然の婚約破棄を告げられた公爵令嬢エレノア。
身に覚えのない冤罪まで着せられ、学園は騒然となる。
王家の調査が始まる中、彼女の前に現れたのは誠実な第二王子ウイリアム。
静かに真実へと歩み出すエレノアの影で、
“時”をめぐる運命が、ゆっくりと動き始めていた――。
【完結】悪女を押し付けられていた第一王女は、愛する公爵に処刑されて幸せを得る
甘海そら
恋愛
第一王女、メアリ・ブラントは悪女だった。
家族から、あらゆる悪事の責任を押し付けられればそうなった。
国王の政務の怠慢。
母と妹の浪費。
兄の女癖の悪さによる乱行。
王家の汚点の全てを押し付けられてきた。
そんな彼女はついに望むのだった。
「どうか死なせて」
応える者は確かにあった。
「メアリ・ブラント。貴様の罪、もはや死をもって以外あがなうことは出来んぞ」
幼年からの想い人であるキシオン・シュラネス。
公爵にして法務卿である彼に死を請われればメアリは笑みを浮かべる。
そして、3日後。
彼女は処刑された。
捨てられた令嬢と、選ばれなかった未来
鍛高譚
恋愛
「君とは釣り合わない。だから、僕は王女殿下を選ぶ」
婚約者アルバート・ロンズデールに冷たく告げられた瞬間、エミリア・ウィンスレットの人生は暗転した。
王都一の名門公爵令嬢として慎ましくも誠実に彼を支えてきたというのに、待っていたのは無慈悲な婚約破棄――しかも相手は王女クラリッサ。
アルバートと王女の華やかな婚約発表の裏で、エミリアは社交界から冷遇され、"捨てられた哀れな令嬢"と嘲笑される日々が始まる。
だが、彼女は決して屈しない。
「ならば、貴方たちが後悔するような未来を作るわ」
そう決意したエミリアは、ある人物から手を差し伸べられる。
――それは、冷静沈着にして王国の正統な後継者、皇太子アレクシス・フォルベルト。
彼は告げる。「私と共に来い。……君の聡明さと誇りが、この国には必要だ」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる